モブの野望5
私は、普通に美少女だ。
……いきなりナルシストでゴメンなさい。
どうか、ぶたないでください。
でもこれは、私の、正直な本心であった。
カナイの容姿は、モブキャラという立場とは思えないほど、とても優れていた。
整った顔立ちに、黒髪のショートヘアという風貌は、素朴でありながらも、その素材の良さを最大限に引き立てている。
良く言えば華奢で、悪く言えば貧相な体つきは、短く切られた黒髪と合わさり、一見すると小柄な少年のようにも見えるだろう。
しかしよく見れば、そのほっそりとした肢体には、繊細で、少女らしい柔らかさが、確かに息づいているのだ。
気さくな性格でありながらも、どこか秘めたる謎を抱えた、実は女の子でした系美少女――それが、私であった。
もしも前世の、男子高校生だったころの自分が、今の私に話しかけられたら、それだけでもう好きになるだろう。
なんなら、視界に3秒以上入り続けても好きになるし、私が吐き出した二酸化炭素を吸っても好きになる。
この自画自賛からも分かるように、私がカナイのポテンシャルを評価している理由の一つに、この見た目の良さという部分もあった。
優秀なヒーラー×美少女という、どう考えてもモブに収まる器ではない属性を持つ私なら、「一部の例外」を除いて、大体の人たちに、私の足をじゅるじゅる舐めさせることが出来る。そう考えていた。
……しかし今、私の周辺には、その「一部の例外」が3人、集まっていた。
テストの席がたまたま隣で、少しだけ仲が良くなった兎族の少女『ラヴィ』
金髪ツインテールに翡翠の瞳という、可愛らしい見た目をしているが、その実は作中屈指の戦闘狂だ。
ホリギフの主人公で、世界最強の力を持つ少年『アッシュ』
短く切られた赤髪が似合う爽やかイケメンで、弱きを助け強きを挫く、まさに主人公といった振る舞いで世界を変えていく男だ。
ホリギフのメインヒロインで、凛とした佇まいの少女『エレノア』
青髪をひとつ結びにした彼女は、少々変わった性格をしているが実力は確かで、アッシュと共に世直しを行っていく。私の推しでもあった。
そんなアッシュとエレノアに、突然、声をかけられた私は、その場で凍り付いていた。
いつの間にか、大広間からは子供たちの姿はほとんど消え、空間はがらんとした雰囲気に変わっている。
そんな中、私とラヴィが並んで座る机の方に、コツコツと音を立てて、近づいてくる二人の姿が、ぼんやりと視界に入る。
私は、声を出すことも、動くこともできなかった。
突然の出来事に、硬直している私をよそに、ラヴィは笑顔で挨拶をした。
「こんにちは! 私はラヴィよ! よろしくね!」
アッシュとエレノアがラヴィの方を向き、返事をする。
「やぁ、よろしくね、ラヴィ。僕はアッシュだ」
アッシュがニコニコと返事をする。
「私はエレノアだ、よろしくたのむ」
凛とした佇まいで、エレノアは挨拶をする。
そして周囲を軽く一瞥すると、エレノアはそのまま言葉をつづけた。
「突然話しかけて、すまないな。すこし……気になる会話が聞こえたものでね」
「気になる会話って…………ああ、兎族のこと?」
ラヴィがそう問いかけると、エレノアはゆっくりと首を左右に振る。
「いや、違う、ヒーラーのことだ。……カナイ殿、だったかな?」
エレノアが、私の方を見る。
私はドキリとしながら、言葉を返す。
「あっ…………か、カナイ…………です…………………………」
私は、古びた絵画の片隅に、そっと刻まれた署名のような、申し訳程度の自己紹介をする。
エレノアはそんな私を気にすることなく、一拍置いてから口を開いた。
「ヒーラー行脚を……しているんだって? それは……随分と、感謝をされたのではないか?」
「えっ? あっ、まぁ……はい……。それなりに、感謝はされたと思います……はい…………」
私の返答に、エレノアは目を大きく見開いた。
「!! やはりそうか! う、羨ましいッ! 私もヒーラーに、なりたかったッ!!! こんなの、絶対に、気持ちいいだろッ!!! 」
エレノアはそう叫ぶと、拳を握りしめ、天を仰いだ。
まるでその想いが、天井を突き抜けて空に届くかのように、強く輝く瞳はどこか、遠い理想を見つめているかのようだった。
「えぇ…………」
突然、妙なことを言い出したエレノアに、ラビィは困惑している。
実は、このエレノアという少女は、「人に感謝されて気持ちよくなる」ことを生きがいとする、なんか変な人なのだ。
私は、原作で何度も目にしてきたエレノアの奇行を、実際に目の当たりにして、感動で身震いしていた。
しかもこれは、成長前の、初期のエレノアだ。
エレノアは王都第一学園に入学し、アッシュや他のヒロインたちと共に成長していくにつれて、どこか落ち着いた、クールな態度を身につけていくのだ。
それは決して、精神的に成熟したから、という類のものではなく、そのような態度を取る方が周囲からの印象が良く、より深い感謝の念を抱かれると気づいたためである。
アッシュの相棒として、これから数多の巨悪を打ち砕き、世界を救う少女。
そんな、私の推しでもあったエレノアと、会話をすることが出来たのだ。
私は、感無量であった。
すると、この会話を興味深そうに聞いていたアッシュが、口を開いた。
「あははは、面白いね、君たち」
アッシュは笑いながらそう言うと、私たちの一人一人を、見渡した。
その目は、まるで私たちの、全てを見抜こうとしているようだった。
そして、そのまま言葉をつづける。
「……それに、ただ面白いだけじゃない。……みんな、かなりの実力者だろう?」
アッシュがそう告げると、ラヴィは、少し驚いたような表情を浮かべた。
その瞳に一瞬、興奮の色が宿り、唇の端がわずかに上がる。
そして、何か面白いものでも見つけたように、「へぇ?」と一言漏らすと、そのままアッシュの佇まいを、まるで獲物を狙う猟犬のように、じっと見つめる。
そして、どこか挑発的に笑みを浮かべながら、ラヴィはアッシュに告げた。
「あなたが一番……底が知れないけどね?」
ラヴィにそう言われたアッシュは、あはははと笑っている。
それに釣られるように、ラヴィも、あはははと笑っていた。
…………こいつら、怖っ!!!
えっ? 人の戦闘力が分かるの? なにこれッ!?
原作では見たことがない、謎のやりとりを前にして、私は震えあがっていた。
この怖い雰囲気を変えるため、私はずっと気になっていた、アッシュとエレノアがどうして一緒にいるのかを聞いてみることにする。
原作では、二人は王都第一学園の入学式で、初めて出会うはずだ。
「あ、あの……アッシュとエレノアは……顔見知りなんですか?」
私がそう聞くと、アッシュとエレノアは顔を合わせ、互いに首を横に振る。
「いや、たまたま声をかけたタイミングが重なっただけだよ。試験が始まる前に、君と目があったから、何となく気になっていてね」
「ああ、私も同じような感じだ。テストを回収している静寂の中、大きい声で会話をしていたから、意図せずに盗み聞きをしてしまってね」
「……ッ!」
ラヴィが、少し恥ずかしそうにする。
……どう考えても、白紙で提出したことを大声で、バカ丸出しで喋っていた私の方が恥ずかしい。
というか、あの行動で、アッシュとエレノアに目を付けられていたなんて……。
……。
……ん?
私は今、脳をフル稼働させて、「まったく別のこと」を考えていた。
……これは、チャンスなのでは?
……ここにいる3人は、王都第一学園に合格する。
そして私は、ミスティア魔術学院に行く。
そのため、今後はもう、なかなか接点は生まれないだろう。
……むむっ?
毎年の恒例行事である、学校ごとによる対抗戦では、私はおそらく、ミスティア魔術学院のエースとして出場する。
そして、対抗戦が行われる頃には、この3人はぶっちぎりの功績を積み上げているため、王都第一学園のエースとして出場してくる。
……むむむっ?
もし対抗戦で、私が、王都第一学園のエースである三人と、気さくに会話をしていたら……?
その頃にはもう、怪物として名を馳せている3人と、対等に会話をしていたら……?
強キャラと親しげに会話をしていたら、そいつはもう、強キャラだッ!!!!!
『あの王都第一学園のアッシュと、気さくに会話してる!? カナイちゃん、すごい!!!』
『類は類を、呼ぶってか~!? やっぱり、ミスティア魔術学院のエースはカナイなんだよな~!』
『さっきエレノアさんとも会話しているのを見たわ! 天才ヒーラーで顔も広いなんて、憧れちゃう!!!』
『あの只者ではない兎面の少女とも、親しげに喋ってたぞ! おいおいカナイさん、どんだけ凄いんだよ~!!!』
これ、めちゃくちゃ、良いッ!!! 称賛されまくりだろッ!!! これッ!!!
私は、ヨダレが止まらなかった。
この気持ち良すぎるイベントを発生させるためには、私は、アッシュ、エレノア、ラヴィの3人とは、何が何でも「対等」になっておく必要があった。
決して、舐められてはいけない。
決して、侮られてはいけない。
対等、イーブン、お互いがお互いを認め合う、良きライバル、そんな関係だ。
私は、この3人と友好を築くための一言を、全身全霊で考える。
ここまでの逡巡は――僅か、1秒。
そして、脳内コンピューターが導き出した答えを、震える唇で発した。
「ウェ、ウェーーーイッ! 今日から私たち、マブダチだねーーーッ? この国、一緒に盛り上げようぜーーーッ! メーーーーーンッ!!!」
…………もはや、喋っている途中で理解していた。
これ、絶対、失敗してる。
陰キャが無理してパリピを装っても、滑稽なだけだと痛感したが、もう取り返しがつかなかった。
ラヴィの、「なんだこいつ……?」という冷ややかな視線が、鋭い刃のように突き刺さっているのだ。
しかし意外にも、アッシュは好意的に受け止めてくれた。
「あははは、君、面白いね」
「あなた! 普通に凄いんだから、変なことしないで、堂々としてなさいよ! その感じだと、逆に舐められるわよ!?」
ラヴィから、あまりにも容赦のない一言が飛んでくる。
どうやら、急にイキりだした痛いやつ、という風に捉えられたらしい。泣いてもいい?
「!! いや、私は面白いと思うぞ! ああ! 私はカナイの味方だッ! この国、盛り上げようなッ! メーーンッ!!!」
「それ、もはや煽ってるわよ……」
感謝されるチャンスだと感じたエレノアが、私の擁護に回るものの、ただの煽りでしかないとラヴィに窘められる。
「……あの、帰ります……テスト、お疲れ様でした……ぐすっ………………」
私は白旗を上げ、帰ることにした。
……泣いてなんかいない。……本当だぞ? ……ぐすっ。
§ § §
あの場にいた3人に別れを告げ、来た道を戻りながら、私はトボトボと学園の外へと向かっていた。
壮麗な大理石で造られた、巨大なアーチ型の門を抜け、学園の敷地を出ると、母が待っていた。
「か、か、カナイちゃんッ! て、て、て、テストッ! お、お疲れさまッ!!!」
「……うん」
テストは白紙で提出したから、頭はまったく使っていない。
でも、メインキャラクターたちとの邂逅によって、気力はごっそり削り取られている。
傍から見れば、今の私は、テストを戦い抜いてヘロヘロになっている、幼気な少女に見えるだろう。
そんな私の姿を見て、母は、近くに立っていた男の使用人を怒鳴り始めた。
「お、おいッ! か、か、カナイちゃんがッ! 来ただろうがッ! と、とっとと、支度をしろッ! グズ共がッ!!!」
「も、申し訳ございません……! 直ちにご準備させていただきます……!」
使用人に向かって怒鳴り散らしている母を横目に、私は石畳の道の脇に停まっていた馬車へと乗り込んだ。
金色に輝く装飾が施された車体は、陽光に反射して、まるで星屑のように煌めいている。
馬車の中に入れば、柔らかなベルベットのシートが出迎え、身体が沈み込むような感触が心地よい。
シートの縁には繊細な金糸の刺繍が施され、高貴な雰囲気を漂わせていた。
この馬車一台で、一体、どれだけの命が救えるのだろうか?
そんなことを考えながら、ふと、窓の外に目をやると、父にビンタされ、その腹いせに私のことを蹴飛ばした、あの少年がいた。
少年の服は、くすんだ色合いで、袖口や裾は擦り切れ、土埃で汚れていた。
どこにでもいるような、いかにも「村人」といった身なりだ。
その少年は――テストの出来栄えが悪かったのだろう――俯いて泣き、両親らしき人物に、慰められている。
村人の身分で、王都第一学園に合格するのは、ほぼ不可能と言っていい。
私は貴族ではないが、それでも魔道具商人の家系であり、一般的な平民とは富や財産が桁違いだった。
アッシュやエレノアは貴族だし、ラヴィは兎族という少し特殊な身分だ。
ホリギフの原作でも、王都第一学園に村人の身分で合格したのは、たった一人だけだった。
それでも、この格差に溢れた世界で、少しでも良い暮らしができるように、わずかな希望を胸に受験に挑んだのだろう。
そこにあったのは、どこにでもいる、普通の家族だった。
……そんな、厳しい現実に打ちひしがれた少年の姿を見て、私は、無意識に、呟いていた。
『ヒーリング・セレネ』
私がそう呟くと、少年は涙をぬぐい、ゆっくりと顔を上げた。
ヒーリング・セレネ――それは、対象者の精神に安寧をもたらす、癒しの魔法である。
顔を上げた少年は、笑顔で両親と話し始め、前を向いて、歩き出した。
……そして、馬車の窓から見ていた私の存在に、どうやら気付いたようだ。
あっ! という表情を浮かべていたので、私は……追加で呪文を一つ、呟いた。
『ドリップ・シャワー』
その直後、少年の頭上から大量の水が降りそそぐ。
ドリップ・シャワー――それは、対象者をただビシャビシャにするだけの、嫌がらせ魔法である。
ビシャビシャになった少年の、唖然とした姿を見て、私は爆笑していた。
少年が顔を真っ赤にし、こちらを見ながら、プルプルと震えだす。
元気になった少年を見ていたら、なんか……普通にムカついてきたのだ。
女の子を、蹴るんじゃねぇ! 反省しろ、クソガキが!
これは、せめてもの復讐であった。
少年の無様な姿にケラケラと笑っていたら、ハチ100匹に刺されたのかってぐらい顔がパンパンになった父が、馬車に乗り込んできた。怖くて何があったのかは聞けなかった。
やがて母が乗り込むと、馬車はゆっくりと発進する。
私は馬車の窓から、グリム王国の街並みが流れていくのを、静かに眺めていた。
道端では、荷台にゴブリンの死体を積んだ冒険者たちが、疲れた表情を浮かべながらギルドへ向かっている。
彼らはきっと、無事に生還できた幸運を噛みしめつつ、これから酒でも飲んで心身を癒すのだろう。
通りの一角では、色とりどりのポーションを並べた錬金術師が、活発に客を呼び込んでいた。
紫や青、赤のガラス瓶が午後の陽光を受けて、キラキラと美しく輝いている。
ふと目をやると、グリム王国の紋章が施されたローブを身にまとった人物が、魔道具店の中に入っていくのが見えた。
この国の、お抱え魔術師なのだろうか? 私もいずれは、ああいった立場で仕事をするのかもしれない。
車輪が刻む規則的な音がリズムを作り、その合間に人々の声や足音が混じり合って響く。
活気に満ちた都心部の喧騒は、自分がこの世界に溶け込んでいると感じさせ、どこか心地よさをもたらした。
やがて、街の一角に佇む、いつもの屋敷が見えてきた。
屋敷の白い壁は、夕方の柔らかい陽光に包まれ、どこか静謐な雰囲気を醸し出している。
屋敷に到着した私は、服を全て脱ぎ捨て、お風呂の代わりであるクリーン魔法で全身を綺麗にする。
そして下着だけ身に付けて、そのままベッドに飛び込んだ。
――なんか、色々あったな。
王都第一学園の入学試験を終えて、私はベッドに横たわりながら、一日を振り返っていた。
試験を白紙で提出したこと。
そして、その後にラヴィと話していたら、アッシュとエレノアが現れて、実際に会話ができたこと。
原作のメインキャラクターたちに出会えたことは、私にとって、本当に嬉しい出来事だった。
これからは別の学校になるけれど、いつかまた、会って話せる日が来ればいいな。
そんな思いを胸に、私は深い眠りへと落ちていった。
それから三日後、王都第一学園から『合格』の通知が届いた。
マジで意味が分からなかった。