モブの野望3
私が王都第一学園に落ちた後に、本命として合格を狙っている学校は『ミスティア魔術学院』であった。
この学校は、特色を一言で表すなら「創造」であり、魔道具や新型ポーションの研究開発が盛んにおこなわれている。
その特徴から研究機関に進学する人がとても多く、難易度も王都第一学園に次いで難しいとされていた。
そんなミスティア魔術学院は、ホリギフ原作にも少しだけ登場する。
主人公のアッシュが所属する王都第一学園が、各学校と対抗戦をするシーンがあり、その際に、魔法狂いの巣窟として紹介されているのだ。
その呼ばれ方からもわかるように、このミスティア魔術学院は、魔法を愛し、魔法に愛され、魔法に囚われているものたちが集結する場所である。
それはつまり、魔術師としての腕がそのままスクールカーストに直結する、ということを意味していた。
まさに、私にうってつけの学校だ。
魔術に――特に回復魔法に自信がある私なら、1軍女子は間違いなし! という算段である。
そう。
私は、魔法が使えるのだ。しかも、結構すごいのだ。
といっても、魔法が使えること自体は別に、この世界では珍しいことではない。
私も転生したばかりの、幼いころこそは興奮していたが、今ではもうすっかりと慣れていた。
それもそのはずで、この世界の住人は、大体の人は簡単な魔法ぐらいなら使えるのだ。
魔法に対してありがたみがない、というよりも、希少性が無いのであった。
しかしそれは、せいぜい水や火を出すだけの、凡百の話。
私のように、回復魔法が使えるとなると、話は大きく変わってくるのだ。
回復魔法は、習得できるかどうかが本人の気質によるところが大きく、とにかく使い手が少なかった。
しかしその効果は、ポーションなどでは決して代用できないレベルであり、欠損した体の部位を再生することだって可能なほどである。
当然、私の両親もその価値を理解していた。
回復魔法の才能が露呈した幼い私は、ヒーラー行脚として各地に連れまわされ、莫大な謝礼金をかき集めたのだった。
私たち家族は、私以外の家族によって振りまかられる悪行と、私のヒーラーとしての貢献が相殺……されきれず、足りない分だけ私がボコボコにされて、何とか許されているのだ。
皮肉なことに、私ならいつでも自己治癒ができるので、ストレスの捌け口として、とても都合が良いのだろう。
自分でほつめを縫い直してくれる、意志を宿したサンドバッグ。
少しだけ性格が悪く、適度な反発性があるサンドバッグ。
まるで殴られるために生まれてきたような、殴っていて一番気持ちがいい存在。
それが、私なのだ。
私がいなければ、一族郎党、とっくにぶっ殺されているのだ。
§ § §
――うっ!?
飛んでいた意識が、戻ってくる。
テスト開始の号令とともに、意気揚々と問題用紙を開いた私は、そのあまりの難しさに、どうやら気絶してしまったようだ。
……なんだか、夢のようなものを見ていた気がする。
内容はイマイチ覚えていないが、胃がむかむかするような、妙な胸糞の悪さだけが残っていた。ヒール魔法、使いたい……。
私は気を取り直し、あらためて問題と向き合うことにする。
王都第一学園の入試では、幅広い知識が求められた。
それは魔法理論や魔物学、歴史学など、前世では知らないことも多くある。
去年の問題を例にあげると、
魔法理論では「呪文を使うときのエネルギー変化を調べ、最も効果的な魔法を使う方法」を問われたり、魔物学では「ゴブリンの集団生活を理解し、彼らがどのように仲間同士でうまくやっているか」を説明させられたり、歴史学では「グリム王国の建国に注目し、その出来事が他の国々にどのような影響を与えたか」を考察させられる、といった具合だ。
それは前世の知識だけでは、答えようがないものであった。
こういった問題が、だいたい10問ほど出題される、というのが例年の傾向である。
しかし今年の難易度は、そんな例年と比べても、あまりにも常軌を逸していた。
魔法理論においては、特定の高次元空間におけるエネルギー場の変動が呪文の効力に及ぼす非線形的な影響を解析するミューラル共振理論を用いて、これを基にした多層次元的魔法構造の最適化を証明する問題が出題され、魔物学では、ゴブリンの社会的ヒエラルキーとそれに関連する古代の伝承や部族の知識を基に、オルサンの階層動態理論と群集心理学を統合した上で、異なる社会モデル間の相互作用が社会的安定性に与える影響を精緻にシミュレーションし、その結果を定量的に評価する課題が提示され、歴史学においては、グリム王国の建国に関わる歴史的出来事を、単なる年表の枠を超えて、複雑な因果関係と相互作用に基づくカイオス因果分析法を用いた多元的時系列分析を行い、その結果が後世の政治的および文化的変容に如何に影響を与えたかを深く論じる必要があった。
このレベルの問題が、なんと100問ほど出題されているのだ。
意味が分からなかった。
王都第一学園、ご乱心である。
12歳に解かせるものではない、あまりにもとち狂った難易度に、私は頭を抱えていた。
ここまで難しいと、ボーダーラインが恐ろしいほどまでに下がるのは間違いなく、下手をすれば、ほんの数点で合格が決まってしまう可能性すらあるだろう。
それを裏付けるように、周囲からは、その難易度に心を折られた者たちの、すすり泣く声が聞こえてくる。
私はその、思わず漏れ出てしまったような嗚咽を聞いていると、ふと、兄のことを思い出した。
そう、実は、私には兄がいるのである。
もちろん、この世界での兄だ。
私の兄は、この王都第一学園を受験し、敗れていた。
長男として両親から過度の期待をかけられた兄は、親の悪い部分だけを吸収し、高慢ちきな態度で人を見下すようになっていた。
自分の才能を信じて疑わず、ほとんど勉強もせずに、ぶっつけ本番で試験に挑んだ結果、なんと1問も解けずに0点で落ちてしまうのだ。
そのあまりにも不甲斐ない結果に両親は発狂し、泣きじゃくる兄をぶん殴り、修道院に放り込んだのである。
私が修道院に送られることを怯えているのは、そういった過去があるからであった。
しかし私は、そんな兄に対して、同情の気持ちなどは一切ない。
なぜなら、私の両親はとんでもないクズだが、兄もそれに負けず劣らずのクズだからだ。
屋敷に金目の物があれば盗んで質屋に持っていき、足を失った子供がいれば目の前でタップダンスを踊り、飢えた人がいれば「栄養剤」と称して自分のおしっこを飲ませ、私の下着を盗んでは路上で売り捌くなど、鬼畜としか思えない振る舞いをしていた。
そんな兄だったので、修道院に送られると聞かされたときには、心の底から喜んだものだ。
兄は、私とは違って、両親からもひどく嫌われていた。
そんな兄が王都第一学園に0点を取って落ちたことは、両親にとって修道院に送る絶好の口実となったのだろう。
もともと、見限られていたのだ。
……そんな家庭内ヒエラルキー最下層の兄に、私は毎日のようにイジメられていた。
兄に屈服させられていた、あまりにも情けない過去の記憶が蘇り、胸の奥から、沸々と嫌な気持ちが湧き上がってくる。
私はその、どす黒いヘドロのような感情を振り払うように、目の前の問題に集中することにした。
分厚い問題用紙を、パラパラとめくる。
ふむ……これは、解けない。
問題文の頭にバツをつける。
これも……わからない。
問題文の頭にバツをつける。
こっちも……習ってない。
問題文の頭にバツをつける。
解けない、解けない、解けない……。
バツ、バツ、バツ。
ふむふむ、なるほど。
なるほどね、ほ~ん。なるほどね。
うんうん、うんうんうんうん。
はいはいはい。
一通り問題を見終えた私は、
「このテストで0点を取っても、修道院送りにはならない」
と結論付けた。
全体の難易度があまりにも高いため、わずかな点数でも合格してしまうかもしれない。
そう判断したのだ。
私は最初の方針を改め、解答用紙には必要事項のみを記入して、「白紙」で提出することにした。
いつか兄が帰ってきたら、「私も0点だったけど、修道院には送られなかったよ? お兄ちゃん、嫌われてるんだね! 親の愛を知らないって、可哀そうw」と煽り散らかすことを楽しみに、残りの時間はすべて、寝て過ごすことにした。
親の愛など、私もナノグラムほどしか知らないが、その0.000000001グラムには、決して覆るのことないマウントチャンスがあるのである。
§ § §
肩を軽く叩かれ、私は机に突っ伏していた顔を上げた。
広間を見渡すと、試験官がその中を巡回し、解答用紙を回収していた。
どうやら、私が寝ている間に試験は終わってしまったようで、隣に座っていた金髪ツインテールの少女が、私を起こしてくれたようだ。
その少女は、心ここにあらずといった様子で、目元には少し腫れが見えた。
「あ、どうもね~」
軽く礼を言う私に、少女はまるで、目の前に恐ろしい化け物でも現れたかのように目を見開いた。
彼女はしばらくの間、私をじっと見つめた後、視線を伏せ、震える声で呟いた。
「な、なにも……わからなかったの……」
その呟きは、試験を受けた全ての者の心情を代弁しているかのようだった。
私はその少女の様子を見て、「お前は落ちてるよ」と口にしそうになったが、ぐっと堪えて優しく声をかける。
「んー、100問あったのは驚いたけど……2、3問くらい完答できてれば合格できそうだよ」
少女の顔が一瞬、希望の光を宿したが、すぐにまた暗い表情に戻った。
「私……それでも自信ないよ……」
「うん、落ちてるよ。間違いない」
ぐっと堪えたものが、漏れ出してしまった。
少女は私をじっと見つめ、はぁ、と一つため息をつくと、言葉を続けた。
「……あなたって意地悪なのね。性格が悪いってよく言われるんじゃない?」
「うん、よく言われるよ。でもそれと同じくらい、いい性格してるねって褒められるんだ。不思議だよね~」
「それ、褒められてないわよっ! ……まぁいいわ、きっとあなたはさぞかし、素晴らしい出来栄えなのでしょうね。私と違って!」
「いや、白紙だけど」
「え?」
少女は、驚いたような目で私を見た。
「だから、白紙で提出したよ。名前だけ書いて、あとは全部白紙」
「は、は、白紙ィ~~~!?」
少女は手で顔を覆い、信じられないという表情を浮かべている。
「うん、白紙」
「白紙って! ハァ~!? あなた! クソバカじゃないの!!! あんなに強キャラオーラを出しておいて、白紙ィ~~~!?」
少女は怒りと嘆きが混じった表情で、私を指差しながら叫んでいる。
「まあ、事情があってね」
「言い訳はよしてちょうだい! 試験が難しくて、手も足も出なかったのでしょう?」
「まあ、否定はしないよ」
「ふんっ! イキリピーマンとは、あなたのことねっ!」
「ピ、ピーマンッ!? ムッキィーーー!!!!! 違うッ! わけあって、わざと白紙なの! わ、ざ、と!」
さすがにピーマンと言われては看過できない。
顔を真っ赤にしながら否定する私を、彼女はさらに否定してきた。
「な~にがわざとよ! 変な見栄を張らないでちょうだい! バカ!!!」
「んんんんっ! 本当なのに~!!! ピーマンは取り消してよッ!!! ねえッ!!!」
私の叫びも虚しく、彼女の中で私は試験に手も足も出なかった変な人、として認識されてしまったようだ。
その後も言い争いが続いていたが、試験官が咳払いをし、場に静寂をもたらした。
言外に「静かにしないと殺すぞ……」と訴えかけているような、試験官の冷たい目が私たちを射抜く。
臆病な私はその視線に圧倒され、無言のまま視線を落とすと、心の中で「なにを睨んでんだ! 死ね!」と毒づいた。
「以上で、試験を終了といたします。お疲れさまでした。気を付けてお帰りください」
大広間の教壇に立った試験官がそう告げると、試験は無事に終了を迎えた。
子供たちは帰る準備を始め、大広間には解放感が広がり始める。