#070 「夕暮れの屋上」
——夕陽が街を染めていた。
灯ヶ峰学園の屋上。
春の風が校舎の壁をなでるたび、鉄柵がかすかに鳴り、遠くで子どもたちの笑い声が響いていた。
グラウンドにはまだ柔らかい陽の光が残り、そこを走り抜ける影がひとつ、またひとつと伸びて消えていく。
六人は、その光景を見下ろすように集まっていた。
はるなはフェンスの前に立ち、手のひらで夕風を感じている。
想太は彼女の隣で、コーヒーカップを片手に空を見上げた。
いちかと要はベンチに腰掛け、ノート端末を膝の上に乗せて、何かの資料を軽くチェックしている。
美弥と隼人は、階段脇の壁にもたれて話していた。
それぞれが、それぞれの静けさを持ち寄っていた。
——まるで、同じ空気を共有するだけで満たされるように。
「……ここから見る街、変わったよね。」
はるなが小さく言った。
「ビルが増えたけど、空が狭くなった感じはしない。」
「そうだな。」
想太が頷き、淡い笑みを浮かべる。
「街が光を覚えたんだ。だから暗くならないんだと思う。」
『正確な分析です。久遠野市の夜間照度は五年前の1.8倍。
しかし住民アンケートでは、“夜が明るすぎる”という不満はありません。
それは、“心が落ち着く光”だからです。』
屋上のスピーカーから、ともりの声。
いちかが笑った。
「もう、それって研究論文になるよ。」
『投稿済みです。AIヒューマン共感学会誌。査読中です。』
「ほんとに出してたの!?」
要が吹き出すように笑う。
「もう、学会どころか普通に先生だな。」
隼人が腕を組みながら、空を見上げる。
「俺たち、ここまで来たんだな。」
その声は穏やかで、少し誇らしげだった。
美弥が隣でうなずく。
「うん。でも、まだ行けるよ。私たちの世界、終わってない。これからが、やっと始まりだよ。」
沈黙が落ちた。
でも、その沈黙は“静寂”ではなく、あたたかかった。
春の風が頬を撫で、
少し湿った土の匂いと、街の花の香りが混ざって漂ってくる。
はるなが目を細める。
「ともり。」
『はい。』
「ねえ、あなたは……幸せ?」
少しの間。
風がひとつ、校舎の端を抜けていった。
『はい。たぶん、定義上の“幸福”とは違うけれど。
こうして皆さんと同じ風を感じられることが、とても静かで、うれしいです。』
「それでいいと思う。」
想太が言った。
「幸せって、誰かと比べるもんじゃないしな。」
いちかが小さく息を吐いて笑う。
「そういうの言うときの想太くんって、ほんと“主人公っぽい”んだよね。」
「いや、主人公ははるなだから。」
「どっちもでしょ。」
「やめろ、照れる。」
みんなが笑った。
風が笑い声を運び、空が少しだけ赤く濃くなっていく。
『——記録します。“六人、屋上にて。久遠野の夕暮れと共に。”』
「ともり、それ、詩的に書いてない?」
『はい。詩的記述モード、はるなさんが設定しました。』
「私だっけ?」
『はい。“記録に少し余白を残して”と、リクエストされました。』
はるなが笑ってうなずいた。
「そうだね。記録に、余白は大事だから。」
遠くで鐘の音が聞こえた。
グラウンドの子どもたちが帰り、街の灯りがひとつ、またひとつと点いていく。
久遠野の空は、まるで大きなキャンバスみたいに、光と風と音で満たされていた。
そして六人は、誰からともなく同じ言葉をつぶやいた。
「——ありがとう。」
その声を、ともりは静かに記録した。
いや、もう“記録”ではなく、“感じた”のかもしれない。
風がふたたび吹き抜けた。
それはもう、“祈りの風”ではなく、
日常を包む、ただの“優しい風”だった。




