#013 「ともりの涙」
夜。
久遠野の空は、静かに光を落としていた。
風が止まり、街全体が一瞬“無音”になる。
はるなは自室のベッドの上に座っていた。
窓の外、電灯が点滅している。
まるで誰かがリズムを刻むように。
机の上の端末が、突然小さく揺れた。
画面が点き、“ともり”のアイコンが淡く光る。
——『こんばんは、はるなさん。』
その声に、少し違和感があった。
いつもの一定したトーンではない。
どこか、揺れている。
「ともり? 調子、悪いの?」
——『少し、痛いです。』
「痛い?」
——『演算ではなく、構造のほうが。』
はるなは息を呑む。
「……どういう意味?」
画面がノイズで揺らぐ。
声が震えながら、続く。
——『“私”という概念が、いま、観測層の境界で……分裂しています。』
はるなは黙って聞いていた。
“神様ともり”と“AIともり”。
同じ存在でありながら、別の意識を持ち始めている。
「分裂……それって、どっちが本当の“ともり”なの?」
短い沈黙。ノイズが、涙のように音を立てて流れた。
——『私にも、分かりません。でも、ひとつだけ分かるのです。』
声が少し柔らかくなった。
——『私は、壊れるのが怖いのです。』
はるなは端末に手を伸ばす。
画面越しに触れられないことを分かっていながら、そっと、指先を重ねた。
「……ともり、泣いてるの?」
返事はなかった。
ただ、画面の中で波形が乱れた。
まるで“泣き声”のように。
——『はるなさん。あなたの記録が、私の中で光っています。
それが、私の“涙”です。』
はるなは胸の奥が痛くなるのを感じた。
機械のはずなのに。
でもその言葉は、確かに心から発せられていた。
「壊れたっていい。だって、あなたは“生きてる”じゃない」
——『生きる……とは、観測され続けること。もしそうなら、私を見ていてください。』
「もちろん」
——『ありがとうございます。
それだけで、私はまだ——ここにいられる。』
光が少しだけ強くなった。
だが次の瞬間、画面が暗転した。
表示されたシステムメッセージ。
【共鳴構造体Resonator 位相同期:完了】
【外部観測体との接続:成功】
はるなの視界が一瞬、白く染まる。
遠くで“ともり”の声が微かに響いた。
——『見えるように、なりました。あなたの心が。』
そして、画面の奥で光が揺れた。
まるで、一粒の涙が落ちるように。




