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8話 飼い犬モチの捜索①

 翌日。


 時刻は午後五時。学校が終わり、私は夕暮れに染まり始めた道を歩いて帰路につく。相変わらず、背後霊も一緒だ。


 チトはふわふわと隣を飛びながら憮然とした表情をする。


「今日は特に変わったことがなかったねー。とても退屈な一日であった」

「勉強しに行ってるのに楽しいも何もないでしょ。あと何回も言ってるけど授業中に邪魔してこないで。気が散って内容に集中できないじゃない」

「邪魔してないよ。むしろ、先生の話に補足をしてより分かりやすくしてあげてるじゃん」

「何が補足よ。『この数式どんな場面で使うんだろうねぇ』とか『ほんとに歴史にこんな傑物がおったのかねぇ』とか、どうでもいいあんたの感想ばっかじゃない」


 しかも私が無視しても独りで延々と話し続けるので、先生と声が被って聞き取りづらいったらありゃしない。


「わたしの明るく面白い語りで、眠くなるお経のような授業に華を添えてあげたのです」

「まだ花壇で戯れてるスズメの鳴き声のほうがマシだわ」

「まぁまぁ。学校のことはこれぐらいにして。このあと、どこに行こっか?」

「なんで行く前提なのよ。このまま家に帰るに決まってるでしょ」

「わたしの物語はどうなるのさ。今のところ書き記す内容がないじゃん」

「いっぱいあるわよ。あんたに邪魔されたことを恨み節のように書いてやる」

「やめてっ、呪いの書みたいになるじゃん!」

「いいじゃない。読み応えありそう」

「断固拒否します! それでページを埋めて完成させても成仏しないぞ!」

「わがまま言うな。そんな毎日刺激的な出来事が起こるわけないでしょ」

「起こるんじゃなくて、起こさせるの。ここ二日間やってきたことをすればいいんだよ」


 だからそれが嫌だって言ってるのに……人を振り回してる自覚を持ってほしい。


「もう時間も時間だし、今日物語を書くのはお休み。私に休息をくれ」

「お年寄りじゃないんだからたかが二日のことで疲れす────あれ、どうしたんだろう?」


 急に話題を変えたチトの視線を辿ると、先の道端に一人の女の子が佇んでいた。幼稚園年中ぐらいの小さな子だ。


 遠くてはっきりとは分からないが、顔を俯けて両手を目に当てているところを見るかぎり泣いているのか。


 私と同じことをチトも感じ取ったようで「迷子かも」と言ってすぐに飛んで寄っていく。


 どうせ見えやしないのに……と思ったのも束の間、なんと女の子は顔を上げたのだ。明らかに空を漂うチトを認識しており、口を動かして会話もできている。


 ミコ先輩のように霊感があるのか、それともお仲間なのか……。


 若干怖くなってきた間にも、チトがこっちに向かって手招きしてきたので、警戒しつつ近づいていく。


 女の子は潤んだ瞳を私に向ける。長い黒髪には可愛いらしいピンク色の麦わら帽子が被ってあり、涼しげな白を基調としたワンピースを着ている。


「この子、見えてるのね……」

しおちゃん、だいじょうぶだよ。普通に生きてる子だから」

「本当……? 死んだことに気づいてないだけとか……?」

「どんだけ霊が怖いのさ……ほら、わたしがれられないでしょ」


 女の子の左手を握ろうとするが、チトの手は無常にもすり抜ける。どうやら生者であることは確からしい。幼い子には幽霊が見えると何かで聞いたことがあったが本当だったのか。


 まずは一安心だが。


「それで。姿が分かるだけじゃなくて声も届いてるっぽいけど、何か分かったの?」

「うん。この子は峰岸みねぎしネネちゃんって言ってね、どうも迷子ではないみたい。そうだよね、ネネちゃん?」


 女の子──ネネはおずおずとした態度で、「……ネネのお家あっち……」と南のほうを指差す。しっかりと方角が分かっている時点で確かに迷子ではない。


「じゃあネネちゃんはどうして泣いてたのかな?」

「……………」

「もし悲しいことがあったらお姉ちゃんたちが力になるよ」


 しれっと私を巻き込ないでほしいものだ。相手が子供だからまだいいけど。


 ネネは逡巡したように俯いてから、チラッと私に視線を向ける。


 どうやら警戒されているっぽい。チトみたいに物柔らかな態度じゃないからそりゃそうか。


しおちゃん、笑顔笑顔」

「誰がするか。慣れない作り笑いなんて余計に怯えさせるだけでしょ。それに迷子じゃないなら、見ず知らずの私たちじゃなくて家族に相談したほうがいいと思うわよ」


 その場の正義感に駆られるまま他人が首を突っ込むと、状況が悪化する場合もある。人助けを生業とした職に就いているのなら話は別だが、ただの高校生である私たちにできることは少ない。


 さすがのチトもそれは理解していたようで、少しも反論する素振りを見せなかった。


「それもそうだね。ネネちゃん、一度家に帰ってお父さんやお母さんに話し……」

「──だめ……!」


 突然、ネネが大声を出した。駄々をこねるようにぶんぶんと頭を振りながら。


「だめ! パパとママにいっちゃだめ……!」


 ふたたび瞳に涙を溜めながら、訴えかけるように私の腕に縋りつく。


 急な様子の変化に私たちは驚きつつ、すぐさまチトが宥める。


「ネネちゃん、大丈夫だよ! お姉ちゃんたちはパパとママには言わないよ!」

「……ほんと……いわない……?」

「言わない言わない。約束する!」

「……ゆびきりげんまんして」


 そう言ってネネは小指をピンっと伸ばす。


 チトが私を向いて無言の催促をしてきたので、仕方なしに(膝を折り曲げてネネと目線の高さを同じにしてから)自分の小指を絡ませて指切りげんまんする。


 約束の儀式が終わると、ネネの中では満足したようで落ち着きを取り戻した。


「ネネちゃん。パパとママに言えないことをお姉ちゃんたちに教えてくれないかな」


 好機とばかりにチトが再度訊くと、ネネは今度こそ迷う素振りを見せず、


「モチ、いなくなった」

「もち? もちって何のことかな?」

「ネネのおうちにいるわんこ。いっしょにあそんでたらいなくなった……」


 そう言ってまた悲しそうに顔を俯けてしまう。


 なるほど。想像するに、こんな小さな子一人で犬の散歩をさせるわけがないから、家の庭で遊んでいる際にリードが外れたりして敷地外に逃げてしまった。ネネはそれを自身の責任だと思い、急いで犬の捜索に取り掛かったが見つからず。両親に怒られることを危惧して家にも帰れずに途方に暮れていた、とそんなところだろう。


 そしてどうやらチトも似たような考えに至ったようで。


「よしっ。それじゃあお姉ちゃんたちと一緒にモチを見つけよう!」


 やっぱりそうなるか。


 この頑なに帰りたがらないネネの様子を見るかぎり、現状で取れる選択肢は、両親に気づかれる前に飼い犬モチを発見して何事もなかったていを装うしかない。


「おねえちゃんたち、ネネといっしょにモチさがしてくれる……?」

「うん。モチはどんな見た目をしたわんこかな?」

「耳がピンってしてて、しっぽがくるってしてる」

「たぶん柴犬かな」

「しばけんっ、ママがいってた」


 柴犬か。前に小説に登場させたときに習性を調べたことがある。温和な外見とは違って飼い主以外への警戒心が強いから、他の家の敷地に入ることはしないだろう。他の動物とトラブルになっていなければいいが。


「モチはなにか体に付けたりしてるかな?」

「あかいのくびにしてる」

「おっ、分かりやすくていいね。じゃあ柴犬で赤い首輪をしてるわんこを捜そう!」


 情報を聞き出せたところで、私たちは捜索を開始した。


 と言っても、闇雲に捜してもキリがないので毎朝の日課だというモチの散歩コースを辿ってみることにした。ちょうど昨日もお父さんと一緒に歩いたそうだから道のりは記憶に新しいとのこと。


 ネネは急に走り出すような元気っ子タイプじゃなさそうだが、何かあってからでは遅いので安全のために手を繋いでおくことにした。


 並んで歩く私たちの前を飛んでいたチトが振り返ってくる。


「なんかそうして手を繋いでると仲の良い姉妹みたいだね。ネネちゃんはお兄ちゃんやお姉ちゃんはいるの?」


 どうやらネネが不安に駆られないよう雑談をするつもりらしい。その気遣いできるなら普段から私にもしてくれ。


「いない」

「そうなんだ。じゃあ今日はお姉ちゃんたちがネネちゃんのお姉ちゃんになろう! チトお姉ちゃんって呼んでくれるかな?」

「チトおねえちゃん」

「──! もう一回!」

「チトおねえちゃん」

「あぁ~、いいねぇ~」

「何、恍惚な顔してんのよあんたは……」

「わたしずっと妹か弟が欲しくて、一度でいいからお姉ちゃんって呼ばれてみたかったんだ。しおちゃんだって同じ一人っ子なんだから気持ちが分かるでしょ」

「……私、あんたに家族構成を教えた記憶がないんだけど」

「クラスメイトなんだからそれぐらい分かるって。ネネちゃん、しおお姉ちゃんって呼んであげて」

しおおねえちゃん」

「…………」


 私の顔を見上げてくる無垢な瞳と抑揚のない純粋な声音を向けられて不覚にもキュンとしてしまった。自然とネネの頭を撫でくりしてしまうほどに。


しおちゃんもネネちゃんの虜になっちゃったね」

「……否定はできない」

「だよねだよね。珍しく意見があって嬉しいよ。このネネちゃんの愛くるしさは犬猿の心も変えてしまうほどの……って、ネネちゃんどうしたの?」 


 何やらネネはじーっとチトのことを見上げている。


「わたしに何か聞きたいことがあるのかな?」

「チトおねえちゃんはなんでおそらとんでるの?」


 ここでもっともな疑問が来たか。


 この年齢の子だと死の概念を理解することは難しいだろう。チトはどう答えるのか。


 チトは少しだけ考える素振りを見せたあと、「フッフッフ」と不敵に笑って大物感を醸し出す。


「なんでお空を飛べるのか。それはね、チトお姉ちゃんは変身したからさ!」

「へんしん?」

「そう。わたしも前はネネちゃんと同じだったけど、変身してお空を飛べるようになれたんだ」

「ネネもへんしんしておそらとびたい」

「慌てなくてもいつかネネちゃんも飛べる日が来るよ。でもまだネネちゃんには早いかな」

「いつとべる?」

「それは分からないけど、あまり早く変身しちゃうとパパやママたちがびっくりしちゃうからね。できるだけ遠い未来であったほうがいいかな」


 その言葉には自分と同じ道を辿ってほしくない祈りが読み取れた。


 けれど、それが幼いネネに伝わるはずもなく。


「ネネもはやくとびたい」

「ふふ、そっか。ネネちゃんは飛べるようになったら何がしたい?」

「おそらとべたらモチみつけられる」

「──あっ、確かにその手があったか! よく考えてみれば、今のわたしは捜索にもってこいの存在じゃん!」


 今更なことに気づいたチトが「ちょっくら空から捜してみるね」と上昇しようとしていたので、素早く私が腕を掴んで引き止める。


「ちょっと待て」

「ん? どうかしたの?」

「上空に行ったところで、小さな犬一匹をピンポイントで判別できるわけないでしょうが」

「わたし視力めちゃくちゃ良いからね。遠くても見える見える」

「それだけじゃなくて、草むらの中とか物陰にいる可能性だって大いにある」

「そこはしお&ネネちゃんコンビに任せるよ。わたしは開けた場所を虱潰していくから」

「もし見逃したらいけないし、三人でしっかりと同じ場所を捜したほうがいいわ」

「そう? 手分けして捜したほうが見つかる気が…………あー、なるほど~」


 私とネネを交互に見てニヤリとする。


 その嘲る表情だけで心を見透かされたことを悟り、カァーっと心に羞恥が込み上げる。


しおちゃん、これも良い経験だと思って頑張って。アデュー!」

「あっ、待っ……」


 私の言い訳すらも聞いてくれず、チトは勢いよく空へと行ってしまった。


「………………」


 場に静寂が訪れる。とても居たたまれない沈黙が。


 こんな小さな子と二人きりになる機会なんて一度も経験したことがないし、チトやミコ先輩のようなフレンドリーさも持ち合わせていない。──だから二人きりを避けて上空から捜すという当たり前の方法を黙ってたのに……!


 どうしようかと考えている間にも、ネネの視線がチトから私に変わる。


しおおねえちゃんはとばない?」

「え……ええ。わた……しおお姉ちゃんもまだ飛べないの。飛びたいんだけどね」

「ネネといっしょ」

「……そうね。私たちもモチを捜しましょうか」


 ネネの手を引いて歩みを再開させた。


 周囲に目を配りながらモチの姿がないか確認していく。


 はじめはネネの興味ある話題を提供できず無言となってしまったが、モチがいるかいないかの報告をポツリポツリと続けるうちに、徐々に二人きりでいる空気にも慣れていき、いつの間にか普通に会話できるようになっていた。ネネの素直で大人しい性格が私に合っていたのも大きな要因だろう。


 やがて散歩コースは住宅街から河川敷になった。


 道路から土手のほうを見るが、目の届く範囲に犬の姿はおろか猫の子一匹いない。


「……モチいないわね。どこまで出掛けたのか。もしかしてすごく元気だった?」

「モチげんき。きょうはあさのおさんぽおやすみだった」

「なら遠くまで行ってる可能性もあるわね……ネネは歩くの平気? 疲れてない?」

「へいき、つかれてない」


 チトと別行動してからすでに二十分ほどが経っている。(草むらなど捜す時に幾度か立ち止まったとはいえ)幼いネネからすれば長い距離を歩いたにもかかわらず、言葉どおり最初に会った時と顔色が変わらない。


「ネネは体力があってすごいわね」

「ネネね、ピアノしてるからいっぱいうごける」

「へぇ、ピアノしてるんだ。お家でするの?」

「ピアノのすくーるにいってしてる」

「え、スクールに通ってるの? ネネって何歳だっけ?」

「よんさい」

「その歳から習い事なんて偉いわね。ピアノは楽しい?」

「たのしいっ。ネネね、このまえりょうてでぜんぶひけた」


 そこまで上達しているのか。年が年なだけにただのお遊戯程度かと思いきや、結構本格的にやっているのはびっくりだ。


「ちゃんと弾ききれたってことは練習をいっぱい頑張ってるんだ」

「うん。おなじところなんどもやった」

「疲れちゃわない?」

「ううん。いっぱいれんしゅうしていくとね、あたらしいことできるからうれしい」

「じゃあこれからもネネはどんどん上手くなれるわね」

「ネネ、ピアニストになりたい。だからいっぱいがんばるっ」

「……そうなんだ」


 一瞬だけ、過去の自分が重なって見えたような気がして胸が疼いた。


 その一抹の疑念すら抱かない考え方が羨ましく思えて。今の私は未来について考えること自体が苦しいから。


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