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あの日から灯純とは距離を取っている。
ご飯も食べさせるし、家に居られない時は居場所として我が家の居間を提供している。
灯純に気持ちを伝えた翌日の朝、何事も無かったように灯純は家に来ていつも通りに過ごそうとしてきた。
「菜子、俺頑張ってるよ?」
今までなら頭を撫でてよしよしと甘やかしていたが
「偉いよ灯純は、無理しないでね?寝るときは確り寝て体調にも気をつけてね?」
と気遣う言葉だけに留めることにした。灯純は泣きそうな顔で私を抱きしめようとしたが私は
「灯純、ごめんね。学校遅れちゃうから行ってくるね」
とやんわりとかわして逃げる。適度な距離を保ちたい、私は依存させたいわけじゃないのだ。
適切な距離に慣れ、普通の友達としての距離での付き合いをしたい。
灯純にもそれに慣れてほしいしこれから沢山の人に出会うのだから依存から抜け出してほしいと思う。
それで私から離れていくとしても犯罪を犯すような人生でなければそれで良い。
私はバイトもだいぶ慣れて来たのでシフトも沢山入るようになり忙しくしていた、食事は一応灯純が困らないように作りおきをしていた。
それぞれで忙しくしているのが良い時期だってあるだろう、今灯純に縋られたら私は謝罪の言葉しか出ないだろう。それはきっと灯純を傷つけてしまうだけだろうし、お互いに良くない。
気持ちが落ち着くのには一番の薬は時間だと言ってる人がいた。
私と灯純にはきっと時間が今は必要なんだと思う。
というか、私に今は余裕がない。
「菜子ちゃん」
「岸丸先輩、お疲れ様です」
バイト終わりに石丸先輩が声をかけてきた。
「飯友なんだし、今からどうかな?」
「大丈夫ですよ」
「本当?あの幼馴染の子に怒られない?」
「…さぁ」
「なんかあった?」
「まぁ…」
「相談乗ろうか?」
「…いいですか?」
私一人の頭ではどうしたら良いか分からない。
誰かから少しでもアドバイスをもらいたい、私が間違えてるのか、誰かに話したかった。
店に着くと、私は岸丸先輩にこれまでの灯純との関係を簡単に話した。
あまり深く話すと、前世の記憶があるとかボロを出しそうなので子供の頃からの菜子としての灯純との関係を話した。
岸丸先輩は一通り話を聞いて
「うーん、菜子ちゃんはその子に構い過ぎたんじゃないかな?確かに大変な家庭環境だったのは可哀想だし助けたくなるのもわかるけど、菜子ちゃんにだって菜子ちゃんの人生があるんだから」
「お節介焼きすぎたんでしょうね、きっと」
「まぁ年頃の男女だし、距離が近すぎるのはその気が無いのに勘違いさせちゃう原因にもなるしさ。菜子ちゃんが優しいのは分かるけど幼馴染の子と付き合う気がないなら離れなきゃ」
「そうですよね…」
「今回距離を置くって考えたのは良いと俺は思うよ、彼にだって新しい出会いはあるだろうし。そこまで気負わなくていいんじゃない?」
「はい…そうですね」
「あ、ごめんね。俺言い過ぎ?」
「いえ、真っ当なご意見です。私のせいかもなって」
落ち込んだ気分で水を飲むと岸丸先輩は頭を撫でてくれた。
「本当に幼馴染の子が羨ましいな」
「え?」
「菜子ちゃんに大事にされて心配されて…俺さ、母子家庭だったんだけど家が複雑でさ。幼馴染の子ほどじゃないけど家族愛とかそういうのに縁がなくて子供の時は寂しかったんだ、だから俺が子供の時に菜子ちゃんみたいな子がいたら良かったのになと思ったら羨ましくなっちゃった」
とニコリと岸丸先輩は微笑んだ。
何だかその微笑みが儚くて私は思わず
「そうだったんですね…私でお役に立てるか分かりませんが飯友として出来ることがあれば言って下さいね!岸丸先輩が愚痴りたい時とか、一人で食べるのが嫌な時はお付き合いします」
岸丸先輩はピクッと私の頭を撫でていた手を止めて、そのままスルリと私の頬を撫でた。
「うん、その時はお願い」
「はい」
と私は返事をした。その後岸丸先輩と店を出た。
駅まで岸丸先輩が送ってくれるというのでお言葉に甘えてお願いをした。
家に着くと灯純がいた。久しぶりに遅くまで家に来てるなと思った。
「あ、来てたんだね」
と声を掛けると灯純は淀んだ目をしていた。
「何してたの?」
「岸丸先輩とご飯食べたよ。飯友って言ってた先輩」
「アイツと?へぇ…優しい菜子はソイツにも愛想振りまいてきたってわけだ」
「誰かに優しくするのって駄目なことかな。私だって誰かに優しくされて助けられたりすることあるよ」
「菜子はズルいね…」
灯純は私に近づこうする、私は咄嗟に距離を置く。
「灯純…ごめん。疲れたからもう寝るね」
と曖昧に笑って部屋に急いで戻ろうとした、しかし灯純は私の腕を掴んで無理に引き止めた。
「灯純?」
「菜子、俺もうどうしたら良いか分からないよ」
「私もわからないよ…灯純の気持ちにも応えられない。けど、幼馴染だし友達だから私は灯純を簡単には切り捨てられない」
「菜子が俺のこと嫌いになってくれたら一思いに菜子を縛り付けてやろうと思ってたのに、菜子はそうやって俺みたいな奴にも優しくて…そんな菜子を壊したくないのに、俺…壊しちゃいそうで、俺には菜子が特別で好きで好きで苦しいよ」
「…ごめん」
「…わかった。もう来ない、今までありがとう」
灯純はそう言ってフラフラと出ていってしまった。
私は引き留められなかった、気持ちにも応えられない癖にそんな事できないとただ立ち尽くしていた。
アレ以来灯純は本当に顔を出さなかった。
気になって連絡しようとしたが気持ちに応えられないなら止めたほうがいいという考えが頭を掠め連絡は取らずにいた。
そうして1ヶ月程たった頃、葉里から電話がきた。
何でも灯純に彼女ができて、葉里の彼女とダブルデートをしたという話だった。
「俺は灯純が菜子以外の女の子を連れてるのが驚きでさ、なんかあった?」
葉里にそう聞かれて私はこれまでの経緯を簡単に話た。
「私は灯純の気持ちに応えられないから、だから引き留める事もできない。灯純が他に好きな人を見つけてくれたら良かった…気まずいけど、またどっかで会えたら話くらいはできたら良いなと思うよ」
と葉里に話すと、うーんと唸った後
「そうだったのか…まぁ、俺でよければ何かあったら相談乗るよ。菜子が灯純に流されて曖昧な感じで付き合わなくて良かったと思うし、菜子がそれでいいなら俺は応援する」
「ありがとう、葉里も彼女と上手くいくよう応援するね」
と私が言うと
「ありがとうな、じゃ。あんま抱え込むなよ」
葉里は穏やかな口調でそう返してくれた、葉里との電話を終えた私は灯純も前に進んでる事で一安心した。
私も何時までもウジウジ考えていては駄目になる。
きっと灯純は大丈夫だと自分に言い聞かせて私は日々を過ごすことにした。
バイトと学校と忙しい日々を過ごしながら暫くは私の日常は平温に過ぎていた。
家の中は私一人で、以前はよく出入りしていた灯純もいなくなりガランとしていたがそれにも慣れてきた。
(灯純のことで変な噂も聞かないし…殺人鬼になる運命から少しでもそらすことができたのかな?)
私は少し安心していた。
そうした穏やかな日々を壊しに来たのは懐かしい人だった。
とある日曜日のお昼、ピンポーンと呼び鈴が鳴る。
「はーい」
縁側で洗濯物を干していた私は急いで玄関に向かう。
引き戸をガラガラと開けるとそこにいたのは裏雪リリだった。
「…リリ?」
「久しぶり…菜子」
久しぶりに見たリリは痩せ細り、整った顔立ちだが顔色は悪い。なのに目だけはギラギラしていた。
私を睨みつけていた子供の頃の目より更に澱んでいた。髪の毛は長くボサボサ、そのカサカサの唇でリリはこう言った。
「灯純君と幸せになるの」
「灯純?」
「あの頃みたいに…もう一度…」
「リリ?どういうこと?」
「リリと灯純君はずーっと、一緒にいるの」
とひび割れた唇が弧を描く。私はゾクリとした。
目は宙を彷徨い、恍惚とした顔で何かを思い描いている。
「リリはね、灯純君と結婚して…たくさん愛されて子供を作るの。それで灯純君と子供達に愛されながら幸せに暮らしていくの…だから…アンタが邪魔なの」
と突然声色が変わった。目をギッ!っと引き攣らせながら私をドン!と突き飛ばした。
突然すぎる事に対応できず尻餅をついた。
「あんたがぁ!灯純君をぉ!誑かしてぇ!私から取り上げるからぁ!邪魔なのよぉぉぉ!!」
と大声を出しながら私を何度も蹴る。こんな細い体で凄い力だと思った。
「やめて!」
と、リリの足を掴んだ。リリはバランスを崩して尻餅をついた。
私はその隙に立ち上がり裏口から外へ行こうとした。しかしリリも素早く立ち上がり私を追いかけた。
「ぶっ殺す!!」
本当に殺しかねない勢いだ、裏口に出るまで追いつかれるかもしれない。咄嗟に風呂場に逃げ込んで鍵を閉めた。
「くそぉぉぉぉ!!出てこい!!殺してやる、殺してやる、殺してやるぅぅぅ!!」
「ひぃっ…」
物凄い勢いでドアを殴ったり蹴ったりしてくる。
とにかく外に出なきゃと思い私は風呂場の窓をよじ登る。
その間もガンガンと何かでドアを壊そうとしている音が聞こえた。
「何なのよ…」
私は恐怖で震えながらも窓から外へ出た。
リリと鉢合わせしませんようにと祈り警戒しながら家を裸足で抜け出した。
そのまま交番へ向かい事情を説明した。
警察の人は驚いていたが一緒に家を見に行ってくれる事になった。
家に帰るとリリは居なかった。
相当発狂していたのか、家の中は滅茶苦茶でぐちゃぐちゃだった。
風呂場のドアは破壊されていた。
盗まれたものは無かったが警察は辺りを警戒して見回ってくれると言ってくれた。
私は家にいるのが怖く片付けも手早く済ませた後、戸締まりをしっかりして荷造りをして家を出た。
(リリがまた来るかも…)
怖くて早足になる。
その日は安いビジネスホテルに泊まることにした。
未成年なので怪しまれたが事情を説明すると泊めてくれた。
ホテルの部屋でようやく落ち着くことができた。
落ち着くとリリの事を考えてしまう。
「何で急にあんな事になったんだろ…」
灯純の事を未だに愛しているリリ。あんなに壊れてしまったなんて知らなかった。
灯純に執着し、私が邪魔だから殺すと言っていた。
「私を殺しても灯純は手に入らないのに」
そう呟いてベッドに横になる。
考えることを放棄した私はまどろんで夢の中へと意識を落とした。
今は何も考えられない。