初めてのミュージカル 前編
「このワンピースでいいかなぁ?」
「いいんじゃない」
母親が最近セールで買ったツイードのワンピースを着て、俺に聞いてきた。
「もぅ、冬弥。ちゃんと見てくれてるの?」
今日は愁のミュージカルを観に行く日だ。
自分が出演するのではないんだから、何でもいいのにと思っていた。
「冬弥もちゃんとオシャレして行ってよ」
「はい、はい」
俺はグレーのニットに黒のコーデュロイパンツにした。
愁に貰ったマフラーも巻いていくつもりだ。
「愁君に何か差し入れした方がいいかなぁ?」
「どうなんだろう。別にいいと思うけど」
「そうよね。渡せないかもだもんね」
母親は朝から張り切っている。
もちろん俺もワクワクしているが、さほど興味がないフリをしていた。
劇場には開演30分前に到着した。入口には列ができている。
「母さん、女の人ばっかりだな」
「そう?今日は男性も多い方よ。アイドルの女の子が出るからだわ」
アイドル歌手のサヤリンこと大上沙耶の効果で、男性の観客がいつより多いそうだ。
ロビーには、パンフレットや出演者のブロマイドなどが販売されている。
愁のブロマイドを発見した。
『カッコイイな、愁』
手に入れたいと思うのに買う事ができない。
サヤリンのグッズなら堂々と買えるのに。
愁を必要以上に意識してしまい、グッズに手を出せない。
ミュージカルを観に来るのは初めてだし、周りは女の人ばかりだしオドオドしてしまう。
「冬弥。お母さん、お手洗いに行ってくるから先に席に行ってて」
「分かった」
俺は1人、座席に向かった。
客席に入るまでの廊下には、芸能事務所や芸能人の名が記されたスタンド花がたくさん飾られている。とても華やかだ。
席に着き、母さんが買ったパンフレットを見る事にした。
数ページめくると、出演者が紹介されている。
まずはWキャストの主演男優、そしてWキャストの主演女優。
もちろん、そこにはサヤリンが載っている。
Wキャストのもう1人の女優は宝塚出身のようだ。
中学1年の頃、テレビでサヤリンを初めて見た時『可愛い』と思った。
それから注目するようになったのだが、ダンスや歌が上手いし、声に透明感があるし益々イイなと感じファンになった。
パンフレットをめくっていくと、愁のページが出てきた。
子役からミュージカルで活躍していると紹介されている。
写真の愁は、普段とは違い舞台の衣装をまとってキリッとした表情だ。
カッコいいぞ、愁。
今日は昼と晩の公演があり、俺が観る昼公演はサヤリンと愁が出演する。
サヤリンに会えるのは嬉しい。
けれど、今の俺は愁を見る方が楽しみだ。
まもなく開演するアナウンスが会場に流れた。
母親はまだ席に戻ってこない。間に合うのだろうか?
女性トイレは、かなりの行列だった。
「わぁ、ギリギリ間に合ったわ。なんだか緊張してきた」
母さんが何とか間に合った。
自分が舞台に立つ訳ではないのに何で緊張するんだよと言いたいが、そういう俺も心の中ではドキドキしている。




