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第5話


    ***



 その日はいつも以上に忙しく、アイナは存分にこき使われた。


 先ほどアイナを叩こうとした女の姿はどこにも見えない。

 他に仕事をしているのか、それともどこかで震えているのか。

 そんな事を思ってしまったのは、先ほどの男を思い出してしまったせいだ。


 彼は竜の国から来た竜人で、この国の王に面会を求めたという話だった。

 内容は知らされていないが、重要な案件なのは間違いない。


 彼自身、とにかくものすごい人物なのだそうだ。

 本来なら国を出る立場ではないが、内容が内容のため、特別にやってきたらしい。国王に断る理由はなく、諸手を挙げて歓迎している。


「もしかすると、新国王に挨拶をと思ったのかもしれないね」

 女のひとりが得意げに言った。


「光栄な話さ。なんたって、竜人は他の獣人とは違う。ものすごい力を持っているんだからね」

「そうなのかい?」

 別のひとりが目を丸くする。


「あんた、知らないのかい? そのせいで、竜人は他の獣人と馴れ合わないのさ。何せ、大地を裂いたり、天から雷を落としたり、海を割ったりする力だ。生半可な相手じゃ、竜人さまの足元にも及ばない」


「そりゃすごい。考えるだけで恐ろしいや」

 そばにいた別の男が身震いする。


「そんなすごい方の番なんて、どんな素晴らしいお方だろうね」

「いや、聞いた話じゃ、まだ番はいないらしい」

「そうなのかい? そりゃまた……」


 気の毒にと続けるつもりだったのだろうか、「ほら、いつまでお喋りしてるんだい!」という声に口をつぐんだ。


「まだまだやることはあるんだからね。余計なお喋りをしてないで、その分手を動かしな」


 監督役の女が、腰に手を当てていた。

 四十を少し過ぎたくらいの痩せた女だ。きつい物言いで、特にアイナに対するあたりがきつい。今もずけずけと言い放ち、「もっと急ぎな」と命令した。


「遅れたら夕()は抜きだからね。まったく、どこかの役立たずじゃあるまいし、自分の仕事はきっちりおし」

「違いない」


 彼らが馬鹿にしたように含み笑う。

 その視線の先では、アイナが食器を洗っていた。


「あんたみたいな汚らわしいやつに、お客人の食べ物を触らせるわけにはいかないからね。本当なら食器も触ってほしくないくらいだ」


 忌々しげに女が吐き捨てる。

 アイナが肩を縮こめると、「ぼさっとしてるんじゃないよ!」と怒鳴りつけられた。


「まったくもう、とんだ無駄飯ぐらいだよ。ほんとに(しゃく)に障るったら」

「今は手が足りないんだから、仕方ねえよ。あともう少しのお楽しみだ」


 へへっと男のひとりが舌なめずりする。

 よく見ると、他の男達も似たような表情を浮かべている。彼らはアイナの全身を舐めるように見つめ、それからフンフンと匂いを嗅いだ。


「ああ、楽しみだなぁ」

「まったく、男ってのはしょうがないね」


 女達はやれやれといった表情だ。中に数名、眉をひそめる者もいたが、彼らをたしなめる気はないようだった。


(もう少しって、何のことだろう)


 そういえば、少し前にも同じ事を言われた気がする。

 彼らは知っているのだろうか。この先、アイナに待ち受けている事を。


 聞いても教えてくれるとは限らない。むしろ、でたらめを教えられる可能性の方が高そうだ。そうなれば、逆に不都合な事が起こるかもしれない。

 この場で聞き出すのはあきらめて、アイナはそっと目をそらした。


(それに)


 口にする言葉が真実とは限らない。

 それと同じように、真実に見えるものが正しいとも限らない。

 それはあの時から、痛いほどよく分かっていた。



    ***

    ***



 ――あれは人間の国を出て、しばらくしてからの事だった。



 獣人の国へやってきたアイナは、ガルゼルの屋敷に住む事となった。

 最初の内はうまくいっていた。

 ガルゼルはいつもやさしくて、アイナの希望を叶えてくれた。

 その愛情表現が行き過ぎて困る事はあったが、おおむねアイナは幸せだった。


 彼はアイナの匂いを嗅ぎたがり、腕の中に閉じ込めたがった。

 それは狼の獣人の特性らしい。アイナは困惑していたが、強く抵抗はできなかった。彼はいつもアイナを抱きしめ、いい匂いがするとうっとりしていた。


 状況が一変したのはひと月後だ。

 国王が失脚し、新しい王が選ばれる事となった。

 若く優秀な王だったが、治世の最後はひとりの女を追い求め、国庫を食いつぶした暗君だった。


 かろうじて命は助かったと聞くが、二度と表舞台には出られまい。元々、獣人の国は実力を重んじる。能力のなくなった国王をいつまでも崇拝する民はいない。


 落ち着かない情勢に不安を覚えたが、それでもアイナの周りは穏やかだった。

 新しい国王にガルゼルが選ばれ、華やかに祝われた時でさえ、アイナはひっそりと過ごしていた。

 それがアイナの望みだったし、何よりの幸せだったのだ。


 ――けれど。


 前王が失脚した原因は、たったひとりの娘の存在だった。

 その娘は不思議な香水を用いて、番に成りすます事ができたという。

 そのため、前王は偽りの娘を番と思い込み、本物の番を手放してしまった。


 番を偽る娘と、偽りの番を生み出す香水。

 偽物の娘はすぐに国を追い出されたが、その時はもう、本物の番はどこにもいなかった。

 今も前王の番は見つかっていない。

 銀の髪、スミレの瞳を持つ娘。

 彼はその王座から引きずり降ろされる瞬間まで、彼女の名前を呼んでいたという。


 ガルゼルはその話を重んじていた。

 彼はとある伝手(つて)でその香水を手に入れて、ひそかに調べさせたのだ。

 そして知った。

 アイナの体から、同じ匂いがする事を。



    ***

    ***



(あれはどうしてだったんだろう……)


 すべてが変わってしまった時、何が起こったのか分からなかった。

 アイナを公の場に引きずり出した男は、どういう事だと詰問した。

 お前の体から、番を偽った香水の匂いがする。それはどういう事なのかと。


 アイナには身に覚えのない事だった。

 それもそのはず、今まで香水などつけた事はない。ガルゼルが余計な匂いを嫌うので、つけたいと思った事もなかった。


 贈り物の中にも、匂いを発するものはない。

 何かの間違いではないかと告げたが、香りを調べた役人は冷たく言った。


 ――確かにこの方の匂いは、香水のものとよく似ている、と。


 ガルゼルは激昂した。

 説明しろとアイナを怒鳴り、髪をつかんで引きずり上げた。

 何も知らない、分からないと言っても、彼は信じてくれなかった。


 番を偽るのは重罪だ。

 前王をたぶらかした娘も、国外追放になったらしい。その後の消息は知らないが、二度と獣人の国に足を踏み入れる事はできないだろう。そう誰かが言っているのを耳にした。


 でも、自分は、何も知らない。


 番を偽った事もなく、偽ろうとした事もない。

 香水に心当たりもない。何かの間違いに決まっている。

 けれど、ガルゼルがその訴えに耳を傾ける事はなかった。


 今までの愛情がすべて憎悪に変わってしまったかのように、彼はアイナを責め立てた。

 どんなに違うと否定しても、彼の胸には響かなかった。むしろ、アイナが認めない事で、余計に彼の怒りをあおったようだった。


 でも、それ以外に何が言えただろう?

 アイナは本当に知らなかった。

 何が起こっているのか、それはどういう理由でなのか、何も分からなかったのだ。


 アイナの声は退けられ、訴えはすべて黙殺された。

 何も知らない、嘘なんてつかない、調べてほしい、信じてほしい――。

 その喉が()れるまで訴えても、誰にも届く事はなかった。


 アイナは罰として髪を切られ、奴隷へと落とされた。

 国外追放にならないのは、それでは到底気が済まないせいだ。彼だけではなく、彼を崇拝する、この国の多くの者達の。


 新しい国王を騙していた、偽りの娘。

 それは以前と同じ「人間の娘」で、同じ香りをまとっていた。

 彼らの怒りが向けられるのはもっともで、仕方のない事だったのだ。


 それから三か月が経つ今も、アイナは自由を奪われている。

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