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神様は微笑んだ

 長いようで短かった春休みも終わり、入学式当日の朝となった。クラスはホームページには掲載されず昇降口に貼られているのみらしく、登校しないと分からない。


 八クラスあってどのクラスになる確率も等しいとき特定の二人が同じクラスになる確率はどれくらいだったかと課題で勉強した数学の問題に置き換えて考えてみたりもしたが、二分の一を下回りそうなので計算するのをやめて、なるかならないかの二分の一だと考えることにした。数学的には間違っているだろうが、精神的には楽になる。


 自宅を出ようとするとスマートフォンが鳴った。誰かからメッセージが届いた音だ。


『おはよう! 今日からいよいよ高校始まるね。クラスどうなるか緊張しちゃうけど類君はどう?』


 三春さんからだ。文面を見るだけでにやにやしてしまう気持ちを抑えて返信を考える。


『全然緊張してないよ。どんなクラスでも頑張る』


 なんて格好つけて送ろうと思ったが、増子さんの言葉を思い出す。三春さんは嘘が嫌いだった。全部消して打ち直した。


『緊張してるよ。同じ中学で仲良かった人ほとんどいないから、』


 ここまで打って手が止まった。仲良かった人ほとんどいないから、なんだ。この先に来る文面は思いついていたが書くのが恥ずかしい。み、という文字を入力してもこの先に書きたい言葉はまだ予測変換には出てこない。は、と入力しては照れ臭くなって消してしまう。このままでも読点を消せば文としてはおかしくないが、思っていることを書かないのも誤魔化しではないかとしばらく自問自答した結果、書くことにした。


『緊張してるよ。同じ中学で仲良かった人ほとんどいないから、三春さんと同じクラスになれたら嬉しい』


 送信した。


『私も類君と同じクラスだと嬉しい』


『忙しい朝にごめんね。また学校で会おうね』


 続けざまに二通のメッセージか来た。スマホの画面を見て、かみしめた。これが青春というものなのか。


 学校で会おうという旨のメッセージを返して車に乗り込む。入学式に出席するために両親ともに仕事を休んでいて車で一緒に行くことになっていた。僕がにやにやしながら車に乗るものだから助手席の母さんは不思議そうな顔で「良いことでもあったの?」と聞いてきたので「うん」と素直に返した。今までだったら適当に誤魔化していたかもしれないが、三春さんが嘘は嫌いだということを意識すると三春さん以外に対しても嘘は当然として、誤魔化しもしないようになる。


 僕は三春さんとメッセージのやり取りをしたスマホの画面を見つめながら父さんの運転する車に揺られ、学校へと向かった。


 学校に到着し、車を近くの駐車場に停めてくるという父さんと母さんと別れて昇降口に向かう。運命の瞬間が近づいていると思うと緊張感が高まってくる。別に同じクラスでなくても話をしたりはできるし、連絡先も知っているのだから大きな問題はない。ただそれはマイナスがないというだけで、行事や普段の授業での色々な交流というとてつもなく大きなプラスもない。 


 神様どうか同じクラスにしてください、二分の一、二分の一と数学の神様には怒られそうな神頼みをして昇降口のクラスが書かれた張り紙の前に立つ。名簿は出席番号順に上から名前が書かれていて、番号は五十音順だから苗字が安相の僕は大体一番上にいる。まずは上の方を一組から見ていこうとするといきなり見つけた。


『一年一組一番 安相類』


 一度大きく深呼吸した。まさかいきなり見つかるとは思ってもいなくて余計に緊張してしまう。意を決して一組の名簿を下に見ていく。か行とさ行とかは申し訳ないがすっ飛ばして、は行あたりまで来た。


西本、橋本、橋本、樋口、平井、本田、増子、三春、武藤、……。


『一年一組三十番 三春心』


 どうやら数学の神様は今回だけは間違いを見逃してくれたらしい。何度見返しても僕の名前も、三春さんの名前も一組にある。念のため同姓同名がいないか他のクラスも全て確認したがいない。


 成し遂げた。まだ高校に入学してすらいないのに。天にも昇るような気持ち、正直合格発表のときよりも嬉しい。さすがに周りの目もあったので叫んだりガッツポーズをしたい衝動は何とか抑えたが、心の中で小さな僕が飛び跳ねて喜んでいる。


 西高は主に生徒の教室がある三階建ての新校舎と職員室や校長室、理科実験室、音楽室などがある四階建ての旧校舎がある。一年一組の教室は旧校舎の端っこにある昇降口から一番遠い新校舎三階の一番奥。

 

 三春さんはもう来ているだろうか。何を話そうか。喫茶にしもとに誘ってみるのもいいが、もう増子さんと行ってしまったかもしれない。色々と考えながら昇降口近くの階段を上って目線を左に変えると、一年生の教室がすべて見渡せる一直線の廊下に出る。


 僕らの一組がある廊下の一番奥の方に何やら人だかりができているのが見える。近づきながら様子を見ると人だかりは皆一組の教室の中を覗いている。教室の前までやってくると制服のブレザーにつけられた校章に注目することができて、西高がある街の花であるなんとかという花と進学校らしいペンがあしらわれた校章の淵の色が良く見える。三色のどの色もある。色は学年ごとに違って今年の一年生は青、二年生は緑、三年生は赤だ。本当は瑠璃色、萌葱色、茜色らしいが夏休みに学校説明会に来たときに先輩が青、緑、赤と説明していたので生徒の中ではそうなっているようだ。


「すみません、僕このクラスなので通してください」


 人だかりをなんとかかき分けて後ろ側の出入り口から教室に入ると、僕の目線も自然と人だかりの目線の方へ向く。


 窓側から見て二列目の一番後ろの席に座って、窓から外を見ている三春さんがいた。気のせいなのだろうけれど、三春さんの周りだけ空気が澄んでいて別世界のようにも見える。体の向きは教室の前方を向いていて顔だけ窓の方に向いているから、横顔よりもさらに厳しい角度でしか顔は見えないが、今までとは違って長い髪をまとめてポニーテールにしているおかげではっきりと見える耳の形とか、そこにかけられた赤色の眼鏡のつるとか、顔のラインを見ているだけでも僕は癒されて同じクラスにしてくれた神様に心の中で何度もお礼を言った。


「類君?」


 三春さんはこちらを見ずに僕が来たことに気づいた。心でも読まれたか。


「うん、おはよう三春さん。同じクラスで良かった」


「おはよう。私も嬉しいよ。それにさっちゃんも同じクラスで前の席なの。今はお手洗いに行っているけど」


 三春さんは頑なに僕の方を見てくれない。


「三春さんって眼鏡なんだ。視力良くないの?」


「少しね。普段はかけないけど勉強したり本を読んだりするときはかける」


 今は勉強もしていないし本も読んでいないが、そういう気分なのだろうか。


「髪も今日は縛っているんだね」


「運動するときとかはね。やっぱり邪魔になっちゃうから」


 今は運動はしていないが、そういう気分なのだろうか。


「ところで、どうしてこっちを向いてくれないの?」


「え、そ、それは……」


 よく見ると三春さんの耳や頬の部分がほんのりと赤くなっている。


「恥ずかしいんだよね。心」


 いつの間にか隣にいた増子さんが三春さんに声をかけた。そして僕にも挨拶をしてくれた。


「おはよう類君」


「増子さん、おはよう。あの、いったいどういう状況なの? 廊下の人だかりもそうだけど何か知ってる?」


「あー類君ってSNSとかやらない人?」


「一応見る用のアカウントは持ってるけど最近は全然見てないかな」


「心どうする? 見せる? まあ今見せなくてもどうせ学校のほとんどの人が知ってるからいつか類君も見ることになるだろうけど」


「え、う、うん。そうだよね。だったら今の方がいいかも。恥ずかしいのはいっきに終わらせちゃった方がいいし……」


「じゃあ類君、アカウントがあるなら『♯春から西高』で検索してみてよ」


 言われた通りに検索すると動画付きの投稿がすぐに見えた。サムネイルには西高の校舎と大勢の人が見える。再生してみると合格発表の日の地方のニュース番組の切り抜きの動画だった。


『今日は県立高校の合格発表日ということで西高校に来ています。ご覧ください、難関校の合格をつかみ取って大喜びしている受験生がいます』


 リポーターの誘導でカメラが受験生の方に向けられる。そこには増子さんを抱き上げて、飛び切りの笑顔でくるくると回転する三春さんの姿がはっきりと映っていた。それはもうはっきりと、三春さんのことを知っている人なら確実に三春さんだと分かるくらいに。カメラのピントは完全に三春さんに合わせられていて、たった十五秒ほどの動画だが三春さんの可愛さがしっかり伝わる良い動画だと思う。


 出入口の人だかりの方を見て会話を聞いてみると、皆この動画を見ながら「可愛い」とか「絵になる」とか「実物もめちゃくちゃ可愛い」とか三春さんを褒めたたえる言葉を発していた。


「なるほど、それで恥ずかしくて出入口の方から顔をできるだけ逸らしていたんだね」


「うう」


「もしかして眼鏡をしてたり、髪を縛っているのは変装のつもり? もうばれてるから意味ないと思うけど……」


「う」


 僕が指摘するたびに三春さんがうめき声をあげながら体をびくっとさせて、顔がどんどん真っ赤になっていく。その様子が可愛くてやめられない。


「類君、もうやめたげてよ。心が茹でだこになっちゃう」


「ごめんごめん、可愛くてつい」


「可愛い? 動画が? 今の私が?」


 可愛いという言葉に三春さんが反応してこちらを少し向いた。眼鏡の隙間から見えるわずかな目線ですら可愛いと思う。嘘や誤魔化しはいらない。思ったことをそのまま伝える。


「どっちも」


「素直だね。そういうの、すごく良いと思う」


 三春さんはそう言うと眼鏡を外して、髪を縛っていたゴムも外し、今まで通りの三春さんになって僕と増子さんに向き合った。


「心、もう平気?」


「うん。もう十分堪能したし、類君に辱められるよりは全然平気」


「え、そんなつもりじゃ……」


「ふふ、冗談。あ、私もお手洗いに行ってくるね」


 すっかり立ち直った三春さんは人だかりを堂々と突き抜けて廊下に出て行った。人だかりもいつの間にか大人しくなっていて、三春さんが廊下に出ると同時に解散してそれぞれの場所に戻っていった。教室は先ほどまでの騒ぎは何だったのかというほどの静寂に包まれる。何が起きたのか全く理解できないが増子さんは僕の隣で平然としている。


「あの、ほんとに大丈夫なの? それに堪能したって……わざと?」


「いやいや本当に恥ずかしがってはいたよ……意味はそのうちきっと分かるよ。たぶん。類君なら分かると思う」


 愛嬌の良い笑顔で増子さんが言った。どうやら三春さんと増子さんの間だけに共有されている秘密があるようだがそれを知るには僕はまだ親密さが足りないみたいだ。


 

 荷物を置きに廊下側の一番前の自分の席に行くと近くで一人の男子生徒が待っていた。茶髪にパーマな髪型で黒縁の眼鏡をかけていて細身で長身、中学生までなら生徒指導の先生から雷が落ちていたであろう風貌にぎょっとしたが、入学前課題と一緒にもらっていた校則一覧には染髪や髪の加工は駄目とは書いていなかったし、合格発表のときや先ほどの人だかりの中にいた先輩の中にも髪を染めている人はいた。これが自由な校風かと改めて感心する。


「安相類君だよな?」


「うん」


 そのちょっとチャラそうな男子生徒が声をかけてきた。校章の淵は瑠璃色でこの教室にいるということはクラスメイトだろう。その男子は突然頭を下げた。


「ありがとう! 翔琉(かける)を助けてくれて、本当に」


 頭を下げたまま顔だけ僕の顔の方に向けて両手を握られた。


「俺、自分のことでいっぱいいっぱいで気が回らなくて、母ちゃんが気づいてるもんだと思って、君がいなかったら翔琉がどうなっていたか……なんとお礼したら」


 翔琉君は兄の応援のために車を降りたと言っていた。その兄というのがこの人だ。見た目に反して礼儀正しくて義理堅い人なのかもしれない。


「えっと、西本君だよね? お礼ならもういいよ。お母さんからもらってるから。顔も上げてよ」


「あ、そうなの。でもほんとにありがとな」


 西本君は顔を上げると気のいい笑顔で僕と顔を合わせた。翔琉くんとは十歳くらいは離れているはずだがなんとなく面影があるような気がする。


西本尊琉(にしもとたける))な。尊敬の尊に琉球の琉。尊琉でいいよ、俺も類って呼ぶからさ。よろしく」


「うん、よろしく尊琉。あ、それよりお礼は僕より三春さんにした方がいいかも。泣き止ませて安心させてくれたのは三春さんだし、窓から二列目の一番後ろの席、もうすぐ戻ってくるから」


「ああそれはいいんだ。俺、同じ中学出身で、会う機会があったからそのときに言っておいた……ずいぶん仲良さそうだったけど、やっぱ惚れた?」


「え、い、いやまあ、うん」


 不安がよぎった。同じ中学出身ということは僕が知らない三春さんの情報をたくさん知っているということだ。もし「実は俺の彼女なんだ」とか「中学から付き合ってる彼氏いるぜ」とか言われたらどうしよう。


「分かるぜ。顔も良いし、スタイルも良いし、性格もまあ基本的には良いし、勉強も運動もできるし、男なら一度は好きになるよな。ちなみに俺は中二の頃に告って振られた」


「あ、それは……ご愁傷様」


 三春さんが教室に戻ってきた。それを見て尊琉は僕に顔を近づけて周りに聞こえないような小さな声で話し出す。


「中学三年間で延べ五十人は振ったっていう噂もある。まああくまで噂だけどな」


「そんなに……延べってことは複数回チャレンジした人もいるんだ。それより性格が基本的には良いってどういうこと? 悪いときもあるってこと?」


 尊琉は僕のことをしゃがませ、自分もしゃがみこんだ。もはや教室から完全に気配を消したつもりだ。極めて小さなささやき声で教えてくれた。


「三春は人間関係にしっかり境目を設けてる感じがする。最上位はさっちゃん、増子幸な。あだ名で呼ぶのはあいつだけだしいつも一緒だからすぐ分かる。めちゃくちゃ仲が良くて微笑ましいくらいだ。次が名前で呼ぶ連中。幸の次に仲が良い、ある意味で特別扱いだが中学の男子ではいなくなった」


「いなくなった?」


「俺が男子では唯一そうだったんだが振られたときに苗字呼びに格下げになった。多分、私のどこが一番好き? って聞かれて胸って答えたからだと思う……おいそんな顔するな、テンパってついいつも見ていたところを言っちゃったんだからしょうがないだろ」


 僕なら何と答えるだろうか。全部ではあるのだがその中でも一番を決めるのなら、翔琉君を泣き止ませたときのあの雰囲気というか空気感というか、そういうところだろう。今はうまく言葉にできないけれどいつかそのときが来るまでにちゃんと考えておこう。


「苗字呼びまでがとりあえず普通の関係。友達とは言えないかものライン。その下は苗字すら呼ばない。必要なとき以外声もかけない。近づきもしない。多分視界に入っていない」


「基準は何かあるの?」


「正確には分からないが多分性格が良いか否かだと思う、自分で言うのもなんだけど。ああでも性格良さそうな女子の中にも苗字で呼ばれてたやつがいたから実際のところは分からん。ま、とにかく今の類は名前で呼ばれてるんだからチャンス大ありだと思うぞ。頑張れよ、翔琉のお礼に協力するからさ。じゃ」


 そろそろ担任の先生が来るということで尊琉は自分の席に戻っていった。増子さんの右斜め前の席、尊琉を見ると三春さんの姿も見えた。増子さんと楽しそうに談笑している。


 三春さんと話して、増子さんと話して、尊琉と話して、三春さんのことが少しずつ分かってきた。ただの優しくて可愛い人じゃない。なんだか不思議で神秘的な部分があるし、人間関係において何か抱えているものもありそうだ。それはきっと簡単な事情ではないだろうし、三春さんが何か困難を抱えているのであれば助けたいと思う。




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