灯純 2
菜子と離れた。
菜子は俺の気持ちには応えられないからってハッキリと言った。
辛くて苦しくてどうしようもなくて、こんなに苦しいなら最初から菜子に出会わなきゃ良かったとおもった。
知らなきゃこんなに苦しまなくて良かったのに。
淡々と日々がすぎる、あまりにも時間が長い。
毎日が虚しくて、奥底から滲むような悲しみとか怒りとかが綯い交ぜになったみたいな黒いヘドロが毎日を浸食していく。
俺の世界ってこんなにつまらなかったっけ?
もうどうでもいい、こんな世界どうでもいい。
そんな頃に現れた女がいた。
八条薗紫吹という女だった。
「あの、阿炎くん。私を憶えていますか?」
学校の図書館でふいに声をかけられた。
「誰?」
「以前…中学3年の頃、街で声をかけあなたに告白をした者です」
「…ごめん、わからない」
「そ、そうですか。あの、本当に失礼ですが…最近阿炎くんの元気がなくて、気になってしまって…」
「そう」
俺の興味なさそうな態度にも怯むことなく話し続ける女。
「私、やっぱり阿炎くんが好きです。だから嫌かもしれませんが心配で…」
「へぇ、アンタ俺が好きなの?」
と、気まぐれに笑いかけると女は慌てたような真っ赤な顔で何度も頷いた。
「は、はい!おこがましくも阿炎くんみたいな王子様が私なんか相手にしない事くらい分かってるんです、でも好きです」
と俺に縋るような視線を送り真っ赤な顔で気持ちを伝える女。
(これが菜子なら幸せだったのに…)
読んでいた本を閉じて女に向き直る。
「いいよ、アンタの好きにして」
「え?」
「俺とどうなりたいの?」
「お、お付き合いがしたいです」
「分かった」
「え?」
「お付き合いしたいんだろ?」
「も、もちろんです!」
「なら今日からね。えーっと、紫吹?だっけ」
「はいっ!」
「じゃ、俺帰るから。またね」
と俺は帰った。
どうでもいい、毎日知らない女達に好意を向けられるのもいい加減に疲れた。
あの女を風除けにしたら少しはマシになるだろう。
それから紫吹は毎日俺の元へ来て世話を焼きたがった。弁当を作ってきたり、困ってないかと聞きに来たり。
俺が特待生で入ってるという事を知ってる紫吹は金が無いと思っているようで色々な物を渡してくる。
「あのさ、毎回こういうの渡してくるのなんで?」
「あ、その…嫌だったかな?でも気にしないで!私が好きでやってるから」
「そう」
紫吹が色々な物を渡してくるが特に興味もない。
適当に礼を言って受け取っていた。その度に紫吹はニコニコとしながら
「ううん。灯純くんのためなら何でもしたいから」
と何が楽しいのか嬉しそうにしていた。
紫吹はだんだんと、物や金で俺を動かそうとするようになった。
「あの、明日デートに行きたいんだけど」
「明日?」
俺の微妙な顔に慌てたのか申し立てるように紫吹は喋り始める。
「あのね、灯純くんに似合いそうなブランドを見つけてね!それで良かったらプレゼントしたくて!」
「ふーん」
「だから、灯純くんが来てくれないとサイズも分からないから一緒に行きたいの!」
「別にいらないけど」
と俺が言うと紫吹は更に喋りまくる。
「それなら鞄や靴は?何でもいいのっ!必要なものがあれば見に行こうよ!」
「あー…」
そういえば鞄が壊れかけていたな。
「鞄は壊れそう」
と呟くと紫吹は嬉しそうに
「なら行こうよ、ね?ね?」
と頻りに誘って来る。
「あぁ」
「うれしい、ありがとう灯純くん」
と俺の腕にもたれかかり甘えるような仕草をする紫吹、面倒臭いから俺は何時でもされるがままだった。
鞄を買うために翌日は紫吹と出かける事になった。
「灯純くん、これなんかどう?」
「収納多いほうがいい」
鞄を見ていると背後から昔からの友達である葉里が女連れで声をかけてきた。
「灯純じゃん!久しぶりだな!」
と相変わらず明るい葉里。
「久しぶり」
と俺が返すと葉里は驚いた顔で紫吹を見ていた。
「え?もしかして…」
と葉里が言うと紫吹は照れながら
「彼女の八条薗紫吹です」
と言う。その様子に葉里は目をパチパチさせて
「マジで?良かったじゃん、菜子以外の女の子にも興味持てたんだな!」
「菜子…」
ふと思い出して胸が苦しくなる、会いたい。
けど菜子を困らせてしまう。無理矢理にでも俺のものにしたいと何度も思ったけど菜子を見るとどうしても出来ない。
菜子は特別だから壊したくない。菜子に嫌われたくない。
「あっ、ごめん。彼女の前なのに、あまりにも驚きすぎて…良かったら飯でも食うか?俺等今から食べに行くんだけど」
「葉里の奢りなら」
「えーっ!お前も少しは出せよ」
「しょうがないな」
と俺が言う、紫吹は是非!と乗り気で行く気になっていて葉里の彼女も承諾した。
それから皆でファミレスに入り紫吹はやたらと葉里に昔の俺のことを聞いていた。
「灯純くんと昔から仲がよかったんですか?」
と紫吹が葉里に尋ねた。
「あぁ。幼稚園ぐらいから一緒でさ、昔からのモテてしょうがなくて羨ましかったぜ」
「やっぱり…」
「俺と葉里と、もう一人菜子って女の子がいてさ。中学まではずーっと一緒に遊んでたんだ」
「菜子さんってどんな方ですか?」
「んー、いい奴だよ。世話好きっつーか、優しいんだよな」
と葉里が言う。俺は思わず
「菜子は誰にでも優しくて健気で、自分が辛いのに誰かを助けようとしたり、不器用で鈍感でも一生懸命だから…」
と呟いてしまった。葉里は
「だよなぁ、俺実は菜子に中学の時に告ってフラれたんだぜ、アイツ鈍感だけどいい奴だよな」
と話し始めた。葉里の彼女は少し不機嫌そうにしたが葉里が彼女に甘えはじめると仕方ないなと許していた。
「菜子さんって…素敵な人なんですね」
と紫吹は言う。チラリと俺を見て
「灯純くんのそんな顔、初めて見た」
と紫吹の瞳の奥にドロリとした執着や嫉妬のような感情が表れていた。
「そう?」
「うん、嬉しそうだった」
「気のせいじゃない?」
と、面倒なのでそう返事をした。
それから菜子の話をすることなく適当に会話をして解散することになった。
「あ、灯純くん」
「なに?」
「さっきの鞄、よく見てたから気に入ってるかと思って。プレゼント」
と紫吹は俺に紙袋を渡した。
「ありがとう」
「さっきみたいに笑ってほしかったな」
「さっき?」
「ううん、何でもない…またね」
と紫吹と別れた。
菜子のいない日常はあっという間に過ぎ去り、あるニュースが入ってきた。
ふと、テレビを見てると見覚えのある店が映された。
(菜子のバイト先…)
【調べによりますと、裏雪リリ容疑者は突然ナイフを振り回し従業員の女性に大怪我を負わせたとして…】
(リリ?!もしかして…)
アイツは菜子を虐めたり目の敵にしてた…。
もしかして…
菜子の家に行くと暗く玄関は赤いスプレーで死ねと書かれていた。
「菜子…」
俺は玄関を綺麗に掃除した。
(菜子は病院かもな…大怪我ってどの程度だろう。もし菜子が死んじゃったらどうしよう…)
目の前がグルグル回る、どうしよう。どうしよう。
吐きそう。怖い、菜子がいなくなるなんて考えられない。
その日菜子とは会えず俺は次の日も菜子の家に行くことにした。
家の明かりがついている…菜子!菜子がいるんだ!
呼び鈴を押すと、菜子の声で
「どちら様ですか?」
と言っていた。久しぶりの菜子の声に力が抜けそうになる。
「俺だよ、菜子!」
ホッとしたのもつかの間咄嗟に慌てて返事をした。
「灯純?」
と、菜子は開けてくれた。久しぶりに見た顔に安堵した。死んでなくて良かった、生きてくれてた。
つい安心してしゃがみ込んでしまう。
「良かった…昨日は家も真っ暗だったから…俺怖くて…」
「大丈夫だよ、心配してくれてありがとう」
ふと、腕を見ると痛々しく左腕の殆どを包帯に巻かれていた。
「腕、大丈夫?」
「大丈夫、沢山縫ったけどもう平気だよ」
何で笑ってるの?本当は痛くて怖かっただろうに…
「平気なわけないだろ…俺、菜子を助けてあげられなかった」
嫌でも涙がこみ上げそうにになる、菜子はどんなに苦しかっただろう。
俺の居ない間、菜子はどんなに心細かっただろう。
そう思ったが菜子は平然と
「何でよ、灯純は関係無いって。気にしないで」
と、アッサリと俺を関わらせないよう線引きをした。
「関係無い…か。そっか」
とうとう涙を流してしまった。
菜子を困らせるの分かってるのに…。
「あっ、その!違うよ!リリが悪いのであって、灯純は悪くないし気にしないでってことで…」
ほら、菜子は優しいから俺が泣くと気を遣って自分が大変なのに俺を庇う。
原因は俺だって分かってるくせに。
俺は思わず、離れていた間の事を話していた。
原因が俺なら関係なくないはずなのに…。
グズグズ泣く俺を菜子は家の中に入れてくれた。
「大丈夫だよ、入って?少し休んでいきなよ」
菜子にそう言われると、少しだけホッとした。
居間に通され未だにグズグズ泣く俺に
「灯純、心配してくれてありがとうね」
と優しく菜子に言われた。
いつも菜子に助けてもらってばかりで役に立たない俺なんかに菜子はとても優しくて、情けなくなる。
菜子は
「葉里から彼女もいるって聞いてたし、それに灯純だって忙しいだろうなって思ったから…でも余計に心配かけちゃったね」
と、俺を頼らなかった理由を話した。
葉里が余計なことを言ったと知るとと、葉里を殴りたくなった。
「葉里から?」
「うん、ダブルデートしたって聞いたよ?灯純にも大事な人ができたんだなって、良かったなぁって思った」
俺の大事な人はいつだって菜子しかいないのに。
「けど、俺菜子ほどその子の事大事じゃないんだ」
思ったことがつい口から出てしまう。
「え?」
「やっぱり、菜子がいい」
菜子は驚いた顔で俺を見上げてくる、可愛い。
「菜子が俺を好きじゃなくても、俺は菜子が好き」
「けど、彼女…」
「別れる。だからまたここに来ていい?菜子の怪我も心配だから」
理由をつけて菜子との距離を埋めたいと思った。
何でもいい、菜子といられた何でも。
「いや、でも…」
焦ってて可愛い、大好き。でもね、菜子がしぶるのも予想通り分かってるんだ。
「菜子は俺の彼女に悪いとか、気持ちに応えられないのにとかってごちゃごちゃ考えてるでしょ?」
「そりゃそうだよ、分かってるなら…」
「分かってても止めない。もうごちゃごちゃ考えるのは嫌だ、俺は菜子が大事って気持ち変わらないし菜子の側にいたい気持ちも変わらない。菜子が応えてくれなくてもいい」
「何もそこまでしなくても…」
菜子は知らないんだよね、何時だって俺の人生にはやっぱり菜子が必要なんだよ
俺は菜子と一緒にいなきゃ駄目なんだ。
「俺の正解はこれだから」
「正解?」
「うん」
菜子をゆっくりと抱きしめた、小さくて温かい。
いい匂いがする、菜子の匂い。
「菜子がいる人生がやっぱり俺の正解だった」
菜子の温もりに安心して自然と力が抜ける。
嬉しくて、今とっても幸せだ。
「菜子、愛してる」
「えぇっ」
あぁ、俺だけの可愛い可愛い菜子。
やっぱり一緒にいなきゃ駄目なんだ。
だからずーっと一緒にいようね。