第六話 友の心知らず
五限の授業も終わりがけた頃、教室の扉が開いた。平然とした表情で席に着いたのは牧野シロだった。彼女はこれまで無遅刻無欠席な優等生の鑑、ゆえにクラスメイト達に珍しいこととして映るのだろう。授業中と言えども、少々のざわめきのような、動揺の波というようなものが見てとれた。
少しして授業が終わると、牧野シロの机の前を通りがかったクラスメイトが、一言二言言葉を交わしていく。体調がどうかだとか、なんだとかの、挨拶だ。
「シロ!……おはよう、調子どう、平気?」
真っ先にシロの元に来たのは月下ユウだった。ユウは机の前に立って、心配そうにシロの顔を見つめていた。
「ごきげんよう、月下さん。心配しなくても大丈夫。私はこの通り、元気いっぱいよ」
シロは、笑顔で胸を張ると応えた。
一日、特に何か理由などもなくいないというだけでも心配というのはかけるもの。そうであれば、やはり模擬戦のことを言わなくて正解だったとシロは思った。
「シロちゃんおはよ〜、今日は特別に私が授業のノート見したげる〜!」
赤髪の級友が通りがかると、相変わらずの能天気な口調でシロに話しかけた。
「ふふ、お願いします。山﨑さん」
と、シロは笑顔で応える。
「ルリはいつも見せてもらってるものねえ」
ユウはやれやれと肩を竦めた。
「も〜、そうだけど、それはそれ〜!」
それだけ言うと、次の授業の準備でもするのだろう。ルリは通りすがっていった。
「なら寝てばかりしていないの!……まったく、仕方ない子なんだから」
ユウは手をひらひらとさせて歩き去っていくルリにいうと、シロに向き直っていった。
「心配……かけたかしら」
シロは目を逸らした。これまで決して嘘を言ってはいないが、何も伝えてもいない。そこに罪悪感を感じないほど彼女は図太くなかった。
「……まあねえ。でも、そんなに気にしなくていいんじゃない?」
ユウは答えた。
「ちょっと、髪借りていい?」
「いいですわよ」
「……わあ、ホント綺麗ねえ、沢山アレンジしたくなっちゃう。もっと色々遊ばないの?」
許可を得たユウは、シロの後ろに回った。そして、シロの髪を撫でながらいった。シロはユウと出会った時から磨けば光る原石どころか既に光っていた。シロのお洒落への知識は程々だが、やはりどんな化粧品であれ使う物がよければ、使う者はすっぴん時点でそれ以上に良く、つまり段違いなのだ。
「ありがとう。けど、貴女の髪も春みたいに明るくて、よく似合っていて素敵よ。……うん、アレンジは私、そんなに得意じゃなくって……けど、もっと色々挑戦したいわね」
と、シロは返した。
ユウの明るい茶髪は少し不良っぽくも見られるか。しかし、そんなフィルターを外して見ると明るい色は快活なユウによく似合う。
「ありがと!……あら、そうなの?また言ってちょうだいね。わかることなら、なんでも教えたげるから」
ありがちな世辞の含みがちな褒め言葉も、シロにかかれば一言聞いて本音で語られるとわかるものに早変わり。
ユウにもちゃんと知らない事、わからない事を頼りながら、等身大で語り合える。優雅な彼女の気取らない素朴さは、皆に好かれる理由だった。
「……ねえ。シロさ、今日放課後空いてる?お茶でもどうかなって、ルリも一緒に三人で」
髪に一通り触れて満足したのか、ユウはその手を止めて聞いた。
「今日は学校で少し用があって……どれくらいで済むか、わからないの。けど、明日のお休みなら空いているわ」
と、残念そうにシロは首を横に振る。
「そう。じゃあ、明日にする?私たちは別に待っててもいいけど」
「待たせるのは申し訳ないですし、明日にしましょうか。……あら、そういえば詠航くんは?」
お茶の約束がある程度まとまったところで、ふと、シロは隣の空席を見ていった。
「……そういえば、来てないわねえ」
知らないとばかりにユウは肩を竦めた。
「あの……牧野さん」
その時、誰かが背後から遠慮がちにシロに声をかける。
「あら、羽黒くん……何か御用かしら?」
羽黒レイ、詠航マコトと親しい数少ない生徒の一人だ。座学など総合的な成績ではシロに拮抗する一人でもある。
「ちょっと話いいかな。えっと、生徒会のことなんだけど……あんまり外で話すことじゃないから……」
いつになくドギマギした様子で話すレイは、何を隠そう生徒会副会長である。
古斗野高校は進学者が多数派ではなく特殊体質者の就職事情もあって、そこで有利に働く所から生徒会など委員会のような諸活動に一年の頃から精力的に取り組む生徒は多かった。二人は、その典型例かつ上位の優等生でもあった。
「ええ、いいですわよ」
シロは席を立つ。と、ユウにウインクした。
「それでは」
そして、その長い黒髪を靡かせて踵を返す。
「いってらっしゃい、会長さーん」
ユウはそういうと、シロの背中を見つめていた。
ウインクはユウが教えたもので、なるほどそうしてよかったのだとユウは思うのだった。
「ふふ、行ってきます」
シロは振り向いて、自分の席の前に立つユウとその隣の空席とを一瞬見つめる。
そして、今一度、ユウの瞳をじっとみてから実に楽しげに笑った。
昼過ぎ、残暑の日差しをコンクリートの地面が照り返す。マコトは、途中寄り道して校舎の屋上に侵入していた。
「次、なんだったっけな」
日陰でひとりごちながら、使い古した通学用のリュックサックを漁る。出したのは、Peaceとプラスチックのライター、携帯灰皿だった。
もちろん、マコトは18歳。未成年であるし未成年喫煙は一応違法だ。しかし、1990年以来あらゆる国家で治安の悪化は著しい。ヒーローの登場や警察との連携から一時期よりも平和にはなったが、それでもこの国での凶悪犯罪や特殊体質者による異能犯罪というのは日常茶飯事だ。今日日、未成年の喫煙や飲酒程度で騒ぐ人間はそうはいない。
もとより、特殊体質者にはヒーローという早死にしやすい危険な職業を社会が暗に推奨している。実際にヒーローになることを褒め称え、また社会の人間の大多数がプライベートを犠牲にしたような働き方をしている。一個人に大した価値などない風に振る舞うほど社会に余裕がない割に、青少年の健康が云々という理屈で若いうちに煙草のひとつも吸えないというのはマコトにはサッパリわからない理屈であった。
やや小さな紺の箱から両切りの煙草を一本出した。両切りの煙草は吸うには少しコツがいる。咥える側の葉を小指で押し込んでやって、紙を巻くように少し折るのだ。そうすると、吸う時に口の中に葉が入り難い。そして、煙草を咥えるのは、やや唇を丸めるようにする。
ここまで来たらあとは火を着けるだけ。だが、この火を着ける時にあまり強くに吸い込んではいけないし、火はなるべく遠くから着けた方が多く吸える。吸う時も弱すぎるくらいに優しく吸うのがマコトなりの嗜み方である。そうして、煙草が吸えるギリギリに短くなるまでじっくりと味わうのだ。
バージニア葉の特有のバニラに近い甘い香りが鼻腔を撫でる。決して軽くはない煙草だが、上品な甘みは過剰に重さを感じさせない。
煙草をくゆらせながら、マコトは考えていた。
いつかあの日と同じ場所。
マコトはあの日から、何が一体変わったのだろうか。
しかし、あの日出会ったレイは、大きく成長していた。
「……」
マコトは、焦燥感を煙と一緒に吐き出した。それは、まるで深いため息のようだった。
マコトは別に生まれてきたかったとは思わず、だが、生まれてきたので仕方なく生きている。そのまま適当に生きていっても、どこぞで野垂れ死んでもよいという人間である。
しかし、何者も目指さないままでは、積み上げ成し遂げた人間に決して対等に並べはしない。
いつか人は死ぬ。そして骨すら遺らない。その人を知る人間もいつか皆が等しく死ぬ。そうやって、全て無に帰すことがあろうとも、それでも、真実を無かったことにできない。
『どうせみんな死んでいなくなる』『夢や人生になど意味がない』そんなものは、敗者の思考だ。何にもなる価値がないんだというのは、何者にもなれない人間が、何者にもなる勇気を持ち合わせない人間が、現実を都合よく捻じ曲げて現実から逃避する為の言葉に過ぎない。成し遂げようという人間の、あるいは成し遂げた人間の価値を貶めようという、ちっぽけな嫉妬でしかない。
そして言い繕うのが上手いだけの人間も、結局自分で自分の理論に心の底から納得できていない。それに気がつくか否かだけの話。それだけが真実だ。
少なくとも、マコトは戦った人間である。
機会は逃さず、徹頭徹尾戦った。それは何より、そんな風に恥じて生きては友達を名乗れないからだ。
模擬戦とはさしづめ自らに死に向かい、死に全身全霊で立ち向かう儀式。その末に、マコトは確かに強くなった。
先を見出す為の戦いではなくとも、進んで初めて目にする光景は確かにある。だが、マコトはいつか見える境地とやらは未だ見つけられずにいた。
「ッチ、クソ……」
あるいは、見えないフリをしているのか。
ふと、背後から風が吹き付けて、誰かの着地する音が聞こえる。
わかりきったその気配に、マコトは振り返った。
「……よう、相棒」
マコトは煙草を持つ手をあげて、気さくに笑った。
「マコト!」
翼を広げたまま声を張り上げて、レイは歩み寄る。
「なんだよ、デカい声出さなくても聞こえ──」
「やめるって言ってたでしょ!」
マコトの軽口を、レイが遮る。そして、マコトの煙草を挟む指に割り込んで煙草を取り上げるように、手を伸ばした。
結局、未成年喫煙も飲酒も誉められたことではない。真正面からこう言われると中々困ったものがあると、マコトは眉を顰めた。
「まあ待て、この一本くらい……」マコトは体を回して、煙草の火をレイから遠ざける。
「もう、そんなこと言ってやめないんだから……健康に悪いよ」
明らかに心配混じりに言えば翼であおぐ。レイの起こした風は、煙草の煙を流してレイの元に来ることを防ぐ。昔、臭いが翼に付くと厄介だと言っていたのをマコトは思い出した。
「さっきまでやめてたのさ。それにお前には言ったろ。俺の能力は体に負担が──」
「だから、言うんじゃないか」
軽口を交えた言葉は、再びレイに遮られる。まっすぐにマコトを見つめるレイの瞳は僅かに潤んでいた。
「……そうだな」
「なんだよ。そんなに好きにしたいなら勝手にしなよ!そうやって好きにやって、好きに生きて、好きに……っ……」
レイは震えながら、捲し立てるようにいって、そして最後までは言わなかった。
「……」
マコトは、煙草の火を携帯灰皿で消しながら、半ば背を向けたまま黙りこくる。
「牧野さんに聞いたんだ……弦村先生も、運が良かったけど危なかったって……ねえ、もうこんな無茶はやめてよ。ヒーローになる前に、死んじゃうよ……」
レイはいった。
しかし、マコトは上手く返す言葉が見つからなかったのだろう。少しの間、居心地の悪い沈黙が流れた。
「……なるなんて、言ってねえよ」
ろくに見る気もない風景の方を向き直せば、ようやくマコトは答えた。
「ならないなら、戦わなくていいじゃないか」
それでもマコトに向き合いながら、レイはいう。
「何になるかなんて……関係ないだろ、もう決まってるお前には」
視界に入る友達の姿を横目に、マコトはそう言った。
そして、流石にバツが悪くなったのだろう。喫煙用具の一式をリュックサックに詰め直した。
「……後遺症とか、ホントに何もないの、平気なの?」
紛れもなくこの心配が、レイの本音であることは口調から疑う要素はない。
「俺は、そう簡単にくたばりゃしないって……言った。それに先生からも聞いただろ。大丈夫だ。心配しなくていい。俺のことは」
マコトは理解った風に言った。そして、その事実がどうあれ、よく使われがちな常套句を並べた。
「……もう、すぐ授業始まるな」
話題を逸らすようにマコトはいった。
「マコトは、どうするの」
レイは聞いた。
「疲れてんだ、休憩してく」
マコトはぶっきらぼうに答えながら、
「教室、来ないつもりだったの?」
レイは、責めるようにマコトを問い詰めた。
「……」
マコトの答えは言葉として示されなかった。ただ、気まずそうな沈黙と共に顔を背けるだけだ。そして、それが何を意味するのかは語る必要すらない。
「マコト」
レイの黒い瞳が見開かれた。そして、一歩、さらに近づいて静かに友の名を呼んだ。
マコトがそちらを向いた瞬間、レイの右フックが彼を襲う。
「!?」
さすがのマコトも不意に襲うパンチの対処は難しい。咄嗟に腕を上げてガードしようとするが、膂力の差で屋上の真ん中側に吹き飛ばされる。
ガード越しだが、それでもダメージになりうる重さのパンチだ。
「この……」
マコトはコンクリートの地面に転がるが即座に受け身を取って立ち上がりながら、レイが歩み寄るのを見上げながら唸った。
「野郎!」
マコトは低い姿勢のまま一気に踏み込んで、負けじと拳を真っ直ぐに放った。
「ぐ……」
レイは両の腕を交差させてマコトの拳を受けた。歯を食いしばりその衝撃に両足で踏ん張ると屋上のコンクリートが微かに罅割れ、レイはそのまま後方に滑るように飛ばされる。
マコトは態々能力を使わなくとも、そもそも埒外の思念力の出力を持つ。彼は規格外、故にその一撃はレイに負けず劣らず重かった。
そして、次の瞬間、マコトは未だ後方に飛ばされる衝撃の残る最中のレイに追いつき、勢いのまま前蹴りで胴を狙う。
が、
「な──」
瞬間、マコトの視界からレイの姿が消える。
レイはマコトが踏み込む瞬間、衝撃に逆らうのを一転して同じ方向に地を蹴り、その黒翼を振るって一気に空中に離脱したのだ。
蹴りを空振り、誘い込まれたマコトが、上方向に意識を向ける次の瞬間、空を滑らかに滑空するレイの勢いの乗った蹴りが、マコトの胸部に炸裂する。
マコトは咄嗟に両手でガードして受ける。が、それでも余りある威力に身体が浮いて、数メートルは飛ばされながら地面を派手に転げれば、屋上の端に倒れ伏した。
特殊体質者にも、種類がある。
羽黒レイや蜘蛛の俵先生のような異形型と、詠航マコトや牧野シロのような思念型。
前者と後者とには、殴り合いの喧嘩など本来成り立たない肉体的な強度の差がある。
反射速度、五感、膂力、強度、持久力、思念力の燃費……白兵戦で思念型が異形型に勝つのは短期決戦以外に不可能だ。そして、よほど相性がよくない限り能力をセーブして戦うのは自殺行為。
能力なしとなれば、格闘技を習った熊と素手で殴り合うようなもの。
だが──互いに加減する暗黙の了解があるとは言え──詠航マコトには可能だ。
「はあーっ……クソ……ちっとは手加減しろ、バカ……」
マコトは地面に仰向けに転がり、空を見上げながら大きく息を吐いた。
「!……ご、ごめん……つい……」
ハッとレイは我に返ったように謝ると、慌てて喧嘩相手に歩み寄り手を差し伸べた。
「ついって、お前……殴っといて謝ん……な!」
マコトはレイを見上げため息を吐いた。そして差し伸べられた手を掴み立ち上がりながら、さっきの借りだと言わんばかりに一発顔面にお見舞いした。
「〜〜っ!」
レイは不意に殴られるとフラついて数歩後退した。
「マコト……!」
そうやって痛がった次の瞬間には、むっとして翼を大きく広げる。
「……おいおい降参だよ降参。あはは!これでおあいこだな!」
怒られながら、マコトは両手をあげて降参ポーズをとると、へらへらと笑った。
「……ホント、負けず嫌い拗らせてるんだから」
レイは少し不満そうだが、ため息混じりに呆れた風にいうと矛を収めた。
「お前も大概だしさ、許せよ」
開き直ってマコトは笑うと、日陰にまで行き体を地面に放るように脱力して座り込んだ。体の所々に新しくできた擦り傷が、少し痛んだ。
「……もう!いいよ。許したげる。特別ね」
少々不満げにいうと、レイはマコトの隣に座り、翼を広げた。少しすると閉じるつもりなのだろう、日差しが厳しい日などは日陰でこうして放熱するのだ。
薄く淡い白い絵の具を伸ばしたようなすじ雲が、遥か青空のてっぺんから二人を見下ろす。
そよ風がマコトの微かに桃色がかった白髪とレイの黒髪を靡かせた。
日陰で風を浴びると、少しかいた汗もすぐに乾いた。レイも、すぐに翼を閉じてしまう。
これは心地よいのだが、マコトは少し体を震わせた。
今日はあまり食事も摂っておらず、それに加えて汗が乾いて体が冷えたのか、あるいは喧嘩で漲ったアドレナリンが引いてきて過剰にそう感じるだけなのか、あるいはその両方なのか当人にも判らない。だが、なんであれ少し寒さを感じていたのは事実だろう。
そうしていると、背中に毛布をかけるように、レイが片方の翼でマコトを包む。
そして、マコトは黙ってそれを受け入れた。
レイの体温は、一般的な体質の人のそれより高い。新陳代謝や運動量などの問題であり、そういう体質なのだ。マコトの冷えた体には、これはちょうどよかった。
六限目開始のチャイムが鳴るが、二人とも座ったまま、しかし何か話すわけではなかった。
別に彼らは気まずさを感じない。ただ沈黙の中、二人は互いを理解しているつもりでいた。
「なあ、レイ」
沈黙を破ったのはマコトの方だった。口調と表情はどことなく真剣だったが、翼に体をすっぽり包まれてまだ寒さに少し震えているのがわかるレイには少しこれが面白く見えた。こうしてみると、自分よりずっと弱そうだと。
「……なに、いきなり」
まだ機嫌を治していないのか、ぶっきらぼうにレイは応える。
「あーいうの油断すんなよ」
マコトは隣のレイの顔を見ていった。
「あーいうのって、なにさ」
わからないというようにレイは首を傾げる
「まア、他人は警戒しろって話だよ。お前なら反応できたろ。もっと性格悪い方がいいぜ、お前」
指摘するのは先ほど、不意打ちに振り抜いたパンチのことだろう。その拳の速さ自体、大したものではなかったからだ。
「喧嘩で騙し討ちしといてよく言うよ」
レイは呆れ半ばに応えた。
意表を突いた攻撃は仮に粗末でも立派に対処が難しいというのは、なるほどありがちな話だ。
しかし、レイの弁はこれはマコトとの喧嘩なのだから別だろうという訳か。
「まあそうだけど……一応の話だ、これは。大丈夫ならそれでいい。俺は性格悪いのが取り柄だからいいけど」
要するに、彼は将来ヒーローになる心優しき親友の心配をしているだけだった。
「君はぶっ飛んでるだけでしょ」
マコトの自分のことは棚に上げての心配に、どの口が言うのやらとレイは思わず眉を顰めた。
「……それ、褒め言葉?」
「いや、全然」
冷たくあしらうようにレイはいった。
「そりゃ嬉しいね」
マコトは肩をすくめた。
「君こそ、もっと周りのこと考えなよ。心配されないと思ってるんでしょ」
冗談めかした反応と対照的にレイは注意した。すると、話を聞きながらもぞと翼の中でマコトの体が動く。
「ありがと」
ぽんぽんと翼を軽く叩いて礼を言った、これはもう構わないの合図だ。するとマコトを覆う翼はばっと広がって元通りに畳まれる。
「別にそういうわけじゃない。ただ、自分の身は自分で守れる」
マコトは答えた。再び肌で感じる風に大した寒さは感じなかった。
「そういう意味じゃないんだけど」
レイはむっとしていった。
「……」
レイの不満そうな表情に、また殴られやしないかという不安がマコトの脳裏を過ぎった。だが、温厚な彼がそう易々と手は出すはずもなく、すぐにそんな不安は隅に追いやられる。
レイはマコトと以外、殴り合いの喧嘩などしない。それも頗る珍しいことである。
「……俺だって、わかってる」
マコトは、目を逸らしていった。極彩色の瞳は、柄にもなく揺れている。
「なんにもわかってないよ。じゃあ、わかってるってなにをわかってるのさ」
目を逸らすマコトにレイはぴしゃりと反論する。レイは論戦では存外に容赦がなかった。
「お前の心配とか、そういうことだろ」
マコトは頭の後ろで手を組みながら寝転んで目を瞑った。わかっているというが、その回答は頗る大雑把であった。
「じゃあ、なんでいつも誰にも何にも相談しないで無茶するのさ。いくら強くたって、一言くらいあったっていいだろ」
深いため息を交えて、レイはマコトの方を向かず遠くを眺めながらいった。
「……そんな大した無茶じゃない。現に五体満足に生きてる、好きでやってるだけだ。それに全部あくまで俺のことで、お前のことじゃないだろ」
「だからって……」
その先をレイは言わず、下を向いてそのまま黙り込んでしまった。
「……」
マコトも、何か返す言葉はない。
ただ、そこにあるのは気まずい沈黙だけである。
小さく鼻をすする音が聞こえ始めて、マコトは少し驚いて目を開く。マコトは起き上がったが、その時にはもうレイは顔を背けて項垂れていた。
マコトは覗き込むような真似はせず、同じように背中を向けて座った。
「なに言ったって、僕が君を心配しない理由になんないよ。それに、いつもそうやって水くさいよ、僕との仲だろ……」
レイが、小さく愚痴るようにこぼす。
「……そうかもな」
マコトは、淡々といった。
「焦ることなんてない、君は十分強いんだから」
マコトの強さをレイはよく知っていた。
彼を弱いと評する者は、この学校にはいないだろうというのは間違いない。
「でも、それだけじゃ駄目なんだ」
マコトは胡座をかいて、頬杖をつくと首を横に振る。
「なら、一体何が欲しいのさ」
わからないというふうに、レイはいった。
「……それがわかれば、楽かもな」
極彩色の瞳は、遠く、遠くを見つめていた。