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雪の日、女神のように

 泣いているあの子を無視した。

 あの子とは二度と会うことができなくなった。

 まっすぐで優しい人になりたい。

 話を聞いただけで人を癒せるようになりたい。


 この日は三月にしては珍しく大雪だった。もともと三月になってもたまに積雪がある地域とはいえ、最近は降る気配すらなかったので油断していた。それは僕らに限らず大勢の人が同じだったようで高校入試の会場に向かう車の列は両車線ともに大渋滞を引き起こしていた。


 受験会場である県立西高校はもう見えているというのに、会場への入室時間の期限が近づいてきても一向に車列は動かない。インターネットを漁ってみて分かったがこの先で追突事故が起きているそうだ。


「三月になって安心して冬タイヤから切り替えちゃったのかねぇ。雪の少ない地域から越してきた人だとやりがちだよねぇ」


 助手席で僕と同じくスマホでネットニュースを見ていた母さんが心配そうに呟いた。


(るい)、車じゃ無理だ。降りて走りなさい」


 運転席の父さんがミラー越しに僕に言う。この様子では入室時間に絶対に間に合わない。


 僕は忘れないうちにスマホの電源を落とし、車から降りて西高校までの三、四百メートルほどの道のりを走った。普段ならなんてことない距離だが歩道にも雪が積もっていて走りにくい。同じことを考えている受験生はたくさんいて、さながら試験問題の前に会場にたどり着けるかの試験をされているかのようだった。


 なんとか会場への入室時間の期限十五分前には西高の校門までたどり着くことができた。夏休みに学校見学に来ていて試験が行われる部屋までのルートは覚えているし、学校の敷地内は高校の先生たちが今も雪かきを続けていて昇降口までの道がしっかり確保されているので迷う心配も手間取る心配もない。一安心して校門をくぐろうとしたとき、かすかに何かが聞こえた気がした。誰かの泣き声のようだった。


 渋滞する車道を挟んだ反対側には市内でも大きめのショッピングモールがあり、車道に面した駐車場から声が聞こえる。これから大事な試験だというのに僕は気になって(きびす)を返し、渋滞している車の間からショッピングモールの駐車場を覗いてみると、そこには一人で泣いている男の子がいた。おそらく小学生にもなっていない四歳か五歳くらいの幼稚園児だろう。


 渋滞でどうせ車は動かないのだからと車道を堂々と横切って男の子のもとまで駆け寄り声をかけた。


「君、どうしたの? 一人? お母さんやお父さんは?」


「うぇええええん! うわああああん」


 男の子は泣きじゃくっていて話ができない。心配で駆け寄ったのはいいものの、あいにく小さい子をあやすテクニックは持ち合わせていない。入室時間の期限が刻一刻と迫るが泣いている子を放ってはおけない。見捨てるという選択肢は僕にはなく、かといって周りには他に頼れそうな人もいない。


「大丈夫だよ。僕がそばにいるからね」


 できる限り優しい言葉をかけても男の子は泣き止むことはなかった。それでも僕はこの子のそばに居続けた。どんなに話しかけても僕の言葉は届かなかった。


 入室時間の期限まであと五分となったとき、車道の方から誰かがこちらに向かって早足で歩いてきた。


「君、どうしたの? 受験生じゃないの? もう行かないと」


 雪のように白い肌、それとの対比が美しい艶やかで長い黒髪は胸や背中辺りまであって、鼻筋はすっと綺麗で、潤いのありそうな唇、寒さのせいで少し赤らんだ頬までもが彼女を彩る要素となる可愛いとも美人とも言えそうな顔立ちの女の子が僕らの方に歩み寄ってきた。どこかの中学校の制服と思われるスカートをはいているが、上半身は厚手の白いコートを着ているのでどこの制服かまでは分からない。


 困り果てていた僕と泣いている男の子を救うために雪の中からやってきた美しい女神のようで、試験のこととか、男の子のこととか忘れて見惚れてしまった。


「君は西高の受験生だよね? もうすぐ時間だよ」


「あ、いや、実は先月の推薦入試で受かってて今日は友達の応援に来ただけなんだ」


 とっさに嘘をついてしまった。彼女に余計な心配をかけさせたくないというつまらない見栄だ。それは簡単に看破された。


「嘘、私には分かる。君は嘘をついている」


「どうして……まあ、そうだけど、でも泣いているこの子を放っておけないんだ」


「放っておけないって気持ちは本当みたいだけど、でもいいの? 今すぐ行かないと間に合わないよ?」


「いいんだ。もう私立に受かってるし、もともと合格率は半々くらいだったから。この子を置いていく方が後悔する」


 都会の方の進学校は私立が優勢という話を聞いたことがあるが、僕らの住む地方の県では断然公立の方がレベルが高く、私立は滑り止めという風潮が強い。西高は県内トップの進学校だが、校則もゆるく自由な校風で学校行事も楽しそうだったから志望した。


 僕の成績ではぎりぎりというところだったがレベルを一つ落とした南高は、校則が厳しく行事も厳格なものばかりだと聞いていたので無理をしてでも西高を受験した。彼女とやり取りしている間に入室期限の合図と思われるチャイムが鳴り響いたため、今となってはもうどうでもいい話ではある。


「なんて綺麗な……」


「え?」


「ううん、なんでもない。ね、僕? どうしたのかな? お姉ちゃんとお話ししよっか?」


 彼女は僕を見て何かを言いかけたが、すぐに男の子の方に向き直って優しく言葉をかけた。


 僕では全然駄目だったのに、不思議なことに男の子はみるみるうちに泣き止んでしまい、この事態に至った経緯を彼女に話している。


 ただ目を見て話しているだけなのに、男の子の悲しみとか不安とかがすぱっと消えてしまっているように見える。


「すごい」


「ん?」


 つい言葉が漏れて彼女がこちらを見た。目が合うとドキドキしてしまうくらい整った顔をしているが、僕はそれ以上に彼女の内面に心が引き寄せられた。優しくて、話しているだけで癒されて、そんな人に僕もなりたいと思っていた。僕の心の中に何か熱いものがこみあげてきて男の子をあやしながら話を聞いている彼女を見ていたいのに恥ずかしくなって見ていられない。でも見ていたいから目線を向けると、彼女もときどき僕の方を見て安心するように笑いかけるので、余計にどぎまぎしてしまう。


 男の子と彼女の会話をまとめるとこうだ。男の子には西高を受験する兄がいて、母親の運転する車で送ってもらっており、その車に男の子も乗っていた。ショッピングモールの駐車場で兄は降りたが男の子は兄を応援するためにこっそりと一緒に車を降りてしまい、母親はそのことに気づかずに行ってしまったとのこと。

 

 早めの時間に出ていたようなのでまだそこまで渋滞はひどくなかったはず。母親が気づくまでに車は結構な距離を進んでしまっているだろう。そして今になってこの大渋滞だと戻ってくるのにも一苦労で時間がかかりそうだ。


 母親が戻ってくるのを一緒に待つことになって、雪の当たらないところを探すと、この駐車場にはおあつらえ向きに歩行者用の通路に屋根がかかっていたのでそこまで移動して待つことにした。

 

 彼女は男の子と手を繋いで一緒に歩いた。男の子はすっかり笑顔になっている。

 

 本当に女神のような力を持った人だと思った。男の子はもちろん、僕まで嫌な気持ちが消えていくような感覚がして、こんな人と高校生活を過ごせたら最高だろうなと思う。


 そういえば彼女がなぜここにいたのか聞いていない。僕と同じ西高の受験生ではないのだろうか。


「あの、君は……」


「私は三春(みはる)(こころ)。三つの春にハートの心。君は?」


「あ、僕は安相類(あそうるい)。安全な、相手の、種類で……?」


 三春さんの説明よりも大分たどたどしくなってしまった。


「あそうるい、あそうるい。そうる、魂が愛に囲まれていて良い名前だね」


 三春さんが優しく微笑みながら名前を褒めてくれた。小中学校のときは「そうる」と呼ばれるのが恥ずかしいと感じるときもあったが、三春さんに呼ばれると何だか照れくさいし、愛に囲まれているなんて付け加えられたことは今まで一度もなかったのでめちゃくちゃ嬉しい。


「僕は西本かける! 西にある本って書くんだよ」


 男の子、かける君が負けじと自己紹介をして、積もった雪の上に指で西本かけると書いた。


「お、そっかー。かける君もう漢字分かるなんてすごいねー。かけるの方はどういう漢字書くのかな?」


「んーまだ書けない!」


「んーじゃあこんなかなあ?」


 三春さんはかける君の頭を優しくなでながら『かける』と読みそうな漢字をいっぱい雪の上に書き始めた。なかなか当たらなかったが『翔琉』と書いたところでかける君が「それ!」と嬉しそうに答えた。そんな微笑ましいやり取りを眺めていると駐車場に一人の男性が歩いてくるのが見えた。あの人は確か西高の校門近くで雪かきをしていた人だ。


「おーい君たち。そこで何をしているんだ? 泣いている男の子がいるって話を聞いて来てみたんだが、君たち中学生だろう? うちの受験生じゃないのか?」


 四十代くらいのがっちりとした体格でしっかりと日焼けをした先生は僕らを見て尋ねた。


「私は推薦で受かっていて、今日は友達の応援に来ただけなんです。でも彼は受験生で、泣いていたこの子を放っておけなくて私と一緒に付き添ってくれて。あの、時間が過ぎているのは分かりますけどどうにかなりませんか?」


 三春さんは僕のために頭を下げた。


 なんて優しいんだ。今会ったばかりの僕のために無茶なお願いをしてくれるなんて。諦めていた心に再び火が灯ったような感覚がして、同時に僕は三春さんに否応もなく惹かれていることを自覚した。性格も容姿も何もかもが僕の理想的な人で、僕の心を全部持っていった。


「あーそのことなんだが、この雪で電車が遅延していてな、試験開始を一時間遅らせることになったんだ。それにそういう事情なら君の入室も認めるから今すぐに学校に行きなさい。受付の教員に電話で事情を話しておくから。ああ、受かっている君は残ってくれ、事情を詳しく聞きたい」


 三春さんと僕は顔を見合わせた。三春さんは自分のことのように笑顔で喜んでくれている。その笑顔を見るだけで頑張れる気がする。


「頑張って、類君。一緒に同じ高校行こうね」


「頑張れ、そうる兄ちゃん!」


 去り際に三春さんとかける君が応援してくれた。一緒の高校ということは三春さんは西高に推薦で受かっていることになる。僕らが住む県での県立高校入試は二月上旬の推薦入試と三月上旬の一般入試がある。今日行われる一般入試はほぼ学力試験による勝負だが推薦入試は面接や小論文試験に加えて部活動や生徒会活動、評定など中学校生活の全てを見られて総合的に合否の判断が下される。しかも西高のような進学校だと学校独自に学力試験があったりもする。難易度が高すぎるため僕はそもそも推薦入試を受けていない。


 そんな試験を通過している三春さんに憧れを抱かずにはいられない。

 

 三春さんからパワーをもらった僕はいつも以上の力を発揮でき、合格を確信して試験を終えた。残り僅かな中学校生活は三春さんとの高校生活のことばかり考えていた。


今後は毎日7時、19時に更新です

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