第四十八話 無茶ぶり
車列が淀みなく道を行く。
運転手は法定速度を守り、丁寧にアクセル、ブレーキを踏んだ安全運転を心掛けている。
車内にいる悪党。戸破、梶島、車田の三人は各々好きにやっていて、車の窓の外の景色は相変わらず退屈だった。
異能組合側の責任者である六島は、静かに腕時計を見つめる。
彼は待っていた。それは、声である。
もちろん、六島は幻聴などを聞いたことはない。
あまり忙しくても並よりはタフにできているらしく、男はそこまで追い詰められた経験はない。恐らく、車内にいる三人の悪党ほど図太くない程度ではあるが。
さて、特殊体質者という概念が世に誕生して以降、精神的に衰弱したいわゆる病人の中には、自身を読心能力やテレパシーを扱える部類の特殊体質者だと思い込んでしまうケースが後を絶たないという。
当然、実際には思考など読めてないし、通じ合ってなどいない。
そもそも、人と通じ合うというのは可能になったとしても、とても難しいことなのだ。
感情と思考を綯い交ぜにした頭の中のイメージというものは、まず人によって形式が違う。
同じ出来事体験した人間が自由に日記に書いた時、人により書き方がまるで違うのと同じように、同じ嬉しい・辛い・悲しいという単語にも背後の文脈によって与えられる意味が異なるように、愛情表現が個人によって異なるように、それは思考とは単純に言語的に捉えられるほど明確でも、匂いや音のように感覚的に捉えられるほど直感的でもない。
感情込みの情報である思考は、映画以上の臨場感と圧倒的な説得力を持ち、その上に噓の吐きようがない。一方で、より主観的な情報しか持たず正確性に欠ける。
思わず感情が入ってしまうほど重要な情報を交換するのならば、それはまるで整理されていない情報の羅列と化す。客観的であるべき情報交換は成立しない。
盗聴やハッキングの危険性を除けば──回線速度の速いインターネットの方が便利だ。
つまるところ、心を読んだり、テレパシーができたりするような特殊体質を持つ者がいたとして……通じ合う側の、それなりの訓練と知性が必要なのだ。
夜明けには少し早い、車窓の外が最も暗い瞬間だった。
六島の頭の中にビリビリと微細な電流が走る。
「私だ」
頭の中では響く男の声は、異能組合トップ、つまりボスだ。
幹部になった六島も顔すら見たことがなく、他に知る者がいるとも思えない。
名前すらわかりはしない。正体不明の人物だ。
「首尾はどうだ」
羽黒レイを確保した……というような感情、あるいはイメージで、六島は返答する。
なるべく、都合の悪いことは伏せる。だが、それでも鬼蜻蜓の加減なしの暴力のイメージや拷問が付いて回り、しかしピンピン生きているから問題ないだろうという希望的な観測にまで思い至る。
そして、ここまでがボスに筒抜けである。
伏せておいて問題なく、言ったところで好転しないことも隠せはしないことも、できれば伝えたくはないということまで伝わってしまう、このコミュケーションの厄介な所である。頭が回転すればするほど、余計な連想までボスには伝わる。
そんな全てが伝わってしまっている感覚が、六島を苛む。
「確かに乱暴な男だが、その場で一番強い。慈の件では役立つだろう」
六島の頭の中で響くボスの声は、動揺していないようだった。
ボスは鬼蜻蜓をよく知っているようで、同時に信用しているようにも見えた。
そもそも鬼蜻蜓に用意された特製の衣装は──恐らく──ボスがわざわざ用意させたオーダーメイド品なのだ。
ボスの命令で行った羽黒レイの尋問でも、鬼蜻蜓は他の部下より信用できる位置として参加した。寧ろ、尋問の主導は鬼蜻蜓であり、六島はその意図をそもそも知らないのだ。
奇妙なことに、六島の方がここでは部外者だった。
「些事に気を取られるな、慈からの例の物の回収、必ず成功させろ。アレには組織の命運が掛かっている」
窓の外の退屈な景色は変わらない、六島の座席の前の列の方から車田の吸う煙草の臭いが漂い、ボスの声が頭の中で響く。
これほど念押しされるのは、六島にとっても初である。余程、重要な事であり、本当に組織の命運がかかるのだと六島は否が応でも意識する。残念ながら、その責任は重いらしい。
「私はお前の実力を評価している。仕事を必ず、必ず、やり遂げろ」
ボスがそう言うと、六島を苛むわずかに脳みそがビリビリと痺れるような感覚が消えていく。
終わったのだ。
そして、六島が息を吐いた。
ふっと風が彼の髪を逆撫でる、前の座席の車田が窓を開けたのだろう。
窓の外で赤い光が一瞬ちらついた。
かと思えば、その車田の捨てた煙草ははるか後方に消えていった。
「……」
六島は、この念話が苦手だった。人と人がわかり合えるなんて幻想を健気に信じるほど若くない彼にとり、無意識にも近い連想から逆心ありと誤解される恐れがある念話なぞ神経に触りこそすれど楽しくはない。できれば避けたいものである。
「そのまま窓開けとけ」
前の座席で声が響いた。車田の隣の戸破がボヤいたのである。
「嫌だ、寒い」
車田が口答えしたのをきっかけに前の座席でまた始まった。
六島はそんな二人を無視して、隣で沈黙する鬼蜻蜓の異形、梶島を見た。
「なんだ」
鬼蜻蜓はこちらを見もせず、退屈そうに窓の外を眺め───少なくとも他人にはそう見えるように振る舞い───ながら六島に問うた。
蜻蛉の異形は視界が広い、昆虫の複眼とはそういうものであるが。
「昔、何を?」
六島が小声で問う。
煙草の臭いは随分とマシになってきたが、秋の真夜中だ。
吹き抜けてくる風が肌寒かった。
「……その歳で幹部か」
そいつは微動だにもせず、質問に答える代わりに六島に言った。
「何が言いたい」
六島が眉を顰める。
「知らなきゃ、もっと昇れる」
梶島が言った。彼の表情や感情の動きは読めない。
これほど異形化したタイプの特殊体質者はそれなりに稀だ。
六島は顔が広く、多くの特殊体質者を見てきたし、それなりの数の部下を持つ。しかし、部下にここまでの異形はおらず、勘崎が最も異形として人間の容姿である部分は少ないか。
知り合う所には、梶島と同レベルの人間も知るが、精々一人程度というもの。
「もしなったら?」
六島が訝しげに問うた。
「転職しろ」
鬼蜻蜓には、人間のような表情筋がない。
だから、そもそも一般の表情などありはしないはずだ。
だが、六島はこの異形が笑ったような、そんな気がした。
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あるトラックのドアが開いたと同時に、無機質な電子音が室内に鳴り響く。
男が溜息交じりに懐をあさると、非通知の着信を示す端末がピカピカと画面を光らせていた。
「あー、はいはい。今出る今出る」
四十代後半か、五十代前半といった様子の男が、喧しい着信音を相手に関西弁でそう応じる。
いくぶんかの傷跡と少し肌の焼けた手が伸びて、ダッシュボードの上に放られていたモバイルバッテリーか何かのような形状の機器をその端末に接続すれば、画面に表示された通話マークに指が応えた。
「はいー、もしもし~」
白髪交じりの、笑いジワのよく似合う男は、相変わらずの関西弁のイントネーションで応答する。
すると、すぐに声が響いた。
「……暗号化を」
低い女の声であった。
「もうやってる」
男は先ほどわざわざ備え付けた機器をカチカチと指で示しながら、言った。
それに対して、通話先の女はそれを当然として短く「ああ」と答えた。これが二人の通話のいつも通りの始まりであった。
「いやあ、前回はすんませんねぇ、部長」
男が上司にそう答える姿は、いかにも勤め人というような風体である。
「……上に極秘で動くために装備の融通が甘かったのもある。だが、今度は前回のようにはいくまい、だろう?」
随分と年若い女の声は、いやに冷静であった。
そして、その男っぽいぶっきらぼうな話し方は一度聞けば誰しもきっと覚えがある。
声の主は何を隠そう、処理部責任者。鷲律ユラナその人だ。
「それなら装備とー、牧野シロあたりを回してほしいわ。みんなよう頑張っとるから、もうちょっと楽さしたってーな」
「人は出せない。だがまあ装備は可能な限り、誰にも何も問題にはさせない。いけるな」
鷲律は一瞬の迷いもなく、レスポンスに一切の遅延なく、男の人員追加の要求を却下した。
そして、有無を言わさぬ確認という名の命令が呼びかけられる。
「やらせんのに聞くやんなあ。まあー、蓋開けてみなわからんけど、何とかなると思うわ。……そういえば、例の新入り何してるん?何ならあの子でもええけど」
男の様子からして、これは何とかなるというよりも何とかするの部類の仕事である。
致し方なしとしながら、かの極彩色の瞳と薄い桃色がかった白髪のめちゃくちゃなカラーリングの新人ことを問いかけた。
「調整中、そのうち顔合わせをやる」
言外に今は無理であるということだ。事実、鷲律はこの時すでに岡田、平柳の真理救済教の刺客の始末をその新人に命令している。
無論、命令の意図も意味も命令の存在すらも男の知る所ではなかった。
「部長、最近無茶しすぎや。あの子は強すぎるって俵も言うてたやろ。物事にはバランスっちゅうもんがあるんや。今度の作戦も相当やでこれ」
男はまるでよく知る知人や友人かのように、国民の英雄兼ヒーローの先駆者、グレートスパイダーの名を出して、鷲律を窘めるように語った。
「勝てる戦争もやらないで、繫栄した国があったかな。私は知らないが」
男の忠告に対して、鷲律は憮然として笑った。
「俺らは軍隊ちゃう、あくまで諜報機関や。異能組合がアレ使たら、首相のタマがでっかいならカラーズとかくるわ」
「なあ」
「下手したら──ユラちゃん、死刑やで」
男は思わず眉をひそめれば、変わらない関西弁で真剣に忠告する。
「その時は、そうならないように守ってほしいものだな」
電話先の鷲律の表情は見えない。ただその態度は変わらず不敵だった。
「巻き込まれたない言うてんねん……しっかし、まさか慈がアレを持っとるとはなァ、予想外やったわ」
じゃじゃ馬な指揮官に、はあーと男は肩をすくれば、話すべき問題について述べた。
曰く、始末する予定だった慈なる男が、異能組合の保有するとんでもないモノを預けられていたという、何とも想定外の事態が起こっていたのである。
「異能組合が持っていることはわかっていた。問題は使うかどうかだ、どう思う?」
鷲律が問うた。
「……アレは、そう簡単に、そこらのチンピラじゃまともに使えん。ミヤビは使いたがらんやろうし……多分、慈も自分が何運んでるかすらわかってへんちゃう」
アレとやらを使えるミヤビなる人物について男は語る。
「死刑どころか首都が吹っ飛ぶ、推測では困るな」
鷲律が鼻を鳴らす。
「ミヤビが絶対嫌がる……ボスが嫌がるなら異能組合はまず使わんと考えていい。そもそも秘密主義やから使えるやつはほぼおらん」
男が答えた。
ミヤビ……いや、異能組合のボスは、彼らの憂慮する何かについて使いたがらないという確信を少なくとも、この男は持っていた。
その声音は自信に満ちており、目に噓はない。今、誰も男のその目を見るものがいないことが残念なほどには。
「いいだろう。なら、一番の脅威はやはりあの男になる。いけるな」
鷲律は言った。
かねてから、そう決まっていたことを告げるように。
元々誰かしらが為さねばならない難題を、いざ頼むように。
「やるわ流石に。今の名前はー、梶島やったな……年貢の納め時やろ」
男は冷静に答える。
その標的は、鬼蜻蜓。
作戦を、まるで他愛ないことのように二人は話したままに、男がそういえばと切り出す。
「今度、ちょいと長めの休みくれへん」
「また家族旅行か、今度はどこに?駒谷隊長」
「……いや、久々に友達に挨拶でもしにいこかな」
二、三、何やらそんなことを話した後、男は電話を切った。
「……まあ、過去は過去やからなあ」
端末を懐に入れて、駒谷が呟いた。
駒谷がトラックの運転席から降りれば、その背後に繋がれたトレーラーへ向かう。扉を開け放てば、そこには四つの人影が浮かんだ。
中には、テーブルとパイプ椅子が並ぶ。
そこには身長2メートルを超える異形の女、ガタイの良いスキンヘッドの男、前髪が目にかかった人相の少しわからない男、そして顔のパーツがあべこべな位置に見える男がいた。
大して騒がしくもないが、しかし静かでもない雑談に彼らは花を咲かせているようだった。
「お前ら、集合や」
駒谷が手を叩いて言えば、彼らは駒谷の前に整列し、背筋を伸ばす。
「三田、一発芸は戦勝会なってからにせえ!顔いじったんならそん医者は生かして帰ってないやろうな!?」
駒谷が声を張り上げれば、顔のパーツがひどく上手くいった時の福笑いじみた男の顔がぱっと元に戻る。
そして、元に戻った優男風の顔で彼は肩をすくめた。
「……えー、ええニュースと悪いニュースがある。ええニュースから行くけど、部長殿はとんでもない性悪に育った、誰に似たんやろな」
駒谷が冗談交じりに、ハキハキと話す。
「そんでこっから任務の話や。前回と違って作戦は存在してることになってる、バレてもギリギリセーフや。形上、偵察やから噓ついてるけど。作戦目標は慈の処理、ある物資の回収、そして追加で男の処理。この三つや」
駒谷隊長が作戦概要を説明する。
「詳しくは後でやるけど、とりあえずなんか質問あるか?」
整列した兵士たちを前に、駒谷が問う。
そうすると、目隠れの男が声挙げた。変わらぬ関西弁で「なんや」と駒谷が言えば彼が問う。
「追加人員は?」
「ない」
駒谷がきっぱりと言った。
「……本気ですか」
思わず、目隠れが言う。
彼らは泣く子も黙るVの処理部。しかし、作戦で相手取る異能組合もまた武装し、訓練を経た特殊体質者の集団。
必ずしも容易い仕事ではない。
「その常識人っぷりを部長殿にも分けたってくれ。異能組合がワラワラおって、誘拐ホヤホヤの未覚醒の二重体質者までおるけど、そんなんはええ。お前ら、ほんまの悪いニュースは梶島いう鬼蜻蜓の異形の処理が必須な事や……なんや、今日はやけに質問多いな」
駒谷が言えば、次に手を挙げたのは身長2メートルを軽々と超えた兵士だった。
その人物は、タンクトップにズボンを身に纏っていた。その指先は明らかに鋭い爪か何かのようになっており、タンクトップで露わになる表皮は茶色い。
モデルのような長身であるが、同時に明らかに発達した体躯も併せ持ち、目は昆虫などの特徴を持つ異形定番の──複眼である。
それらは確かに異形の姿であるが、それでいて彼女は、しっかりと明らかに人間の女の顔の造形をしていた。
髪を後ろで煩雑に結び、胸元から腰までのシルエットは見るからに女性のそれである。
体重も軽々と100kgを超えているだろうことは想像に難くない。
「強いのか?」
しかし、そう問いながら口角を凶暴に歪ませるその表情はまるで、ケダモノか。
あるいは、もっと凶悪な何かに見えた。
「ええ質問や。こいつは本物の悪運野郎で、まあ平和ボケしてへんならここにおる誰よりも強い」
駒谷が言った。
「けど、覚えときや。一人一人じゃアカンくてもチームなら勝てる、チームの為に──」
「お前たちがいる、だろう。隊長、聞き飽きた。それで誰が一番の難題を始末するので?」
女は駒谷の口癖だろう台詞を奪えば、挑発的に微笑む。
さあ、この私に仕事を振れと言わんばかりの自信で以って、駒谷の目を見据える。
「死に急ぎ野郎が。誇りぃや、ここじゃ女も男も野郎やけど自分が一番タマでかい。相手は異能組合集団とはモノが違う、気張れよ。鬼蜻蜓は任せた。プレデター」
「了解」
駒谷が頷けば、プレデターが不敵に笑う。
「自信家には常識人付けるって相場は決まってる、いつも通り援護頼むで、ステア」
「……了解しました」
駒谷が目隠れに言えば、目隠れの男──ステア──は、渋い顔をして頷いた。
「そんでR1は慈の始末。ええな、ヴォイド」
「了解」
駒谷の言葉に、先程まで一発芸に勤しんでいた優男風が短く応える。
「無口は異能組合相手の攪乱や。援護はするし、連中もやる奴はやる、油断したらアカンで」
「了解」
駒谷がガタイの良いスキンヘッドの男に言えば、ウィップもまた応じた。
「ほな、そういうことで」




