第一章【天城 ハル】⓷
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ネオン煌めく夜の阿武木町で、「KINGS」の看板が一しく輝きを放っていた。
女性がスーツを纏い、男装して女性客を相手にするジェンダーレスホストクラブ。
数年前まで誰も想像していなかった新たなジャンルで、「KINGS」は今や有名店となっていた。
店内に足を踏み入れると、きらびやかなシャンデリアと色とりどりのライトが客の目を奪う。
壁一面を覆う鏡が光を反射させ、空間をより広く、より華やかに見せていた。
今宵も「KINGS」は盛況だ。
女性客で埋め尽くされた店内は、熱気と喧騒に包まれている。
そんな中、プレイヤーたちの間でちょっとした会話があった。
「ねえ、あの新しく入った内勤……涼子さんの知り合いらしいけど、どういう関係なんだろうね」
天城ハルが、隣に立つ神崎 京に声をかける。
ちなみに、当然だがハルも京も女性だ。
「ああ、佐藤だっけ? どうにもパッとしないね。地味っていうか。まあいいんだけどね、それくらいが。この前の内勤なんて酷かったし」
京は不機嫌そうに答える。
求人を見て入ってきたというその男は、あろうことか入店するやいなやプレイヤー達に声をかけてナンパして回ったのだ。
勿論その男はあっという間に解雇となったが、問題はこういう男が決して少なくないという事だった。
ではそもそも男は雇わなければ良いという話になるが、それはそれで中々難しい。
内勤というと多くの者はデスクワークを想像するが、ホストクラブに於ける内勤とは雑用全般を意味する。
更に勤務時間は18:00~翌2:00で募集されているが、15時には店に行き、掃除なども含めて帰る頃には4時だとか5時だとかになっている。
それが大抵は週6あるので、ヤワな者では務まらない。
要するに体力が必須であった。
畢竟、男が多くなってくるのだが──
「真面目なのはいいとおもうよ。涼子さんの知り合いなら余り強く言えないしねぇ……」
ハルが言うと京も頷く。
「少し不愛想だけどね。というかもっと愛想よくしろって言った事あるんだけど、作り笑いが不気味でさぁ」
そんなハルと京の会話を、佐藤は無表情で聞き流していた。
それよりも、今夜は店内に不穏な空気が漂っていることの方が気になっていた。
荒々しい空気をまとった男たちが三人、四人と入口に立っていたのだ。
革ジャンやらスウェットやらどこか統一感のない服装をしているが、その眼光に漂うギラつきは明らかだ。
なぜホストクラブにこんな連中が現れるのかといえば、涼子が黒門組と揉めているために他ならない。
黒門組の組長、真垣 一砂は涼子に執心しているらしいが、涼子のほうはまったく相手にしていない。
プライドの高い真垣にしてみれば、その態度は面目をつぶされるも同然だ。
結果として、組の若い衆がこうして嫌がらせに来ることになってしまった。
涼子もまさかそんな雑な嫌がらせをしてくるとは思っていなかったのだが、段々と脅迫的な事を言ってくる真垣に対して危機感を覚え、グループで最も売り上げが高い『KINGS』にボディガードとして佐藤を配置しておこうと考えたのだ。
涼子はヤクザの後ろ盾を持たず、警察に助けを求めるわけにもいかない。
なにしろ彼女自身、表に出せない経歴や脛に傷を負った過去があるからだ。
だから圧倒的な暴力で脅しに来られれば、為す術がない──そう悩んでいた時に佐藤を "水揚げ" できた事は、涼子にとって僥倖と言えるだろう。
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プレイヤーたちはまだ男達に気付いていないようだ。
入り口付近に陣取る数人の男たちを他の内勤が押しとどめている。
「だからよ、遊びに来たっていってるだろ? さっさと通せよ」
男たちのリーダー格と思われる男が、内勤の小川に声をかける。
小川は「お客様、困ります。当店は──」と詰まる。
先が言えない。
その声には明らかに怯えの色が滲んでいた。
「なんだぁ? 当店は、なんだよ。俺達のなにが駄目だってんだ? まさかそっちの筋のモンだとでも言うのか? おう、どうなんだよ。名誉棄損って知ってるか? ・俺らはただこの店で酒を飲みたいだけなんだよ、さっさと入れな!」
男は小川を睨みつけ、大声で怒鳴る。
その声に店内が一瞬静まり返った。
これには流石にプレイヤーたちも気付き、客たちもただならぬ雰囲気に息を呑んでいる。
「おうおう、黙っちまってよ。それにしてもこの店は綺麗どころが沢山いるじゃねえか」
男はそう言って、ハルに近づいていった。
ハルの視線は険しい。
だが客の手前逃げ出すわけにはいかないし、なによりも大嫌いな "男" に対して少しでも退きたくないという思いがあった。
「おう、姉ちゃん。あんた、名前は?」
男はハルに尋ねるが、ハルは答えない。
すると──
「ちょっと……! お前何をッ!」
何と、あろうことか男はおもむろにハルの胸をわしづかみにしたのだ。
客席から悲鳴があがり、プレイヤーたちが男を引き離そうと近づくも、男の仲間たちが睨みを利かせて近づかせないようにする。
激昂したハルは男の手を跳ね除けようとするが──
「痛ッ ……」
男はハルの手首をがっちりと掴んで離さず、覗き込む様にハルの目を見た。
ハルもハルで強気な女だがしかし。
男の両眼に揺蕩う不穏な暴の気配がハルを竦ませる。
本能的に理解したのだ。
男にとって暴力とは、それこそ挨拶をする様な気軽さで行われるものであって、決して特別なものではないと。
ハルは一瞬助けを求める様に周囲へ目を遣るが──
「おーい、もしコイツを助けたい奴がいたら教えてくれや。女なら代わりに可愛がってやるし、男ならボコしてやるからよッ!!」
男がそう言って睨みつけると、誰も近づいてはこようとしなかった──ただ一人を除いては。
「お客様、当店は初めてのご利用でしょうか?」
佐藤が静かに前に進み出た。
静かで沈んだ声だが、妙に店内によく響く。
「何だお前、ヒーロー気取りか? じゃあてめぇが代わりにボコられてみっか? あ?」
男は佐藤を睨みつけるが、佐藤はといえばまるで動じない。
それが気に障ったのか、男は苛立ちを隠さず、佐藤の胸ぐらを掴もうとする。
しかしその手が佐藤の体に触れることはなかった。
佐藤は男の手が伸びてくるよりも早く、その手首を掴みんで軽くひねり上げたのだ。
それはあまりにも自然で、流れるような動きだった。
武道の心得がある者ならば、その一挙手一投足に尋常ならざるものを感じ取っただろう。
「ぐあっ!」
男の口から苦悶の声が漏れる。
佐藤の手はぎりぎりと万力の様に男の手首を締め上げていた。
実際、佐藤がその気になれば手首をへし折るどころか、少し時間をかければ引きちぎる事だって出来るだろう。
「お客様、当店では暴力行為は固く禁じられております。退店を願えますでしょうか」
佐藤は先ほどと変わらぬ口調で、静かに告げる。
声には一切の感情がこもっていない。
「て、てめぇ……! どの口でいいやがるッ!」
男はもう片方の手で、佐藤を殴りつけようとする。
しかし佐藤はその拳を額で受けた。
「がぁッ!! ……く、くそ……な、お、おい! うごぉッ……!!」
男の体がふわり浮き、床に叩きつけられた。
袖を引き襟元を掴み、重心を崩し、床に叩きつける──いわゆる柔道の隅落としである。
男は床に叩きつけられ、激しく咳き込んだ。
他の男たちも何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くしていた。
「お客様、お連れ様がお怪我をされるかもしれません。今の内にお連れ様をつれてお引き取り願えますでしょうか?」
佐藤は男の仲間たちに向けて言う。
まるで覇気はないし口調自体も穏やかだが、これは明白な脅迫である。
これで済ませている内に消えろ、と暗に佐藤は言っているのだ。
そして男達も暴の世界に生きる者だけあって、この辺は過たずに読み取った。
特に佐藤に投げられた男は──
──こ、この野郎。なんてぇ目をしてやがる……
佐藤の目は "モノ" を見る目だった。
例えば解けた靴紐を見れば、かがみ込んで結びなおすだろう。
例えば玄関前に空き缶が転がっていれば、脇にのけるか、もしくは近くにゴミ箱でもあればそこに捨てるだろう。
そういった物や行為に喜怒哀楽は発生しない。
面倒くさいとは思うかもしれない。
だがやらなければならないなら、大した事でもないしやるだろう。
そういう目だ。
──こいつは多分、やる
殴るならばともかく、殺事も厭わない──そう察した男は。
「い、いや、自分で立てる。分かった、消えるよ。だから変な気は起こすな……いいな?」
男はそう言って、そそくさと店を後にしていった。
佐藤は男達の背を見送り……「お客様がお帰りです」と一言。
そんな佐藤の言葉に、どこからともなく拍手がまばらに鳴り響いた。