モブの野望1
モブ男からモブ女への転生とは、一体誰得なんだと聞かれれば、ずばり、俺得であった。
同じモブでも、どうせ生まれ変わるなら女の方がいい。そういうものだろう。
おそらく俺がモブ女だったら、おなじモブでもモブ男への転生を望んでいるはずだ。
モブは、異性に憧れる。
モブ男は女になりたがるし、モブ女は男になりたがる。そういうものだろう。
そして、なんだかんだで月日は流れ、この世界にモブ女として転生してから、もう12年が経過していた。
時間の流れというのは、あっという間である。
そんな俺、もとい私は、今日はグリム王国にある『王都第一学園』への入学試験に来ていた。
この学園は倍率100倍以上のゲキムズ難関校として知られていて、例え王族であろうとも裏口入学などは一切許さない、超実力主義な校風だ。
ただその難易度に見合うように、この学園に入学できれば、富、名声、力の全てが手に入るといっても過言ではなかった。
なんならもう、学生のうちから数多の特権が付与されているため、万引きとかなら全然揉み消すことが可能なレベルである。
支配層に立つことが確約される場所、それがこの、王都第一学園だ。
その敷地は非常に広大で、学園内には大きな公園がいくつも存在する。
そんな公園の一つ、緑地公園の二人掛けのベンチに、私と母は並んで座っていた。
小さな体を背もたれに預け、ぼーっと空を眺める私。
風が吹くたびに、噴水の水しぶきが混じった心地よい風が頬を撫で、私の短く切られた黒髪を揺らしていく。
リラックスした状態の私とは対照的に、隣に座る母は、随分と落ち着かない様子であった。
そして自身の緊張を紛らわす様に、母は私に声をかける。
「か、カナイちゃん? 体調とかは大丈夫? お腹空いてない?」
「……うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、お母さん」
母の心配する声に、私は心にもない返事をした。
『カナイ』というのは私の新たな名前である。
前世の自分は、17歳という若さで、おそらく亡くなった。
おそらく、という言い方になってしまうのは、自分の中にある最後の記憶が、目の前に迫りくるトラックだったから、状況的にはねられて即死したのだろう、という判断を後からしているためである。
そして目の前に神様が現れることもなく、気が付いたらこの体に生まれ変わっていた。
「か、カナイちゃん! 受かるといいね! か、か、カナイちゃんがもし、王都第一学園に合格したら……! ぐふ、ぐふふっふふっ! この国を、牛耳るのね! 私の娘が! ぐふっ! ぐふふふふ!」
「……」
私が王都第一学園に合格した後の世界を妄想し、急にニヤニヤしだす母。
そのあまりの気持ち悪さに、私は無言になってしまう。
しかし……母の語る、この国を牛耳るという妄想は、あながち間違いではなかった。
実際に、グリム王国の中枢は貴族ではなく、王都第一学園出身の者で固められているのだ。
それは王族にとっても例外ではなく、この学園に入学できなければ、後継者争いからは脱落したと見なされるほど。
たかだか12歳になる子供に対して、それはあまりにも厳しすぎる現実に思えるが、この国のトップに立つ者としては、これぐらいは乗り越えなければいけない試練なのだろう。
血筋よりも圧倒的なパワーを持つ最強のカード、それが「王都第一学園」というブランドだ。
そんな、将来の成功が約束された王都第一学園。
ここを私が受験することは、私が受精、もとい受魂する前から決まっていた、運命ですらあると言えるのだ。
え? どういう意味かって?
……実は、私が生まれ変わったこの世界は、前世で存在していたゲーム『ホーリー☆ギフト』の世界なのだ。
この『ホーリー☆ギフト』通称ホリギフは、いわゆるギャルゲーというやつだった。
主人公の男がヒロインと力を合わせながら困難に立ち向かい、ハーレムを形成しながらついでに世界も救うという、わりと王道なストーリーだ。
原作はゲームだがアニメ化もしており、根強いファンも多い名作であった。
そう。
そんなホリギフの主人公が通っていた学園、それこそが、私がこれから受験する、この王都第一学園なのである。
そして私は、同じく王都第一学園に通うメインヒロインの一人に転生した――わけではなかった。
私は、教室の隅でひっそりと過ごす、存在感の薄いモブキャラ『カナイ』に転生していたのだ。
転生したらギャルゲーのモブ女だった件について
ということだ。
さっきから自分で自分のことをモブ呼ばわりしているのは、そういった背景からきているのさ。
ふざけんな。
このカナイという女、というか私は、とにかく地味だった。
黒髪のショートヘア、低身長、貧乳という目立つ気ゼロの容姿に加え、特筆すべき能力といえば、回復魔法が使えることぐらいだ。
原作でもアニメでもほとんど登場せず、たまにモブキャラとして端の方に添えられている程度の存在である。
だがしかし、そんな私だが、原作だと確かに、この王都第一学園に合格しているのだ。
先に説明したように、王都第一学園というのは、超絶エリートの最強集団である。
そこに通っていたというのは、とんでもない偉業であり、私がべらぼうに有能であることの証左でもあった。
しかしそれでも、原作主人公やヒロインたちの圧倒的なスペックの高さには敵わず、学園内ではモブキャラとしての立ち位置を強いられていたのだろう。
そもそもクラスメイトに、後にハーレムメンバーの一人となる、最強の聖女がいるのだ。
ちょっと回復魔法が使える程度の私など、お呼びではないのである。
前世の自分は、あまり口数の多い方ではなかった。
通っていた高校は共学だったが、女子と会話をするなんて夢のまた夢であり、それどころか男ともロクに会話をした記憶はなかった。
ストレートに言うならば、友達がいなかったのだ。
嫌われていたり、イジメを受けているわけでもなく、いてもいなくても変わらない、空気のような存在。
それが自分だった。
そんな前世の自分とカナイの境遇を似ている――というのは、流石に烏滸がましい話だろう。
前世の自分を思い出し、懐かしい気持ちになってしんみりとしていると、遠くから聞き慣れた父の声が聞こえてきた。
「お~い! カナイちゃ~ん! お茶、買ってきたのじゃ~~~!」
父がこちらに向かって、勢いよく駆け寄ってくるのが見えた。
と、その時だった。父が、目の前に現れた少年と派手にぶつかってしまったのだ。
「あっ、ご、ごめんなさい」
よろけた父に、少年がすぐに謝罪をする。
父はその謝罪をうけ、ニッコリと笑った。
そして、少年の頬を思いっきりビンタする。
「邪魔じゃぁ! ボケェ!!!」
突然ビンタされ、父に大声で怒鳴りつけられた少年は、頬を手で押さえながら、その場で泣き出してしまった。
その様子に、私は思わず顔をしかめる。
この世界での私の両親は、中々ろくでもない大人であった。
見栄っ張りで、自分以外には関心がなく、人の嫌がることが大好きで、マウントを取るチャンスに飢えている、とても嫌な奴らである。
屋敷に少しでも埃があれば使用人を怒鳴り散らかし、露天で骨董品が売られていればブルジョワ気分で買い漁り、道端で乞食をしている戦争孤児がいれば顔にツバを吐きかけ、慎ましく隅っこを歩いている野良犬がいればわざわざ近寄って蹴り飛ばし、路上で靴磨きをして貰う前にはウンコを踏みまくるなど、狂人としか思えない振る舞いをしていた。
当然ながら四方八方から恨みを買っており、そのうち殺されるのではと心配になるほどである。
そんな見栄っ張り……というか、頭のおかしい両親が、我が子を社会的ステータスの最高峰である、王都第一学園に入れようとするのは、当然のことであった。
もし私が合格でもしたら、それはもう、自分の手柄のように鼻高々で自慢しまくるだろう。子育てのプロが教える合格秘話、みたいな高額セミナーとかも開くかもしれない。
だが私は、そんな両親の期待はすべて無視して、"17年分の前世の知識"という圧倒的なアドバンテージを一切活かすことなく、入学試験には全力で「落ちる」つもりでいた。
全力で落ちるというと、テストを白紙で提出したり、そもそも受験をぶっちすればいい、そう思われるかも知れない。
しかし、その方法は使えない……というよりも、とあるリスクが伴うのだ。
それはこの学園が、たとえ不合格であっても、点数が開示されてしまうことに起因している。
もしここで私が、あからさまに低い点数や、あろう事か0点なんかで落ちていたら、両親はブチギレて、私を修道院にぶち込むだろう。
この世界での修道院は、もはや宗教施設というより、刑務所やスラム街に近い存在だった。
神に祈りを捧げる敬虔な信徒など存在せず、そこには三度の飯よりもイジメが大好きな化け物たちが跋扈する、異常者の隔離施設となっているのだ。
逃げ出そうにも自警団が24時間体制で周辺を監視しており、敷地の外に出ることすら叶わない。
新人の9割は先輩たちの洗礼、もとい過酷なイジメに耐えられず、近くの崖から海に身を投げると言われているほどだ。
私のようなモブ女など、3分もあれば金目の物と服をすべて奪われ、裸にされて虫でも食わされるのがオチだろう。
そんな地獄のような未来を避けるためにも、両親に手を抜いたとバレない程度には、点数を確保する必要があった。
わりと良い線をいっていたけれど惜しくも及ばなかった、という体裁を全力で取りに行く必要があるのだ。
え? 何故そんなリスクを背負ってまで試験に落ちたいのかって?
――理由は主に、2つあった。
1つ目は、王都第一学園が非常に危険な場所だから、だ。
この世界には、冒険者という職業が存在している。
冒険者とは、冒険者ギルドから依頼――ドラゴンの討伐からドブさらいまで実に種類豊富である――を選んで受注し、それを達成して報酬を得ることを生業としている者達のことだ。
そして冒険者には、実績に応じて冒険者ギルドからランクが認定されるという、いわゆるランク制度が実装されていた。
Eランクで半人前、Dランクで一人前、Cランクで先生と呼ばれるようなこの世界。
王都第一学園では、入学からわずか1ヶ月後の野外演出で、いきなり推奨Aランクのダンジョンに連れて行かれるのである。
多くの学生は、ここで初めて冒険者ギルドに登録することになり、その際に与えられる冒険者ランクは、最も低いGランクだ。
そんなGランク冒険者でありながら、推奨Aランクのダンジョンにぶち込まれる。
スパルタ教育にも程があるが、将来の最強エリート集団が一丸で取り組む課題としては、丁度いい塩梅なのだろう。
原作ではクラスメイトたちは力を合わせて――多少は先生の力も借りながらではあったが――Aランクのダンジョンを見事に踏破するのであった。
そのときに一応、私も死ぬことなく踏破しているはずなのだが、どのような役割で、どのようなアプローチをしていたのかが、分からないのだ。
さすがに回復職として後方支援を担当していたとは思うのだが、あくまで憶測にすぎなかった。そんな描写は、原作のどこにもなかったからだ。
アタッカーとして前線に配置でもされたら、今の私では、普通にポカして死ぬ可能性だって全然あるだろう。
そもそも、私が操作をしていたプレイアブルキャラは、カナイではなく、ホリギフの主人公なのだ。
この男は世界最強で、何をやらせてもチート級に強く、学園の課題なんてとくに苦労もせず、余裕綽々でクリアしていた記憶しかないのである。
当然、しがないモブキャラの私に、同じことが出来るはずがなかった。
このように、王都第一学園という場所は、世界最強である主人公の成長速度に合わせた、鬼畜難易度の課題が降ってくる場所なのだ。
モブキャラである私には、到底こなせないような無理難題の数々を、原作のカナイは一体どうやって切り抜けていたのか、まったく見当がつかない。
そんな今の私では、命がいくつあっても足りないのである。
そして、私が試験に落ちたい、2つ目の理由だが……。
……ふぅ。
オーケーわかった。正直に言おう。
長々と学園の危険性とかを語っていたが、ぶっちゃけ、そんなのは取るに足らない問題であった。
私がわざと落ちようとする、最大の理由。それは……
王都第一学園はッ! レベルが高すぎてッ!
この私がッ! モブキャラに成り下がっていたから、だッ!!!
本来ならば私は! モブキャラに収まるような器ではないッ!!!
気持ちよく学園生活を送りたい! チヤホヤされたいッ!!!
学園の噂の的! みんなの憧れになりたいッ!!!
就職だの将来だの! そんな遠い話はどうでもいいのだッ!!!!!
ゆえに私は、あえてワンランク下の学園に入学し、舎弟を100人つくってブイブイ言わせる、学園のドン、圧倒的な一軍女子、お山の大将を目指すことにしたのだ。
スクールカーストの頂点に立つこと、それこそが、私の今世での野望である。
そんな私の熱いパトスなどつゆ知らず、付き添いで来た母親が時計台をチラリと見ると、私に声をかけた。
「そ、そろそろ……いきましょうか! 心配しなくても大丈夫よ! カナイちゃんは賢いから! いつも通りで頑張ってきなさい! り、リラックスよ! ねっ!」
自分に言い聞かせるように、私を励ます母。
きっと、私がわざと落ちようとしているなんて、夢にも思っていないんだろうな……。ふふ、哀れだぜ。
人に嫌がらせをしているときに最高の笑顔を見せるような、どうしようもない母親だが、それでも私に対しては、小さじ1杯ほどの愛情は注いでくれていた……とは思う。
私を合格させるために家庭教師を雇い、食事や睡眠環境にも拘ってくれていた。
そんな親の期待を裏切ることに、ほんの少しだけ罪悪感を覚えたが、すぐに親のクズっぷりを思い出して、あっさりと相殺された。私を舐めるなよ。
……それでもまあ、リップサービスぐらいはしておくか。
私は母の手を握り、屈託のない笑顔で母に言った。
「うん、頑張ってくるね! 見送りありがとう、お母さん」
「……! う、うん! 頑張ってね! カナイちゃん!」
母が私の手をぎゅっと握り返し、エールを送ってくれた。
私はその手を離し、それじゃあと告げてその場を後にする。
一丁前に、娘の成長に感動している母親にイラッとしながら、私は受験会場へと足を進めた。
ちなみに父は、武装した見張り員に取り囲まれ、どこかに連れていかれていた。はやく死なないかな~。