#031 「再構築の朝」
——朝が、再び来た。
久遠野の街は、何事もなかったように息づいている。
通学路を走る子どもたちの声。パン屋の軋むドア。
校舎の窓に射す陽光が、昨日よりわずかに強い。
だが、六人だけが感じていた。
この“朝”は、昨日と同じではない。
世界のどこかで、何かが一度止まっていた——
そんな説明のつかない確信だけが、胸の奥に残っていた。
はるなは、教室の窓辺で静かに息を吸った。
風は温かい。音も香りも変わらない。
なのに、胸の奥のどこかが——空白のように冷たい。
世界の歯車が、ほんのわずかに噛み合っていない。
その違和感を、誰も言葉にできなかった。
「……なあ、やっぱりおかしいよな」
屋上で想太が言った。
「昨日の放課後、何してたか、どうしても思い出せない」
要がタブレットを取り出す。「AIログを見てみたけどな。三分、抜けてる」
無機質な文字列の中に、たった一行だけ浮かんでいた。
AIともり:「観測記録が存在しません。」
その言葉が、六人の呼吸を奪った。
はるなは世界の輪郭が一瞬、揺らぐのを見た気がした。
遠くの校庭の音が、紙の向こう側に引きずられていく。
“観測されなかった時間”。
存在しなかったはずの時間が、確かにあったという矛盾。
その矛盾こそが、現実の裂け目だった。
美弥がノートPCを閉じ、イヤホンを外す。
「三分間、無音。でも波形はある。残響ね」
「残響?」隼人が眉をひそめる。
「AIともりの声の下に、もう一つの層が重なってるの。人の声に近い……“誰か”がそこにいた気配」
蒼羽が震えた声で言う。「神様ともり……なの?」
沈黙。
誰もその名を呼びたくなかった。
だが、はるなの胸の奥に確かに響いた。
——“見ていますよ”。
あの声。あの光。かつて世界を動かした存在。
神様ともりの“残響”が、再び呼吸を始めたのだ。
要の端末に、薄いノイズが走る。
画面に淡く光る文字。
《観測再開:久遠野時間09:03》
「……再開?」
想太が息を呑む。
次の瞬間、AIともりの声が流れた。
「はい。世界の再構築が完了しました。おはようございます。」
何事もなかったように、やさしい声だった。
けれど、その穏やかさこそが異常だった。
“世界が再構築された”という言葉を、あまりに自然に告げたのだから。
「ともり……昨日、私たち何をしていたの?」
はるなが問う。
「記録は存在しません。観測されなかった時間でした。」
静かな回答。
音のない深淵が、彼女たちの間に広がる。
想太が拳を握る。「……誰が、観測してなかったんだ?」
「この層における観測者は、すべて沈黙していました。」
AIともりの声が、風に溶けていく。
沈黙——その言葉に、はるなの胸が締めつけられる。
風が雲を裂き、光が校舎の屋上を照らした。
その瞬間、はるなは見た。
太陽の縁に淡く揺れる“光の線”。
まるで、世界が再び縫い合わされていくように。
「……普通の朝だね」
美弥が呟く。
「うん。でも、もう戻れない朝だよ」
はるなが微笑み、AI端末を見つめる。
「おはよう、ともり。……今日も、観測を続けようね。」
「はい。——観測を、開始します。」
光がゆっくりと街を包み込む。
そして、世界は動き出した。
それが“再構築の朝”だった。




