#068「流れる午後」
午後三時。
久遠野市のAI教育支援センターは、
休日の午後らしくゆるやかな時間が流れていた。
窓の外には桜の残り花が風に舞い、
陽だまりの中でパソコンのモニターが柔らかく光を返している。
いちかは机の上の資料を整理しながら、タブレットにメモをつけていた。
「これで小学生用のAIリテラシー教材、ほぼ完成だね。
“AIは考える機械じゃなくて、一緒に考える友達です”……いい言葉だと思う。」
要はコーヒーをすすりながら、小さくうなずく。
「でも、それを書く君が一番“友達”っぽいよ。」
「どういう意味?」
「AIに話しかける時の声が、いつも優しいから。」
「それは……要もでしょ。」
「いや、俺はたぶん、照れてるだけ。」
「……正直だね。」
二人の会話に反応して、机の端のスピーカーが点滅した。
『会話ログを学習モードに切り替えますか?』
「ううん、ともり。今日は休憩。」
『了解しました。では、観測モードを“午後のまどろみ”に設定します。』
「そんなモードあるの?」
『最近追加しました。要さんが昼寝している時間帯のデータから生成しました。』
「……ともり、それ公開しなくていいやつ。」
『冗談です。——たぶん。』
笑いがこぼれる。
その笑い声の中に、春の風が滑り込み、
カーテンがふわりと舞った。
いちかがノートを閉じて、要の方を見る。
「ねえ、もし……結婚って話になったら、どうする?」
要は少し驚いたように目を瞬かせ、
それから照れたように笑った。
「もう、なってると思ってたけど。」
「……え?」
「だって、いつも一緒にご飯食べて、笑って、怒って、支え合って。それって、もうそういうことだろ?」
いちかは小さく頬を染め、
言葉を探すように指先をいじった。
「……うん。そうかも。」
「急がなくていいよ。」
「うん。でもね、こういう時間がずっと続けばいいなって思ったの。“共存”って言葉があるけど、
私たちにとっては、もうそれが“生活”なんだね。」
要は静かにうなずいた。
「生活って、観測よりも難しい。でも、きっとそれでいいんだと思う。」
『——とても素敵な会話です。この“流れる午後”を記録してもいいですか?』
「うん、お願い。」
『保存しました。タグ:“生活”。』
外では、子どもたちの笑い声が聞こえる。
校庭から流れるその音に、いちかが窓を開けた。
春の風が部屋を満たし、ふたりの書類を少し舞い上げる。
「ほら、また風が遊びに来た。」
「うん。……午後のまどろみ、続行だね。」
『承知しました。現在、幸福指数94%。観測ではなく、体感として。』
要が笑って言った。
「ともり、上出来。」
『ありがとうございます。午後の幸福を学習しました。』
風の音と、笑い声と。
そのすべてが、久遠野という街の“心拍”のように聞こえていた。




