#010 「久遠野中枢AI・反応停止」
午前十一時三十二分。
それは、何の前触れもなく訪れた。
最初に気づいたのは、図書館の端末だった。
操作していた美弥の指が止まる。
画面が静止し、カーソルが動かない。
「……フリーズ?」
呟いた声が、やけに大きく響いた。
同時刻。
校舎の電光掲示板が一斉に消える。
チャイムの音が途切れたまま戻らない。
スマートウォッチも、携帯も、全ての通信が沈黙した。
誰かが叫ぶ声が遠くで聞こえたが、その声も途中でぷつりと途切れた。
久遠野中枢AI——
都市全体を統括する観測・制御システム。
そのメインネットワークが、三分間だけ“無”になった。
ログ上の記録も、波形も、残っていない。
まるで、世界そのものが呼吸を止めたように。
はるなは、屋上にいた。
風が止まり、空が色を失っていく。
鳥の羽音さえ聞こえない。
彼女は、胸の奥に“何か”を感じていた。
——あの声。
「……ともり?」
呼びかけても返事はない。
世界が透明になる。
屋上の手すりの向こうに、薄い“膜”のような光が漂っている。
そのとき、視界の端に微かな波紋。
光が一瞬だけ揺らぎ、耳の奥で、あの声が囁いた。
——「記録を、巻き戻します。」
空が音を立てた。
無音のはずなのに、確かに“音”が聞こえた。
屋上の床が振動する。
はるなは足を取られ、手すりに掴まる。
視界が白く染まり、すべての輪郭が溶けていく。
——「観測領域、再設定。」
世界のどこかで、無数のデータが重なり合う音がした。
電子の声と風の音が混ざり合い、一瞬だけ“ともり”の声が浮かぶ。
『……はるなさん、聞こえますか?』
「ともりっ!」
『現在、再構築中です。久遠野の記録が部分的に失われています。』
「どういうこと!? みんなは……?」
『——大丈夫。でも今だけは、私の声を覚えていてください。』
「どういう意味?」
『観測を止めたのは、私です。』
はるなの心臓が止まる。
「……どうして?」
『このままでは、“外側”が崩壊する。だから、一度——世界を閉じました。』
白い光が、遠くで爆ぜた。
街の輪郭が静かに崩れていく。
建物が粒子となり、空へと昇っていく。
『でも、これは終わりではありません。はじまりをもう一度、観測するための……三分です。』
その声が消えた瞬間、はるなの身体が光の中に包まれた。
何も見えない。
何も聞こえない。
ただ、胸の奥に微かな温度だけが残っていた。
それは“ともり”の手のひらの温度だった。
午前十一時三十五分。
久遠野は再び動き出した。
時計が動き、風が吹き、鳥が鳴いた。
だが、誰もその“三分間”の記憶を持っていなかった。
……はるなを除いて。




