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16話 勇気を持って進む

 空が完全に夕焼け色に染まった頃。


 私は市民公園の時計塔の前で足を止めた。


「──はぁ……はぁ……!」


 時計塔の柱に手を置いて体を折る。疾走して荒れる息遣いを正そうとするが、焦る気持ちも相まってなかなか平常に戻ってくれない。


 図書館を離れて、もう二時間が過ぎた。


 チトはまだ見つかっていないことはおろか、足がかりすらも見出せていない。


 これまで様々な場所を駆け巡った。


 記憶を遡るように夏祭り会場から始まり、モチの散歩コース、廃墟、学校、そしてこの市民公園と、チトと一緒に行った場所は隈なく捜した。


 モチの散歩コースでネネ、それに学校でミコ先輩を見かけたので、(もしかしたらチトが別れの挨拶に来て行き先を告げている可能性があり)迷わず声をかけて訊ねた。


『チトおねえちゃん? このまえネネがモチとおにわであそんでるときにきた。しおおねえちゃんもあそぼー』


『チト君? 一週間ほど前に廊下で会話をしたっきりだな。チト君がどうかしたのかい?』


 二人とも直近ではチトと会っていないようで当然居場所は知らず、詳しい状況を説明している暇はなかったため、また会う約束をしてその場で別れた。


 記憶は物語の一ページに戻り、この市民公園を虱潰しに見て回ったものの、結局は発見できずに一縷の望みは途絶えてしまった。


「あいつ、一体どこにいるのよ……」


 悩んでいる間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。


 ずっと手に持ったままの筆記帳を胸に抱きしめる。


 まだ捜していない場所はどこがあるか。自宅か、それとも病院か。だがどちらも場所を知らない。加えてチトはかなりの行動派だ。そもそも私が知らない所なんて山程あるだろう。


「…………」


 手がかりのない絶望した状況に、ふと、チトとかくれんぼした時のことが頭に浮かんでくる。


 捜して、捜して、でも見つからない。


 あいつの思考はいつも突飛で、いつも自由奔放で、いつだって私を迷わせる。


 楽しくもないことに有無を言わせず付き合わされて、苦しいことを無理やりやらされて。あいつが隣にいると、いつもロクなことが起きやしない。


「……なんだって私なんかに構うのよ…………っ……」


 私は時計塔から手を離して歩き出す。このまま立ち止まってはいられない。


 次の当てを決めないままに公園を出た。


 憂鬱な夕暮れ空の下、疲弊した体の足取りは遅く、心には諦観が現れはじめる。


 もう何もかも遅いと。やるだけ無駄なのだと。


 いつも私はそうだ。何も考えないまま行動して後悔を抱き、その先で自分を否定する。


 他のみんなと違って自身の人生は無価値なものだと悲観し、他のみんなと同じでいられないことを嘆き、そして焦燥感のまま闇雲に突っ走って後悔の繰り返し。


 だからこそ、その負のループを断ち切る為に行動した。


 それは上手く行った。順調に進んでいたのだ。


 あいつが幽霊となって現れるまでは。


「────この道は……」


 気づかないうちに街から離れて山道に入っていたらしい。


 この錆びついた標識や亀裂の入ったアスファルトの地面は身に覚えがある。たしか公園の帰り道でチトが行きたい場所があると言って歩いたところだ。


 ──あの時も今みたいに疲れてたっけ。


 成仏を盾に児戯を延長され、本当の子供を相手にするみたいにほぼ休息なしで振り回されて。


 発狂しそうな私とは裏腹に、あいつは腹立たしいほど上機嫌で……。


『特にこの夕方の時間帯がベストでね、行けばしおちゃんの疲労どころか心のモヤモヤもたちまち吹っ飛んじゃうから期待してて!』


 その台詞とともに、チトが見せたとびっきりの笑顔が脳裏で再生された。


「──あれ……?」


 突如、違和感に襲われた。


 この先にあるのは暗澹としたトンネルだ。チトは心霊スポットだと言っていたか。


 だとすれば、言葉と状況が合っていないような気がする。


 チトのことだから私の恐怖心を煽る為にあえて真逆の情報を伝えたのかとも思ったが、そもそもあいつは私がホラー系が苦手なことを知らなかった。


 それにもし私を怖がらせることが目的なら、ミコ先輩と廃墟に行った時のように夜の時間帯のほうが好ましいはず。夕方がベストではないし、わざわざそれを言う必要はない。


 あと、私がミコ先輩と話すことを口実に帰ろうとした際、チトは先に進まないことに対して渋っている様子だった。あいつの性格を考えればミコ先輩との会話を優先しそうなものだが。


 だんだんと憔悴した気持ちは、純粋な疑問に上塗りされていく。


 私は顔を上げた。


 もしかして、あのトンネルの先には何かあったのだろうか。



     ***



 もじゃもじゃの蔦やもこもこの苔に覆われた古めかしいトンネルは、まるで神話の大蛇が大口を開いて獲物を待ち構えているような不気味さを放っている。


「…………」


 私は入口の前に立ち、トンネル内部に視線を向ける。


 あの時と変わらず、出口が見えないほどの漆黒に染まっている。距離がどのくらいあるのかさえ推測できないほどに。


 目の前にしているだけで怖気づく。今まさに向こう側から何者かがやってくるんじゃないかという想像を頭に過ぎらせて警戒心を刺激する。


 足が竦む。同時に、ここに来た意義を自分自身に問う。


 ──一体、私はこの後どうしたかったのだろう。


 たしかに疑問はあった。が、わざわざ確認をするようなことか。打つ手なしの状況に、脳が都合よく解釈した結果なだけかもしれないのに。


 仮に勇気を持って進んだところで、この先にチトがいる保証は何もない。おろか、いたずらに時間を消費するだけに終わる可能性のほうがよっぽど高い。


 頑張っても苦しいだけなら期待なんて捨ててこのまま逃げたほうがいい。


 どうせ暗がりの先に希望なんてないのだから。



「──────」



 その絶念とは反して、私の右足は震えながら一歩前に出る。


 怖い。すごく怖い。でも、なぜか今はこの先に何があるのか知りたい。


 それが単なる強がりなのか好奇心なのか私には分からないけど、この渇望するような気持ちに背きたくないと思ったから。


 左足が二歩前に出る。


 あの時、私は先に進むのが怖くてミコ先輩と会ったことを口実に引き返した。


 チトの引き止めを否定して。


 もし、あの時に進んでいたら何かが変わっていたのだろうか。それともやはり辛苦を舐めるだけで終わったのだろうか。


 ただ確かなことは、その答えは進んでみないと分からない。


「……本当に……意地悪な世界ね…………」


 私は筆記帳を胸に強く抱く。


 静かに深呼吸を繰り返し、ゆっくりとトンネルの中に足を踏み入れていく。


 数歩進んだだけで外の音響は冷たい静寂に取って代わり、周りを闇に囲まれる。見える範囲のどこにも光源はなく、まるで黒い霧の中に迷い込んだ感覚に陥る。


 怯えから反射的に振り返ると、先程までいた場所は光で満ちている。


 あの光の中で停滞していたい。無理して嫌な思いをしたくない。


「……っ…………行こう」 


 後退あとずさろうとする足に力を入れて、私は前を向く。


 もう振り返ることはせずに、一歩また一歩と前へ進んでいく。


 この先にある何かを知るために。


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