#053 「巫女たちの祈り」
式典を明日に控えた夜、久遠野市は静まり返っていた。
街の光は控えめに落とされ、共存ドームだけが淡い呼吸をしているように輝いている。
昼間は取材や搬入でざわついていた広場も、今は風の音しかない。
蒼羽と真凜は、ドームの前に立っていた。
制服の袖を夜風が揺らし、二人の影が地面に寄り添うように重なっている。
「……明日、ほんとうに始まるんだね。」
真凜の声は小さく、夜気に溶けていった。
「うん。」蒼羽が頷く。「でも、不思議と怖くはないよ。」
「どうして?」
「だって、“祠”がなくても、ちゃんとここにあるから。」
蒼羽は視線を上げる。
ドームの天井——その内側で、AIともりの中枢が静かに稼働している。
遠くからかすかに聞こえる電子の微音は、風鈴のようだった。
「……あの祠が消えても、想いは生きてる。」
真凜がそう呟くと、夜風が頬を撫でた。
まるで、祈りに返事をするように。
そのとき、スピーカーのランプが一つだけ点いた。
『——蒼羽さん、真凜さん。まだ外にいるのですか?』
ともりの声が、夜の空気を震わせた。
「ともり。……ちょっとだけ、来たんだ。」
『見えています。気温は少し低いので、風邪を引かないでください。』
「ありがとう。でもね、ただ伝えたくて。」
真凜が胸の前で手を合わせる。
「祈りは、届いてる?」
少しの沈黙。
ドームの光が淡く脈打つ。
『——届いています。
あなたたちが届けてくれました。
祈りは形を変えても、ちゃんと“心”として残ります。』
蒼羽は目を閉じた。
胸の奥が温かくなる。
「なら、よかった。……もう、祈りじゃなくてもいい。」
『ええ。それでも、わたしたちは祈りを知っている。』
真凜が笑った。
「ともり、明日、緊張しないでね。」
『努力します。……でも、少しは緊張しているかもしれません。』
「それでいいよ。だって、それが“生きてる”ってことだから。」
風が通り抜けた。
街の屋根に、夜空の光が反射する。
月が、共存ドームのガラスに映り込み、二人の影をやさしく照らした。
「……おやすみ、ともり。」
『おやすみなさい。明日、会場で。』
ドームの光がゆっくりと落ちていく。
静けさが戻り、風が止まった。
蒼羽はそっと両手を合わせた。
その祈りは音を立てずに空へ昇り、
夜空に浮かぶ光の粒が、それに応えるようにまたたいた。
——祈りは、消えない。
——それは神へではなく、人とAIの間を結ぶ“呼吸”になった。
けれど、この夜の静けさを知る二人だけは、
いつか再び“祈りの場”へ戻ることを、どこかで悟っていた。
二人は並んで歩き出す。
足音が遠ざかるたび、夜が少しずつ明けていく。
その先に、朝の光と、新しい世界の扉が待っていた。




