4話 勇気が持てず引き返す
「疲れた……」
とぼとぼとした足取りで公園をあとにする。辺りは私の気持ちを代弁するかのように憂鬱な夕暮れに包まれている。
あれから超大変だった。
ほぼ休息なしで、鬼ごっこやだるまさんが転んだ、じゃんけんグリコなど散々どうでもいい遊びに付き合わされて、気づけばこんな時間帯になってしまった。
断れるなら断りたかった。だが不満を募らせるたびにこいつは成仏を盾にしてくるのだ。「ここで中途半端に終わったら一生心残りになるかも~」だの。「汐ちゃんと末永く暮らすのも悪くないかも~」だの。
チトに従わないといけない屈辱感と、それに抗えない弱い自分に対する悲憤で、今の精神はかなり不安定な状態だ。
負の感情がごちゃまぜになって発狂しそうな私とは裏腹に、二歩前を行くチトは上機嫌も上機嫌だ。ちなみにユウは観たいアニメがあるとかで一足先に帰った。
「久々に全力で体を動かしたから充実感がハンパない! 汐ちゃんは……疲れたっぽいね。体力ないな~」
「私がインドア派なのは知ってるでしょ……」
「なのに快く付き合ってくれてわたしは嬉しいぞっ」
「もう突っ込む元気もないから…………それで。行きたい場所ってのはいつ着くの?」
帰る途中に寄りたい所があるらしいけど。
「もうちょっとだよ。特にこの夕方の時間帯がベストでね、行けば汐ちゃんの疲労どころか心のモヤモヤもたちまち吹っ飛んじゃうから期待してて!」
チトはとびっきりの笑顔でそう言う。
ということは、どうせ綺麗な風景とかだろう。見晴らしの良い場所から夕陽に染まる街を眺望する的な。そんなお約束展開で私が感動して心変わりすると思ってるのか。
推測は当たっていたようで、街の通りを逸れて民家がない山道に入っていく。
錆びついた標識やガードレール、亀裂の入ったアスファルトの地面と、長年放置されていることが窺える道を進んでいき────
「──というわけで、やってきました! 心霊現象が多発するという神坂旧トンネルです!」
「……は?」
私は呆然とする。
もじゃもじゃの蔦やもこもこの苔に覆われた古めかしいトンネル。距離が長いのか出口の明かりが見えないほど漆黒に染まっている。まるで神話の大蛇が大口を開いて獲物を待ち構えているように不気味だ。
思い描いていた風景と違う。全然違う!
「もしかしたら幽霊に会えるかも……って、わたしがその幽霊やねん!」
一人でノリツッコミをするチトに構っていられず、踵を返す。
「帰る」
「ちょい待ち! ここまで来てそりゃないぜ」
「もうこれ以上祟られるのは嫌よ!」
「ひどっ、わたしは悪霊じゃないよ!」
「どこからどう見ても悪霊じゃ! は~な~せぇ!」
全身で腕に絡みついてくるチトを引き剥がそうとするがビクともしない。くそ何でこんなに力が強いんだこいつ……!
「そこまで拒否しなくても…………あっ、もしや汐ちゃんはホラー的なものがお嫌いで?」
「……くっ。そ、そうよ! わるい!?」
「べつにわるくないよ。逆に汐ちゃんの意外な可愛い一面が知れて嬉しいかも。ネタ的に」
そう言ってチトが不敵な笑みを浮かべた瞬間、吸い込まれるみたいにトンネルのほうへ体を引っ張られる。すぐに足に力を入れて踏ん張るが、やはり力負けしてズルズルと引きずり込まれていく。
徐々に深い闇が背後に迫ってきて恐怖に身が粟立つ。
「やめて、ほんとにダメだから……!」
「大丈夫大丈夫。何かあった時はわたしが守ってあげるから」
「信用なるか!」
「怖いのも最初だけだって。辛いことを乗り越えた先にはきっと素敵な出来事が待ってるさ!」
「そんなものあるわけないじゃないっ。────もう分かったから! 分かったからせめて私のタイミングで行かせてっ」
自分の姿が闇に呑まれる直前で折れると、引っ張る力が止んだ。
膝に手を置いてぜぇぜぇと息をする。
「汐ちゃんが勇気を出してくれてチト感激です!」
「あんた……あとで覚えときなさいよ……」
「うん覚えてる覚えてる。それじゃ先に進もっか」
チトに促されるまま、改めて眼前の闇と対峙して息を呑む。汗ばむ夏の気候なのに鳥肌を立たせるほどの嫌な冷気が流れ出ている。
一歩がなかなか踏み出せない。
怖いという感情とともに諦観が芽生える。
こんな辛く苦しい思いをしてまで何のために歩みを進めないといけないのか。
どうせ勇気を振り絞ったところで希望があるわけでもないのに。
「汐ちゃん、まだぁ~?」
「……うるさい、今気持ちを整えてるんだから邪魔しないで────え?」
胸のうちにある蟠りに翻弄されていたとき、不意に聞こえた物音に思考が持っていかれた。
「ね、ねぇ、何か奥から音が聞こえない……?」
「んー。たしかになんかカツンカツンって乾いた音が聞こえるね。あと靴音も。もしかして誰かが近づいて来てる?」
「怖いこと言わないで! こんな場所に何の用があって人が来るって言うのよ!?」
恐怖のあまりその場から動けない間にも、断続的な音はだんだんと大きさを増していく。
やがて暗闇の中から薄っすらと人の顔が出て────っ!!
「きゃあああああああっ!」
脳がそれを認識した瞬間、素早く目を閉じてチトにしがみつく。
「おぉう。急に抱きつかれると照れるというかなんかいけない感情が湧いてく……」
「馬鹿なこと言ってないで守ってよ!」
「ごめんごめん。でも安心して。汐ちゃんが思ってるような怖いものじゃなくて普通の人だよ」
「ほんとにっ!?」
「本当本当」
おそるおそるゆっくりと慎重に目を開けると、そこには茶髪の少女が立っていた。
つややかな長髪は襟足で束ねて垂らされており、同性から見ても思わず見惚れるほどの端正な顔立ちで、ずっと瞑られた目も相まってかどこか儚げで美しい印象を漂わせている。
私たちと同じ青峰高校の制服を着ているので歳は一個上か下かだが、雰囲気的に新入生という感じはしないから上級生だろう。
右手には白杖が握られている。たしか視覚障がい者が持つ杖だったか。歩行の際の安全確保はもちろん周囲へ知らせる役割も担っている。
「──声からして二人組か。こんな時間にこんなつまらない場所でどうしたのかな?」
音の正体を特定できてホッとしたのも束の間、その言葉に私とチトは驚いた顔を見合わせた。
すぐにチトが「わたしの声が聞こえてるの?」と訊くと、名も知らぬ先輩は不思議そうに首をかしげた。
「普通に聞こえているが? 私は学童期に事故に遭って以来全盲だから姿は見えていないがね」
私や天使のユウ以外にもチトの存在を知覚できる人がいるなんて思わなかった。……本当に生きてるよなこの人。お仲間とかじゃないよな……。
「しかし面白い質問だな。まるで自分が認識されていないとでもいうような……」
そこでピタッと言葉を止め、何を思ったのか杖の持ち手を変えると突然チトに向かって右手を伸ばした。
案の定、先輩の手はチトの体をすり抜けた。続けざまに付近を探るように振るが、何度も虚空を掴むばかり。
「触れられないだと……でも声を聞くかぎり確かにここにいるはずなのに…………もしかして君たちは人ならざる者なのか……?」
「わたしは幽霊だよ。汐ちゃんはちゃんと生きてるけどね」
日常会話のように何気ない口調で答えるチトに『おいおい……』と心の中で突っ込む。初対面の人に言っても怖がらせるだけでしょ。それも目の見えない相手なら余計に。
しかし、その予想とは違って先輩の示した反応は、グッと拳を握ってのガッツポーズと「よっしゃあぁぁ!」という歓声の、どこからどう見ても恐れを抱いた人間の言動ではなかった。
一人で勝手に喜ぶ先輩が謎すぎて黙っていると、私たちの様子に気がついたようで「ああ、すまない」と詫びてから仕切り直すようにコホンっと咳をつく。
「私は神崎ミコだ。気軽にミコと呼んでくれ。青峰高校三年でオカルト部の部長を務めている」
オカルト部……うちの学校にそんな部があったなんて初耳だ。
私とチトもそれぞれ自己紹介すると、さらにミコ先輩は興奮したように身を乗り出す。
「ほぅ! 二人とも後輩なのか。たしか三週間前ぐらいに下の学年で亡くなった生徒がいると聞いていたが、それがチト君ということかな」
「うん。わたしわたし」
「なるほどな。何にしてもこんな場所で出会えるとは奇遇だ。ほぼほぼ眉唾だと期待していなかったが、足を運んで正解だったな」
「つまりミコ先輩は、チトみたいな幽霊を探しにこの心霊スポットを訪れたんですか?」
「ああ、ずっとこうやって人ならざる者と対話するのが夢だったんだ」
街中から離れた曰くつきの場所をたった一人で彷徨けるなんて肝が据わりすぎだ。本当に悪霊が出たらどうする気だったのか。チトと同じで危機感がバグっている。
しかし、これはチャンスなのでは。
ミコ先輩からはもっと喋りたい喋りたいというさながら遊園地を目前にして遊びたがる子供のような欲求がひしひしと伝わってくる。ここから去る口実に使えそうだ。
早速、その流れに誘導する。
「そうだったんですね。もうそろそろ日が沈む時間帯ですから、帰りながら話しましょう」
すると予期したとおりチトが反論してくる。
「えー。まだ明るいじゃん。先に進もうよ」
「私たち基準で考えるな。普通は帰りが遅くなったら家族の人が心配するの」
「あー……恥ずかしながら私の両親は少々過保護でな。汐君の言うとおり不安にさせてしまうかもしれない」
というよりも、盲目の娘がこんな行動派だと誰だって心配になる。
「二人は何か用事があって来たのだろう。私のことは構わず、そちらを優先してくれ」
「いえいえ、ただの暇つぶしに来ただけですので一緒に帰りましょう! ……いいわよね?」
チトはむぅ~と唸っていたが、さすがのわがまま幽霊も無下にはできなかったようで、「ま。また来ればいっか」と諦めた。二度と来るわけねぇだろ。
禍々しいトンネルから離れられて安堵しつつ、それからは三人で会話をしながら町のほうへと戻った。
私たちは様々な話をした。と言っても大体はミコ先輩からの質問攻めで、幽体の仕組みや私とチトの関係性など根掘り葉掘り訊いてきた。
ちなみに気になっていた、なぜミコ先輩は幽霊を認識できるかについてだが、本人にもよく分かっていないらしい。失った視力を補おうと他の器官が発達したからか、家が神社だからか。幼い頃から何もない所で独り言を呟いて両親を困らせていると笑いながら語っていた。
話しているうちにミコ先輩の自宅に着き、明日学校で会うことを約束して別れた。
ふたたびチトと二人きりになる。
私と肩を合わせながら宙を漂うチトは、まるで長旅から帰ったように満足げだ。
「今日も素晴らしい一日であった! 公園で目いっぱい遊べたし、ミコちゃんとも知り合えたし。まさか同じ学校にあんな面白い人がいたなんて。死ぬ前に出会いたかったなぁ」
「ミコちゃんって……あんたは先輩に対して慣れ慣れしいのよ。敬語も使ってないし」
「べつに本人が気にしてないんだから良いじゃん。汐ちゃんは堅苦しいなぁ」
「あんたが礼儀を弁えてないのよ」
「そんな細かいことを気にしてたらわたし以外の友達ができないよ」
「誰が友達だ。あと人をぼっちみたいに言うな」
「だって汐ちゃんが今わたしと話してるみたいな雰囲気で他の人と接してるところ見たことないよ。素を出せない相手をはたして友達と呼べるのでしょうか甚だ疑問です」
「それはあんたの定義でしょ」
「じゃあ汐ちゃんの友達の定義って何なの?」
「……同じ話題に共感して場を白けさせない……って何よその呆れた顔は」
「いや、メンドくさい生き方してるなーって」
「わ、私の勝手でしょ! 死人にとやかく言われたくない!」
無遠慮な上から目線が腹立つ。やっぱり無理にでもミコ先輩の元に残してくればよかった。
それから一方的に話しかけてくるチトを無視して早歩きで帰り、やがて馴染みのある分かれ道に差しかかった。
チトの家がどこかは分からないが、再会して間もない頃はいつもここで別れていたため、私の家とは反対方向にあるのだろう。ようやく解放される。
私はそのまま無言で自宅のほうに向かうが。
「……おい。なんでついてくる?」
「今日は汐ちゃんのお家にお泊りしたい!」
「嫌に決まってんでしょ」
「そう邪険にしないで。お泊りパーティー楽しいよ」
「プライベートまで一緒にいるなんて私の身がもたんわ」
するとチトは「そっか。残念だなぁ」と思ったよりも潔く引き下がった。
「じゃあ、どんな子だったかあとで教えてね」
「どんな子? 何の話よ?」
「トンネルの暗闇からひょこって顔を出してた小学生ぐらいの子。基本幽霊って怖がる人についていくものだから、たぶん今日汐ちゃんについて行くと思うんだ」
──は? そんなこと知らない聞いてないっ!
「う、嘘つくな! ミコ先輩は幽霊がいるなんてこと言ってなかったじゃない!」
「ミコちゃんはあの通り物怖じしない性格だから相手のほうが日和っちゃったんだね。その点、汐ちゃんはびびりだから主導権を握れそうだし」
「…………」
きっと出任せに決まっている。私の家に泊まるために即興で考えた作り話だ。…………でも万が一本当だとしたら……。
不覚にも今日の夜中を想像してしまい、去ったはずの恐怖心が舞い戻ってくる。
無言になる私を見て、チトは悪戯な笑みを浮かべて訊いてきた。
「一緒にいてあげよっか?」




