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第7話※


    ***



「どこで遊びほうけていたんだい、この(なま)け者!」

 室内に戻った瞬間、バシッと肩を叩かれた。


「ご……ごめんなさい。水を汲みに行っていて……」

「水なら大甕にあったじゃないか。嘘をお言いでないよ」


 それは早起きしてアイナが入れたものだ。けれど、あの男性と少しだけ立ち話をしていたのも事実なので、アイナはおとなしく頭を下げた。


「……すみません」

「罰として、朝飯は抜きだ。いいね」

「はい……」


 女の機嫌を損ねたため、三日前も同じ罰を受けている。アイナが抵抗しないのが面白くなかったのか、女は細い眉を吊り上げた。


「反省が足りないようだね。今日は昼も抜き、夜も抜きにするからね」


 え、とアイナが目を見張る。


「そんな……」

「そうすれば、少しは骨身に染みるってもんだ。当然だろう? あんたは奴隷なんだから」


 フンと女がせせら笑う。

 意地悪そうな目には、弱者を嬲る(よろこ)びが浮かんでいた。


 彼女は特にアイナを嫌っているひとりで、何かにつけて折檻してくる。アイナの体にある無数の傷のいくらかも、彼女がつけたものだった。


「そうだ、口答えした罰に、明日の朝飯も抜きにしようかね。もし隠れて食べてごらん、三日飯抜きの上、ひどい目に遭わせてやるから」

「待ってください、それは……」


 今でさえお腹が空いているのに、丸一日食事抜きの上、明日の朝も食べられないなんて。

 昨日の夜に食べた分は、とっくに消化してしまった。

 ただでさえ普通の食事の半分ほどだったのだ。これ以上食べる事ができなくなったら、本当に飢え死にしてしまう。


 青くなったアイナに、女は面白がるような目を向けた。


「心配しなくても、死にゃあしないさ。水は好きなだけ飲んだらいい。もっとも、そんなに飲めるもんでもないけどね」

「でも……それじゃ……」

「なんだい、不満があるって言うのかい?」


 生意気な、と乱暴に小突かれる。

 よろけたアイナに、女は憎々しげな瞳を向けた。


「国王の番を偽った罪人のくせに、大きな顔をするんじゃないよ。あんたにはこの先ずっと、自由なんてないんだからね」

「…………」

「分かったなら返事をしな!」


 女が手を振り上げたところで、「ちょっと!」という声が割って入った。


「それどころじゃないよ。支度しないと」

「支度?」


 現れた別の女が、慌てた様子で口を挟む。急いでいるのか、息がわずかに弾んでいた。


「その子を連れてくるようにって言われたんだ。国王からの命令だよ」


 ――国王。


 それを聞き、アイナの心臓がドクンと鳴った。


「国王が? どうしてさ」

「あたしにも分かんないよ。しばらくはおさまってたけど、また『遊び』がしたいんじゃないのかい?」


 それを聞き、アイナを引っぱたこうとしていた女がにやりと笑った。


「ああ……そうか。そういや、久々だったね。このうすのろで遊ぶのは」

「前回はどうなったんだっけ? 確か、この子が気絶したんだっけ」

「犬はいつの時だった? 水責めは?」

「やっぱり鞭打ちが面白いよ。首輪をつけて、四つん這いにさせてさ」


 周囲で交わされる楽しげな声に、指先が細かく震えてくる。

 蒼白になったアイナに、女はにんまりとした顔で笑った。


「あんたへの罰は、国王が代わってくれるってさ。よかったねえ、役立たず」

「あ……」

「今日の趣向がどんなものか、あとでじっくり聞かせてもらうよ」


 ほら行きなと、強く背中を押される。

 よろけた拍子に足がもつれたが、その腕を乱暴につかまれた。


「言っとくけど、逃げるんじゃないよ。もし逃げたら、うんと後悔するような目に遭わせてやるから」


 アイナを迎えに来た女がつっけんどんに言う。

 引きずられるようにして向かった先は大広間だった。

 そこで待っていた人物に、アイナの全身が冷たくなった。


「――遅かったな」


 目の前の玉座に座っていたのは、二十歳前後の青年だった。

 銀色の髪、赤い瞳。顔立ちは前王とよく似ている。


 精悍な顔つきに、浅黒い肌。狼の国の若き国王ガルゼルは、頬杖をついたまま二人を見ていた。

 その目がアイナを捉え、すっと冷える。


「ご苦労だったな。行け」

 顎だけで女を下がらせると、ガルゼルはおもむろに立ち上がった。


「久しいな、偽物」

「……」

「口がないのか。出来損ないが」

「……あ……」

「誰が答えていいと言った」


 手にしていた杖で、トンッと胸を突かれる。

 それだけで、どっと全身から汗が噴き出た。


「客人と話したようだな。何を話した?」

「……」

「答えろ」

「……何、と、言われても」


 どう答えていいか分からない。

 最初に助けてもらった時、彼とはほとんど話さなかった。かろうじてお礼は言ったが、それだけだった。


 二度目はついさっきだ。

 少しだけ話したが、何を言ったか覚えていない。確か年齢を聞かれて、それから、人間かと聞かれた気がする。あとは――あとは、なんだろう……。


「そんなことも分からないのか」


 トンッと、ふたたび胸を突かれる。

 平坦な声の中、かすかな苛立ちが混じった気がした。


 こうして彼に会うのは久しぶりだった。

 いつもは彼の目に触れない場所で、下働きの仕事をこなしている。たまに呼びつけられる日はいつも、彼が気まぐれを起こした時だった。そんな時の彼はひどく残酷で、アイナは手ひどく痛めつけられた。


 それが分かっていても、断る事なんてできはしない。

 アイナは彼の生贄だった。


 不機嫌な時、八つ当たりしたい時、興が乗った時、暇つぶしをしたい時。

 彼の気が向くまま、アイナは存分にいたぶられた。


 晒し者にされ、笑い者にされ、心ゆくまで罵倒される。そうしている時でさえ、彼は侮蔑の態度を崩さなかった。


 アイナを見つめるガルゼルの目からは、かつての熱情が消えていた。

 代わりにあるのは、凍りついたような憎しみだけ。


 今も消えない冷たい炎が、彼の瞳に燃え盛っているようだ。その目に見つめられるだけで、息が止まったようになる。

 答えられずにいたアイナに、彼は小さく舌打ちした。


「命令に従えないのなら、いつもの『遊び』を始めるか」

「……!」


「この間は何をしたんだったかな。確か、蛇のいる(おり)に入れたんだったか? お前が気絶したせいで、最後まで楽しめなかった。あれをもう一度してやろうか」


「や……」

「それとも犬をけしかけようか。お前は泣き叫んでいたな。あれはなかなか楽しめた」


 杖の先で、くいっと顎を持ち上げられる。

 アイナに罰を与える時、好んで使っている特別製の杖だ。細くて頑丈なのに、それで打たれても気絶しにくく、体に痕も残りにくい。

 そのまま喉をたどった杖が、鎖骨の上で止まった。


「まさかとは思うが、竜人をたぶらかしたのか」

「そんな……っ」

「誰が口を開いていいと言った」


 杖の先で軽く頬を打たれる。手でかばうと彼の怒りをあおるため、アイナはぎゅっと目をつぶって耐えた。


「あの客人はもう帰った。お前を助ける者はいない」

「……」

「お前は一生、俺の奴隷だ」


 ついさっきも同じような事を言われたはずだ。

 そんな事は分かっている。


 ここから逃げ出すすべもなく、逃げても行く場所なんてない。

 銅貨一枚も持っていない自分では、人間の国に帰る事もできない。

 たとえ逃げても、あっという間に捕まるだろう。


 ――だけど。


(逃げたい……)


 ここから出て、自由な世界で暮らしたい。

 アイナが番でないのはよく分かった。そのせいで、彼を怒らせてしまった事も。

 けれど、もう十分ではないか。


 騙すつもりなどなかったし、番だと言った事もない。勘違いしたのは彼の方だ。

 それならもう、解放されてもいいのではないか。

 そう思ってしまったのは、あの瞳を思い出したからだった。


 宝石のように目を奪う、満天の夜空のような色。

 あの静かな輝きに、心まで洗い流されるようだった。


 理屈ではなく、理由もなく。

 あの瞳に、心ごと奪われた。


「……なんだ、その目は」

 その時、ガルゼルの目に怒りが宿った。


「!」


 強く肩を打たれ、アイナはよろけて尻もちをついた。

 ちょうど敷物のところに倒れ込んだため、痛くはなかったが、一瞬起き上がれなかった。

 粗末な服の裾から、白い脚がのぞいている。

 それを見て、ガルゼルの喉が小さく鳴った。


「……魔女が……」

 ぎりっと歯を噛みしめる音がする。


「偽物の分際で、まだ俺をたぶらかそうとするとは……っ」

「なに、……っ」


 いきなり押し倒されて、アイナはぎょっとした。

 胸のすぐ上に、ずっしりとした重みがある。それがガルゼルの体だと気づき、アイナは小さく息を呑んだ。


「や、何っ……」

「一度抱けばおさまるだろう。くそ……偽物風情が……っ」

「やだ、やっ、何っ……」

「おとなしくしろ」


 両腕をつかまれて、頭上で縫い留められる。何が起こっているのか分からず、アイナは混乱して首を振った。

 殴られるのや、蹴られるのとは違う。もっと恐ろしい、肌が(あわ)立つような感覚があった。


「貴様のせいだ、貴様のっ……」


 呪詛のような言葉が吐き出される。


「貴様がいたせいで、俺は番を見誤った。前王と同じ、偽物の番の匂いなど……っ」

「そんなの、知らなっ……」

「黙れ!」


 パンっと頬を叩かれて、短い髪が顔にかかった。

 息を荒くしたガルゼルが、恐ろしい顔でアイナを見下ろしていた。

 その手が上衣にかかり、ぼろきれのようにむしり取られる。


「や……っ」


 痩せた体からのぞく肌は、思った以上に白かった。


 浅黒い肌が多い狼の獣人に比べ、人間であるアイナは色素が薄い。まだ幼い体だが、しなやかな手足はすんなりと伸び、この先の成長をうかがわせる。あともう少しすれば、体つきもぐっと女らしくなり、子供っぽさも抜け落ちるだろう。


 他の男達がアイナを見るのも、それを見越しているからだ。

 彼らがアイナを見る目には、下劣な欲望が宿っていた。


 でも――でも、一体なぜ?

 その答えは、目の前の男が教えてくれた。


「――どうせ二年後には同じ目に遭うんだ。多少早くなったところで、たいした違いはないだろう」


「え……」


 見ると、ガルゼルが(わら)っていた。

 柘榴石(ざくろいし)のような瞳が、今は暗く濁っている。その事が悲しいと思うより早く、彼は言った。


「なんだ、知らなかったのか? 貴様は二年後、娼館行きが決まっている。ここで俺の気が済むまでいたぶった後、男たちの慰み者になる」


「……え?」


 何を言われたのか、一瞬理解できなかった。


「しょう……何……?」


「なんだ、娼館も知らないのか? 金をもらって、男の相手をする店だ。お前はまだ幼いが、育てばそれなりに見られるだろう。今からお前を買いたいという獣人がいるくらいだ。店に行けば、さぞかし売れっ子になるだろうな」


 ガルゼルの目は憎しみを宿していた。

 乾いた唇を舐め、アイナを見下ろしてせせら笑う。

 その奥に宿っているのは――劣情、だろうか。

 その時になってようやく、アイナは彼らの言っていた事の意味を理解した。



 ――二年のうちに、逃げる手はずを整えな。



 ああ――……。


(そうか)


 みんな、知っていたのだ。

 二年後、アイナがどんな目に遭うのかを。


 ある者は待ちわび、ある者は意地悪な楽しみを抱いて、ある者は気がかりといたわりを持って。

 みんな、みんな、知っていた。


 奴隷となったみじめな少女が、今度は男達に弄ばれるのを。国王をたぶらかした罪人が、この先どんな目に遭うのかを。

 そしてその命令を下すのは――目の前の、この男だ。

 呆然とするアイナに、彼は冷たく言い放った。


「国王の番を偽った罪、その体で存分に償え」

「……や……」


 ガルゼルの顔が首元にかかり、その感触に鳥肌が立つ。

 あの時、慈しむようにして抱きしめてくれた腕が、冷酷に自分の体を押さえつけている。それが苦しくて、悲しかった。


 ――どうして。


 どうして、こんな事。


 暴れた体をねじ伏せられ、強引に組み敷かれる。それでも抵抗すると、容赦なく力を込められた。

 素肌をまさぐられ、力ずくで足を割り開かれる。

 恐怖と嫌悪感に、アイナは夢中で抵抗した。


 こんな事を、他の男達ともするというのか。

 自分の意志など関係なく、嫌だと言っても押さえ込まれて。

 彼らの欲望の赴くまま、好きに体を弄ばれる。

 許される事もなく、解放される事もなく、この先一生囚われたまま。


(いや)


 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。


「やめて……」


 誰か。


「助けて……っ」


 叫んだ瞬間、ゴウッ!! と風が吹き荒れた。

 ガルゼルが吹き飛び、急激に体が軽くなる。

 目に見えない風がガルゼルを引きはがし、アイナを救ってくれたように見えた。


「――何をしている」


 その言葉を聞くのは二度目だった。

 振り向くより早く、大きな影が目の前にあった。


「狼の王よ。どういうことだ」

「……竜、の」


(たわむ)れにしては趣味が悪い。一体ここで何をしている?」

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