第一章【天城 ハル】④
◆◆◆
──まさか、僕が男に目を奪われるなんて
僕はシャワーを浴びながらそんな事を考えていた。
僕は生物学的には女だけれど、恋愛対象は女だ。
要するに同性愛者──でも、僕は自分の事を女だと思っていない。
誰にも言った事はないけれど、僕は自分の事を "ちゃんとした男" だと思っている。
全員がそうだとは言わないけれど、世間の一般的な男なんてたまたま男性器がついているだけのクソ野郎だと思う。
言いすぎだと思う?
でも実際にそうだ。
でなければ僕が あんな目に遭うわけがない。
あんな目に遭った事を相談した人が、僕にあんな事をするわけがない。
"ちゃんとした男" がいないから、僕は──
ああ、でも。
あの男を簡単に投げ飛ばした佐藤君は──
「少しだけ……かっこよかったかも、しれないけど……」
そう、少しだ。
結局、佐藤君だって "ちゃんとしてない男" なんだろう。
そうに決まってる。
そうじゃないと、困る。
そ、そうだ、確かめてみればいいんだ……
◆
男装した女性がプレイヤーを務める店とはいえ、接客の基本は他のホストクラブと変わらない。
ハルの接客スタイルはスタンダードなものだ。
客の好みや話題を拾い、時には甘い言葉をささやき、時には軽口で笑わせる。
基本に沿った、まあ王道と言えるスタイル。
だが女の呼吸は女だからこそ良く分かるというか、共感と解決のタイミングが絶妙であるがゆえにハルは女性客から大きな支持を受けている。
しかし、今日はどこか調子が狂っていた。
会話は余り盛り上がらず、ボトルもろくに開かない。
客の輪の合間から、ハルはふとカウンター側を見つめた。
そこには佐藤が立ち、他の内勤から何やら指導を受けている。
ここ最近はずっとそうである。
気付けば佐藤を目で追っている。
二言三言、何か話しかけてみようと思うものの──
──だめだ
何がだめか、ハルにもよくわからないがとにかく駄目だった。
どうにもまともに話せそうな気がしない。
べしゃりが売りのホストらしからぬ悩みだった。
やがてフリー客の対応が一段落して、ハルは隙を見てホール端へ移動した。そこでは佐藤がテーブル脇に置かれた空ボトルを片づけている。
チャンスだ。
今日は何としても、ちょっとした会話を交わすくらいはしておきたい。
そんな事を考えながらハルは、くじけそうになる意気地を奮い立たせて話しかけてみた。
「さ、佐藤くん!」
「はい、何ですかハルさん」
佐藤の返事はそっけない。
だが──
「ええと、その、この前なんだけど、あ、ありがとうっていうか……その、お礼を……」
ハルが切り出すと、佐藤は怪訝そうな表情を浮かべる。
それもそのはずだ。
助けた礼ならばもう3度も4度も受けているからだ。
「……それは、先日も聞きましたので大丈夫です。それが仕事ですから、恩に着せたりなんて考えていませんが……」
──違う!
ハルは内心で叫ぶ。
そういうことではなく、ハルとしては他に言いたい事があるのだ。
「え、えっと、違うんだ。僕はね、その、礼は……お礼は、きちんとしなければならないと思ってるッ……!」
僕は一体何をいってるんだと思いながらも、ハルは必死で言葉を紡ぐ。
ハルは目の前の佐藤を見上げながら、頭の中であれこれ言葉を組み立てていた。
──ま、まずはご飯、最初はご飯だ……手堅くいこう。お礼だからね、お礼なんだから……
佐藤本人はもう良いもう分かったと言っているのに、こうして食事に誘うというのは果たしてどうなのか、今のハルには理解が出来ていない。
とにかく助けてくれたお礼にご飯に誘わねばならないという想いで一杯だった。
──どう話を持ちかければ自然に食事に誘えるだろう……?
できれば店外で落ち着いて話してみたいが、いきなり「食事に行こう」では不自然かもしれない。
そもそも佐藤はそういう誘いをどう受け取るのか……考えれば考えるほど、ハルの頭はこんがらがっていく。
「えーと、その、ちょうど近くに新しくできたイタリアンがあってさ。えっと……どうかな?」
そう口を開いてみると、佐藤は小首をかしげて「どうかな、とは」と繰り返すだけで、いまひとつ要領を得ない反応を返す。
ハルは思わず歯がゆい気持ちになった。
「どうって……イタリアンだよ! パスタとかピザとか、そういう……ああ、もしかして苦手?」
「いえ、特に苦手ではありません。今度機会があれば行ってみます、教えてくださってありがとうございました」
誰がどう聞いても社交辞令だとわかるような返事を返す佐藤。
だがテンパっているハルにはそれがわからなかった。
ハルは胸の奥で小さな苛立ちの火種がくすぶり始めるのを感じる。
「だからさ! そうじゃないんだよ!」
と、思わず声が大きくなる。
ハルは自分も「これは明らかに八つ当たりだ」と分かっていた。
でも流されそうなこの空気を何とかしたかった。
だが。
「ハルさん、焦っているように見えますが、大丈夫ですか?」
佐藤の静かな声で火種はぼうぼうと燃え盛る炎へと変わる。
まるで他人事のように「焦っているようだ」と言われると腹立たしくなるのだ。
「焦ってなんかない! なんで分からないんだよ! 一緒に行こうって言ってるじゃないか! それともあれかい? わざとそう言う風に誤魔化しているってことかい!?」
ハルはついに激昂するが──
「いえ、言っていません」
という佐藤の言葉に一瞬きょとんとした表情を浮かべ「なにが?」と尋ね返す。
「ですから、一緒に行こうとは言われていません」
佐藤は相変わらず無表情のままだが、ハルには佐藤が呆れているんだろうなというのが何となくわかってしまった。
ハルは思わず唇を噛んで、ぐっと手を握りしめ──
「じゃあ、はっきり言うよ。近くのイタリアンに一緒に行こうよ。僕がおごるから……」
まるで大事な試合に臨む直前のように緊張した面持ちで、ハルはそう宣言した。
佐藤は相変わらずの無表情で、まばたきを一度だけしてみせる。
「ああ、お礼っていうのはそういう……」
「そ、そう! お礼。助けてもらったし、いろいろ……ね? 迷惑かけたし」
そう言うと、佐藤はやっと少し考える風情を見せ、ややあって「分かりました」とだけ答えた。
「そ、そうかい。よかった……って、あー、うん、とにかくじゃあ、次の店休日は空いてるかな?」
ホストクラブには "店休日" というものがある。
これは文字通り店が休みの日だ。
大抵は週に1度で、日曜日か月曜日というパターンが多い。
売れないホストなどはこの店休日にしか休めなかったりして、見た目の華やかさとは裏腹に重労働だったりする。
ちなみに内勤などは大抵が週6勤務だ。
「空いています」
佐藤が答えると、やっと伝わったとハルは安堵に似た何かを覚える。
だが、反応がどこか事務的なのが腑に落ちない。
もう少し喜んだり、驚いたりはしないのだろうかなどという愚にもつかない事を考えてしまう。
「……じゃあ、ええと……明々後日か。ちゃんと空けといてよ」
一方的に言い放つような口調になってしまい、ハルは自分でも嫌になる。
けれども佐藤はそれに対し「はい、分かりました」と変わらぬ無表情で答えるだけだった。