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恋がしたい

 一年一組の担任の先生として教室に入ってきたのは受験当日のあの日、ショッピングモールの駐車場で僕らに声をかけてくれた先生だった。名前は須藤博和(すどうひろかず)といい、教科は社会科、野球部の監督ということまで自己紹介をしたところで入学式のため僕らは体育館に移動することとなった。


 入学式は僕ら新入生は当然のこと、保護者や在校生も入り、さらには西高が母校で地元選出の国会議員も来賓として参列している。小中学校のときも議員は来ていたがほとんどは代理の人だったため印象に残らなかったが、今回は本人が直々に参列していた。


 またもや地元のテレビ局や新聞社も数多く入り、小中学校のときとは規模も注目度も違うことを新入生は痛感させられる。生徒会長として在校生代表の挨拶をしたのは合格発表の日に冷泉先輩の定期券を拾い、合格者を胴上げする集団の中心人物だった熱田先輩だった。あの人は野球部だったと思うが生徒会長もやっているなんてバイタリティの塊だなと思う。


 式終了後、教室に戻り提出書類や配布書類の整理が終わると、全員が自己紹介をする流れとなった。


「これから皆には自己紹介をしてもらう。下校の時間の目安はあと一時間くらいだから三十五人いるから一人あたり一分ちょっとだな。まああくまで目安だからあまりに長くならなければいくらしゃべっても構わん。自分はこういう人間だと、ぜひ皆の記憶に残るような自己紹介をして欲しい。第一印象で君たちの高校生活は大きく変わることになる可能性が高いから真剣にな。内容は基本自由だが、自分の名前と出身中学、あと高校で一番頑張りたいことは必ず話すように」


 須藤先生が指示を出すと皆真剣に考えだした。ただの自己紹介、されど自己紹介。些細なことにも本気で取り組むのが西高生だと来賓の国会議員の人も言っていたのを覚えている。


「全員が何か発表する場面は今後何回もあることだろう。おそらくそのたびに出席番号一番からになるだろうから、今回は最後から始めようか」


 少し教室がざわつく。皆一番から始まることだと思っていたのだろう。まだ何を話すか決まっていない僕としては嬉しい話だが、大トリというのも緊張する。僕の自己紹介で今日のクラスが締められると思うと責任重大だ。


 三十五番の渡辺さんから自己紹介が始まる。皆緊張しているからなのか無難のものが続き、いよいよ三十番の三春さんの番になった。動画騒動やその容姿で三春さんはすでに一番の注目株となっていて何を話すのか教室中の期待が高まる。先生は教室の前の出入り口の扉近く、つまり僕のすぐ前に椅子を置いて見守っており、自己紹介をする生徒は黒板と教卓の間に立って話すことになっている。


「三春心、二中出身です……」


 中学時代は陸上部で長距離をやっていたこととか、漫画や小説は読むけれどシリアスすぎるものは苦手で、楽しい話とか恋愛物が好きなこととかを話して約一分が過ぎた。


「えっと、最後に高校で頑張りたいことは……」


 今までまっすぐ前向いて堂々と話していた三春さんがうつむいた。下唇を噛んで何かを決意して、再び前を見る。静寂の中、はっきりと皆に聞こえるように言った。


「高校では、恋がしたいです」


 そのまま一礼して自分の席に戻っていく。教室中の皆、何が起きたのか理解できずにフリーズしている。先生でさえも目を丸くして口を開けたままだ。僕もまた、衝撃で胸を締め付けられる。


 やがて時が動き出し、教室の中がざわつきだす。一年生の女子の中で人気暫定一位の三春さんが恋がしたいなんて言い出せば無理もない。今までの五人は勉強とか勉強と部活の両立とか真面目なことを言っていたのに急に恋だなんて、皆少しずつ緊張が解けて教室の雰囲気がガラッと変わってしまった。


「増子幸です。二中出身で、高校では美味しいものをいっぱい食べられるように頑張ります」


 次の増子さんは行き帰りの移動の方が時間がかかっているくらいあっという間に自己紹介を終えた。そのとんちきな自己紹介に教室は大笑いに包まれる。皆笑顔になって完全に緊張が解けて、楽しくて暖かい雰囲気になる。先生も増子さんも三春さんも笑顔だ。


 もしかして二人で狙ったのだろうか。固い雰囲気を崩すために順番が連続であることを利用したのか。二人の方を見ると三春さんと目が合った。どこか挑発的な目線。最後は任せたよとでも言いたげだ。頷いて教卓の方に向き直り、気の利いたことを言うためにもう一度考え直す。

 

 正直真面目なことしか考えていなかったので今の教室の雰囲気を考えたら大喜利と化した高校で頑張りたいことは気合を入れて考えなければならない。


「西本尊琉です。二中出身です」


 尊琉の順番になった。無難な自己紹介が続く。


「高校で頑張りたいことは……実家の喫茶にしもとをお客さんでいっぱいにすることです! これどうぞ!」


 尊琉はブレザーの内ポケットから見たことがある紙を大量に取り出し配り始める。『コーヒー無料券 喫茶にしもと』と書かれたそのチケットは先生を含めたクラスメイト全員の手に渡った。


「皆家族や友達と一緒に来てくれ、よろしく!」


 皆に手を振って自分の席に戻る尊琉。皆手を振り返していてあっという間にクラスの中心になった。コーヒーが苦手な人もいるだろうし、電車通学の人は遠くてお店に行けないだろう。それでも皆の心をがっちりと掴んでいるのはすごいと思う。僕も負けていられない。


 とはいえ、僕はもともと人前で目立つことをやったりすることより裏でコツコツ頑張っている方が得意だ。皆の心を掴む言葉は思い浮かびそうで思い浮かばない。


 僕の出番が近づいてくる。勉強、部活、遊び、恋、皆色々なことを頑張りたいと言っていた。


 そこでようやく気がついた。それらをまとめた言葉があったじゃないか。最後のまとめとしてはこの言葉がふさわしい。


「安相類、一中出身です」


 余計なことは言わない。シンプルでいい。息を吸って、昂る気持ちを落ち着かせて三春さんを見つめて言った。これは告白ではなく決意表明。


「高校では、青春がしたいです」


 青臭い、あまりにも。大人になって振り返ったらきっと恥ずかしくて悶えてしまうだろう。でもこの雰囲気なら言える。今なら恥ずかしくない。青臭いことを堂々と言えるのも青春だからこそ。教室はまあまあの盛り上がりで、自己紹介の時間が終わった。


 翌日、昨日の自己紹介をちょっと恥ずかしいと思いながら登校したが教室に変わった様子はない、ことはなかった。朝、早速三春さんに告白して撃沈した勇者がいるらしく、クラスの男子ほとんどに囲まれて慰められていた。泣いていたり困っている人は助けたいと思っているが、自業自得の人は助ける対象にはならない。


 昨日解散となった後、僕は車で帰ったし、家に着いたらすでに自己紹介を恥ずかしく思っていたので三春さんに連絡する気にもなれず話す機会はなかった。三春さんは増子さんと談笑している。もう見慣れた光景だ。


「おはよう。三春さん、増子さん」


「あ、青春盛り上げ隊長だ。おはよう」

 

「おはよう類君。ちょっとさっちゃん、やめようよ、変なあだ名定着させたら可哀そうだよ」


「え、何それ。定着ってことはすでに少しは広がってるの?」


 すでにメッセージアプリでクラスの女子グループが出来上がっており、僕の自己紹介を受けてクラスの目標を『青春する』に決めようということになったらしい。そして僕が番長という名のリーダーになってしまったようだ。


「ひどいよ。元はと言えば二人があんな流れにしたからなのに」


 二人とも顔を見合わせて何のことやらという顔をしている。


「私たちは思ったこと言っただけだよね? 心」


「うん。そしたら偶然あんな感じになったから、類君に締めをお願いしただけ」


 ということは恋をしたいというのは本音も本音。そして僕の方を向くのはやめて欲しい。意識してしまってドキドキする。


「あ,朝というかさっきその、あそこの人だかりの中にいる人に……」


「うん……あまり綺麗じゃなかったから」


 そう言って三春さんは僕の目を見つめる。大きくて綺麗な目が少しだけ微笑んでいて細まっている。他の人の告白を断った報告の後にそんな目で見ないで欲しい。僕のことを好きなんじゃないかと勘違いしてしまう。


 尊琉の話からして名前で呼ばれているということはどちらかと言えば好き寄りなのだとは思うが、たとえそうだとしても僕はまだこの気持ちを伝えることはできない。三春さんのことをまだ知らな過ぎて、抱えている何かを必要なら助けてあげたいと思っていて、それができてからでないと無責任だと思う。だから今は、少しずつ仲良くなって、少しずつ色々知っていけたらと思う。その過程もまた青春だろう。


 そしてまた、三春さんの謎は増える。


 午前中から早速始まった授業を終えて昼休みになり、僕は尊琉となんとなく仲良くなった他二人の男子と一緒に僕の席の周りで弁当を食べている。


 三春さんの席に目を向けると、増子さんが後ろを向いて三春さんと向き合って弁当を食べている。その様子は美味しいものをいっぱい食べると言っていた目標通りとても幸せそうだ。そして三春さんは机の上に紙パックの紅茶だけを出していて食べ物は何も用意せず、幸せそうな増子さんを幸せそうに見つめている。


「三春ってほとんど飯食わないんだよ。小学校からそうだったらしい。中学の給食はほぼすべて幸にやってた」


 尊琉が僕の視線に気づき教えてくれた。 


「それであのスタイルってやばくね」


「身長もそうだし他も色々でかいしな」


 一緒に昼ご飯を食べている二人の言うことはもっともだ。三春さんはとてもじゃないがご飯を抜いている人の体型には見えない。不健康そうな印象も全くない。


「昼食べないだけで、朝と夜食べてるんじゃないの?」


「いや、修学旅行のときも三食ほとんど食べずに幸にやってたし、うちの店に来たときもコーヒーとかの飲み物だけであとは幸が食ってるのを見てるだけ。あ、でも珍しいスイーツとかは食べてたから食べられないわけじゃないんだよな」


 普通の人間が食事をしないで生きていけるわけがない。きっと何か事情があって自宅でしか食事をしないだけだろうという結論になった。


 昼休みが終わると、午後はクラスの役割などを決める時間となった。僕らのクラスには一般入試でトップの成績で合格したいわゆる主席合格の人がいて、その人がクラス委員長を務めることになった。副委員長なども順調に決まり、その他の係となる。


「まずはこれを決めなきゃならんな。皆もう知っていると思うが西高では毎年六月に文化祭がある。校外からもお客さんを招き、ゲストも呼ぶ予定もある。西高最大の行事だ。三年生の受験勉強に配慮して、多くの競技のインターハイ県予選が終了している六月三週目の金曜と土曜の二日間開催。金曜はうちの生徒だけだが土曜は一般公開となる。近隣の小中学校にも入場用のチケットを配るから大勢の来客がある。一年生は慣れていないことも多い上、準備期間が少ない。そこで中心となる文化祭実行委員は重要だ。四名、できれば男女混合が良い。誰かやりたい奴はいないか?」


 担任の須藤先生が文化祭の概要を説明し、実行委員の重要さを熱弁する。先生は西高出身で赴任四年目。生徒と教員で六回の文化祭を経験し、大学生になっても遊びに来ていたからどれほど西高の文化祭が力が入っていて素晴らしいか分かっているようだ。そう言われると皆自信がなくなって実行委員をやりたくなくなってしまうものだ。


「はい! 俺やりたいです」


 皆が何となく遠慮している空気の中、手を挙げたのは尊琉だ。


「やっぱ青春だよな、こういうのって」


 そう言って僕の方を見る。皆の視線も僕の方に集まる。皆昨日の自己紹介を思い出し、青春と言えば僕しかいないという雰囲気になった。尊琉となら面白いことを考えられそうだし別に嫌ではない。嫌ではないが男女混合で四名ということはあと二人は女子の方が良いわけで、ちょうど仲良くなった女子が二人いたと思うと一緒にできたらとは思う。


「そういや、他にも青春っぽいこと言ってたやつがいたよな。文化祭で恋とか定番だよな」


 皆の視線が今度は三春さんに集まる。尊琉だけは僕の方を見て右手をグーにして突き出し、親指を立てた。なるほど、協力してくれるというのはこういうことか。


「やります!」


「私も、やります」


「私も!」 


 こうして、僕と尊琉、三春さんと増子さんの四人が文化祭実行委員となった。


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