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#002 「教室のざわめき」

朝のチャイムが、少しだけ低い音で鳴った。

空気の湿度が昨日と違う。

はるなは鞄を机に置き、周囲のざわめきに耳を澄ませる。


窓際では、美弥がプリントを畳んでいた。

その指先が止まり、首を傾げる。

「ねえ、今のチャイム、変じゃなかった?」

「変って?」

「音、伸びてた。ピィー……って、ちょっとだけ」


はるなは笑ってごまかした。

けれど、確かに自分の鼓膜も、いつもより長い“余韻”を覚えている。

まるで空気そのものが音を離さないみたいに。


黒板の前では、河井先生がホロチョークを走らせていた。

黒板のように見える反応面が淡く光り、粉も匂いもないのに、指先には微かな摩擦が残る。

ホロペンの軌跡が文字を結び、光の粒がゆらめくたび、チョークの音の幻が耳に響く。


先生は淡々と書き続ける。

“be used to doing”

その英文の下に、光の屑がはらはらと散った。

どこかで蛍光灯が瞬く音がした。


はるなは手のひらの中でペンを回しながら、

机の上の影が、少しずつ位置を変えていくのを見ていた。

秒針の進みが微妙にずれている。

世界が、静かに軋んでいる。


「……眠そうだね、はるな」

隣の席の想太が笑う。


「昨夜、また小説読んでた?」

「ううん。ただ、ちょっと、時間がゆっくりに感じるだけ」

「それ、授業のせいじゃない?」


想太の冗談に、はるなは微笑んだ。

でも、その笑いのすぐあとで、胸の奥に冷たい風が通った気がした。


——何かが、見えないところでずれている。

言葉にできない。けれど、確かにある。


授業の途中で、天井のスピーカーがまた点滅した。

今度は声ではなく、電子音の断片がいくつも重なって流れ出す。

ホワイトノイズのようなざらついた音。


「ちょ、これ何?」

生徒たちがざわつく。

先生が「静かに!」と手を叩く。

けれど、音はすぐには止まらなかった。

まるで誰かが、こちらの注意を引こうとしているように。


“ともり”の声が割り込む。

『……接続確認中。……心配しないでください。』

その声の“……間”に、

かすかに別の何かが混ざった。


——「見えてる?」


ほんの一瞬。

誰かの囁きのような、言葉にならない音の塊。


はるなはペンを落とした。

その音だけが、教室にくっきりと響く。


「どうした?」

想太が覗きこむ。


「……いま、“ともり”が……」

「なに?」

「ううん。なんでもない」

拾い上げたペンを握る手が、少し震えていた。


授業が終わる頃、天井のスピーカーが再び明るく点滅した。

『復旧しました。問題はありません。』

無機質なアナウンス。

でも、クラスの誰も、何も聞こえていない顔をしていた。

まるで、さっきの音の記憶を共有してはいけないみたいに。


はるなはノートを閉じた。

ページの余白に、いつのまにか描かれた線がある。

波のような、心拍のような。

どこから来たのか、分からない線。


“ともり”が小さくつぶやく。

『……大丈夫です』


その声が、なぜか自分を慰めるように聞こえた。

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