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11話 夏祭り②

 それから私たちは様々な屋台に立ち寄った。


 ヨーヨー釣りや輪投げ、宝吊りなどのゲーム系や、かき氷やチョコバナナなどの食べ物系(ユウの求めるリンゴ飴と綿菓子も無事に買えた)と時間の許すかぎり体験した。 


 しかし、私はそのどれもが楽しめなかった。


 行く先々で見かける人たちの喜楽に染まる表情があまりに眩しすぎて。


 今を謳歌している人たちを見るたびに私の心は再び焦燥に駆られ、取り戻せない過去を憂い、疲弊していった。同じ場所で同じことをしているのにみんなと一緒の気持ちを抱けない虚しさも相まって。


 去来する思いに苛まれるまま、やがて花火の時間が近づいてきた。


 私は人混みを理由にして、チトとともに河川敷から離れた小さな橋の上に移動した。


 今は私たち以外に誰もいない。ちなみにユウは綿菓子が大層お気に召したようでリピートしに行った。


 チトは辺りに視線を向けながら言う。


「会場から少し離れただけで、こんなにも静かになるってなんか風情があるね」


 祭りの喧騒は届かず、聞こえるのは川のせせらぎと風で揺れる木の葉の音だけ。


 この寂しげな雰囲気が私の心に落ち着きをもたらす。ここにいることを許されているような気がして。……もう催し物に行くのは止めよう。


しおちゃんは盛況あっちよりも閑静こっちのほうが好きそうだね」

「分かってるなら連れ回さないで。おかげで最悪な気分だったんだから」

「言ってくれればすぐにでも人がいないところに退散したのに」

「目先の屋台に食いつくほど意気揚々としててとてもそんな様子じゃなかったけどね」

「さすがのわたしもガチで嫌がることはさせないって」

「今まで散々させておいてどの口が言うか」

「はは、それもそっか。でも、しおちゃんらしくないね。いつもならはっきり拒否るのに。何か言えない理由でもあったの?」


 あれだけ大勢の人が肯定している場所を否定して仲間外れになりたくないから……なんて言ってもこの能天気幽霊には伝わらないうえ、小馬鹿にされるのがオチだろう。


「べつに。ただ、途中でリタイアしたら物語のページ数を稼げなくなるって思っただけ」

「つまりわたしの為ってことだね!」

「私の為だから。どう解釈したらそうなるのよ……」

「だって裏を返せば、嫌なことに立ち会ってまでリアルに書いてくれようとしてるってことでしょ。ちゃんとわたしとユウちゃんに付き合ってさ」

「買い被りすぎよ。事実と違うことを書いてあとで文句を言われたら嫌だから我慢してるの」

「そう。じゃあやっぱりしおちゃんは小説を書くことが好きなんだね」

「脈絡が無さすぎて意味わかんないんだけど」

「分からないは嘘だよ。本当は自分でもとっくに気づいてるんでしょ」

「面倒だから根拠のない決めつけはやめて」

「根拠ならあるよ。わたしがお泊りした時にあれだけ書き直して力作を練ってる様子だったし、そもそも本当に嫌だったらわたしがお願いした時に全力で断ってるはずだからね」

「どっちも脚色されてるわよ。あんたから日記みたいだって注意されて渋々真面目に書いただけだし、最初の時も私は強く書きたくないって反対した」

「でも実際は書くことを選んだ。それは紛れもない好きの証だと思うよ」

「屁理屈も甚だしい。私の中であんたを成仏させるほうを優先した以外に理由があるわけないじゃない」

「本当にそうかな。ただ認めたくないだけなんじゃない?」

「…………大体、私が小説を書くのが好きか嫌いかなんてあんたには関係ないでしょ。妙に焦ってらしくないわよ」

「……っ。し、しおちゃんがあまりに頑固だからつい論破したくなっちゃったんだ」


 自分自身でも気づいていなかったのか、チトは見るからに取り繕うような苦笑いを浮かべる。


 何らかの企みごとがあるのが丸分かりのその態度が私の心を警戒させ、いつものように軽口では終わらせられずに重苦しい沈黙が訪れる。


 やがて居た堪れない無言の間を破ったのは私でもチトでもなく、夜空に咲いた光の花だった。大きな音を立てながら次々と大小様々な形と色の姿を現す。


 どうやら花火の打ち上げが始まったようだ。タイミングが良いような悪いような。


 チトはすぐに視線を空に向け、「──おぉ! 綺麗~」と声を上げながら花火の方角に少しだけ寄っていく。


 まるでついさっきの出来事を忘れてしまったかのような軽薄さに呆れた私は、どっと疲れたように欄干に腕を置き、橋の下を流れる小川に視線を落とす。


 緩やかに波打つ水面に花火の光が映って綺麗だが、その幻想的な様相に見惚れることはできなかった。


 先程のチトの言葉に誘発されたのか、再び思考に陰りが差す。


 どうしても考えてしまうのだ。この先のことを。


 ここで数十分花火を観覧したあと、家に帰って物語を書き、今日が終わりを迎え、変わらない明日がやって来て、またチトに振り回されて……はたして、いつ私の物語は終わりを迎えられるのだろうか。


 順調に物事が進んで筆記帳のページが全て埋まったとしても、チトが成仏するのは単なる口約束でしかない。我儘なこいつのことだ。何か理由をつけてこの世に居座ることだって全然あり得る。


 そうなれば、私は一生この不安で不快な気持ちに悩まされ続けることになる。


 もう何も考えたくないのに。ただ静かに終わりを待っていたいのに。


 花火の光を浴びるチトの横顔を見る。


 無垢な子供のように視線は花火だけに注がれている。


 死んでもなお、今この瞬間だけに気持ちを向けられるその楽観で純粋な思考が────



「羨ましい」



 自然と私の口からそんな言葉が漏れた。


 そしてその囁き声は聞こえていたらしく、チトがこちらを振り向いてくる。


「羨ましい? 誰が?」

「……あんた以外に誰がいるの」

「わたしが羨ましい? わたしのどこが?」


 食いついてくるとは思わず、面倒なことをしてしまった自身の失態に嫌気が差す。


「見たまんまよ。悩みがなくて日々を気楽に過ごせてることが私からしたら羨ましいの」

「わたしにだって悩みはあるよ」

「でも大したことじゃないでしょ。でなければ私とこうして時間を無駄にしてる余裕はないし」

「無駄なんかじゃないよ。わたしにとっては大切な時間だよ」

「そう。ならいいんじゃない。もう死ねてるわけだし、難しく考えないで好きに過ごせば」


 軽口を叩くみたいに何気ない声音で言う。この無価値な問答を続ける気はない。


「……もう死ねてる、か…………今のはちょっと傷ついたかな」

「何よ、事実を言ったま……──!?」


 思わず声を引っ込めてしまった。


 チトの顔が不機嫌に染まっていたから。いつもの冗談からくるものではなく、こちらを真っ直ぐに見つめる双眸には本気の怒りが宿っている。


しおちゃんはわたしが死にたくて死んだと思ってるの?」


 初めて見る表情に少したじろいで無言になった私に、チトは訴えかけるように言う。


「わたしがどれだけ病気と戦ったのか知ってるの? 成功確率の低い何時間もかかる手術に恐怖して、日夜やってくる病気の痛みに耐えて、投薬の副作用に苦しんで、それでも生きようって頑張ったことを」


 声には悲憤が感じられ、それはだんだんと強くなっていく。


「わたしにとって明日が来ることは奇跡だったんだ。いつも寝る時にこのまま目覚められなかったらって不安を抱えて、それでも弱気になっちゃダメって自分を奮い立たせて……わたしは諦めたり望んだりして死んだんじゃない、頑張って生きたんだ!」


 ぎゅっと制服の胸元を押さえる。


「……でもね、お父さんとお母さんが泣きながらわたしに謝ってくるんだ……ごめんねって、長生きさせてあげられなくてごめんねって…………っ……わたしは十分に幸せだったのに……お父さんとお母さんの元に生まれてきてよかったって思ってるのに……! ……もうそれを伝えることもできなくて……やっと体の痛みは消えたのに、心の痛みはずっと消えないんだ……!」


 涙の溜まった瞳で私を睨む。


「そのことを知りもしないしおちゃんに死ねてなんて言われたくない! 生きてるしおちゃんに何が分かるのさ! まだ自分の足で歩けて何でもできるしおちゃんに!」

「…………」


 チトの明るい様子の裏側に隠された真意を聞いて、心が揺れ動く。まさかウザったいほどポジティブなこいつがそんなことを考えてるなんて露ほども思っていなかったから。


 けれど、やっぱりそれでも私には幸せに見えてしまう。


「……そうよ……私はどこも悪くないほど健康体だし、あんたみたいに一日一日を生きることを願わなくても明日が来るのは当たり前のこと……」


 腹の奥底に沈み込ませて忘れようとしていた情けない激情が這い上がってくる。


 もう我慢することはできない。


「──だからつらいのよっ! 苦しいのよ! いつまでこの胸のうちで燻る感情を背負って生きていけばいいのか分からないから!」


 未来を考えれば考えるほど怖くなり、今の自分が正しいことを行っているのか不安になる。もし明日死ぬことが決まっていたのなら、全てに諦めがついて楽になれるのに。


「だったらその燻る気持ちを消すために動こうよ! しおちゃんにはその時間があるでしょ!」

「解決手段がないから絶望してんのよ!」

「見つけようともしてないくせに!」

「見つけようとして見つからなかった時は? 別の道を歩む時間をいたずらに削って余計に悪化するのが分からないの!?」

「だからなんでダメだった時のことばかり考えるのさ! 良い方向に進むことだって全然あるのに!」

「じゃああんたには正解が分かるの!? 未来の私が後悔しないって絶対の自信を持てるの!?」

「それはその日が来ないと誰にだって分からないよ! でもしおちゃんが未来の幸せを追ってばかりで過去にあった幸せから顔を背けてるから言ってるんだよ!」


 言葉を交わすたびに苛々する。生前を幸せだったと言い張れるやつの講釈なんて聞きたくない。


「未確定の未来のことじゃなくて確かな過去をしっかり見てよ! しおちゃんが本当にやりたいことは今の行動なの!?」

「……い……」

「正解かどうかなんて関係ない、大事なことは自分の心に素直になれるかどうかだけなんだ!」

「……さい……」

「だから信じようよ自分の心を! 過去の想いを! そしたらきっと──」

「──うるさいっ……!」


 私は叫ぶ。周りにある全ての音を掻き消すように大きく。


「もう私はこの道を選んだの! 今さら引き返したところでどうしようもないの! ……幸せにたどり着いたあんたには分からないわよ……あんたなんかに何が…………っ……」


 抑えきれない感情とともに瞼の奥が熱くなってきて、堪らずに踵を返す。


しおちゃん、待っ──」


 右腕を掴んでくる手を振り払う。


「……もうお願いだから、これ以上私の心を乱すのはやめて……」

「……しおちゃん…………」


 私はチトを一瞥することなく、逃げるようにその場から去る。


 歩みは次第に速くなる。どこへ向かっているのかも分からないまま。


 胸が痛い。


 心が激しく揺れて落ち着かない。


 目尻から溢れてくる涙を止められない。


 早くこの速まる心臓の鼓動を静めて。──早く止めて。


 しかし私の願いは虚しくも叶わず。


 遠くの夜空を彩る花火が、私の意識を掻き消してくれることもなかった。


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