演奏会のあと
「みなさん、今日はミュージカルで活躍されている山之内愁さんが歌を披露してくれます。拍手でお出迎えしましょう」
職員らしい女性に紹介され、拍手のなか愁と俺はグランドピアノの方へ歩いて行った。
ピアノの前で愁は笑顔で一礼し、俺もそれにならってお辞儀した。
客席を見ると、施設の年配者達はたいてい車椅子に座っている。
その傍らにいるのは家族の人達だろう。
「こんにちは。山之内愁です。今日はお招きありがとうございます。皆さん、僕の歌を楽しんでいただけると嬉しいです。では、歌います」
愁がピアノの前に座っている俺の方を見て頷き合図した。
軽く深呼吸をし1曲目を弾き始めた。
愁が歌い始めると、空気が変わったような気がする。
少しザワザワしていたのに、一瞬で静かになった。
みんな愁に釘付けなのだろう。
相変わらず美しく優しい声で惚れ惚れする。
俺は愁の歌の邪魔にならないよう、ピアノの音を少し落とし気味に演奏するよう心掛けた。
2曲目、3曲目と続き、昭和歌謡を披露していると手拍子が始まった。
一緒に口ずさむ人もたくさんいる。
数曲歌い、いよいよ最後の曲になった。
最後は童謡の『ふるさと』だ。
愁の透き通るような声がフロアーに響き渡り、急に涙が出そうになった。
歌い終わると、みんな笑顔で拍手している。
涙ぐんでいる人も、ちらほらいる。
愁が自分の方に来るように手を差し伸べた。
俺は横に並んだ。
「今日、伴奏してくれた置田冬弥君です」
と愁に紹介され、ぎこちない笑顔で礼をした。
あっという間に終わった演奏会だったが、今までで一番緊張した。
そして、達成感があり気分が高揚している。
どのように戻ってきたのか覚えていないが、愁と俺は応接室にいる。
目の前の愁が涙目だ。
「どうしたんだよ、愁」
「冬弥、僕、すごく感動して。みんな笑顔で拍手していた。
手拍子しながら一緒に歌う人がたくさんいたよ」
「愁の歌、本当に良かったよ。俺も少し涙が出そうになったんだ」
突然、愁が俺を抱きしめてきた。
「ありがとう、冬弥……好き……」
今、小さな声で「好き」と言ったよな?
それは、どういう好きなのだろうか……
もちろん、友達としてだよな。俺は思いを巡らせてしまった。
ドアをノックする音がして、愁が俺から離れた。
「失礼します。今日は素敵な演奏会でした。みなさん本当に喜んでいて。ありがとうございました。ご家族の方が来られていますよ」
と女性職員の後ろに、俺の母親と愁の弟の利人君がいた。
「冬弥。愁君。すごく良かったわよ。お母さん、感動しちゃった。利人君も感動したわよね」
「うん。お兄ちゃん、カッコ良かった」
「ありがとう、利人。利人は1人で来たの?」
「お父さんとお母さんも来てたけど、急用で先に帰った」
「そっか。じゃ、お兄ちゃんと一緒に帰ろうか」
愁は弟と帰り、俺は母さんと帰る事にした。
別れ際、目を合わせずらそうに下向き加減に俺を見た愁が気になる。
愁と色々と話がしたかった。さっきの告白(?)も気になる。
どうしたものかと、途方にくれる俺がいた。
(挿絵はAdobe Fireflyで作成したAIイラストです)




