表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BREAKER  作者:
序章
7/47

第七話 V

 マコトとレイは屋上で過ごしてから授業中の教室に入った。

 二人は、あれから何かほとんど会話はしていない。戻る途中にもなると二人の口数は大幅に減っていた。結局、話の要点になるとマコトの煮え切らない答えに落ち着くわけだから、話の決着を付けられそうにはなかった。

 マコトの隣の席の牧野シロは当然のことながら既にいた。マコトはシロに目配せをしたが、何か話すということはなかった。

 羽黒レイに何を訊かれたのか尋ねようか迷っていたのだろう。だが、元より彼は病院のベッドにまで見舞いにきていたわけだから、精々病院を出たタイミングなんかについて訊いたと推測するのは容易である。牧野シロの答えも大したものに違いない。マコトはそんな推測と面倒臭さから尋ねるのをやめにした。


 二人が教室に入ってから、少しすると授業はすぐに終わる。集中して聞こうとしていたがマコトはあまり集中できなかったようで、机に突っ伏してぼんやりと窓の外を眺めていた。

 ふと隣を見ると、牧野シロは今日の朝からいましたというような澄ました様子で真面目に授業を受けている。最後尾の羽黒レイも、同様にごく普通に過ごしていた。

 これを見て、マコトは背筋を正した。先ほどの喫煙もあって、あまり集中せず不真面目にしているのがバレると厄介かつ差し迫ったトラブルの種──具体的には昼食の弁当にカリフラワーを入れられかねない──からだ。

 

 授業を淡々と進めるのは担任の井山先生は常にスーツ、髪型は七三分け、眼鏡をかけた地味なサラリーマンというような風貌だが、それらが常にキッチリと整っている所から知的な雰囲気が漂う。ヒーローではあるが元々警察と捜査協力を行うような裏方だったというのは本人の談だ。

 六限目が終わると彼は即座に準備をして、いつも通り時間きっちりにショートホームルームを開始した。

 マコトはいつも話半分に聞いて、それからレイに実際のところ何を言っていたのかよく確認する習慣があった。だが、基本的に話半分でも案外しっかり頭に入っているものだから余程重要でない限りなんとなく話を聞くだけで事足りる、お陰でレイが仕方なく説明する頻度は昔に比べるとだいぶ減った。


 担任の話す連絡事項は普段と大差なく、どの生徒にとってもさしたる事はなかった。強いて言うなら、ヒーロー免許用の書類提出の期限の何度目かのアナウンスが精々であった。


 ヒーロー免許は高卒と筆記試験合格、簡単な実技試験と面接さえ越えれば取得可能であり、国家資格ながらその難易度は決して高くはない。そしてヒーロー科の卒業生は試験が免除され、卒業と同時にヒーロー活動が許される。だが、書類の期限を逃すと手続きの関係上認定を受けられなくなる可能性がある。担任のアナウンスの意図は大方、その注意喚起であろう。


 他愛ない連絡事項の伝達が済めば、開始時と同じようにそうと定められた時間きっちりでショートホームルームが終わる。マコトが帰宅しようとリュックサックを背負い、隣の席では牧野シロとその友人の山﨑ルリや月下ユウたちが何か集まって世間話を始める。すると、いつもは真っ先に引き上げているはずの井山先生がその席にまで足を運び、


「詠航くん、それと牧野さん。面談室に来なさい」


と、声かけをしてさっさと教室から引き上げてしまった。


 そう言われたシロは、ルリとユウに待っていなくてもいいと改めて言った。予定は明日になったのだからというわけだ。だが、今日は暇だから暫くはいるし、最終的にはまた合流できたらというような話にその三人は落ち着いていた。

 それを横目に、マコトは腕を組み何やら考えている様子だった。普段は放課後の自主トレーニングであれ訓練であれ、帰宅であれ羽黒レイといることの多い彼だが、さすがの大胆さを以ってしても気まずさが残っていると態々待っていてくれだとか何をするにしろ放課後に何か誘うのは億劫だった。また、死にかけた次の日くらい早く家に帰って自分のベッドで寝たかった。

 マコトが、少し振り向いてレイの様子を見る。レイは他の生徒と話していて、こちらに気が付いていなかった。


「……」

 ほとぼりが冷めるまで距離を取るのは悪くない話であると、詠航マコトは考える。あるいは、やはりこれも面倒が勝ったからかもしれない。


 さて、一緒なのだから丁度良いとしてシロとマコトは二人で面談室に行くことにした。


「バレた?」


 道中、マコトはシロに尋ねた。何がバレたのかという主語は要しなかったし、誰が聞いているかわかったものでないから敢えて明言はしなかった。


「いえ、私は全く。にしても貴方、羽黒くんに言ってたんですわね」


 言ってくれればよかったのにとでも言いたげな、どこか責めるような口ぶりでシロは言葉を返す。


「いや、元からバレてたらしい。アイツ、目が良くて……言い忘れてたのは悪いな、ホント忘れてた」


「なるほど。あの、彼に口止めは……だって、ユウと羽黒くんは」


 鳥類系の異形型の視力や空間把握能力が高いのは有名な話で、これにはシロもすぐに納得したようだった。しかし、問題はそこではなかった。


「……さあな。けど、言ってないと思うぜ。何でもかんでもペラペラ話すタイプじゃない」


 マコトは思ったまま答えた、そしてそれを否認することをなくシロはそうだろうとして頷いた。

 羽黒レイが何時二人の戦いが非常に危険なものだったと知ったかのタイミングによっては、昨日の模擬戦のことが山﨑ルリや月下ユウにバレていても何らおかしくはないのは確かだが、シロは羽黒レイがマコトの病室に訪れていたことを知らなかった。そしてマコトは、そこまで深くこのことを考えていなかった。なんであれ、今更考えても仕方ないことでもあった。


 昨日のこともあって二人は以前より少し打ち解けていた。しかし、なぜ呼ばれたかについては二人とも話そうとしなかった。

 面談室は職員室の隣の、職員室と繋がっている部屋だ。いわば、進路指導などに使われる部屋である。

 ひとまず職員室に行くと、井山先生が現れた。


「校長室に行きましょう」


 マコトは一瞬疑問に思ったのか、はあともはいともつかない気の抜けた返事をした。しかし、なるほど学校でも相当に偉い人に警告されるのか、叱られるのだなと解釈したのやらハッと理解すると──本人は気がついていないだろうが──なんともまずいことになったというように、顔を顰めた。

 そして、シロはそんなマコトと対照的に、ポーカーフェイスを貫き落ち着き払っていた。


 マコトとシロはそこから疑問に感じる様子はなく、二人は素直に従い担任に連れられ校長室に向かう。

 職員室からさして遠くない校長室にはすぐ着いた。井山先生がドアをノックする。


「失礼します。井山です、連れてきました」


「入りなさい」と、部屋の奥から校長の声が聞こえた。


 マコトは、武東校長の厳めしい顔つきとその風体を思い出していた。アスリート並みに鍛え抜かれた肉体とプロレスラーじみた大柄な体格に日に焼けた顔で禿頭という容姿。

 彼は嘗ては異能犯罪に立ち向かった捜査チーム立ち上げの立役者であり、まとめ役でもある。対犯罪者、対犯罪組織のヒーロー、警察の連携とゆるやかな一体化の走りをやった人物である。

 この学校は犯罪やテロに狙われる可能性が高い。彼は、それらを叩き潰す警備員達や実力者でもある教員を束ねる役割を担い、万が一の際に拠点になりかねない施設の司令官でもあり教育者である。

 負っている責任が違えばその威厳も段違いであり、彼に呼び出されるということは普通の高等学校で校長室に呼び出されるのとは全く違う次元の話なのだ。

 さしもの問題児もそういった相手の持つ威厳の意味合いはよく理解していたし、自然と緊張していた。


 井山先生は扉を開くと、先に入るように二人に視線を送り、


「詠航くんから、どうぞ」と、言った。


「……わかりました」マコトは、一歩前に出た。


 部屋は薄暗く、冷ややかな電灯の光ばかり以外は何か特徴は掴めない。こちらから中の様子は窺えないようだった。

 流れ込んでくる空気に、マコトの特徴的な色合いの髪が揺れる。シロは一歩引いた場所から様子を見たまま、動かなかった。

 前に歩み出たマコトは気がつくが、流れ込んでくる空気は廊下のそれより明らかに冷ややかだった。しかし、多少の違和感を拭うと彼は足を前に踏み出した。


 マコトは、まず第一に空気の温度を肌で知覚する。やはり、明らかに冷たかった。

 部屋は思うより遥かに広かった。薄暗さも相まって奥の壁も左右の壁も視界に映らない。周囲を見渡してみて、唯一視界の頼りになるのは部屋の──恐らく中央──を照らす電灯の光だけだった。スポットライトのように放たれる光の下には机と人影が確認できる。


 マコトは、思わず眉を顰めた。校舎の構造上、校長室は明らかにこんな広さではないからだ。その様子からして天井も十メートル以上は高い箇所にある上に、左右も奥も壁の位置が確認できない。まるでドームか何かような巨大さ、何らかの能力によるものであろうか。

校長室に入ったことはないが、何か特別な話や噂をマコトは聞いたことがない。彼は、不審そうに首を傾げていた。


 「(ここ、学校なのか……?)」


 そう考えていた刹那、ふとマコトは違和感を覚える。共に来るはずの牧野シロの、後続の来る気配が全くないのだ。


「先せ──」


 マコトが言いながら振り向こうという瞬間、



ばたん



背後で、扉の閉じる音が響いた。



「!……」


 マコトは慌てて閉じた扉に手を伸ばすが、扉を開けた先にはコンクリートの壁しかない。壁に触れてみても、やはりただの壁であった。


「クソっ……やられた……!」


 急に訪れた孤独、社会の内か外かもわからぬ環境、つまる所それはあらゆる規則の保護を逸脱した可能性のあるということ。ここで意識するのは未知の脅威と危険、即ち彼は不安や恐怖と呼ばれる感情に飲まれていた。

 しかし、次の瞬間には冷静に思考は逆転する。


「……」


 振り返りながらマコトは特殊体質者の神経に絶えず流れる思念力を、その自然な流れのまま体表に纏い、構えた。

 能力を発動すればそれは形を持った質量の集まり、即ち鎧を身に携えたマコトは、唯一の明かりである電灯の下机と人影を見やる。

 この現象は何か。全く離れた場所同士を繋げるような力なのか、あるいは幻覚や映像の投影などでそうと錯覚させられているのか、恐らく前者だろうと推測しながらその意図は測りかねていた。


「詠航マコト、早く来なさい」


 ふと、不機嫌そうな声が響く。ドスの効いた低音だが、確かに女の声だった。


 マコトは実際にそこに人がいることを確信できて、少し安心した。能力は解かなかったが、少し早足になって声の主の方へ向かう。

 マコトが近づいてみると、まず認められたのは取り調べ室にでも置いてありそうな如何にもというような机と椅子だった。まさか、警察ではなかろうか。思い当たる節があまりないなりに、さて何か犯罪をしたかなとマコトは考える。少なくとも、未成年喫煙が原因とは考え難い。問題は、そんなジョークを言えそうな場でないことだ。

 マコトは、さらに近づくと声の主の様子を確認した。

 その椅子に腰掛けていたのは長い金髪の女だ。二十代後半、サイズちょうどの黒いスーツを着こなす美女といった風体だ。横から一目見て、その体格は一見してスレンダーに見えた……が、ただ引き締まっているだけで、決して華奢でか弱いというタイプではないと、マコトは思った。

 近づけば近づくほど、ハッキリした目鼻立ちと毅然とした表情で、肌は若々しくも幼なさとは無縁な大人の女性というような印象を抱かせる。しかし、何よりマコトの印象に残ったのはその目つきであった。照明の薄暗さも相まって、こちらを見ているのか睨んでいるのか解らない、鋭い眼をしていた。

 そんな風につぶさに女を観察していると、やはりとでもいうべきか、視線が合い、極彩色の双眸を鋭い目線が射止める。


「そこに」


 そう言いながら、女は自身の向かいの空席の椅子を──まるで座らなければ取って喰い殺す、とでもいうような目つきでマコトを見ながらあるいは睨みながら──指差した。


「……俺に一体何の用で……?」


 流石のマコトも気押され、そこの椅子に座るように回り込みながら問うた。


「すぐに説明する」


 女の威圧的な様子は些かマシにはなったが、機嫌は悪そうだった。


「それから、それは私たちからの厚意、これから行う面接には、それを食べてリラックスして臨むといい」


 机の上には、マコトとレイ行きつけのラーメン屋。山麺の中華そばがあった。卵トッピングで生卵二つに、チャーシューはサービスで五枚。これは、マコトが普段食べている通りのメニューだ。

 それだけではない。調味料の一味唐辛子やニンニク、胡椒も、ラーメンのどんぶりも、箸も、レンゲも、コップも、ウォーターキャッチャーさえも、見慣れたその店のものだった。

 漂ってくる美味そうな匂いに本能が間違いないと叫び、マコトはいかにも怪しいこのラーメンを、とてつもなく食べたいという衝動に駆られていた。


「!……あんた、これは……」


 マコトの動きが、驚きに止まる。彼は面をあげれば疑心に満ちた表情で、女の顔を見るのだった。


「心配不要。食べたらお店に返す」


 女は、淡々と言葉を返す。


「…………」


 青年は少し考え、そして静かに席に座った。

これはあくまで、お前のことはよく知っているのだというメッセージ。もちろん、読み取れることはそれだけではない。

 学校の校長室と何らかの能力でこの場所に繋げられたということは、井山先生は勿論、他の学校関係者の協力も当然あるはず。そんな古斗野高校は実質的に国家を担保するヒーローという名の実力部隊の育成所である。


詰まる所、マコトの眼前にいる女の所属する組織には、国家権力が介入している。


「あんたは一体?」


 不気味な程そのまま提供される慣れ親しんだ味には手をつけないまま、青年は問いかけた。


「敬語で話せ。話はそれから」


 女はそう言いながら懐から煙草の箱を取り出すと煙草を咥え、火をつけた。

 元よりそのつもりで用意していたのだろう。煙草を吸い始めると机の脇に置いてある灰皿を寄せて、乱雑に赤いLARKの箱とライターを放り投げる。そして旨そうに煙を吐き出した。


「食べないのか、伸びるぞ。……まあ、疑うってんなら好きにしな」


 中々ラーメンに手をつけようとしないマコトを前に、女はいった。


「……じゃ、いただきます」


 マコトは少し考えて、そして面倒になった。何かするつもりならとっくにしているであろうし、何より、ここでこの女に舐められるのは何か癪だった。手を合わせて行儀良く言えば、ラーメンを食べ始めた。


 女は変わらず、マコトが食事するのを眺めながらのんびりと煙草を吸っていた。しかし、女が待つ時間はそう長くはならなかった。

 マコトはやはりとでも言うべきか空腹だったようでがっつくように麺を啜り、女が二本目の煙草を灰皿に押し込む頃合いにはあっという間に平らげてしまっていた。そして、マコトはコップを呷り一気に水を胃に流し込み、ふうと一息つく。

 なぜ食事をご馳走されているのかあまり理解できなかったが、腹は膨れたのでマコトはどうでもよいと感じた。


「……で、結局貴女達は何者なんですか。警察?」


 マコトは敬語で問いかける。


「私たちは極秘の特務機関。正式な名称はないが、便宜上Vと呼称される」


 女は答えると、煙草の灰をトンと落とす。


「……そんな組織が、俺に何の用ですか」


 特務機関V、そう聞いてマコトは唾を飲んだ。

 異変以前の映画や小説の世界ならまだしも、今のご時世では妙な生々しさすら感じられる。一個人が与えうる世界への影響が跳ね上がれば、そのような組織が暗躍しているのは寧ろ自然な話であった。


「スカウトだ。人格適性検査と能力を鑑みてそう判断した」


 女は、淡々と答える。

 当然、生徒のあらゆる成績は把握しているのだろう。ならば優秀な生徒、強力な能力を持つ生徒をこのようにして勧誘するというのは何も不自然な話ではなかった。


「……どんな仕事なんですか」


 時期などから鑑みれば、話の流れ自体は予想の範囲内だった。最早、完食したから関係ないがマコトがラーメンに手をつけるかどうか迷ったのも何かのテストかと疑ったがゆえである。

 何はともあれ、マコトは話に食いついた。


「おいたの過ぎた凶悪犯罪者や犯罪組織、過激派優生思想団体やカルト教団、指折りの異常者達からこの国の平和を護ること。ハッキリ言って危険で汚くてキツい仕事だ。救援活動はなく、より残酷な戦いだけを行うヒーローを想像してもらうといい。半端な覚悟なら、おすすめしない」


 女はオブラートに包むことなく、当然の事実として現実を言い切った。言葉の調子は相変わらずぶっきらぼうで、愛想の欠片も振り撒く様子はない。

 圧迫面接をする意図がなくとも、彼女は人を威圧する特徴を持っていた。口調や目つき、愛想の有無だけでない何か。その正体を掴めぬ合間は、より不気味である。


「そうですか」


 適材適所という言葉がある。それに則れば彼女にとりこの仕事は適所ではないのではないか、あるいは面接をやる人材すら不足しているのか、マコトは妙な心配の感情すらこの謎の組織に抱いていた。それはこうしてきちんと目を向けて話してみて、目の前の女が予想より遥かにおっかない相手だと認識したからだ。


「一応、組織の成り立ちを説明しよう。90年の異変以来、世界は大きく変わった。教科書にもそう書いてある」


 女は短くなった煙草を灰皿に押し込んでいった。


「……特殊体質者と、怪異生物の出現」


 マコトがつぶやく。

 怪異生物とは、人々の思念や想いが恐怖、畏怖される存在や伝承上の存在の形を借りて、顕現したモノ。

 怪異生物自体は存在のあり方が姿を借りたモノに引っ張られる。何かの動物ならそのままの姿になるという次第である。それらは徐々に学び進化することで単に人々の想像や空想の姿をそっくりそのまま出力するエミュレータではなく、ひとつの個として自らあり方を選び成るという。

 怪異は思念そのもの。故に対抗できるのは、強い意志で以て思念力を操る特殊体質者だけである。


「その通り、お陰で見事に軍事バランスと秩序が崩壊した。当時、民主化の進むソヴィエト連邦は拙速に解体され、中国は瓦解。特に中国は見事に割れ、未だに泥沼の内戦中。ベトナムやカシミール地方への飛び火も相まり東南アジア情勢は複雑怪奇な有様だ」


「国内メディアで主に発信されるのは国内のヒーローの活躍以外にはくだらないゴシップばかり、あとは精々が95年の欧州虐殺や97年のアメリカ合衆国転覆未遂事件のこと……けれど、異変は今になっても未だ終わっていない。

世界中で怪異生物の被害は年々増加の一途を辿り、国という枠組みの維持が困難な時代になっている」


「我が国も91年、嵐の怪異襲来とその混乱、暴動により政府が一度崩壊した。この機関はその嵐への反撃の折に組織された歴史を持つ」


「待ってください。嵐の怪異は日本で最初のヒーロー、俵先生……いや、グレートスパイダーとチームが倒したんじゃ……」


 それは、謂わば荒唐無稽なまでの英雄譚。

 嵐の怪異とは、高潮と大波、豪雨と川の氾濫。街は濁流に沈み、高層ビルは薙ぎ倒され、暗雲の空には稲妻が絶えず鳴り響く。そんな存在。

 首都機能を完全に破綻させ国を混乱に陥れたのは、古来から自然そのものへ抱かれる畏怖の念が、風神雷神の姿をした怪異だった。

 打倒したのは日本最初のヒーロー、グレートチーム。嵐に打ち克った者たち。今から一世代前の伝説だ。


「当時のことは私も知らない。ただ、世間には組織の事を伏せているだけで、彼の話に嘘はない。

実際、彼もこの組織に所属している」


 俵先生あるいはグレートスパイダーという人物は、業務に差し支えない範囲でさまざまな講演や指導などの出張で学校で不在となることが度々ある、その多忙さは有名ドキュメンタリー番組の密着取材でスタッフが倒れかねない事から、異例の複数人交代制で何とか撮り切ったという話は有名だ。中にはこの組織での活動も含まれているという訳だと思えば、マコトも合点がいったようで疑念を抱いた様子はなかった。……ちなみに、番組の視聴率は一時は60%超えを記録した。


「待遇はこの書類を見なさい」


 女は机の中から書類を出すと、マコトに差し出す。


「……」


 マコトは書類に目を通す。あくまで国家公務員、雇用の条件は決して悪くなかった。


「今すぐには、決められないだろう」


 女はいった。口ぶりからして、猶予を与えるつもりなのだろう。


「いえ、ただ一つ気になった事が……ヒーローとの兼業は可能ですか」


 ヒーロー、なるべくか否かそれは未だ決めかねる職業を、視野に入れているということだった。

 派手かつ戦闘に優れながら、どうしても戦う以外が中々性に合わない男には向かない。やはり、今時は企業や国の顔色も含めた人気商売の色が強い。行使する実力は本物でも、それを取り巻く社会の形が変わった。

 諦めと理不尽の中で英雄的な人物が立ち上がる時代は終わり、英雄的人物を求める時代なのだ。


「不可能だ。君にその暇はない。君に期待される役割は、ヒーロー達でも危険な相手や表に出せない相手の処理。……君自身が一番解っているはずだ」


 女が語った期待は実力としてのもの。さながら、強力な武器を求めるかのような、怪物にそれ以上の怪物をぶつける為のような台詞だ。


「……」


 それは、事実だ。敵は多ければ多いほどによく、戦う場所は厳しければ厳しいほどよい。


「わかりました。この組織で戦います」


 マコトは穏やかな口ぶりで答えた。


「もうそのつもりだろうが、一応聞いておく。後戻りはできない」


 女の冷静な言葉に、引き返す最後のチャンスだとマコトは感じた。ここで引き返せば、ヒーローになれる。これだけ強ければ、そこそこの所には間違いなくなれる。それでも別にいいではないか、敢えて危険に飛び込む必要はないではないか。

 理性的に考えてみれば当たり前の話だった。


 しかし、ふと、マコトの胸にある想いが去来する。それでは一番のヒーローを目指す人間と肩を並べられるのだろうか。


「……」


 なぜ、ここにきて彼のことを思い出したのか。マコトは人生で、友と呼べる者はいたことはほとんどなかった。それはひとえに特殊体質者であり、同時にその力の異様さを本人が理解し、なるだけ他人と関わらないようにしてきたからでもある。

 上辺の付き合いこそあれど、心の底から本音を話し合える相手というものはあの日までずっと、いたことがなかった。


 それでも結局、友というものがなんなのかマコトはよく解らない。ただ、対等に何の負い目もなく彼と並ぶには空っぽが過ぎた。


 募り続けたのは焦り。どうしても、人や社会の為にありたいとなど思えない。そうなれるなら、どんなにいいことだろう。

 きっと、そうなれはしなかった。


「……俺に、引き返すつもりはありません」


 ただ、それでもと、そのまっすぐな生き方に倣うなら。


 成りたいものに、成ってみようと試みるのならば。


「後悔することになっても構わないか」


「それでも、やります」


 とことん戦うのも、悪くなかった。


「……そう、か。ならば、これより君は私たちの仲間」


 そう言うと、女が立ち上がる。それに倣ってマコトも立ち上がった。


 女が指を鳴らせば二人を照らすスポットライトが消える。


「歓迎しよう」


 真っ暗闇の中、女の声だけが響く。


……と次の瞬間、二人の頭上の光源が冷ややかに部屋全体を照らし、徐々に暗闇を洗い出す。


 不均衡に放射する光に、いくつもの影法師が部屋の壁で踊る。


 パチ、パチ……


 パチ、パチ……


 パチ、パチ……


 と、いくつかの拍手の音が響いた。まばらで数個しか確認されないその音は、徐々にその数を増やし、間隔を押し込めたように短く時を刻むようになる。


 何事かと、マコトが気がついた時には何人もの人々が二人を取り囲みこちらを見ていた。


 マコトは周りを見渡し、極彩色の瞳は忙しなく見て回る。と、その中には制服姿の牧野シロを発見した。彼女は変わらぬポーカーフェイスで静かに拍手をしていた。また、中には古斗野高校の教師もいた。横並びに四つのつぶらな瞳が二列にかけて計八個配置された蜘蛛の異形。頭髪、口や耳は人間のそれと同じ形だが、体毛やその色はくすんだ茶色がかった蜘蛛のそれを持つかのグレートスパイダーこと俵先生、担任の井山先生、厳めしい顔でこちらを見ている武東校長。


 

「私は、鷲律ユラナ。君の直属の上司になる」



 女はそういうと、一歩歩み寄った。



「ようこそ、特務機関Vへ」

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ