12話 リオの心残り①
放課後の教室。
私は自分の席に座って、クラスメイトたちが部活や下校で去っていく姿をなんとなしに見ながら物思いに耽る。
今日も静かな学校生活を送れた。誰に邪魔されることなく、規則正しく流れていく時間を。
眠気すらやってくるほどの穏やかな日々────なのに。
「……はぁ」
疲れからくる深い溜息をついた。ここ最近つく回数が極端に増えている気がする。
原因は言わずもがなチトのことだ。
あのむしゃくしゃする最低な夏祭りの日から早三日が過ぎた。
あれからチトが私の前に現れることは今に至るまで一度もなかった。あの厚顔無恥な幽霊のことだからすぐに何食わぬ顔で姿を見せると思っていたのだが、どうやらまだ人としての感情が残っていたらしい。
私としてはこれ以上ないほどの僥倖で本来ならば清々するはずなのに、なぜかずっと心のざわつきが晴れない。
チトの放った言葉が(その表情とともに)頭の中から消えてくれない。
『未確定の未来のことじゃなくて確かな過去をしっかり見てよ! 汐ちゃんが本当にやりたいことは今の行動なの!?』
『正解かどうかなんて関係ない、大事なことは自分の心に素直になれるかどうかだけなんだ!』
『だから信じようよ自分の心を! 過去の想いを!』
過去に間違いを犯して今の私になったのに、どうすれば未だに自分を信じられるというのか。心に素直になったところでまた同じ道を辿るだけじゃないか。
ただの同じ女子高生の戯言だと捨て置けばいいのに、思考は別の物事に気を逸らせず堂々巡りする。さらには売り言葉に買い言葉で怒気を露わにしてしまった自分の幼稚な姿まで思い返され、羞恥心まで顔を覗かせてきてどうにもならない始末だ。
まるで呪いだなと辟易しながら、ふと、廊下のほうを向いた時、教室のドアから顔だけを出して私のことを見ているやつがいた。
それはユウだった。
私と目が合うと、隠れもせずに泰然とした様子で教室の中に入ってくる。
そのまま私の前まで来ると、相変わらずの眠たげな目を向けてきた。
「こんにちは、汐さん。今日も陰気なオーラを纏って辛気臭い面構えですね」
「久しぶりに顔を見せたかと思えば。喧嘩を売ってんのか」
「いいえ。相も変わらずで安心したという意味です」
「人が思い悩んでる姿を見て随分な物言いね。安らぎを与える天使としての自覚が足りないんじゃない」
「おや、悩んでいるんですか? 汐さん的にはチトさんと顔を合わせずに済んで清々しているかと思いましたが?」
「ええ、おかげさまで授業内容について悩めるほどに平和な日々を過ごせてるわよ」
「の割には、学業中に教職者ではなくずっと虚空を見つめていて全く集中していない様子でしたよ」
「盗み見してたのかよ……」
全て見透かしておいて煽るなんて、やっぱり性根が腐ってるなこの天使。本当は堕天してるんじゃないか。
「ストーカー呼ばわりは失敬ですね。ただボクは心の底から心配して様子見に来ただけです」
「嘘をつくならもっと感情を入れなさい。……どうせチトに言われて来たんでしょ」
「それならまだ良かったんですが……」
「違うの?」
「簡単に時系列を話しますと、あの夏祭りの日に汐さんと口論になったことはその場で聞きました。するとチトさんが珍しく苦悶した顔で一人にしてほしいと言ってきたので言う通りにしたら……その後失踪しまして。三日間捜し回ったんですがどこにも居らずで……」
「失踪ね……」
あれだけ私に引っ付いて回っていたのに、今度は一人で姿を消して本当に身勝手なやつだ。
「なので捜すのは一旦止めて、汐さんに協力してもらおうと提案をしに来ました」
「イヤよ。今日一日私を観察してたなら、私がどう思ってるか分かったでしょ。諦めて帰って」
「そうすると職務上ボクが困ることになるので粘ります。単刀直入に言えば、さっさと仲直りしてほしいです」
「仲直りも何も姿を晦ませてるんだからどうしようもないでしょ」
「チトさんは汐さんのことが好きですからね。汐さんが呼びかけ回れば出てきますよ」
「つまり私に謝れってこと? あんたも私が悪いって思ってるの?」
「詳しい会話内容は聞いていないので公正な判断は下せないですが、ここは大人な思考の汐さんが折れてくれると助かります」
「絶対イヤ」
「意見の相違はこれまで沢山あったじゃないですか。いつものようにバカバカしく煽り合ってバカバカしく付き合ってください」
「あんた私たちのことそんな目で見てたのね…………今回のは度合いが違うの。それに真逆の考え方をするやつと無理して一緒にいてもお互いの為にならないから今の状態が正解よ」
「ボクからすれば似た者同士に見えますよ」
「だったらあんたの目が節穴なだけ。これは助言だけど、もっと人の気持ちに寄り添わないといつまで経っても仕事が捗らないわよ」
「ふむ……人間の心とはなかなか難儀なものですね」
さてはこいつ友達いないな。もしくは人間のことを見下しているか。
何にしても、チトが失踪したところで私に不利益はないし、この無情天使を助ける義理もない。
このまま話していると嫌な記憶を鮮明に思い出して悶々とした思いが強まるから、早くあの場所に行って雑念を上書きしよう。
私は席を立って教室から廊下に出た。
そのまま立ち止まることなく、昇降口から校門まで行ったところで。
「……おい。なんでついてくる?」
いつかの誰かさんのように私の後をぴったりつけてくるユウは、当然とばかりに平坦な声で答える。
「今のボクにやれることはないので、汐さんが頷いてくれるまで行動をお供します」
「そんな暇があるなら家に帰ってアニメでも見てなさい」
「まだ職務中なので」
「仕事と休みの境界が曖昧すぎる……テキトーなこと言ってないで、普通に迷惑だからどっかいけ」
「意見は変えません。それにチトさんは寂しがり屋ですからね。案外どこからか汐さんのことを窺っていて、ボクたちが一緒に行動してキャッキャしている姿を見せれば嫉妬して出てくる可能性も大いにあります」
「軽んじすぎでしょ……」
ユウは獲物を見つけたように一瞬たりともこちらから視線を外さず、私の次なる行動を待っている。言葉どおり何が何でも引っ付いてくるつもりだ。
たとえチトのように空を飛べたり壁をすり抜けれたりできたとしても、無駄に能力が多いこの天使から逃れるすべはない。せっかく安穏の時間が訪れたと思ったのに、とんだ伏兵がいたものだ。
「……はぁ。ついて来たければ好きにして。でも私の邪魔したら許さないから」
「善処します。それで、学校も終わってこれから帰宅するんですか?」
「家に帰ってもやることないし、少し寄りたいところがあるの」
「出不精な汐さんが珍しいですね」
「人を引きこもりみたいに言うな」
ユウと不毛な会話を繰り返しつつ、目的の場所に移動する。
暑い日差しの中、ノロノロとした足取りで辿り着いたのは市立図書館だ。
夏祭りの日以来、隙間時間を見つけては毎日通っている。
ユウは建物を見上げた。
「ここは確か巨大な書庫だったと記憶しています」
「来たことあるの?」
「はい。前に一度だけチトさんと来ましたね」
「へぇ」
それ以上会話を広げることなく、私たちは施設の中に入る。
自動ドアが開いた瞬間、空調の涼しい風に乗って古びた本特有の匂いが運ばれてきた。
「…………」
昔は落ち着きや興奮を齎したこの場所も、今では胸を締めつけるだけ。
図書館に来るたびに思ってしまう。
私の書いた物語はこの中に入る権利を得られなかった。私は認められなかったのだ、と。
「……っ」
唇を噛みしめる。
後悔の波が胸のうちに押し寄せてくる。
叶えもしない馬鹿な夢を追わなければよかった。分相応にみんなと同じことをしていれば、こんな沈鬱な感情を抱かずに幸せな日々を過ごせたのに…………。
「──汐さん。大丈夫ですか?」
暗く惨めな思いに呑まれそうになった時、すぐ隣からユウの声がして我に返った。
「……あ、うん。平気よ」
「こんな何もない出入り口で急に立ち止まって、見るからに平気じゃないですけど?」
「ちょっと嫌なことを思い出しただけ」
「そんな思いをしてまで訪れる必要があるんですか? よりによって気分が塞いだ今に」
「だから訪れてるのよ」
図書館に来れば、辛苦に苛まれるとともにその過ちの記憶が私の背を後押ししてくれる。今の私の行いが間違っていないことを。チトの言葉が戯言であることを。
ユウは私の顔色を窺うようにじぃーっと見つめたあと。
「そうですか。自ら苦しい道を歩むのはボクには理解できない考えですが、邪魔はしないという約束なので異は唱えないでおきましょう。それで、これから本を読み漁るんですか?」
「面白そうなのがあればね」
「無ければ?」
「閉館までテキトーに過ごす」
私はそう言いながらやっと出入り口から離れた。
他人の過ごし方を覗く趣味はないので、いつも利用している一番奥の人気がない席に向かう。
そうして、最短距離である受付カウンターの前を通り過ぎようとした時、ある〝者〟を見つけて足を止めた。
カウンターから少し離れた場所で浮遊している二十代前半ほどの黒髪ロングの女性。どこか苦心した表情で、その視線は本ではなくカウンターにいる職員に注がれている。
そして女性の傍らにいる女の子。ショートボブの髪は燃える炎のような赤に染まっており、体の大きさに似つかわしくないぶかぶかの白を基調とした制服を着ている。
どう見ても幽霊と天使にしか見えない。
何気にチトやユウ以外で初めて見た。まぁこれだけの人がいれば身近で亡くなる人がいるのは当たり前だから今まで見なかったのが不思議なぐらいか。
何にせよ、過去の自分と同じ轍は踏まない。見えることがバレて面倒事に巻き込まれる前に退散しよう。
すぐに回れ右をして図書館を出て行こうとしたら、後をついてきたユウが通せんぼする。
「汐さん、どこに行くんですか?」
「やっぱり気が乗らない。帰る」
「急な心境の変化ですね。もしかしてチトさんが居たんですか? ……ん、あれは───」
ユウは私の体から顔を出して先を見る。
そして間髪入れずに、「──同志~」と片手を振りながら向かっていきやがった。
すると向こうの赤髪の子もユウの存在に気づいたようで、パッと顔を輝かせ、「同志だっ!」と嬉しげな声を上げてこちらに向かって走ってくる。
挨拶のハグをする二人の微笑ましい光景に、しかし私は焦りしか感じない。
これは素性がバレる非常にまずい流れだ。早急に回避するための行動をしなければ。
──よし、ここは他人のフリをしつつ、できるだけ早くこの場から去ろう。幸い、ユウたちは会話に集中していてまだ私の存在は希薄だ。死者の女性も遠くにいて…………って、あれ? さっきまであのカウンターの近くにいたはずだけど────
「──ねぇ? もしかして見えてる……?」
不意に、すぐ真後ろから声がして。
私の口からは情けない叫び声が漏れた。
周りに人の姿がない奥の四角いテーブル席に私とユウが隣同士で座り、対面に赤髪の子が同じように座って、黒髪の女性はその傍らで浮いている。
黒髪の女性は軽快に笑う。
「いやぁ、驚かせちゃってごめんね~。本当に見えてるか確信が持てなかったから反応を窺いたかったんだよねぇ」
「いえ……でも、急に背後から声をかけるのは二度と止めてほしいです……」
心臓が飛び出るかと思った。ホラー映画ばりに叫んでしまったじゃないか。
「ごめんごめん、次から気をつけるね。──じゃあ改めて自己紹介しよっか。あたしは小比類巻リオだよ。苗字は長いから気軽にリオって呼んでね」
「我はエンだ! エンジェルのエンと炎のような赤髪の炎を掛けてリオが名付けてくれた。下界で同志に出会えて嬉しいぞっ!」
また元気な二人組なことで。なんか私の周りってこんな人たちばっかりな気がする。
流れのまま私も名乗りつつ、内心ではこの知り合ってしまった展開を悔やむ。
こんな静謐とした場で絶叫してしまったことも恥ずかしいが、何より反応してしまった自分に腹が立つ。チトの時の教訓を全く活かせていない。
その私の複雑な心境が分かるはずもなく、リオさんは親しみを込めて会話をしてくる。
「成瀬ちゃんとユウちゃん、よろしくっ! いやぁほんと死んでからエンちゃんとしか話せてないから、すっごく新鮮で楽しいよ。高校生の成瀬ちゃんからしたら超不謹慎だけど」
「あ、いえ。私はまだ生きているというか……」
「え? でもユウちゃんを連れてるよね?」
「汐さんは生者ですよ。ボクの担当している死者は別にいて、今は事情があって汐さんと行動を共にしているだけです」
「じゃあなんで成瀬ちゃんはあたしや天使が見えるの? もしや霊感が強いとか?」
「えーっと……詳しくは話せないですけど、色々とあって見える状態になっている感じですね」
「なるほど……」
何やらリオさんとエンは顔を見合わせてこそこそと話し始める。「成瀬ちゃんに頼めば……」などと会話の断片を漏らして嫌な予感をひしひしと醸し出す。
果たして、リオさんは私のほうを向いてパンッと勢いよく両手を合わせた。
「成瀬ちゃん、ここで会ったのも何かの縁! あたしの心残りを手伝ってくれないかな?」
「…………」
最初に見かけた時の深刻そうな顔色からして何かしらの悩みごとがあるのは予想していたが、やっぱりそうくるか。これ以上面倒事を増やしたくないんだけど……。
リオさんは期待と不安が入り交じった眼差しを向けてくる。
生きる勇気すらない私に断る勇気なんてあるはずもなく。
「……分かりました。まずはお話を聞かせてください」
「ほんと! すごくありがたいよ~!」
「先に断っておきますけど、私はただの女子高生ですから過度な期待は持たないでください」
「そこは大丈夫! あたしたちと意思疎通が取れる且つ生きている人ってだけであたしにとっては救世主だから」
ということは、そこまで重たい内容ではないのか。
リオさんはエンに目配せする。
「えっと、どこから話せばいいかな?」
「リオ、ここは我に任せてくれ!」
エンは席から立って胸を張り、リオの心残りについて話し始める。
「生前リオは大学生の頃からの後輩である荻原カナと一緒にこの図書館に勤務していたのだ。リオたちは本が大好きで、この図書館を盛り上げてたくさんの人たちにたくさんの本を読んでもらおうと日々邁進していた。……しかし二週間前の七月七日に不慮の事故に遭ってしまった」
「不慮の事故……ですか……」
「正確に言えばあたしが起こしたことだけどね。この近くにあたしの住んでる二階屋のアパートがあるんだけど、そのアパートの外階段が急勾配になってるんだ。その日は仕事なのにあたし寝坊しちゃってね、慌てて階段を降りた時に(土砂降りの雨で濡れてることも災いして)滑ってそのまま打ち所が悪くてお陀仏…………ほんと人生最大のドジを踏んじゃった……」
「リオは悪くない! ただ仕事に真面目だっただけだ! 元はと言えば管理人がしっかりとした階段を設備すれば事故は起こらなかったのだ!」
「ううん、あたしが寝坊しなければよかったわけだし、元々安い家賃が売りで入居する前から大家さんは口酸っぱく注意喚起してくれてたから責めるのは筋違いだよ。むしろあたしが死んだせいで事故アパートって見られて入居者が減ったら申し訳ないぐらい」
「だ、だが……」
「同情してくれてありがとね、エンちゃん。あたしは自分の死についてはもう受け入れてるから大丈夫。話の続きをお願いできるかな」
エンは釈然としない様子を見せつつも、「リオがそう言うなら分かった!」と素直に頷く。
「リオの予期せぬ死は身近な人たちの心を痛めた。当然それは荻原カナも例外ではなく、突然の別れに悲しみ、今もなお心ここにあらずで仕事に支障を来しているようなのだ」
私は今までに大切な人の死を経験がしたことがないのでその心を完全に理解できはしないが(どのみち今の私が分かるなどと口が裂けても言えないが)担任の先生がチトの死を告げてから暫くのクラスの雰囲気を見ているので察することはできる。
だからこそ一大事とも捉えられない。
「大まかには分かりましたけど、リオさんが亡くなってから一ヶ月も経っていない状況では仕方がないんじゃないでしょうか? 時間が解決してくれると言うと素っ気なく聞こえますけど、まだ心の整理がついていないだけだと思いますよ」
「我とリオも最初はその考えであった。ただ、荻原カナは落ち着きを取り戻すどころか日に日に顔色の悪さを濃くさせ、見るからに仕事のミスも多くなっているのだ」
「あたしの杞憂だったらいいんだけど、やっぱり近くで見てると心配でね。(これは自惚れであってほしいけど)最悪あたしの後を追わないか気が気じゃなくって」
「…………」
──苦しいのなら無理して生きる必要なんてないじゃないですか。
喉元まで上がってきた思いを飲み込む。
これは私の考えであって他人はおそらく違うのだろう。自身の意見を通すつもりはないし、分かってもらおうとも思わない。
「それで、我とリオがここ毎日荻原カナを間近で見守っていて気づいたのだが、どうやら荻原カナは不運の死を遂げてしまったリオが悲しみに明け暮れているのではないかと妄想しているようなのだ」
「カナは昔から登場人物にめっちゃ感情移入するタイプだからねぇ。特に悲惨な話に対しては泣くぐらいだったし、あたしの死に方が死に方だから自分でも気づかないうちに無念さを誇張してるんだろうね」
「だから我とリオは、どうにかして荻原カナにその妄想が誤認であることを伝えるための良い方法を思案したのだが、これが中々難航した」
「天使にはこの世に実体化できる力がありますよね。それでエンが視認できる状態になってリオさんの思いを伝えればいいんじゃないですか? リオさんの個人情報を言えば子供のイタズラだとは思われないでしょうし」
「それが天界の法で、生者に死後の状況を教えることやそれとなく伝えることは禁止されていてできないのだ」
そう言えば前に私があの世のことについてユウに訊ねた時に、そんな理由で教えてもらえなかったか。確かに死んだ先があるならばこの世を真面目に生きようと思わないもんな。
「そのような感じで二人で試行錯誤した結果、一つの案を思いついた。それはリオが日課にしていた日記に上手いこと思いを綴って荻原カナの妄想を前向きに書き換えようというものだ」
日記と聞いた瞬間、私に助けを求めた理由を察した。このあとに続く言葉も予見できる。
「しかし、これにも問題があり……その……リオは死者で書けないから我が代筆しようとしたのだが、日本語が難しい筆記体なうえリオは達筆でとても似せて書くことができず……」
「ワープロで書くのは問題あるんですか?」
「うん。あたしね、大事なことは何でも手書きで残す癖があって、カナもそれを知ってるからワープロ文字じゃあたしが書いたものって信じてもらえないと思う」
「……我がもっと外界の用語について勉強していればリオの心残りを晴らせたのに……職務を全うできずに申し訳ない気持ちでいっぱいだ……」
「エンちゃんは今でも十分に力になってくれてるってば。あたしだって他の国の言語は読めないし書けないからそれが普通だよ」
リオさんはエンの頭を撫でて慰める。
ユウのあまりの怠慢さに、実は天使など嘘っぱちで(チトが騙されてるだけで)悪魔的なものだと少し疑っていたが、どうやらユウが特殊なだけでちゃんと存在する役職のようだ。
何にしても、要はチトと似たようなもので私に代筆を頼みたいということだろう。
「なら汐さんは打ってつけですよ。物凄く字が綺麗なので」
ずっと黙っていたユウがしれっと個人情報を吐く。大人しくしていると思ったら余計なことを言いやがって。
「そうなの!? やっぱり成瀬ちゃんはあたしの救世主だよ! ぜひ代筆を頼みたい! どうかお願い!」
「我からもお願いしたい! リオの心残りの手助けをしてくれ!」
二人は大げさに頭を下げて懇願してくる。
どう見ても断れる雰囲気じゃないし、それが正しいことだとも思わない。……まぁ何も面倒で難しい内容の頼みじゃないし、却ってやることがあるほうが雑念に囚われなくて済みそうか。
「分かりました。書くだけならお手伝いします」
私の返答に二人は嬉しそうな顔を見合わせて、まだ何の解決もしていないというのに「やったー!」と手を合わせた。
話がまとまったところで、不意に天井のスピーカーから『もうすぐ閉館時間です。受付をされる方はお早めにお願いいたします』という館内放送が流れる。
「あっ、もうこんな時間なんだ。成瀬ちゃんにユウちゃん、長いこと引き留めちゃってごめんね。もしかして何か図書館ですることあった?」
「いえ、私たちはただの暇つぶしでやってきただけなので気にしないでください」
「それならよかった。それで頼んでる身であれなんだけど、できるだけ早く解決したくて……もし時間に余裕があれば早速明日からお願いしたいんだ」
「ちょうど明日からは夏休みに入るので朝からでも大丈夫ですよ」
「ほんと! じゃあ午前九時ぐらいに図書館に集合でいい?」
「分かりました」
「ありがと! 明日もよろしくっ」
そこで会話が終わり、その場でリオさんたちと別れた。
ユウとともに図書館を出ると、外はだいぶ日が傾いていて、辺りには薄らな闇が現れ始めている。……真っ暗になる前に家へ帰ろう。
そうして歩き出し、図書館の敷地から歩道に出た時だった。
「後悔していますか?」
隣を歩くユウが抑揚のない声でそんな問いかけをしてきた。
私は歩きを止めることも振り向くこともせずに聞き返す。
「後悔って心残りの手伝いのこと?」
「いえ、図書館に行ったことです。今日の夕方に図書館へ行かなければリオさんと面識にならず、心残りを手伝う件も発生していませんからね」
「そう? 誰かさんが同僚に声をかけなければあんな展開になってないと思うわよ」
「それも図書館に行かなければ起こり得なかったことです。図書館に行った自身の選択を後悔していますか?」
「じゃあそうなんじゃない。代わりに日記を書くだけとはいえ、背景は重たいものだしね。ていうか、質問の意図が分かんなすぎて返答に困るんだけど」
「単なる雑談です」
「だったらもっと感情を見せなさいよ……」
「ボク、他人に感情を悟られるのが好きじゃないので」
やっぱりこの不思議っ娘の考えは読めない。
「ですが後悔している割には、すんなりと心残りを手伝う選択をしたのは意外ですね。チトさんの時と同じで拒否の姿勢を取り続けると思っていました」
「あんたには私が薄情者に見えてるのね……謙虚に懇願してくるリオさんと、狡猾に脅してくるチトじゃ明確な違いがあるでしょ。それに手伝う内容の負担さにも差があるし」
「本当に書くだけでよければですけどね」
「それ以上のことは約束してないから大丈夫でしょ」
「浅はかな考えですね。もしも頼まれた時はちゃんと断れるんですか?」
「…………」
「汐さんって思ったよりも後先考えずに自滅するタイプですよね」
「ぐっ……」
図星なのが口惜しい。人を癒やす天使ならもっとオブラートに包んでほしい。
「分かってるなら加担しないで助けなさいよ。──それよりも、あんたどこまでついてくるつもり? まさか私の家に来る気じゃないでしょうね?」
「そのつもりですよ」
「淡々と言うな。私に構ってないでしっかり職務を全うしろ」
「死者が一人になりたいと望んでいるその心をボクは尊重してあげたいんです」
「都合の良いこと言ってこの怠惰天使が……」
その後、家に帰り着くまで抵抗したが、結局はユウを追い払うことができず、不服ながらも寝泊まりを許すことになった。




