モブの野望4
私にとって、第二の故郷とも言えるグリム王国。
ここは、教育に力を入れていることで名高い国だった。
近隣諸国に先駆けて義務教育制度を導入し、前世の日本で言う中等教育、つまり中学校に通うことが国民に義務付けられているのだ。
そしてこの税金を惜しみなく投入した教育政策は、大成功を収めた。
国民全体の高い識字率と、教養レベルの向上により、産業の発展や技術革新が大きく促進されることとなったのだ。
特に魔道具の研究分野では他の追随を許さず、それはこのグリム王国が、高い軍事力を誇ることを意味していた。
教育に力を入れているグリム王国だが、なぜか、初等教育は存在していなかった。
それにも関わらず、この国では中学校に入学するためには、必ず入学試験を受ける必要があるのだ。
つまり、入学試験の対策は全て各家庭の責任で行うことが求められていた。
教育の機会を子供に与えることができる、都市部に住むような裕福な家庭なら、それでも問題は無いのかもしれない。
しかし、農村部やスラム街、森の中で暮らす子供たちの中には、自分の名前すら書けない者も珍しくなく、そういった子供たちは、郊外にある、ボロボロの廃れた中学校にそのまま通うことになる。
郊外にある学校は定員に達することがなく――というよりも、実際には定員の設定がされていないため、形式的な入学試験を受ければ、誰でも入学可能であった。
12歳の時点で、生活環境による学力の差は取り返しのつかないほどに開いている。
これが、実質的にグリム王国の社会階層を固定化する原因となっていた。
ちなみに、ホリギフ原作では、主人公のアッシュがスラム街で暮らす少女と出会い、この社会問題に声を上げるサブイベントがあった。
その中で修道院に地域の教育支援を依頼しに行くと、修道院の腐敗が想定以上であることが発覚し、幅を利かせていた鬼畜共が刑務所にぶち込まれる、という展開となる。
しかし、その少女はアッシュのハーレムメンバーには加わらず、娼婦として夜の街へと消えていき、刑務所に送られた鬼畜共は檻の中で不敵に笑っているなど、妙に後味の悪いストーリーであった。
§ § §
カバンに筆記用具を詰めていると、隣に座っていた金髪ツインテールの少女が、申し訳無さそうに声をかけてきた。
「あの、ごめんなさい……騒がしくしちゃって…………」
試験管に注意されたことを、どうやら気にしているようだ。
「気にしないでよー。私こそごめんねー」
軽く返事をしながら、私は改めて少女の顔をじっと見つめる。
やはり、見覚えはなかった。
私は、カナイのようなモブキャラまで覚えているほど、前世では『ホリギフ』をやり込んでいるのだ。
それでも顔に見覚えがない……ということは、目の前の少女は、王都第一学園にはいない存在、ということになる。
まず間違いなく、不合格だろう。
……そして、ふと思い至る。
この子が王都第一学園に落ちたら、次はどこを受けるのだろうか?
もしかしたら私と同じ、ミスティア魔術学院を受けるかもしれない。
そうであれば、私とは同級生になる可能性があるのだ。これは、とても重要なことを意味していた。
もし私が中学デビューに失敗してボッチになったとしても、顔見知りの友達がいるかいないかで、リカバリーの難易度が大きく変わるのだ。
私はそれとなく、聞いてみることにした。
「……私、このあとミスティア魔術学院を受けるんだよねー」
そう告げると、少女は少し驚いた様子を見せた。
「へー、ミスティア魔術学院なのね。王都第二学園じゃないの?」
王都第二学園とは、王都第一学園に次いで難関とされている学校だ。
一般的には、王都第一学園を受けた後、魔術の適性がある者はミスティア魔術学院を受験し、魔術の適性がなかったり、興味がない者は王都第二学園を受験する、という流れになっている。
どちらかを選ばなければならない理由は、試験日が同じため、併願できないからだ。
「うん、私には(スクールカーストで頂点に立つという)夢があってねー。どうしてもミスティア魔術学院に行きたいんだよー」
「なるほど、それで白紙に……。ということは、あなた、魔術師なの?」
「そうだよー。実は、ヒーラーなんだよー」
私がそう告げると、彼女は目を大きく見開き、驚いた。
「ヒ、ヒーラー!? すごいっ! 初めて見たわっ!」
「へへ、へへへっ、へへっw」
くぅ~~~ッ! この反応ッ! 何度味わっても、最高ッ!!!
嬉しさのあまり、妙に気持ち悪い笑い方をしてしまったけど、彼女は特に気にする様子もなかった。
すると、彼女は何かに気づいたかのように顎に手を当て、考え込み始めた。
そして、恐る恐るといった表情で、私に問いかける。
「……もしかして、あなた、カナイちゃん?」
「!?」
突然名前を呼ばれ、私は驚いた。
「そ、そうだけど……なんでわかったのー!?」
「え!? 本当にそうなのね! 驚いたわ! いや、私と同年代に、凄腕のヒーラーがいる、という噂を聞いたことがあったの! その特徴が、黒髪で、背が低くて! まさにあなたじゃないかって!!!」
少女は興奮したように話していた。
まさか、両親に連れまわされていたヒーラー行脚が、そこまで名を馳せていたなんて…………。
彼女は、少し尊敬の念を込めて、私を興味深そうに見つめていた。
「た、確かに……あなたぐらい凄い人なら……調子に乗ってても許されるわね…………」
「おいブス、パン買って来いよー」
「調子に乗るなッ!」
「イタタタタッ!!!」
1秒で手のひらを返した少女がゲンコツを作り、私の頭をグリグリする。
普通に痛いからやめてほしい。ヒーラーは防御力が低いのだ。
……ちなみに彼女は、決してブスではなかった。それどころか、めちゃくちゃ可愛い美少女だ。
流石の私でも、本当のブスに、ブスと吐き捨てる勇気は無いのである。
頭をグリグリされて、少し半泣きになっている私を無視して、少女は話し始めた。
「私は……魔術がまったくダメでね。本当なら、王都第二学園を受けたかったんだけど…………」
「……けど?」
「私の部族がちょっと特殊でね……。12歳になったら、ちょっとした儀式をしなきゃいけないの。それで、学校なんか行かせないぞって言われてさ。いつの時代だ! って感じだよね」
「……ん?」
「それでも無理を言って、王都第一学園なら行ってもいいってなったんだけど……私には、高望みだったみたい……あーあ、私も学校に行ってみたかったな……」
「……」
その少女の悩みを聞き、私は同情――ではなく、一つの可能性を思い浮かべていた。
それを確かめるために、彼女の名前を聞いてみることにする。
「……名前、教えてくれる?」
「私は、ラヴィよ。よろしくね、カナイちゃん」
……。
……間違いない。
私はこの、『ラヴィ』という名前に、めちゃくちゃ聞き覚えがあった。
「……もしかして、ウサギのお面とか持ってる?」
「!? 持ってるよ! なんで分かったの!?」
金髪ツインテールの少女、ラヴィが驚いた様子で私を見る。
この反応、間違いなかった。
ラヴィって、王都第一学園に居る、『ホリギフ』のメインキャラクターじゃねえか!!!!!
や、やってしまったーーーーー!!!!!
「あ、あの、ラヴィ……さん」
「えっ!? 急になに!? さん付け!?」
「あの……すみません、舐めた口を聞いて。本当にすみません……」
「どういうことよー!?」
「私のような……チビで陰湿で、胸も小さい女が、ラヴィ様にデカい態度とってすみません……」
私は頭を下げる。
そのまま視線をちらっと上げ、ふと、ラヴィの胸元を見る。
「胸は、同じくらいでした……」
「あなた、私をバカにしてるでしょ!?」
前世では、『ホリギフ』に関する掲示板が存在していた。
その中には、いわゆる「強さ議論スレ」と呼ばれるものがあり、主人公に次いで強いキャラクターについて議論するそのスレッドは、白熱した論争を引き起こしていた。
そんな中、この『ラヴィ』という少女は、主人公のハーレムメンバーではないにもかかわらず、その名が挙がるほどの実力者であった。
彼女は、最強の一角を占める存在として、認識されていたのである。
一族の掟により真っ黒な兎のお面を被る、最強の少女。
公式ファンブックでも明かされなかった素顔を、今、私に見せていた。
金髪のツインテールが良く似合う翡翠の瞳は、まるで深い湖のように澄んでいる。
あんなに強く、それでいて実はこんなに可愛いなんて、天は二物を与えたのだ。
「孤高」と「ぼっち」の最大の違いは、周囲から舐められているかどうかにあるだろう。
ラヴィは、クラスの輪に入ることはあまりなかったが、決して舐められることのない存在であった。
それは、彼女の持つ高い戦闘能力を、周囲が本能で畏れてしまうからだろう。
文句を言うやつは、実力で黙らせる。
ラヴィは一匹狼でありながら、紛うことなき、一軍女子であった。
……しかし、私の知っている『ホリギフ』のラヴィと、目の前にいるラヴィでは、性格が随分と違うように感じる。
もしかすると、王都第一学園での彼女は、兎族の伝統とされている儀式を行っている最中だったので、あまり慣れあうことが許されなかったのかもしれない。
もしそうだとしたら、今のように気さくに話している姿こそが、本来の彼女の性格なのだろう。
それでも、目の前にいる少女が、とんでもない怪物であることには変わりはない。
私は、面倒な事情を、すべて兄に押し付けることにした。
「じ、実は、私の兄がさー。兎族の噂を聞いて、兎面を盗もうとして情報を集めてたんだよねー。そのときに、ラヴィっていう子がとても強いって聞いたみたいでー。私もそれを聞いたんだよー」
私は嘘をついたが、部分的には事実でもあった。
兄が兎面を盗もうとしていたのは本当だが、「ラヴィ」という名は出てきてはいない。
そして兄は、兎面を盗むどころか、情報収集をしていた段階で、惨憺たる姿にされてしまったのだ。
……これは余談だが、あのときの兄のボコボコっぷりは、私が見てきた中でもトップクラスに面白かった。
§
その日、私と兄は二人で、近所の森に薬草を取りに行っていた。
森の中はいつも通り薄暗く、湿った空気がまとわりつき、どこか不安を感じさせる。
そんな中、私がせっせと薬草を摘んでいると、突然、兎面を被った青年が目の前に現れたのだ。
突如の出来事に、私と兄の息が止まる。
まるで、時間が凍りついたかのような静寂が、森全体を支配した。
「コソコソと嗅ぎ回っているのは……お前か」
青年はそう告げると、刀をスッと振り上げ、一瞬で兄の四肢を切断する。
両手両足を失った兄は、転がる丸太のように地面をゴロゴロと転がり、その痛みに発狂していた。
青年は一度もこちらに視線を向けることなく、淡々と刀を収め、何事もなかったかのように背を向けて、森の奥へと音もなく消えていった。
普段、私のことをイジメていたくせに、必死に回復魔法を縋ってくる兄の姿は、あまりにも無様だった。
とりあえず止血魔法をかけて死なないようにし、その後、苦しみながら発狂している兄を、薬草を摘みながら、約1時間ほど観察した。
芋虫のようにウネウネと体を揺らしている姿は、本当に気持ち悪くて、無様で、見ていて本当に気持ちが良かった。
§
私の兄が、兎面を盗もうとしているという話を聞き、ラヴィはワナワナと震えだした。
「な、なんて恐ろしいことを……! お兄さん、殺されるわよ!?」
実際には、すでに半殺し――というか、私がいなければ殺されていた後である。
「兎族の話は、兄から色々と聞いたよー。それに兄は、まだ諦めてないみたいでねー。……兄は自信家だから、刺客なんて返り討ちにしてやる! って息巻いてたよ?」
原作知識はすべて兄から得た情報だと主張できるように、兄は現在も情報収集を続けているという設定にした。
兎族は好戦的なものが多いと聞く。妹の代わりに死んでね、お兄ちゃん♪
困惑した様子で、ラヴィは私をじっと見つめた。
「そ、そう……。私は忠告したわよ……? う、恨まないでね!?」
ラヴィは、あたふたしていた。
「君たち……面白いね」
「ふむ、興味深い話をしているな」
…………私は、まるで油の切れた機械のように、ぎこちなく声の方を向いた。
そこには、ホリギフの主人公である世界最強の男『アッシュ』と、メインヒロインの一人であり、私の推しキャラでもある『エレノア』が、並んで立っていた。
原作では、アッシュとエレノアは学園で初めて出会うはずだ。
私は、何が起きているのか理解できなかった。