エピローグ
朝のホームルームが始まる前の教室。
登校を果たした私は自分の席に行くと、肩にかけたスクールバッグを机の上に置き、ファスナーポケットからハンカチを取り出して額の汗を拭った。
九月になって二週間が過ぎたというのにまだ夏の暑さは残っていて、それほど距離もない通学路を歩くだけでもバテる。退院してまだ半月だから本調子に戻っていないことも要因だろうけど。
スクールバッグから教科書などの勉強道具を机の引き出しに移す傍ら、他の人の様子を窺う。
みんなは友達と楽しくお喋りしたり机で学習や読書したり、と各々の時間を過ごしている。
その中で私に関心を示す人は見当たらない。あったとしても朝の挨拶を交わす程度のもの。
その日常の様相にホッとする。さすがに二週間も経てば私の元気良さが伝わってくれたか。
夏休み明けの時は男女関係なくクラスメイトの全員から気遣いの言動をされて居た堪れなかったものだ。……まぁ、クラスメイトが約二ヶ月半も入院していたのだから仕方ないか。逆の立場だったら私もそうしてるだろうし。
自身の短絡的な行動を後悔はしたが、あの時の私を責める気にはなれない。
私はチトの死に強く感化されて、その翌日の六月十六日に自分で命を絶とうとした。
結論から言うと(心のどこかに躊躇いでもあったのか)自殺は失敗した。一時的に気を失っただけで終わり、次に意識が戻った時には病院のベッドで眠る自分の姿があった。いわゆる幽体離脱というやつだ。
魂だけとなってもチトのように物理法則を無視することはできず、でも周りからは視認されない、そんな中途半端な存在になった私は、本来の肉体に死が訪れるのを漫然と待つことにした。
──チトが私の前に現れるまでは。
病院のベッドで目覚めてからの数日間は、全て意識不明の間に見た夢かと思っていたが、看護師さんに聞けば夏祭りの開催時期は間違っていなかったし、何よりミコ先輩がお見舞いにきたことでその可能性は無くなった。
どうやらミコ先輩はチトから私の状態を早い段階で聞いていたらしく、陰ながらずっと気にかけてくれていたそうだ。今思えば廃墟探索も私の感情を取り戻す為にチトと計画したことなのだろう。
感謝の気持ちを込めてこれまでの経緯やチトが成仏したことを話すと、ミコ先輩は聞き終えたあとに優しい表情を浮かべて、私とチトの選択を心から喜んでくれた。……そのあとすぐにオカルト部勧誘の話になったのはさすが豪胆なミコ先輩だと思ったけど。
それと、私が会ったのはミコ先輩だけじゃない。
退院して少し経った頃、遊ぶ約束を果たす為にネネに会いに行った。
最初はご両親に怪訝な顔をされたが、知り合った経緯をネネが話したら反対に深くお礼を言われた。親御さんの許可が取れたところで、一緒にモチの散歩に出かけたり、市民公園の遊具で遊んだりした。
その中でチトのことを聞かれたが、まだ幼いネネには理解できないだろうと思って「お空の向こう側に遊びに行ってるんだ」と答えた。いずれ成長して死が理解できる時が来たらしっかりと話そうと心に決めた。
図書館に行ってカナさんにも会ってきた。
理由はリオさんのお墓参りをするためで、遠方にあるため場所が分からなかったからだ。
リオさんとはちゃんとした挨拶もできずにお別れになってしまったから、大切なことに気づかせてくれたお礼も兼ねて(天界に届くと信じて)墓前で伝えたいと思ったのだ。
当然カナさんにリオさんと知り合った経緯を聞かれたので、前に悩みごとを解決してもらったことにしたら、カナさんは仕事中にもかかわらずリオさんのことを話し始め、共感できる部分が多々あってついつい長話になった。
その中で日記帳の話が出てきて、カナさんは「勝手に見てリオ先輩には悪いけど、これがまた独特で面白くてね。リオ先輩がいかに前向きな人生を歩んできたのか分かってね」と笑って言っていた。
墓苑は少し分かりづらい場所にあるということもあり、一緒に行く約束をして、八月の終わりにお墓参りを果たした。
そして私は、一番心労をかけた両親に謝った。
意識を取り戻した時に泣いて安堵する父母の様子を見たら、自分の気持ちばかりを優先していたのは私のほうだとようやく気づけたから。
二人とも仕事や家事で忙しいのに入院中は毎日顔を出して、その過保護さに嬉しさよりも恥ずかしさが勝り、もう二度と私のことで悲しませないと心に誓った。
みんなのおかげで私は九月に無事に学校へ復帰した。
私の自殺未遂の件は先生たちや病院の人たちにより伏せられていて、代わりに重い病気を発症したことになっていた。
ただあまりにも唐突な休学に懐疑的に思った人も当然いて、一部で自殺未遂を囁かれていたものの、私が元気な姿を見せたらその噂もすぐに眉唾ものとして無くなっていった。
そうして二週間のクラスメイトたちからの労りを経て、私はようやく日常に戻れたのだ。
スクールバッグをロッカーに入れたあと、席に座ってスマホを弄る。
メモ帳アプリを開いて、『千都と朗らかな日々』の続きを書く。
リハビリ入院中、一から読み直してみた。
そうしたら酷いも酷い。誤字脱字は多々あるし、描写もやたら比喩表現ばかりで逆に分かりづらい。起承転結の承部分が延々と続き、一向に山場が訪れない平坦なストーリー。これを自信満々で投稿サイトにアップしていたなんてやっぱり黒歴史ものだ。
だけど、羞恥心とともに小説を書き始めた当時の気持ちも蘇った。
他人の評価なんて全く考えず、ただ純粋に物語を作ることへの楽しい気持ちを。
それを思い出した時には、私は自然と物語の続きを思案していた。
一旦始めると創作は止まらず、何度看護師さんの呼びかけで我に返ったか。しかも日常モノだから私の身の回りで何かの出来事があるたびにアイデアが湧いてきて、書きたい欲は高まる一方。
今ではのめり込みすぎて現実を疎かにしないよう書く時間を定めて自重するほどだ。……まぁそれが守られたことは二回しかないけども。
ここのところそんな生活を続けていたこともあって『千都の朗らかな日々』の続編は溜まりに溜まってきている。キリの良いところで推敲して、後々ネットに上げるつもりだ。天界から読める方法もあるかもだし。
私は文章を考えている最中、ふと、隣の席を見る。
机の上には細長い形の花瓶が置かれており、そこには真っ白なユリの花が一輪挿されている。クラスメイトに聞いたところ、最初からその色だそうだ。
私の目に赤く見えていただけ。
全てを知った気になって、勝手に羨ましがって、同じ道を辿ろうとした。いくら真似したところでその人にはなれないのに、自分を押し殺してまで。
今はそれが悲しいことだと感じた。せっかく誰でもない私で生きてきたのに、自ら他人の不完全なコピーに成り下がろうとしていたのだから。
もちろん他人のことを羨ましがったり憧れたりすることは何らおかしなことじゃないし、私だってこれから先の人生でそう思うことは多々あるだろう。
ただ自分を、自分の歩んできた過去を否定するのはもうやめた。比較して嘆いたところで過去には戻れないし、その過去があったからこそ今の私がいる。
何より、良くも悪くもこれは私の人生だったと胸を張って言える物語の最後を迎えたいから。
改めて決心を抱いていると、前の席の佐藤さんが登校してきて、「おはよー」と挨拶をかけてくる。
「おはよう」
「いやぁ今日も暑かったわ~……って、成瀬さん、スマホつけて何してるの? ゲーム?」
「小説を書いてるの」
「小説? 自作ってこと?」
「うん。中学の頃に書いてた時期があってね、入院中に続きを書いてたらまたハマっちゃった」
「へぇ、そうなんだ」
佐藤さんは物珍しそうにこちらを見ながら、
「書いてて楽しいの?」
そんな疑問を投げかけてきた。
その言葉を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、チトの姿だ。
いつも喧しいほど明るく元気で、周りを巻き込むほど自由で、最後まで自身を貫き通した姿。
──あぁ、私は何を恐れていたのだろうか。
もう心に焦りは募らない。
もう未来への憂いは湧かない。
だってこれは私の幸せの一部だと確信しているから。
私は記憶の中のチトに釣られるように同じ表情を浮かべて、
「うん。私の大好きなことなんだ」
迷いのない声でそう言った。
佐藤さんは「へー」と声を出しながらニヤリとする。
「そこまで自信満々に言われると読みたくなっちゃうな~」
「いいけど、大したものじゃないからね。完全に自己満の域だから」
「いいじゃん自己満。書いてるだけですごいと思うし」
「そう? えっとじゃあ、この投稿サイトに上げてて──」
緊張しつつも、同じぐらいワクワク感が込み上げてくる。
窓からそよ風が入ってきて、笑うように花弁が揺れた。




