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運命を超えた掟  作者: 玄月陰
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第三章:葛藤と真実

烈焔宗の闘技場での試練から数日が経ち、天蒼山脈は冷たい霧に包まれていた。紅華は自室の窓辺に立ち、霊剣「焔華」を手に持ったまま、茫然と外を眺めていた。彼女の心は乱れていた。


藍風に敗れた屈辱と彼がオメガであるという事実が、彼女の誇りを粉々に砕いていた。烈焔宗の最強のアルファである彼女が、オメガ如きに膝をついた。その現実が、紅華の胸を締め付けた。彼女は焔華を握り、歯を食いしばった。


「なぜだ……なぜ私がこんな目に」


窓の外では、霧が霊樹の枝に絡みつき、まるで彼女の心を映すかのようだった。アルファとしての鋭い本能が、藍風の甘い発情香を思い出し、彼女をさらに苛んだ。


試練の後、宗門は騒然としていた。弟子たちの間では藍風への嘲笑が広がり、議事堂では長老たちが掟の解釈を巡って議論を重ねていた。紅華はその日、烈風老人に呼び出され、厳しい口調で告げられた。


「紅華、掟は掟だ。公開試練で藍風に敗れた以上、彼と結ばれねばならぬ。それが宗主の務めだ」


紅華は拳を握り、長老たちを睨みつけた。オメガは、アルファを惑わす存在だ。そんな者に負けたなど、彼女には受け入れがたかった。


「オメガ如きに負けたなど認めん。あの勝利はまぐれだ。掟を破るつもりはないが、藍風を伴侶とするなどあり得ん!」


烈風老人は眉をひそめ、重々しく言った。


「まぐれであろうと、試練の結果は覆せん。宗門の名誉がかかっている。お前が拒めば、次期宗主としての資格を失うぞ」


別の長老、灰色の袍を纏った蒼雲老人が口を挟んだ。


「オメガを伴侶とするなど、烈焔宗の恥だ。掟を見直すべきかもしれん」


しかし、若手の長老である翠嵐は反論した。


「試練に勝った者を認めるのが掟だ。藍風の力は本物だった。我々が彼を拒む理由はない」


議論が紛糾する中、紅華は黙って議事堂を後にした。長老たちの声が背中に響き、彼女の心に重くのしかかった。


---


一方、藍風は宗門の片隅にある簡素な客房に身を寄せていた。試練でオメガ性が暴露されたことで、彼の地位は大きく揺らいでいた。都から届いた書簡には、「ベータとしての名声を偽った裏切り者」と糾弾する文言が並び、エリート社会からの追放が現実味を帯びていた。


藍風は表向きベータとして生きてきたが、その仮面は剥がれつつあった。だが、彼は逃げなかった。紅華が暗影宗との戦いに直面している今、彼女を見捨てることはできなかった。


彼は扇を手に持ったまま、窓の外を見ていた。試練での勝利は、彼にとって喜びではなく苦しみの始まりだった。紅華の拒絶の言葉が耳に残り、彼女の冷たい視線が胸を刺した。藍風は目を閉じ、幼い日の記憶を思い出した。


紅華が崖で怪我をした時、彼は泣きながら薬草を探し、彼女に差し出した。あの時、紅華は笑って「ありがとう」と言ってくれた。それが、藍風にとって初めての「守れた」瞬間だった。だが、今の彼女はその記憶すら忘れているかのようだった。


「紅華に近づくのが怖い……でも、離れることなんてできない」


彼は扇を握り、微かに震える手を見つめた。試練以来、彼の身体はオメガの霊潮――発情期の兆候を示し始めていた。紅華のアルファの気配が近づくたび、本能が疼き、抑えきれぬ衝動が彼を苛んでいた。都で調合した薬も、その効力を失いつつあった。


---


数日後、紅華は藍風を避けるように宗門を巡回していた。弟子たちの嘲笑や長老たちの圧力が彼女を苛立たせ、藍風の存在がその全ての原因に思えた。ある夕暮れ、彼女は霊樹の木陰で藍風と鉢合わせた。彼は静かに立っており、その瞳には疲れが滲んでいた。紅華は冷たく言い放った。


「お前、まだここにいるのか? 都へ帰れ。もう用はない」


藍風は一瞬目を伏せ、静かに答えた。


「紅華、暗影宗が再び動き出している。俺がここにいるのは、お前を守るためだ」


その言葉に、紅華は怒りを爆発させた。


「守る? お前が私を守るだと? オメガの分際で、私を侮辱する気か!」


彼女は焔華を抜き、藍風に刃を向けた。アルファとしての誇りが、藍風の発情香に揺さぶられた記憶を許さなかった。だが、彼は動じず、穏やかに言った。


「侮辱するつもりはない。ただ、お前が傷つくのを見ていられないだけだ」


紅華は刃を下ろし、苛立ちを抑えきれずに背を向けた。


「二度と私の前に現れるな」


その言葉を残し、彼女は去った。藍風は黙って彼女の背中を見送り、胸に刺さる痛みを堪えた。


---


その夜、月が雲に隠れた頃、藍風の身体に異変が起きた。オメガの霊潮が訪れ、体温が急上昇し、甘い発情香が部屋に漂い始めた。彼は歯を食いしばり、扇を握り潰すようにして本能を抑えようとした。だが、発情期の衝動は理性を蝕み、息が荒くなった。額に汗が滲み、彼の視界が揺らぐ。


「紅華に……気付かれたら……終わりだ」


耐えきれず、彼は部屋を出て、宗門の裏庭へと向かった。そこなら、誰にも気付かれずに済むと思ったのだ。


裏庭にたどり着いた藍風は、霊樹の下に崩れ落ちた。身体が熱く、意識が朦朧とする中、彼は必死で紅華の名を呟いた。


「お前を……守りたい……それだけなのに……」


その時、夜風に当たっていた紅華が彼の異変に気付いた。彼女は近づき、木にもたれかかり喘ぐ藍風を見て目を疑った。汗に濡れた顔、震える手、そして試練の時と同じ甘い香り。アルファの本能がその発情香に反応し、彼女の頭をクラクラさせた。


「お前……霊潮だと?」


藍風は弱々しく答えた。


「近づくな、紅華……頼む、行ってくれ……」


彼は紅華の手を振り払おうとしたが、力がなく、そのまま倒れそうになった。紅華は一瞬躊躇した。


「なぜ私がこんな目に……オメガ如きを助ける必要がどこにある?」


彼女のプライドが叫び、藍風を見捨てて立ち去ろうとした。だが、その時、幼い日の記憶が蘇った。崖で怪我をした時、藍風が泣きながら薬草を探し、泥だらけの手で「これで治るよ」と差し出してくれた笑顔。あの優しさが、彼女の足を止めた。


紅華は意を決し、藍風の腕を掴んで近くの小屋に連れ込んだ。小屋の中で、彼は床に座り込み、震えていた。紅華は戸惑いながらも、彼の額に手を当てた。熱が異常なほど高く、彼女の心に不安が広がった。


「どうすればいい? 薬か? 水か?」


藍風は首を振った。


「ただ……そばにいてくれれば……それでいい」


その言葉に、紅華は言葉を失った。彼女は藍風の隣に座り、彼の震える手を握った。すると、彼の呼吸が少しずつ落ち着き始める。


甘い発情香が小屋に充満し、紅華の頭をクラクラさせた。アルファである彼女の本能が藍風を求めそうになり、一瞬手を離しかけたが、彼の苦しむ顔を見て思いとどまる。


「藍風……お前、ずっと私を……」


紅華の声が震えた。藍風は目を上げ、かすれた声で答えた。


「ずっと……お前を守りたかった。弱い俺でも、何かできると信じたかったんだ」


その言葉が、紅華の心を突き刺す。彼女は藍風の手を強く握り、涙がこぼれるのを抑えきれなかった。


「お前がオメガだろうと、弱かろうと……そんなことは関係ない。お前は、私のためにそこまで……」


藍風は苦笑し、目を閉じる。


「紅華、俺はお前が憎むなら、それでもいい。ただ、そばにいさせてくれ」


小屋の中は静寂に包まれ、二人の間に初めての穏やかな時間が流れた。


---


夜が明ける頃、藍風の霊潮は収まり、彼は静かに眠りに落ちている。紅華は彼の寝顔を見つめ、心が揺らいでいるのを感じた。藍風の優しさが、アルファとしての彼女のプライドを溶かし始めていた。


だが、一族の掟と長老たちの圧力がまだ彼女を縛っている。藍風を拒絶する理由が薄れていく中、彼女は新たな決断を迫られていた。


その時、宗門の外で異変が起きた。斥候の一人が紅華のもとに駆け込み、息を切らして報告した。


「紅華様! 暗影宗の霊獣が山脈の東に現れました。黒鱗の蛇が集団でこちらへ向かっています!」


紅華は目を鋭くし、焔華を手に持った。藍風が目を覚ます時、二人の運命はさらに大きな試練へと向かうことになる。

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