10話 夏祭り①
四限目の授業中。
私は自分の席に座って、周りのみんなと同じように先生の話に耳を傾ける。
授業は好きだ。この時間は正しいことをしている気がするから。
しかし、今日もその心の平穏は訪れなさそうだ。
ただ教科書の文章をなぞるだけの単調すぎる先生の声は、右耳から左耳へと素通りし、私の余計な思考を掻き消すには熱意やユーモラスが足りていない。
ネネの件から一週間が過ぎた。
相変わらず私は、チトに振り回され続けている。
ある日は近場の浜辺で砂のお城を作るのを手伝わされたり、ある日は名も知らない山の頂上まで登らされたり、ある日は一匹の野良ネコを追跡して行動経路を調べさせられたりと不毛な毎日を送った。
おかげでというか何というか筆記帳のページは徐々に埋まってきているが、(分厚くないとは言え)まだまだ空白は余りに余っている。一冊を仕上げようと思ったらあと何日かかることやら。
さっさとこの無益な時間を終わらせたい。いや、終わらせないといけないのだ。でないと煩わしい感情が溢れて私の道を阻むから。
しかしそれにはチトに協力しなければならないというジレンマ。本当に厄介極まりない。
何か手早く解決する方法がないか、と思案に耽っている間に、今日も授業は終わりを迎える。
正しさを犠牲にして、けれど答えは見つからず。最近この繰り返しだ。
チャイムとともに先生が教室を去っていき、クラスメイトたちも各々お昼休みに入る。
ぼぉーっとみんなの移動を見ていた時、ベランダのほうからチトが現れ、私の元までやってくる。
「汐ちゃん、午前の授業おつかれさまっす」
「…………」
「ん? なんか疲れた様子だね。そんなに難しい内容だったの?」
「……ええ、無理難題レベルね」
「へぇ。秀才の汐ちゃんでも理解できないことがあるんだね」
「私は秀才じゃないし、ほぼあんたのせいだし」
「なんでさっ!? 授業中は邪魔せずに別行動するって約束を守ってるじゃん! 人のせいにするのはよくないぞっ」
「存在自体がもうムリなのよ」
「ひどい言い草っ!」
この漫才みたいなやり取りをするのも辟易だし、してしまう自分に怒りすら覚える。こんな状態ではいつまで経っても私の望む結果は得られないのに。
そんな私の葛藤なんて露知らず、元凶は目障りなほど前向きだ。
「そこまで言うんだったらもう分かったっ。汐ちゃんにはわたしという存在がどれだけの喜びを与える素晴らしい存在であるか知らしめてやる! ──ってことで、ちょっとこっち来て」
私の手を引いて廊下のほうに連れ出そうとする。
力勝負では勝てないし、反発したらしたで余計に面倒になると分かりきっているので諦めて席を立った。
チトは満足げな顔で私の手を離して教室を出る。
チトのあとに続いて廊下を歩くと、お昼休みで行き交う生徒たちと擦れ違う。
様々な会話が聞こえてくる中、とある二人組の女子のひそひそ声が不意に耳に届いた。
「──あのA組の子の話聞いた?」
「A組の子ってひと月前の?」
「うん。なんか聞いた話じゃ病気じゃなくて、じさ……」
「────汐ちゃん、早く早く!」
こちらを振り返って催促するチトの大声で、私は自分が立ち止まっていることに気づいた。
その間にも二人組の女子は教室に入ったようで廊下から姿を消していた。
少し続きが気になったが、聞いたところで何がどうなるというわけでもない。
私にはもう関係ない話か、と結論づけて、尚も急かしてくるチトの元に向かった。
そうして着いた先は、昇降口に続く廊下にある校内掲示板の前だった。
「これ見て見て!」
様々な張り紙の中でチトが指差したのは、夏祭り案内のポスターだった。町内会主催の祭りで毎年行われているイベントだ。
「今日の夜七時に川内川の河川敷で開催だからわたしたちも行こっ」
そう言えばクラスの人たちも行くようなことを言っていたか。
どうせ私に拒否権はないのだが、すぐに頷けば付け上がるとも限らないからささやかな抵抗は見せておこう。
「別にいいけど、行ったところで何も体験できないんだからつまらなくない?」
「ユウちゃんを連れていくから大丈夫」
「あの周りから自身を認識される能力を使ってもらうってこと? たしかごく僅かな時間と使用制限があるって言ってなかったっけ?」
「うん。だからユウちゃんにはこの機会に限界を超えてもらおうと思って。天使力アップのチャンス!」
あの子はいつもこんなノリで扱き使われているのか。可哀想に。
「それにもしユウちゃんがバテて屋台を楽しめなかったとしても、夜八時から花火が打ち上げられるからね。観賞なら問題ないでしょ」
私は反論の余地を無くす。……まぁ、今までのチト個人が端を発する突発的な物事じゃなくてちゃんとした催し物だから楽か。物語についてもページ数を多く消費できそうだし。
「分かった。行けばいいんでしょ」
「うんっ、一緒に楽しもうぜ!」
「じゃあそれまでは一人にさせて。色々と考えることがあるから」
「よかろう。わたしもパソコン中毒のユウちゃんが夜寝ないように止めないといけないからね。頃合いを見て汐ちゃんのお家にユウちゃんと迎えに行くね」
チトは「ではでは、また後で!」と言って昇降口を通り過ぎて空へと飛び立っていった。
***
夜七時を少し過ぎた頃。
夕闇に染まる空の下、チトが土手から河川敷のほうを見下ろしながら声を上げる。
「──わぁ、めっちゃ人が多いね! はぐれたらすぐ迷子になりそう!」
「ボク人混みは苦手ですが、りんご飴と綿菓子のために頑張ります」
祭りの会場に向かう行列を見てチトはハイテンションになり、ユウも意外に楽しむ気だ。味方が減った気分で余計に気怠くなってくる。
「汐ちゃん、そんな面倒そうな顔しないで。元気出してこー!」
「あんたたちは空を飛べるうえに物理的接触がないからいいけど、私は違うの。人を避けることに神経を使って楽しめるわけないでしょ」
「できるだけ人気のないところを歩けば大丈夫だって」
「そんな場所がある気がしないんだけど……」
改めて周りを見ると、土手や河川敷は家族連れやカップル、子供からお年寄りまで様々な人たちでごった返している。今年は平日開催だから少ないと踏んでいたが、これほど盛況だとは想定外だ。
「まぁまぁ。ここまで来た以上は悩んでてもしょうがないし、まずはトライしてみよう!」
「汐さん、りんご飴と綿菓子を食べるまではチトさんに付き合ってあげてください」
二人はそれぞれ私の手を軽く引っ張ってくる。まるで子供に急かされる親の気持ちだ。この様子ではこのまま帰るという選択肢は取れなさそうだな。
私は嘆息する。
「……分かったわよ。でも無理だと思った時は即時撤収させてもらうから」
「さすが汐ちゃん、話の分かる女だぜ!」
「はいはい。人のいない向こう側の階段から河川敷に下りましょ」
祭り参戦が決まったところで、遠回りして河川敷に下り立つと、屋台が等間隔にズラーッと立ち並んでおり、どこもかしこも人の声で埋め尽くされて賑わいを見せている。
思ったよりも屋台の数が多く、人の波が上手いこと分散しているため見て回るのに支障はなさそうだ。
人の間を縫いつつ屋台に挟まれた通路を歩いていく。
チトが左右の屋台に視線を向けながら言う。
「やっぱ屋台の活気を見てると、ザ・お祭りって感じがして心が躍っちゃうね!」
「あんたは朝からテンション高かったでしょ」
「それにも増して、って意味だよ。いつも病状的にこういう催し物には参加できなかったからね。雰囲気を味わうことができるだけでも嬉しいんだ」
「そう」
「汐ちゃんは? あまり催し物に興味ない感じ?」
「興味はあったわね。今はどうでもいいけど」
「じゃあ中学生の頃とかは行ったりしてたんだ」
「暇さえあればね」
「へぇ、昔の汐ちゃんはアクティブ少女だったんだ。もしかして小説の為?」
「……まぁそうだけど」
こういうイべント系は小説のネタの宝庫だから自ら進んで現地に赴いていた。
そしてアトラクションを体験することは二の次で、頭の中で自身の考えた登場人物を現実に投影し、どのような行動を取るか想像することに没頭した。
私にとってそれは楽しい時間だった。実際に肌身で感じたからか、自室の机に座って考える時よりもアイデアが閃き、時には登場人物たちが魂を持ってひとりでに動いた感覚さえしてワクワクした。
すべては昔の話だが。
「勝手な想像だけど、汐ちゃん、一人で片手にメモ帳持って辺りをきょろきょろする不審者みたいな動きしてそう」
「うぐっ……し、しょうがないでしょ! あの頃の私は未熟だったんだから!」
「ほんとにしてたんかい……でも、面白い小説を書くっていう目的があるんだから、べつに恥ずかしがることないって」
「そこまでして面白いものが書けてないから黒歴史だって言ってんの。思い出させないで」
「え、わたしは十分面白いって思ったよ」
「お世辞うざい」
「純粋な感想なんだけどなぁ。それに仮につまらなくとも、他の人と違う楽しみ方ができてる時点で素敵なことだと思うよ」
「遠回しに変人って言ってない?」
「そうだよ。わたしにとって変人は褒め言葉だから……あっ、汐ちゃん、アレやろ、アレ!」
会話の最中で、突然手をぐいぐいっと引っ張ってくる。人の嫌な記憶を掘り起こしておいてこいつは……。
自由人すぎるチトにうんざりしつつも、今に始まったことでもないので抵抗はしない。
「やっぱり夏祭りの定番といえばこれだよね」
チトに連れられてやってきたのは射的屋だった。たしかに定番は定番だが。
「どうやってやるのよ……?」
食べ物系の屋台であればユウの力を使って(前に公園でソフトクリームを食べたように)体験できるが、ゲーム系は厳しくないか。
「できるできる。ということで、ユウちゃんお願い!」
さっきから無言で頻りに屋台を見回していたユウは億劫そうな顔をこちらに向ける。
「早速ですか……先に断っておきますが、この催し中に力を行使できるのは十回までです。そしてボクの目的のりんご飴と綿菓子で二回消費するつもりなので残り八回ですね」
「なんでユウちゃんの願望で二回も消えるのさ!? ちゃんと職務を全うして!」
「これまでに数々の面倒事を押し付けられたんですから、これぐらい罰は当たらないでしょう」
「ぐぬぬ……まぁいいよ、わたしもりんご飴と綿菓子は食べたいしね! じゃあ射的屋に一回を使う!」
ユウは頷き、「では、能力を行使します」と言ってその場でフィギュアスケーターみたいにくるりと一回転する。
それだけで完了したようで、私たちに目配せしたあと射的屋のほうに向かっていく。てっきり魔法使いの詠唱的なものをするかと思ったが、意外に地味だったな。
チトとともにあとに続くと、額にねじりハチマキをした一目で店主と分かるおじさんがユウに向かって「らっしゃい!」と声をかけていた。
「お嬢ちゃん、可愛いコスプレだな。うちの射的に興味あるかい?」
「はい。プレイしたいです」
「母ちゃんや父ちゃんはいるかい?」
「一緒に来てて、自由に遊んでこいとお金を渡されています……」
ユウと店主のやり取りを一歩引いて見守っていた私は、隣にいるチトに疑問をぶつける。
「それで。ここからどうするの? このままだとユウがやって終わりじゃない?」
「もちろんわたしがやるよ。要はユウちゃんがやってるふうに見せればいいんだよ」
「?」
チトは「ま、見てて」と言ってユウの元に行く。
やがて店主からのゲーム説明が終わり、ユウの前に銃とコルクの入った箱が置かれた。
「ユウちゃん。まずはコルクだけど、これと、あれと、あの隅っこにあるやつを取って」
ユウは自分で選んでいるように反応を見せずにチトの言うとおりのコルクを手に取り、そのうち一つを銃口に詰めていく。
「次はターゲットだね。……うんっ、あのつぶらな瞳でこっちを見てくるモフモフ羊にしよう!」
ひな壇の下段にあるヌイグルミを取るつもりらしい。四足歩行のゆるい顔をした羊は両手に乗るほどでまぁまぁ大きい。箱物よりも落とすのは難しいんじゃないか。
「それじゃあユウちゃん、構える振りして」
ユウが台に肘を付きながら両手で銃を持った時、その背後からチトが覆い被さって銃を握った。
なるほど。今のユウが触れ続けている物は死者にも感覚を共有できるから、この格好であればチトが体験できる且つ周りにも不自然には映らないわけか。見るからにめちゃくちゃやり辛そうだけど。
チトはまるでスコープ越しに敵を射抜こうとするスナイパーよろしく、姿勢を低くする。
そして発泡。銃口から吐き出されたコルクは真っ直ぐにモフモフ羊へと飛んでいき、右前脚に当たって少し後方へと下がる。
そのあともチトは同じ動作を二回続けたが、結局モフモフ羊は体勢を斜めに変えただけで落ちはしなかった。
「……むぅ、落ちないかぁ……射的屋の攻略サイト見てきたんだけどなぁ…………まぁ一度の挑戦で取れるわけないか。ユウちゃん、ワンモアチャンス!」
ユウは『誰のお金か分かってますか?』と言わんばかりに一度眉根を寄せたものの、チトの我儘な性格は把握しているようで渋々店主にお金を渡す。
これは金と時間を浪費しそうだなと思いながら、ふと、隣の屋台に視線を向けた。
そこは型抜きの屋台で、中学生ほどの男女グループが挑戦している最中だった。他のお客さんもいることから一人ずつ交代でやっているらしく、あとの三人は隣で見守っている形だ。
チャレンジ中の男子は台に視線を落として集中しており、友達たちは横で「がんばれ~」や「落ち着いていけよ」と鼓舞している。
やがて失敗したようで、「あ、やっちまったぁ!」と頭を抱えたポーズで悲痛の声を上げた。
しかしその悔しさの滲んだ言動とは裏腹に、その顔は笑みに彩られている。友達たちの「おしかったね、ドンマイ!」や「やっぱここは俺の出番だな」とはしゃぐ姿からも嬉々とした感情が窺えた。
「……っ」
それを見て私の胸が疼く。
ただひたすら独りで想像の世界に浸っていた中学生の私が投影され、明暗を分ける。
きっと彼らは今この時のことを後悔することはないのだろう。仲間たちと一緒に遊んだ有意義で充実に満ちた思い出として振り返り、そこには笑みの溢れる懐かしさばかりで負の感情は存在しない。
過去の自分に疑念を抱き、未来を恐れ、今を生きていけない私とは違って。
彼らの表情と声を見聞きしていると、捨て去ったはずの焦燥感が募ってくる。早くどうにか軌道修正しないと正しいレールに戻れなくなってしまう、そんな焦りが。
もうここまで進んだのに、なぜこんな無意味な感情に囚われてしまうのか。自身の気持ちをコントロールできないもどかしさも湧いてきて、惨めさで心が押し潰されていく。
「──よぉぉしっ! チト隊員、無事に任務完了でありますっ!」
身動きすら取れなくなっていた時、不意に響いた大音声が思考の束縛を解いた。
声の出所であるチトを見ると、両腕を上げてガッツポーズをしていた。ひな壇からはモフモフ羊の姿が消えている。何度目の挑戦かは知らないが見事にゲットしたようだ。
店主はすぐにひな壇の裏に落ちたモフモフ羊を拾って袋に入れ、「お嬢ちゃん、おめでとさん!」と褒め言葉とともにユウに手渡した。
ユウは受け取ってペコリとしたあと、チトとともに射的屋から離れて私の元にやってくる。
チトが腕組みして偉そうに胸を反らす。
「どう、汐ちゃん。わたしの素晴らしい狙撃の腕は」
「ごめん、最初の一回しか見てなかった」
「なんで!? 見ててよ!」
「ちょっと考えごとしてたの。それにユウのこの陰鬱な顔を見れば嘯いてることが丸分かりだし」
「まさかあの自信満々な態度で、あれだけの回数が掛かるとは思ってもみませんでした……」
「初めてにしては上出来でしょ。景品をゲットできたからいいじゃん」
「いくら死者の為だからと言っても天界からの支給は限度があるので少しは自重してください」
「ごめんって。次からは気をつけるよ」
「その言葉が嘘偽りでないことを祈ります。……はぁ、想定よりも高い出費の出だしとなってしまいましたね」
そう言って手に持った袋を私に向けてくる。
「なに?」
「汐さんにあげるために取ったらしいので」
「べつに頼んでないけど」
「わたしの好意だから受け取ってくれると嬉しいな。前に汐ちゃん家に泊まった時に、ナマケモノのぬいぐるみとかゆるキャラのキーホルダーとかあったからこれも好きかなって思ってね」
「そりゃ嫌いじゃないけど……」
「『汐ちゃんはぼくが嫌いなの? ぐすん』」
「アテレコやめろ。お金を払ったのはユウなんだからユウの物になるのが道理でしょ」
「ボクはとてもこのマネー貪り羊を愛せそうにないので、汐さんが貰ってくれるとありがたいです」
「…………」
袋の中から真っ直ぐこちらに向けられるモフモフ羊のつぶらな瞳に根負けして、結局のところ「……ユウが要らないなら勿体ないし」と受け取ってしまった。
チトはうざったいほどの笑顔を見せ、
「それじゃあ、次は汐ちゃんの番だよ。ガンバ!」
「やらないから」
「え? しないの?」
「お金がないなら貸しますよ」
「そういう問題じゃなくて、単純に欲しい物がないからいいってこと」
今の心境でゲームに熱中できるほど私の精神は強くない。
それよりも早くこの催し物から逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。けど、それを口に出したところで叶わないだろうし、私の一存で楽しさに水を差すのは正しくない。
「他の屋台も見て回るんでしょ。同じ場所でぐずぐずしてると、さらに人が増えて体験できなくなるかもしれないし、花火の時間に間に合わなくなるわよ」
「んー…………まぁ、それもそうだね。汐ちゃんがいいなら別の屋台に行こっか」
気持ちが顔に出てしまっていただろうか、意外にもチトは素直に引き下がった。




