第五十二話 奇遇
羽黒レイが目覚めると、そこは見慣れない地下だった。
真っ暗闇で車のライトと犯罪者たちの用意した懐中電灯くらいしか足元を確認する術がないので、広さは解らない。しかし、ここがあまり使われていないかメンテナンスの行き届いていない施設か何かだろうことは見当がついた。近年、こういうメンテナンス不足の巨大建築物は多いらしい。どこにもありそうなので何県のどこなのかなんてのは皆目見当もつかなかった。
「立て」と指示されるまま、レイは立ち上がり、手枷を引かれるままにレイは歩いた。手枷には何か鎖がついており、それを引っ張っているようだ。
レイを今、取り囲む者たちがどんな人物なのかは暗くてよくわからなかった。彼は目が良いがこういう真っ黒闇は得意じゃない。
足音から4~5人といったところだろうか。また、ガラガラと台車を押す音も聞こえた。何か運んでいるようだ。
しかし、レイはここに例の六島や鬼蜻蜓の異形はいないのだろうと、考えていた。それは、レイをひっぱっていく犯罪者たちの声や話し方が少し若者っぽく、同時にくだらない小競り合いのような、無駄話ばかり話していたからだ。しかも、その会話には知性が感じられない。古斗野高校では考えられない会話だった。
「お前はいつもそうだ。図体ばかりの玉無し野郎で、チン〇は見えねえくらい小せえ。お前は、女なのか?それともゲイか?だったら悪かった。女やゲイには難しいだろうからな」
「女?それにゲイだと?あんなゴミクズどもと一緒にすんじゃねえ!脳みそ落としたかクソチビ野郎!そうだ、おい、殺す!」
「なんだと~~!!!」
レイは思わず溜息が漏れそうになるのを我慢した。
今すぐ。この品がない連中を黙らせて家に帰りたいという欲求を叶える手段がない事は、この二人には幸運だった。レイが代わりにできることと言えば、殺されるならこんなクズではなく、せめて少しでも大物に殺されるよう祈るくらいのものだ。
しばらく歩くと、すぐに建物の入り口に到着した。
扉を開けば、光が漏れてくる。
そのまま、小男と大男が先行して扉をくぐろうと足を踏み入れる。と、
「痛ってぇ!!んだこれは!」
この大小の男は同時に空中の何もない空間に体をぶつけて、尻餅をついた。しかも、大男の方は、完全に転ばされる始末だ。二人は悪態をつきながら慌てて立ち上がった。
そう、扉の奥にはもう一枚「何か」が、彼らの侵入を阻んでいた。
よくよく注意深く見てみると、そこには何もあるはずはないが、確かにその空間にあり、それが確かに質量をもって実態として在ると直感させる存在感が鎮座していた。
それは、思念力からなる結界のようなものだろう。
一同は立ち止まった。どうやら待つようだ。
「セキュリティはこれ一枚だけだ。……簡単に破られないか?それに、壁を壊せば意味はない。向こうの受け渡しも上手くいくものか……」
さっきから言い争っていた連絡とは別の、聞き覚えのある男の声がそう問うた。
「まあ~箱がデカいっすからね。でも、その分中は広いですし、仲間も大勢いる。それに車の見張りに残る連中もいるから、安全ですよ。わざわざ運ぶ必要ありますかね」
また、これまでとは別な男が答えた。音の関係から恐らく、台車を押している男だ。
うるさく言い争っていた二人は今ここでは黙っている。肝心な瞬間は静かだが、くだらないときはペチャクチャと喋る人間はどこにでもいるものだ。
「向こうでは俺以外死んだ、もっと警戒しろ」
レイの聞き覚えのある声の主、勘崎が言った。
真理救済教による襲撃で、勘崎にとってまさしく同じ釜の飯を食う間柄の人間のことごとくが死んでいた。
レイはそれを聞いて、密かにうつむいた。
「……すいません。失言でした。撤回します。申し訳ないです」
それを聞くと男は、失言を慌てて詫びた。
「見張りとは定期的に連絡しろ」
勘崎は、意に介していない様子で答えた。
それと同時に、一同を足止めしていた結界の気配が弱まった。そして、消えた。
恐る恐る、小男が足を踏み出せば、次は何も起こらない。問題なく通れる。
ようやっと、扉は確かに開いたのだ。
こうして一同は建物の中へと進んだ。通路は薄暗く、冷ややかな電灯がピンピンと音を立てて点滅する。
進む面々は、ライフル銃を首から提げた台車を押す男、マシンガンを持った大小の男たち、そしてレイの鎖を引く尾と甲殻・鋏を持つ異形の勘崎だ。台車の上には、何か大きな段ボールが二つ積まれていて、高さはレイの背丈ほどにもなっていた。
一同は更に進んでいった。
ペタペタ。カツカツ。コツコツ。ガラガラ。
レイが裸足でフロアを叩く音が、革靴や戦闘用ブーツが地面を叩く音、台車の音に混じる。
他の音は何もなく、静かだった。
「念のため地上階に向かう。あとで車を外に回させとけ」
歩きながら勘崎が、台車を押す男に指図した。男は「はい」と頷いた。
ペタペタ。カツカツ。コツコツ。ガラガラ。
中はさて、部屋によって様子が違うようだった。
しかし大半は、元々はオフィスかなにかだったのだろう。机だの椅子だのが散乱している有様だった。決して掃除が行き届いているとは言えない状況だ。少なくとも、誰かがきちんと雑巾がけをしているようには見えなかった。
しばらく歩くと、エレベーターにたどり着けば、小男がサッとボタンを押せば、後ろに下がった。
エレベーターは4つもあった、それなりに金のかかる建物だったのだろう。表示を見れば、今は地下一階らしい。
この施設はしばらく使われていないのか、埃っぽいが決して汚くはない。ただ、使われていない施設のエレベーターなどあまり乗り気になるものではない。
今はレイにも翼がないのだ。
「そっちはどうだ」
エレベーターを待つ間、失言男が手持ちの無線を使って、話し始めた。外で車を見張っている仲間とのやり取りだろう。
「ありゃ、おかしいな」
返信はない。
コツン。コツン。待っている最中も、誰かが地面を靴で叩くような音が響く。
「故障か、電源は確認したのか?」
コツン。コツン。
怪訝そうに勘崎が問う。
「はい、向こうもこっちも問題ないって」
コツン。コツン。
男は首を傾げた。備品の管理くらい彼らもやっている。
「何だと?」
コツン。コツン。コツン。コツン。
コツン。コツン。コツン。コツン。
コツン。コツン。コツン。コツン。
そうこうしているうちに、エレベーターが到着した。
チーンという音共に、扉がゆっくりと開く。
エレベーターの中の鏡に、彼らが映る。
最前にいる異形の勘崎は尾をうねらせていて、レイは片耳を失ったのもそうだが酷い顔色をしていた、片手で台車を押す男はもう片手で無線機をいじっていた。
コツン。コツン。
大男と小男は血を吐いて倒れ伏し、重なっていた。
そして、もう一つの人影。
顔にいくつもの皺と傷を刻み付けた、白髪交じりの男が、首をゆっくりと傾げるような奇怪な動きとともに、鏡越しに一同を見る。
その奥にある二つの双眸が、ギラリと光ってみえた。
男は杖を持っていた。それで地面を叩いていた。
コツン。コツン。コツン。コツン。コツン。コツン。
音だけが反響する。
「クソッ」
失言男がとっさに台車を蹴飛ばしながら、銃を握って振り返りながら射撃しようと構える──と、彼は突然血を吐いて倒れた。
同時に勘崎はレイをエレベーターに放り込むように鎖を引いた。
そして、正体不明の男とレイとの間に割り込むようにしながら、尾をうねらせた。
何か液体を発射し──かと思えば、何かに殴られたようにエレベーターの中に苦しみながら、倒れる。
液体はあらぬ方向へ飛散し、その奇怪な男にあたることはなかった。
液体はツンとするような臭いがし、床に落ちたそれはシュウと音を立てる。
「ッ……」
レイは半ば無理やり放り込まれたエレベーターから、刺客と対峙した。
台車から段ボール箱が落ちて、レイの脇に転がる。
レイは負傷していた。そして、疲れ切っていた。その上、手枷をされていた。
両者の目が合う。レイは自分の目がどんなかはわからなかったが、少なくとも、相手の目はひどく静かで澄み切っていた。まさしく無だ。敵の得体は知れなかったが、少なくとも常人ならば人を殺した後にできる目ではない。
何の動揺もなく、ひどく冷静。獲物を前に舌なめずりもせず、妙な演説をして勝ち誇ったりもしない。着々と淡々と為すべきを為す、プロだ。
「……」
コツン。コツン。コツン。コツン。
奇怪な刺客は床を叩きながら、エレベーターにゆっくりと近寄る。
近づくさまは隙だらけに見える。だが、羽黒レイがとびかかることはなかった。
いや、とびかかれなかった。圧力に、完全に圧されていた。
コツン。
一歩、刺客が寄るごとにレイが一歩下がる。
コツン。
冷汗が額に滲む。
「こ……こいつ……」
コツン。
エレベーター内に倒れ込んでいた勘崎が立ち上がり、レイと刺客の間に立ちふさがろうとした。
コツン。
次の瞬間、勘崎の視界から奇怪な男が消え、レイの目がかろうじて捉える。
音も気配も予兆もない。
恐るべき速度で奇怪な刺客は、勘崎を軽く小突いたのだ。
勘崎は忽ちのうちに昏倒した。
大きな打撃音などはない。
だが、きっと殴られた勘崎には「いつの間にか」、膝から崩れ落ちていたような、そういう素早さ。
レイは、仮に万全であっても絶対に勝てない相手であると確信した。
明らかに真正面からやり合っていい挙動をしていない。
タネはあるだろうが、わかったところでどうしようもないような、シンプルな特殊体質者だろう。
「……」
コツン。コツン。
レイが唾を飲み込んだ。
奇怪な男は、なめまわすように二人を見ながら、変わらず杖で地面をたたき続ける。
首をひねり、目をぱちぱちとさせる。かと思えば、逆方向に首をひねって二人を見る。
エレベーターの中には、レイと勘崎と荷物の段ボールが二つ。
そして、得体の知れない男。
コツン。コツン。と床を叩きながら、そいつはゆっくりと首をひねっていく。と、もう片手で、扉側にあるエレベーターのボタンを探る。
二十五階が、点灯した。
「ッ……目的はなんだ……慈か……?」
コツン。コツン。
勘崎は、立ち上がれないまま、そう言った。
それを聞いて、奇怪な男は杖で地面を叩くのをやめた。
外の勘崎の仲間は死んだのだろう。ピクリとも動かない。
エレベーターの扉がゆっくりと閉まり始めた。
「!」
レイが目を見開く。
それは、男が杖を振り上げたからだ。
そして、あまりにもその動きが素早く、レイの自慢の動体視力ですら、その全貌は明らかでなかったからだ。
アクション映画のスターや、詠航マコトならば、機転を利かせて敵の攻撃にこの忌々しい手枷を合わせて解放され、そのまま大逆転といくだろう。そして、朝焼けをバックに去っていく。そして、エンドロール。
……だが、相手がアクション映画のスターや詠航マコトならば?レイは、そのがら空きの頭か腹をぶち抜かれ、脳みそか腸か、あるいはその両方をエレベーターにぶちまけることになるだろう。誰だって、そんなエンディングは御免被りたい。
「……」
レイは勘崎を見た。
勘崎はだくだくと、血を流し始めていた。真理救済教と戦った昨晩の傷が、今のダメージで開いたのだ。もう戦えないことは明白だった。
勘崎は観念したかのように、荒く息を吐きながら、相手を見た。そのまま、じっと奇怪な男の目を見る。だが、意味はなかった。その奥には深淵しかないからだ。
エレベーターの扉が閉じ切とうとしていた。
むき出しの殺気で、エレベーターがあふれる。息継ぎもできない、溺れそうだ。
「……」
ここの二十五階に観光名所はないだろうから、刺客の目的はどうやら羽黒レイではないだろう。そして、先程の勘崎の口ぶりからして、二十五階で何かやるのか誰かいるのだろう。
つまり、無関係のレイは殺されないことを祈るしかない。
勘崎は助けられない。彼は傷を負っていたが、血を流している
ダン。
レイがゆっくりと、そして、しっかりと踏み出した。
「待って」
同時に、エレベーターの側面側、レイはそばにあった「開く」ボタンを押した。
閉まりつつあったエレベーターの扉がピタと止まる。
手枷をされた囚人は、刺客の前に立ち、向き合う。
刺客はピクリとも動かないまま、ぎょろりと目だけが動いた。レイの瞳を覗き込むように、それはじぃと彼の目をのぞき込んでいた。その奥は何もわからない。
レイは、深呼吸した。
そして、なるべく落ち着いて、わずかに震えながら言った。
「勘崎さん、情報を提供してください」
刺客は動かない。
レイの目の前で、今まさに杖を振り下ろさんとするまま、微動だにしない。
「……仲間は、売れない」
勘崎が言った。彼は真理救済教の襲撃の時、時間稼ぎの為に命を投げ出した。
そういう男なのだ。
「目的は僕じゃない。僕も殺される」
「あなたは僕に借りがある。助けてください。それに、このままじゃ、あなたも」
レイは、別に恩を着せたいわけではない。だが、一番生存確率を上げられるのはこれだけだった。
だから、これに賭けるしかなかった。
勘崎が目を瞑り、そして呟いた。
「……クソッ」
「降参する、情報を求めているなら、素直に吐く」
奇怪な男が、首を傾げた。エレベーターの扉が再び閉じていく。
レイに向こう側を見る余裕はない。ただ、眼前の凶器の振るわれないことを祈るだけだ。
刺客の振り上げた杖が、ヒュンッという風切り音を発する。
「あ」
レイが思わず、声を上げた。自分かあるいは勘崎、もしくは二人の脳みそが飛び散るだろう寸前に、できるのはこんな間抜けな声を上げることくらいか。両手を上げて手枷で受けようとしながら、しかし到底間に合いはしなさそうだ。
手を挙げるのが、半ばにも届かない辺りで、風切り音がレイの耳に届いていた。
その刹那、直撃。
金属の衝突する轟音が響き、空気が爆発した。
エレベーターが揺れる。
めまいのするような殺気があふれかえり、呼吸すらできない。
「っ……」
レイはこの間、目を瞑ってはいない。ただ、もう見ていられない状況にあるだけだ。
そうして、恐る恐る現実を見つめると、杖は半ばで停止していた。レイの視界いっぱいにはギリギリと音を立てる杖がそこにあった。
受け止めたのは、レイの頭上、エレベーターの屋根をぶち抜いて降ってきた──すらり美しく鍛えられた白刃。しかして幅広肉厚で頑強そうな、無骨なだんびらの刀。
そして、それを振るうエレベーターの招かれざる乗客。
彼は実に健康で、落ち着いたリズムで吸って吐く。
溺れそうなほどの殺気を飲み干して、獰猛に微笑む横顔がレイの視界に飛び込む。
その姿がどこか、友人に似る、とレイが逡巡したのも束の間、男が言った。
「慈の刺客か?まあ、なんでもいい」
美丈夫といった様子の男が、だんびらで奇怪な刺客を押し返した。
と、奇怪な刺客はその勢いを利用して、エレベーター内で跳躍し、壁を蹴る。そうして、刺客は、この招かれざる客が侵入するためにぶち抜いてきた天井の穴をヒョイと身軽に通って行ってしまった。
「つれない奴だな──」
謎の乗客が、老人を追いかけるため駆け出そうとしたが──レイの顔を見て男が足を止めた。
「……羽黒レイか?」
謎の男は、まっすぐにレイの顔を見て言った。
レイは、不意打ちにギョッとしてしまったし、顔に出してしまった。
「知らない人です」
こんな見え見えの噓を吐きながら、俯いて見せるがごまかしようがない。
「……その方が、面白いか。おい、出してやる。ちょっと手出せ」
男はじっとレイの顔を見て、すこし思案すれば、ひとり納得したかのように頷いて言った。
「えっ」
言われるまま、不安そうにレイは手を出した。忌々しいやたらと頑丈な手枷だ。
「動くなよ」
男が、だんびら刀を片手で握り直した。
もう片手をその刃の背につけるようにすれば、刃の背を掴み、腰だめに構える。
「ッ、本気?噓、怖い怖…」
レイが当惑しながら、逆らうわけにもいかないので手を出した。
知らぬ男に恐らく全然関係ないだろうに殺されかけたかと思えば、今度は知らない男に認知されていて、試し斬りかと見間違うような滅茶苦茶な指示を受けたのだから、思わず文句の一つもでるか。
「…い」
その瞬間だった。
トンッと、何か地面に落ちた感触に任せてレイは地面を見た。
そこには、左右の手の部分がつながる部分である縦ではなく、横に切られた手枷の下半分が転がっていた。
男は既に刃を振り切っていたが、レイがそれに気が付いたのは、手枷の落ちた頃だった。
「……貴方の目的は」
レイが上半分をポイと放り投げれば問いかけた。さっきの一撃の刃の通過した瞬間は見えなかったし、全くわからなかった。
威力も精度も凄まじいことがわかった。逆らうとか以前に逆立ちしたって敵いそうにはないワケだ。
「秘密。だが、奴の狙いはお前じゃないみたいだな」
「……恐らく」
これまた、滅茶苦茶な男に出会ったものだ。そして、目的もわからない。
だが、なによりもレイは、ここから先、この男といると碌な目に合わないのではないかと感じた。
そして、その通り、男は勘崎と段ボールをエレベーターから放り出すと、二十五階を押した。
レイもエレベーターを降りようと、足を運べば、男は首を傾げていった。
「ダメだ。来た方が面白い」
レイの進路を遮るように、刀を出せば、乗った乗ったと言う。
「…じゃあ貴方の名前と仕事は」
エレベーターは無情にも上昇していく。
時に強さは人を一般的な価値観から逸脱させる、単にできることが多いと選択肢も増えるというそれ以上の、理解しがたい奇妙な価値観や執念を抱える人間がいる。
そして、そういう人間については心当たりのあるレイは観念し問いかけた。
「岡田キョウタ。職業は、プロヒーロー」
岡田が言った。
途中、エレベーター内にまで衝撃が駆け抜けた。これは、あの刺客のモノともまた異なる、どこかで起こった爆発音か何かだろう。
「形上だがな」
ゆれるエレベーターの中、岡田が肩を竦めれば、また轟音が響いた。
チーン。
音が鳴る。エレベーターが二十五階に到着した。
エレベーター内のモニタに表示された時計が時刻を示す。
AM05:43のことだった。




