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BREAKER  作者:
第1.5章 「受難」
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第四十七話 吉報

 山荘、地下室。

 ベッドに横たわった勘崎の、静かな息が響く。

 心電図の示すバイタルは規則的に電子音を鳴らす。

 そのわきに立つ医者が、ため息を吐いた。


「異形はいつも無茶をする」


 治療する側にとって、これほど心臓に悪いこともあるまい。

 そういう医者は実に手際よく、勘崎に応急措置を施した。

 止血、消毒、ありあわせの設備での輸血。

 羽黒レイも救命講習は受けているし応急手当程度の心得はあるが、仮に同じ設備を使えたとしてもこうはできまい。


「襲撃してきた敵は何者なんです。ドクター」


 羽黒レイの持つボーガンが、医者を見つめた。

 撃つ気は微塵もなくとも、いつでも撃てるようにはしている。


「そう硬くなるな、中野でいい」


 医者もとい中野は、レイを怖がっていないようでどこか余裕そうに少年を見つめた。

 すぐそこのベッドの勘崎の静かな息と、電子音が響く。


「……じゃあ、答えてください。中野さん」


 レイは少し息を吸ってから──可能な限り低い、漫画に出てくる悪者じみたドスの効いた声の演出を試みながら──言った。


「答えなくとも、君は私を殺さないだろう」


 医者が肩を竦めた。


「……だが、口止めもされていない。答えよう。奴らは真理救済教、悪質カルトだ」


「敵は、僕が二重体質者だから襲ったと言っていた。奴らの目的は?」


「覚醒前の二重体質者と怪異生物を使ってどうのこうのとは、多少の知識があれば誰でも考える。何か妙なものでも拗らせたんだろう」


「ええ、そうでしょう。電車で見たのと同じ怪異生物で、奴らは僕を見つけた。でも、あなた方の天狗は僕を守った。あなたたちこそ、僕を怪異生物に使うつもりでしょう?」


 レイが中野を厳しく追及する。


「……まさか、未覚醒の二重体質者は世にも貴重なサンプルだ。その覚醒条件は軍事機密と言っても良い。興味深い研究対象をみすみす逃しはしない」


実験動物(モルモット)ですか」


「否定できないな。しかし、安心してくれ。何よりも丁重に扱う。君の命は私のより遥かに高い値が付くからね」


 安いフィクションにあるような過剰な痛みを演出した趣味の悪い実験を、貴重極まりないサンプルに行う人間があるとすれば、それは今すぐ殺すべき無能であり、そんな低俗な者は科学にも医療にも携わるべきではない。

 間違いなく発展してきた技術でもって丁重に研究を行うと、医者は強く断言する。


「……金、力、結局そんなところですか」


 もちろん、これを信用する理由はない。

 しかし、天狗が手を出してこなかったことからも、レイが今こうして生きていることからも、彼の言葉には一定の信憑性があった。

 しかし、その研究成果が潤わせるのが誰かを考えれば、今すぐ自害する方が世の為ですらあるのかもしれない。

 しかし、レイは頭によぎったこの思考をすぐさま捨てた。レイを殺そうとした襲撃犯のことを思えば、死体に利用価値がないわけでもない。

 それに、わざわざ異能組合が山奥に籠るということは真理救済教以外にもレイを追う者は相応に居るはずだ。


「それは今更だ」


 中野が言った。

 異能組合は犯罪組織。思想に殉じるのではなく、あくまで利益を追及する。

 ヤクザが極道や侠客だのとすごんでみても行動原理の根本は己が利益で、それを担保するものがメンツに過ぎないだけで、一見して街を守っている風に見えるのと同じ。

 テロリストと戦うとしても、その本質は同じだろう。


「……それから、僕の翼は。切ったんでしょう。どこにやった?」


 レイが、中野に言った。

 冷静なようでいて表情は先程よりも硬く、どこか責めるようで、そして問いかけはすこぶる静かだった。

 ボーガンの先端が僅かに震える。

 それを見て、制止するように中野がゆっくりと両手を上げた。


「ああ、外傷が酷かった。だが、保存してある。ここより上等な設備と腕のいい医者を用意すれば、綺麗さっぱり治る。先に部位を再生させたり、体を元にスペアを作ってからくっつける、最近じゃよくある手法だ。これは信じてくれ。私も医者だ」


 かつてない緊張感で中野は、医者らしく説明する。そして、「後で見せよう」と呟きながら、撃たないでくれというように首を横に振った。


「……そうですか」


 中野が言い切れば、レイがゆっくりとボーガンを下ろした。

 彼の発していた間近で観察すれば見て取れる動揺のサインは気がつけば失せている。

 それが意図したものか否かは、中野にはわからない。


「信じましょう、ドクター」


 そうしてから、羽黒レイはまるで始めからそうだったように落ち着き払って答えた。

 身の危険を感じれば、誰しもがよく喋るようになる。

 人の恐れるのは──合理的に考えて暴発しかねない、突発的で情緒不安定な、つまり真に迫った──暴力性の発露するサインである。

 そんなハッタリのかまし方くらい、レイにはどこかの誰かのあり方をみればわかる。

  ただ、羽黒レイは自分で考えるよりも実際の動揺をしているのかもしれない。そして、有効ならば今はそれすらレイにはどうでもいい。演技ではやたらと強い癖に他人に動機を説明せずに突っ走る他人を振り回す、台風を擬人化したようなどっかの天然物ほどの脅威感は出せないから、都合が良い。


 こうして引き出した中野の弁が出まかせか否か素人に判断は難しいが、内容は幸いにもレイも聞いたことのある手法だった。良くも悪くも実験動物(モルモット)ならば保存もしているだろうし、その気になれば治すこともできるするだろう。

 ……異能組合に、治すつもりがあるのかまではわからないが。


 それから、中野と詳しく話すことはこれ以上なかった。

 彼もまた組織の詳しいことは知らないようで、それこそ「天狗」のことなど中野は詳しく知らないようだった。それに、ここ数日は山荘にいるので外の状況についてもさして知らぬようだった。


 というわけで、レイはしばらく暇をした。

 しかし、ひとりここから逃げ出しはしなかった。それは、敵が新手を送ってこないのは山中の怪異生物の存在ありきであろうと予測できること。外に出て天狗の怪異生物が襲ってこない保証がないからだ。

 そもそも何かしらの手段で居場所を特定してくる相手に、安全地帯から動くのはリスキーすぎる。

 それに、レイの背中にあの黒翼はない。飛べねば、逃げられてもたかが知れている。


 レイの貴重な暇は、予定通り日の落ちた頃に終わる。

 山荘の前に、何台もの真っ黒い乗用車やバンが駆け付けたからだ。

 中野の呼んだ異能組合の男たちである。

 車から続々と降りてきた十人以上はいるだろう彼らは、皆が皆険しい顔で武器を振り回していた。

 レイはそんなことは全く構わなかったが、問題は彼らが佐藤ほど紳士的ではなかったことだろう。


「羽黒レイだな」


 責任者らしき男の確認に、レイは武器を置いて素直に応じた。

 彼らはよほど余裕がないのか挨拶も自己紹介もなく、手料理の代わりにレイに分厚く重い手錠を嵌めた。

 大げさな見た目のそれは、羽黒レイ程度の異形には壊せないようにできた代物だ


「ひとつ、質問しても?」


 レイの質問に男は答えない。代わりに「連れていけ」と周りの男たちに命令した。

 男たちは乱暴に、それこそまるで凶悪犯罪者のようにレイを外に連れ出した。

 なるほど、哀れな囚人に逆戻りというわけだ。


「……」


 車へと進む途中、ふとレイは背中越しに山荘を見た。

 他人には暗闇に輪郭だけを残してひっそり佇む山荘の姿だが、レイの瞳にはしっかりと映る。いわゆる、鳥目というのは迷信だ。昼ほどでないが、常人より遥かに見えている。

 東京の夜と違う灯りの無い漆黒の闇。排気ガスの臭いのしない澄んだ山の空気。虫のさざめき。


 だが、レイをそうさせたのはそれらではなかった。何かに導かれてか何かを感じてか、本能的な何かがレイの視線を山荘の屋根へと移ろわせる。


「……──」


 男たちは、気づいていない。あるいは、知らぬふりをしている。

 しかし羽黒レイは確かに巨躯に両翼の怪異生物と目を合わせた。


 フルサイズのバンに押し込まれて、ひとり、壁を見つめる。

 もう視線を感じることはなかった。

 一分にも満たない、あっという間の出来事だった。


「……乱暴な人たち」


 安全などどこにも保証のない空間から一人牢獄に放り込まれれば、気が抜けるものだ。

 レイは、溜息を吐きながら壁にもたれるように座り込んで、目を瞑る。

 思考すら億劫になるほど疲れていたが、それでもたらればといったことは考えてしまう。これならば、いっそ、逃げ出した方がよかっただろうか?あるいは、逃げ出したところで捕まっていただろうか。……あの怪異生物が、詠航マコトならばきっとなんだって怖くなかっただろう。


 少なくとも、レイがそれ以上考えることに意味はなかった。

 結局、こんな手枷ひとつ壊せない己の無力を呪う他ないのだから。


 数分して、バンのバックドアが開く。

 そこには、責任者らしき偉そうな男がひとり。

 そして、もうひとつ人影がバックドアを通り現れる。

 それは一人目の男やレイより明らかに大きく──。


「お前は……」


 鮮やかなエメラルドグリーン昆虫特有の複眼が、視線と呼ぶにはあまりに面的だが、しかし確かに放たれる視線がレイを捉える。

 その異形が背中に携えた四枚の薄羽を光にチラと反射する。そいつは袴に、それから妖怪か何かのような和装を纏い、そこにいた。


「また会ったな」


 鬼蜻蜓の異形が、レイを見下ろす。間違いない、電車襲撃犯の一人だ。


「六島さん、どこまでなら壊しても?」


「できたら、穏便に頼みたいが」


 鬼蜻蜓が首をポキポキと鳴らし、六島と呼ばれた男が答えた。


 つまり、尋問だろう。この展開に、レイは当惑していた。

 中で起きたことは大方ドクターに伝えている。今更噓を吐くわけでもなく、第一、尋問するときは普通そういったことに向いた能力を使うのが常識。

 普通、拷問などはテロリストや猟奇殺人鬼の鬱憤晴らしがほとんどであると言われている。大抵、憎悪が源泉の凄惨な行いであり、そもそも知りたいことも目的もないのだ。

 異能組合がそういうタイプの人間に貴重なサンプルを任せるほどの無能であるなら、ともかく、尋問向けの能力くらい犯罪組織ならば用意しているだろう。

 そもそもここ数日眠っていただけの、自分が二重体質者であることすら知らなかった人間から一体どんな新鮮耳より情報が引き出せるのか、レイが知りたいくらいである。


「……」


 レイが二人を交互に見上げる。彼らの表情から読み取れる情報は皆無だ。六島はどこか面倒くさそうであったし、鬼蜻蜓の方は顔までも異形化しているタイプなので表情が読めない。


「……知ってることは、ドクターに伝えてる」


 レイはまるでお前たちの目的は何なのか問うように言えば、多くの部下を要するこの場の責任者だろう六島の目をじっと見つめた。

 会話の主導権はあくまで相手のものであっても、相手の求めるものからわかる情報は存在する。


 その次の瞬間だった。

 鬼蜻蜓の体の輪郭が揺らぐ。それを捉えたレイがあっと声をあげて反応する間もなく、その五体は強烈な衝撃に床に投げ出される。


「…っー……」


 レイは脇腹に走るドッというような鈍い感触、つまり激烈な痛みを受けながら息を吐こうと試みながら、床に投げ出されながら痛みに身を捩った。

 この苦痛の原因は確かにその目で捉えていた。鬼蜻蜓の蹴りである。


「勝手に喋るな」


 その異形はどこか困惑したように首を傾げれば、更にレイを蹴り飛ばした。

 レイが壁に叩きつけられた衝撃でフルサイズのバンが、揺れる。


「っ……」


 苦痛の中、仰向けに倒れながらもレイは鬼蜻蜓を睨んだ。

 この異形はおよそ理性的とは思えない。演技か、将又素か。

 なんであれ、駆け引きの通じる相手でも、そういうつもりも一切ないことだけはわかる。


 鬼蜻蜓は黙って近寄り倒れ伏すレイの胸倉を掴んだ。

 そして、引っ張り上げたのだろう。レイはぶら下げられて重力にはりつけにされるような感覚の最中、視界に映る鬼蜻蜓の拳を前に歯を食いしばった。


「あっ」


 ゴシャッと、鈍い音が響く。

 二度か三度あるいはそれ以上か、レイは数学が得意だが、頭に食らった衝撃のせいで、今はなんとなく算数が苦手になった。

 レイの視界がかすむ。チカチカとする意識を、強引に思考をかき回して奮い立たせる。そして、それ以前の本能のシグナルが伝える。

 鬼蜻蜓(こいつ)は本物だ。

 異形相手なら死なないのをいいことに──何なら死ぬような──煩雑でむき出しの暴力を特に意味もなく叩きつけられる人間だ。

 羽黒レイもまた異形。だからこそ、その腕力の危険性を体で知る。

 だからこそ、わかる。

 人が人を殴る時、相手が無抵抗ならそれこそ少しくらい躊躇する。

 相手への共感や、自分の振るう暴力への恐怖。

 男には、それが欠けている。


「……」


 蛍光灯の光がいやに眩しく、白む。

 頭から血を流したのだろう、生暖かいぬめりとしたものが背中に垂れている感覚にレイは嫌でも死を意識する。

 壁にもたれかかりながらレイが捉えたのは、こちらを見下ろす鬼蜻蜓と六島だった。


「おい、待て。殺す気かよ!」


 そのとき、六島が声を荒げたのが聞こえた。

 常人ならばとっくに死んでいるような……いいや、打ち所が悪ければ異形でも死ぬような暴力を、いきなり()()()()()()()に振るわれては声のひとつも荒げるのは当然だろう。


「異形がこれくらいで死ぬか、嫌ならお前がやれ」


 鬼蜻蜓の声はいかにも怠そうな、今すぐ欠伸でもしそうなほど退屈そうで、面倒くさそうだった。


「クソ……そういえば戸破はどうした。助っ人が遊んでるのか?」


 レイの視界が戻ってきたころ、仰向けに見上げる車内で六島が懐からナイフを取り出したのが見えた。

 それはヒーローや特殊部隊の使うような、いわゆるプロのための道具である。


「車田の運転で二度吐いた」


「次からはうちの運転手にやらせる……そういえば、あんたは平気なのか?」


 常軌を逸した説明を前に、六島は呆れ半分で答えた。


「ああ。だが、二度と御免だ。頼むから運転の上手い奴を付けてくれ」


 鬼蜻蜓が肩を竦めた。

 二人のくだらない会話の間も、レイは引きそうにない痛みに耐えていた。

 すると、また二人がレイに近寄る。


「二重体質者。お前と電車にいたふざけた色のガキのことを教えろ。お前、どうせVは知らないんだろ?」


 鬼蜻蜓が問いかけた。


「……ああ、知らない。そんなもの」


 レイは当惑した。

 二割はVなんてアルファベット一文字の意味を知るはずもないからだ。そして、当惑の残りもう八割はとっくに死んだと考えるのが常識な、ふざけた色の──つまり、極彩色の瞳に、白髪にうっすらと桃色を染めたような、いたずらっぽく笑う妖精じみた──少年のことを聞かれたからだ。

 読み取られないように構えたはずが、しかしどうしても動揺は隠せない。


「だろうな……。まあそれはいい、あのガキについて知ってることを全て吐け」


 鬼蜻蜓の尋問が続く。


「……あいつは死んだんじゃ、報道でも生き残りはいないって……」


 レイがあくまで冷静に言葉を紡ぐ。


「お前、そう考えていないな。本気じゃないだろう」


 鬼蜻蜓は間髪入れず食いつくように指摘する。

 半分は、正解である。レイは自分の人生に強烈に焼き付いた人の死を信じきれなかった。

 人は希望失くして立てない。……それでも、無根拠にも死を信じきれずにいれるのは、彼が特別だという立派な直感であるか。

 レイにはわからない。ただ、そう想う他なかっただけなのかもしれない。


「……でも、それだけだ。僕が知るわけない」


 レイにとって、これは意外な展開だった。それは、図星を突かれたことではない。

 鬼蜻蜓がまるで詠航マコトが生きているかのような口ぶりで話すからだ。


「どうかな?あのガキの特殊体質を全て、余すことなく教えろ。アレの近くにいて、何か違和感もあったはずだ」


 鬼蜻蜓が腕を組んで、話す。


「大人しく話した方が良い。どうせ後で能力でちゃんと吐かせるんだからな」


 六島がレイの胸元に刃を突き付けた。


「……僕は」


 レイはゆっくりと息を吸った。そして、答えた。

 それは思考するのに限られた時間を少しでも引き伸ばすためである。


「知らない、何も」


 この山荘で遭遇した怪異生物を前に、レイはまるで彼本人が現れたと錯覚したことは記憶に新しい。恐らく、何か彼の正体に迫るヒントになるだろうことは間違いなかった。

 しかし、六島の言うように尋問向けの能力を後で使うのなら、わざわざこんな手間な事をするわけがない。つまり、身内にすらなるべく出したくない情報か、場合によっては今すぐにでも知る必要のある情報なのだ。

 そして、それが間違いなくマコトの足を引っ張ることになるのならば、絶対に吐くわけにいかない。


「……」


 レイは改めて眼前の冷徹な刃と二つの瞳、二対の複眼を見た。

 痛みは、レイの意識を引き裂かんばかりに鮮明にする。

 きっと、堪えられないほどに。


 それでも、黙っていられるだろうか。レイに確たる自信はなかった。



 ──────────────────────────────────


 バンが揺れる。

 外の景色は見えなかった。

 レイはうつむいたまま、深く息を吐いた。

 片耳からどくどくと血が流れる。厳密には、片耳のついていた頭部の側面からか。

 呆気なく死ぬときは死ぬというのに、死んでしまいたいときほど人は死ねない。

 骨がジンジンと苦しむ。新しくこさえた痣や切り傷がひどく痛む。ああ、そんなことは記すまでもない。


「……吐かなかったそうじゃないか、なぜだ」


 ドクターがレイの傷を消毒し、応急手当をしながら言った。

 羽黒レイは、全てを黙秘した。そして、その対価を支払った。


「………」


 レイはうつむいたまま何も言わなかった。

 しかし、それは耐え難い痛みに苦しんでいるからでも、自らの境遇に絶望しているからでもない。


 思わずこぼれ出そうになる、穏やかな、つまり不敵な、勝者にだけ許された笑みを抑えるためだ。


 図体の大きな悪党どもが、こんなモルモット相手に熱くなった。

 そんな客観的な完璧な証拠が、囚人に確信させてしまった。

 切り札(詠航マコト)は生きている。


 ──────────────────────────────────


 法定速度を守り、問題なく運行する黒い車の列。

 そのひとつ、SUVの真ん中の座席で退屈そうにタバコをふかす男がふと呟く。


「もっと飛ばさないんすね」


 そういってから、車田が窓の外にタバコを捨てた。


「うるせんだよ。てめえは免許返納しろ」


 隣の戸破が不機嫌そうに吐き捨てた。

 気分の乗った車田による山道での運転に付き合わされた恨みは深いだろう。


「そんなの持ってないですよ……で、六島さんはなんのご用で?レクリエーションやりにきたわけじゃないっしょ」


 車田が反省なく肩を竦めれば、後部座席に座る六島に問うた。


「ああ、ちょっと話したいことがあってな。お前たちと揉めてた柞山會の池田組だが、みんな死んだ」


「そりゃよかったじゃないですか、表ェ出歩ける!」


 車田が嬉しそうに笑う。


「お前がジェローム殺したんだろ」


 後部座席の六島の隣で、鬼蜻蜓が呆れ半ばにボヤいた。

 面倒事の発端は間違いなく車田がうっかり殺してしまったことなのだから。


「……まあ、それは構わないんだが、サツが妙でな。公安が一番に抑えたらしい。それも相当に早い。お前ら妙なことしてないだろうな、何か知っていないか?」


 六島が一同に問うた。

 妙な男筆頭、車田はもちろん、梶島や戸破も六島からして信用はならないが、それ以上にその情報については評価すべきである。

 世の中、組織にいては見えないことも多い。


「知らん。抗争か何か、アンタらの方が詳しいだろう」


 梶島が簡潔に答えた。

 それもそうだ。そもそも彼らはここ最近、真理救済教に柞山會に政府や警察を敵に回して、おおよそ自由には出歩けないし、外部から容易く情報を得られる状況ですらなかったのだから。


「さあ……池田組と言えば、キマるモノなら何でも持ってるで有名でしょ。ズバリ無茶やりすぎて身内に恨まれたかキメ過ぎてみんな死んだんすよ」


 車田が肩を金ピースの重く甘ったるい煙を吐けば、さもどうでもよさそうに言った。

 これも概ね梶島と同じである。

 おおよそのことは知っていても、いかにも恨みを買っているわけであるし、推測はできてもこれと言ってわかることなどない。


「……お前らなァ、池田組の本当(ガチ)のネタはヤクだのシャブだのなんかじゃないぞ」


 戸破が大きく息を吐きながら、隣から漂う煙草の臭いを追い払おうと手を仰ぐように振った。


「戸破、お前知ってんのか?」


 六島が戸破に問うた。


「人だ」


 戸破がズバリ答えた。


「……まさか今時ありえない。どんな特殊体質者(厄ネタ)入れるかわからないんだ。テロでもあれば最悪、非常事態宣言!国が軍隊突っ込ませてきてパアだぞ!」


 六島が思わず言い返す。

 それは言わば国際的な、全世界での問題を前提とした大常識だ。

 特殊体質者の出現は、過去の宗教的・歴史的・民族的な問題を再燃させる凄まじいガソリンであった。

 武器を持たない庶民が武装しているのと等しい状況である。

 テロ、紛争、革命が多発し、無政府状態の国も現行では少なくない。

 日本は島国かつ本質的に単一民族国家であるから比較的マシだったが、そうでない大陸では特殊体質者の難民(潜在的な危険因子)は重大な問題となっていた。


「だから、ジェロームはのし上がれた」


 戸破は言った。

 禁を破るからこそ、意味があるとでも言いたげだった。


「あいつやるな。でも、お前なんで黙ってたんだ」


 梶島が感心したように頷いた後、戸破に問うた。


「言えないよ、殺されちゃうだろ」


 戸破が当然だろうと言った。


「なんだ、超悪党じゃん。俺、良いことしちゃったなあ」


 車田は、うまそうに煙草を吸う。


「……」


 六島は、それこそ戸破もいい思いをしたのではないかと、そもそもなぜ知っているのかと突っ込むのを抑えて溜息を吐いた。

 彼らにはこれが大ゴトか否かより、各々の利益や好奇心にしか興味がないのか、よほど馬鹿なのだ。

 この三人には、普通の人間的な良識がないようにみえる。……大凡ヤクザや異能組合のような反社会的な組織に所属していればこういう連中は当然いるが、最低限の人間性のようなものはあるべきだ。

 やはり、個人的なネットワークを基に暴力や殺しで仕事をしている人間の方が、ホンモノの神経を持っている事が多い。つまりはまあ……いわゆる社会不適合者でない、社会にとっての害悪だ。


「ああ、ジェロームは元々正規移民だったな」


 梶島が言った。


「ギリギリ緩かった時期のだな、現地とつるんだりして上手くやってたんだろう。ああ~、詳しくは知らねえけどな」


 戸破が肩を竦めた。

 その胡散臭さ、あるいは噓くささはいかにもである。


「公安も動くわけだ……ああ、六島さん。みんな死んだって言ってたが、実際にはどんなかわかるか?」


 鬼蜻蜓が隣に座る六島に問うた。


「さあ……マル暴すら現場写真ひとつないからな。ただ、死んだのは組のほとんどで、生き残りは偶然外にいた下っ端とか他の数人、それも逮捕済み。もちろん公安だ」


 六島が首を横に振った。

 つまるところの全滅、そしてやったのはあからさまに公安というそれ以外の事はない。


「下手人が連中だとしたら……噂だけなら聞いたことがある。公安は凄腕の殺し屋を飼ってる」


 梶島が言った。


「今度は殺し屋だと?」


 六島が眉をひそめた。

 人身売買の話に続き、これもまた六島は初耳である。


「……ただの噂だ」


 梶島の語る所、明らかにくだらない噂を話すような間ではなかった。


「お前も中々詳しいな」


 戸破が、言った。


「昔、色々あった。そういえば、例の(うつみ)ってのとの合流は?」


 梶島が六島に問うた。


「あと、たった何時間かの辛抱だ」


 思わぬ羽黒レイの確保(急用)が済んで、彼ら三人と協力する本題について、六島はすぐ次であると頷いた。

 それを聞いた三人の悪党は、各々が了解し、それから欠伸をして外を眺めるか、クロスワードをやるか、煙草を吸いながらその邪魔をした。

 そして、車は次の仕事に向けて走った。


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