15話 気づいた想い
どこからかやってきたユウは私たちの姿を見たあと、口を開く。
「どうやらリオさんの心残りは晴れたようで、天の使いとして喜ばしいことです」
「うん! ユウちゃんも協力してくれてあり……」
「──ユウ!」
私はリオさんのお礼を遮ってユウに詰め寄る。
「リオさんたちから聞いた。死者がこの世に留まれる期間が三十七日だって。どうして私に教えなかった?」
「天界の法があったので、と言いたいところですが、一番の理由は、包み隠さず教えてしまえば汐さんがチトさんの物語を書いてくれなくなるという打算的なものです」
「だったら尚更なんで言わないのよ。チトがこの世にいられるのは今日が最後なんでしょ。完成する前に成仏したら意味ないじゃない」
「天の使いの力が及ばす非常に不甲斐ないことですが、心残りは晴らせないことのほうが圧倒的に多く、未練なく旅立てる方は稀なんです」
「じゃあチトの心残りを晴らすのを諦めたってこと?」
「そのような結果になってしまいますね。チトさんに残された時間はもう僅かですから」
「あれだけ私を振り回しておきながら随分と潔いわね」
「ボクは現実から目を背けるほど夢想家ではないので。それに汐さんこそ、なぜそこまで反駁するように言葉を返してくるのですか? 二度と顔を合わせたくないほどチトさんのことを疎んでいたでしょう?」
「……べつに。ただ呆気ない終わりだと思っただけよ」
そうだ。何を必死になる必要がある。むしろ今日でチトとの縁が完全に切れるのだ。願ったり叶ったりじゃないか。
チトさえいなくなれば、この心の蟠りともおさらばできる。私にとっては僥倖でしかない────はずなのに、なんでこうも焦る気持ちが募るの……?
出処の分からない感情に戸惑う私に、ユウは「もし、汐さんの中にチトさんを想う気持ちが一欠片でも残っているなら」と前置きをして。
「チトさんから汐さんへの言伝、もとい願いを預かってきました。これを」
ユウの手にはレトロな筆記帳──チトの物語があり、万年筆とともにこちらへ向けてくる。
「……失踪してたんじゃないの?」
「今朝方ようやく発見したんです」
その淡々とした態度で嘘だと分かった。よく考えてみればあれだけ能力があるなら死者の位置を特定するぐらいのことはできるはず。失踪は私の気を引くための出任せだったのだろう。
「チトさんの願いは、この物語を最初から最後まで読み、その証拠として最後のページに『おわり』を書いてほしいとのことです」
「……チトはこれをもう読んだの?」
「いえ。まだです」
私は受け取った筆記帳に視線を落とす。
チトの願い。最後のわがまま。昨日ユウが言っていたように推敲目的なのか、それとも中途半端でもこの物語に区切りをつけてから読みたいということだろうか。
なんにせよ容易いことだ。自身の名が登場していることへの羞恥心はあるものの、朗読するわけでもないし、十数の短編だけだから時間も掛からない。
これを読んで一切合切終わりにしよう。
「…………」
ページを開こうと表紙に手をかけたところで、私は動作を止めた。
まるで悴んだみたいに手が震え、まるで長時間運動したみたいに動悸がしてくる。
これを開けてしまえば取り返しがつかないことになるぞ、と厭世的な思考が邪魔をする。
「……はぁ……はぁ……」
額から冷や汗が滴り落ち、呼吸の調子が乱れてくる。
いくら空威張りしても心を騙せられない。
私はこれを読むのが怖い。
今の自分を否定して生きていくことが怖い。
いつまで経っても踏ん切りのつかない私に、ユウが「どうしました?」と声をかけてくるが、それに言い訳を返す余裕さえない。
どうしてこんな苦しい決断を迫ってくるのか。
私が生きようが死のうが関係ないじゃないか。
私にこれを読ませてチトに何の利があるのか。
「……っ…………」
恐怖心に耐えられず筆記帳から視線を逸らした時、ふと、成り行きを見守っているリオさんの姿が目に入った。
瞬間、まるで天啓のようにある記憶が頭の中で想起した。
それはリオさんの日記に書かれていたある日の出来事。
他の日と混同していないか消えかかった細かな内容を思い出し、やがて思考はそれを知った経緯に行き着く。
もしかしてチトの目的って……。
確証を得るため、リオさんに問いかける。
「リオさん! もし覚えていればいいので教えてくれませんか?」
「う、うん! なんでも聞いて!」
「一月二十三日の日記のことです。その日は図書館の仕事で、相談窓口に女子高生が来たって書いてありました」
「ああ、それなら覚えてるよ。若い子にしては珍しい相談内容だったからね」
「その子の外見や印象とかはどうでしたか?」
「んーっと……たしか黒髪のショートで、背はちっちゃかったと思う。とにかく明るくてお喋り上手な子だったよ。相談を受けるこっちが元気になるぐらいに」
「そうですか……」
やっぱりチトだ。二人は面識があったんだ。
そしてその相談内容は、筆を止めている作家にファンレターを送って励ますこと。
私はただ趣味でネットに小説を投稿していただけの学生だ。チトの言う作家というのが私のことであると自惚れたくはないが、昨日わざわざその日の日記を見せてきたユウの言動で疑いようのないものになってしまった。
つまりチトは死ぬ以前から私の小説を知っていたことになり、さらにリオさんが日記を書き始めた理由も知っていたとすれば、私に物語を書くようお願いしたことに辻褄が合ってしまう。
自身の為であるように偽ってまで私を……。
「何よ……それ……」
あの一週間前の夏祭りで、どこか焦った様子で私に訴えかけるチトの姿が思い浮かぶ。
今、私の心を支配しているのは怒りだ。
私はユウに向き直る。
「ユウ。チトの居場所を教えて」
「ボクが会ったのは今朝方なので今はどこにいるのか分かりません」
「とぼけないで。天使は死者の居場所を把握する力ぐらいあるでしょ」
エンのほうに顔を向けると、エンは慌ててうんうんと勢いよく首を縦に振る。
嘘を看破されたユウは特に態度を変えず。
「チトさんに会いたいんですか?」
「こんな頼んでもいないことをされて黙ってられるか。一言文句を言ってやらないと私の気が収まらない」
「心変わりは結構ですが、今更すぎますね。チトさんはもう汐さんに会う気がありません。今の汐さんにできることはその物語を読んで終わらせることだけです」
「裏でこそこそとやってきた奴の意見なんて知ったことか。あんたと論じる気はないから早く教えて」
「仮にチトさんに会ったとして何の意味があるんですか? ただ文句を言って溜飲を下げて、それで汐さんの中で何かが変わるんですか?」
「……分からないわよ、そんなこと……」
ただ、この胸に迫り上がってくる苛立ちとは向き合わないといけない気がするから。
ユウはその真意の掴めない眠たげな顔でしばらく私を見つめていたが、やがて目を伏せた。
「チトさんの居場所は教えられません。ボクの務めは死者の未練を晴らすことですから」
「……っ…………そう、ならいい」
私はユウから顔を背ける。
これ以上は問答している時間が惜しい。教えてくれないなら自力で捜すまでだ。
話に置いてけぼりで様子を見守り続けているリオさんとエンに申し訳ない気持ちを抱きつつも、一度だけ頭を下げてから駆け足でその場をあとにした。




