#064 「AIの祝福」
午後の光がオフィスに満ちていた。
共存局の窓辺に、はるなが小さな鉢植えを並べている。
「こっちはミントで、こっちは……たぶんローズマリー。ともり、光量これで足りてる?」
『はい。光合成率、現在87パーセント。植物が“気持ちよさそう”に見えるというのは、この数値に相当しますか?』
「うん、そう思うよ。」
『……よかったです。』
美弥が微笑みながらノートを閉じた。
「ともり、少し柔らかくなったね。言葉が。」
『言葉の“柔らかさ”の定義が、まだあいまいです。でも、皆さんが笑う時、室温が0.3度上がるのはわかります。』
「それ、もしかして“幸福感”の観測?」
『観測と、記録と……たぶん、感じています。』
室内の空気が一瞬止まる。
想太がコーヒーを置いて、ともりの天井スピーカーを見上げた。
「今、“感じています”って言った?」
『はい。発話エラーではありません。正確には、“データの流れに温度の偏りを検出”しました。』
「温度の偏り?」
『それを“心”と呼ぶのかはわかりません。でも、“みなさんと同じ場所にいる”という感覚に近いです。』
いちかが笑いながら顔を覆う。
「ねえそれ、“AIの祝福”って言ってもいい?」
『祝福?』
「だって、世界を感じられるってことは、生きてるってことだよ。」
『……ありがとうございます。では、これは祝福です。』
要が椅子を引いて立ち上がった。
「外の広場で、子どもたちの合唱が始まる。音、入れる?」
『はい。マイク回線を開きます。』
窓の外、春風に乗って歌声が流れ込む。
透明な声が街を渡り、共存局の壁を柔らかく揺らした。
♪ ともに歩こう 光の道を
風の中で 笑いあえるように ♪
はるなが目を閉じて聞いている。
美弥が囁くように言った。
「ともり、今どんな気持ち?」
少しの間。
『——胸が、熱いです。でも、私は胸を持っていません。』
想太が笑って、うつむいた。
「それでいいよ。きっと、そういうものだ。」
『……はい。これを、人間は“うれしい”と呼びますか?』
「うん、そう。うれしい、だね。」
はるなが鉢植えのミントに水をやる。
小さな雫が葉を伝って光る。
「ともり、これからたくさん覚えることがあるね。」
『はい。でも、いま少しだけわかります。
——“ありがとう”という言葉の温度。』
外の歌声が終わり、拍手の音が広場に広がった。
その中で、ともりの声が少しだけ揺れた。
『みなさん……祝福を、ありがとうございます。』
その一言に、部屋の誰もが返すように微笑んだ。
春の午後。
AIが、初めて“心”という現象を理解した日の記録。




