第一章【天城 ハル】①
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夜の阿武木町で「KINGS」の看板が妖しく輝いている。
数年前まで誰も想像していなかったジャンルのホストクラブだ。
女性がスーツを着て男装し、女性客を相手にする。
いわゆるジェンダーレスホストというやつだ。
「KINGS」はこのジェンダーレスホストのみを集めた店で、阿武木町でもそれなりに有名店だった。
男──佐藤はその店の内勤として働いている。
内勤というのは、わかりやすく言えば黒子だ。
プレイヤーと呼ばれるホストたちが輝けるよう、裏方として全力でサポートする。
給仕に掃除、レジ打ちに新規来店客のテーブルへホストを配置したり。
基本的には肉体労働だが、頭も使う。
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「ねえ、聞いてるのかな?」
天城ハルの声が佐藤の耳に突き刺さった。
店内に流れるEDMのビートに乗って、彼女の怒気も高まっているようだ。
決して怒鳴ったりはしない天城ハルだが、そういう人物こそ怒った時が怖い。
「だから、EDMはダサいって何度も言ってるよね。お客様のテンションが下がっちゃうからさ」
相手は佐藤の後輩の太田啓二。
「すみません、でもこういう場所では鉄板っていうか……」
「EDMが流行ってたのは10年くらい前の話だったはずだけど。いつの時代の話してるの? というか、理由も説明したはず。もしかして煽ってる?」
彼女は最高月間売り上げ2億を叩きだしたこともある売れっ子だった。
役職は主任。
ホストというやつはやたらと役職が多い。
「代表」→「代表代行」→「総支配人」→「支配人」→「主任」→「副主任」→「幹部補佐」→「リーダー」→「一般プレイヤー」という序列となっている。
大体主任までは売り上げが高ければ自動的に上がっていくのだが、それ以上となると人望なども必要となってくる。
天城ハルは売り上げは十分支配人級なのだが、彼女自身が完璧主義者で、まだ自分には学ぶ事があるとして昇格を拒んでいる状況だった。
それにしても太田の対応は駄目だ、と佐藤は内心で嘆息する。
反論するにせよ、筋だったモノじゃないと天城ハルは納得してくれない。
それに、EDMが時代遅れなのもその通りである。
見れば、天城ハルの眉がぴくりぴくりと痙攣していた。
あれは大爆発の合図であった。
「申し訳ございません」
佐藤は二人の間に入り、深々と頭を下げた。
「ハルさん、BGMの件は私の監督不行き届きでした。すぐに変更させていただきます」
「はぁ……」
天城は長いため息をつき、佐藤を睨みつけた。
しっかり教育しておけよ、という目である。
ごもっともな話だ。
佐藤はこの店の内勤では古参な方で、新人の教育もしなければならない立場だからだ。
巷の流行のリサーチをして、それをBGMだのに反映させるのは内勤の仕事である。
とはいえここ最近は酷く忙しく、中々教育も進んでいない。
というのも、人が少なすぎるのだ。
特に内勤。
皆すぐやめてしまう。
理由はまあ簡単に言えばパワハラ、といった所だろうか。
プレイヤーたちの内勤への接し方は、一般的なホストクラブの比ではない。
細かい指摘、高圧的な態度、感情的な叱責。
それは時として常軌を逸した要求にまで及ぶ。
とにかく完璧を求めてくるのだ。
グラスの位置が数センチずれているだけで叱責の的となり、BGMの選曲一つで長時間の説教が始まる。
そういった要求の裏には、通常のホストクラブに対する激しい敵愾心というか、対抗心が存在していた。
女だから舐められるというのを彼女たちは酷く嫌う。
それは時として理不尽な要求となり、内勤たちの精神を削っていく。
だからこそ、内勤の定着率は低い。
耐えられずに去っていく者も多い。
太田も遅かれ早かれ辞めてしまうのだろうなと思うと佐藤は気が重かった。
が、佐藤自身はどうかといえばこれっぽっちも辞める気はない。
なぜならば、『KINGS』のオーナーに拾ってもらった義理があるし、 佐藤の様な"地下崩れ" なんてはっきり言ってまともな仕事がないのだ。
ここは給料も悪くないし、何より "殺される" という事もない。
睨まれたりとか怒鳴られたりとか、それくらいなら佐藤にとっては屁の河童である。
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勤務明け。
時刻は午前6時58分。
佐藤は自室のベッドに横たわり、特に何をするでもなく天井を眺めていた。
ややあって午前7時丁度。
起き上がり、朝のルーチンをこなす。
まずは筋トレ。
曜日ごとでメニューはかわるが、必ず毎日行う。
1時間ほどみっちりとやって、そのあと食事を取る。
そしてきっかり6時間睡眠。
ルーチンだ。
毎日淡々とこれをこなす事で、肉体が健全に保たれる。
肉体が健全であるなら、精神もまた健全に保たれる。
"地下稼業" ほど過酷ではないが、この店の内勤仕事も色々とあるため、体と心の調子を整えておくことは大事だった。
そしてトレーニングと食事が終わって、シャワーで汗を流そうとすると──
突然インターホンが鳴る。
佐藤は来訪者が誰なのか薄々感づいていた。
「はい」
受話器を手に取り応答すると、予想通りの声が返ってくる。
「佐藤くん」
簡潔な一言。
その声は『KINGS』の売れっ子プレイヤー、天城ハルのものだった。