第四話 17:30
ヒーロー科は全国にほとんどない。
特殊体質者という圧倒的少数派の需要の為に多額の資金を投ずるとしてこの不景気、私立学校では限界がある上に高い学費を払える家庭が少ない以上、回収も困難だ。しかし、特殊体質者が国家にとり重要な人的資源かつ、国を崩壊させない為には最低限の教育を行わねばならない対象である事は間違い無く、故に巨額の税金が特殊体質者の為に運用されている。
敷地面積340ヘクタール。怪異生物により出来た廃墟。大勢が死に、化物退治後も恐怖から人が寄り付かなくなった曰くつきの土地とて、本来はそれなりの価値が付く。今では国が回収し、ヒーローの卵の訓練場になっている。無論、ここの整備にも巨額の税金が投じられた。つまるところ、ヒーロー科は血税の結晶なのだ。そして、ヒーローとはいかに命懸けの仕事をこなし人命を救おうと、いかに偉大でも公僕に過ぎない。学校への入学者は制度の拡充から年々増加傾向にあるが、ヒーロー志望者自体は割合的に横ばい傾向にあり、対して進学や就職を選ぶ生徒が増加していた。ヒーローへの憧れより現実の息苦しさが勝り、社会にとって異物に過ぎない己の力を己の為に使う者が増えるのは、目立つというだけで社会では叩かれることを学べている証拠である。
開校当初、学校の正門前で、「特殊体質者以外にも人権はある」と騒ぎ立てて居座るデモは頻繁に行われていた。また、訓練所に向かってドローンを飛ばし様子を盗み見ようとした者が警備員にドローンを撃墜され、学校を訴訟しようとした事件でも連日マスコミが騒ぎ立てた。差別主義者や政権批判をやりたい連中は、何か少しでも不祥事などがあれば騒がしくデモを行う。
常に厳しい目で見られる上に超常の能力ゆえに疑いの目を向けられる。特殊体質者、ヒーロー科というのはそういう意味では社会的に弱い立場にあり、不満や不安をお門違いな人間相手だろうがお構いなしにぶつけようという人種の格好の餌食である。時には無関係な事でどこかしこからも攻撃されるわけだから、教育の指針や皆の抱く理想と裏腹に、生徒は非特殊体質者や社会への信用を手放していくというのが珍しくないのは皮肉な話だ。
放課後、模擬戦参加者の牧野シロ、詠航マコトと立会を行う教員二人、元グレートスパイダーの俵先生と、二人の担任たる井山先生が訓練所に揃っていた。
訓練所はエリア毎に分けられており、各区画をゲートと壁で隔離する事で成り立ち、模擬戦時にはそのゲートにより封鎖される。
二人の戦いの舞台は都市エリア。
実際の都市じみた建造物などが多々ある、不気味で歪な人工廃墟と言ったところか。
「例の如く、アナウンスがなったら開始です」
遠くの建物、侵入及び攻撃禁止エリアからアナウンス越しに二人の担任の井山先生の声が響く。各地に張り巡らされたカメラ、そして上空を飛ぶドローンにより、巻き込まれないところよりモニターで確認しているのだろう。
二人から少し離れた位置に、八つのつぶらな瞳を持った恐ろしげな見た目の蜘蛛の顔を持つ異形の男。大柄な筋骨隆々の俵先生が静かに見守っていた。
彼我の距離は視界に入り尚且つ120m離れた地点から開始される。武器や防具などの持ち込みは無し。服装は体操着のジャージ。模擬戦では、一般的なルールのひとつだ。
「(調子は普段通り、ならば良し)」
シロは予想よりも平静に近い自身の精神にこれで良いと思った。体に力が漲り、自分の全身が思う通りに動く予感がしてならない。
思念力を全身に満遍なく行き渡らせた。それは、特殊体質者だけが共通して持ち、視認し、操ることのできる特殊なエネルギー。
思念力を纏う操作は、特殊体質者にとり基礎技術。纏えば体を守る盾となり、拳に纏い放てば威力を跳ね上げる矛ともなる。人の身にして猛獣を打倒する力を手に入れるのだ。
そして、思念力は個々人の持つ特異な能力という機構を動かすのに必要な燃料の役割も持つ。
「始め!!!」
アナウンスが、響いた。
瞬間、マコトが低く構えながら銃のように手を作り指先を向ける。さながら、拳銃の早抜き対決のような振る舞いに対して、シロは真正面から仁王立のままピクリとも動かない。
「(コイツ──)」
シロが視界に捉えたマコトの思念力、そのエネルギーは脳が意識の中で翠の微かな閃きという視覚情報として認識する。
大気が悲鳴を上げた。飛来した煌めく弾頭が、シロに飛び込む。尚もシロは動かない。
校内で最も有名な能力のひとつである詠航マコトの能力は、思念力の操作だ。他の特殊体質者の範疇を遥かに超えた芸当を可能とする。原理は開示されておらず、本人自身解明したかも不明であるが、恐らくその能力故に特別な強力な思念力を持つと噂される。シンプル、故に強力な異能である。
着弾の衝撃か、その余波か。轟音の後、砂埃が舞う。
マコトの当たったという確信は、容易く破られ、この戦いの困難さを確信する。そして、それを裏付けるように奥から悠々と歩み出る人影が、マコトの視界に捉えられた。
「あら、いつになく本気」
本来牧野シロを穿つはずの攻撃は、何の仕掛けかシロの眼前その足元、コンクリートで舗装された地面を深く抉っていた。
しかし、当たらずともそれは恐ろしい脅威だ。凡そ、人間相手に放つ攻撃でなく、一個人が持つべき力では無い。そして、そこまでの本気をこれまで彼は出した事がない。
出し惜しみをしないセンスは、シロにはありがたかった。
「予想を遥か超える威力……」
戦意喪失も止むなき威力、襲い来る圧倒的な猛威。
されど、傷の一つもなし、牧野シロは意気軒昂。
「けれど」
二度の閃光を彼の男の方向から確認しながらも悠々と砂埃から歩み出でて、右腕を振るえば一気にシロの周りは氷点下にまで冷え込む。彼女の身に帯びるのは冷気。右腕にも同じ冷気が籠る。
そう、牧野シロの能力は冷気。物質を超低温にする事が可能だ。その思念力は、熱を奪う性質を持つ。
「勝つのは」
二発目、三発目。砂埃から出てくる直前、立て続けに視界の隅で閃いた爆撃が如き攻撃の効果は、またも何らかの力で軌道を逸らされ、背後の建造物の壁面が爆ぜ、鉄筋コンクリートを木っ端微塵にするに留まる。
「私のようね」
追撃を目眩しに、マコトはその圧倒的な速度で既に肉薄していた。死角に近い斜めの方向から踏み込み、思念力ごと腰溜めに拳を叩きつけんとする、短期決戦に乗り出していたのだ。
「!」
そして、それは牧野シロの読み通り。その身に纏う圧倒的な思念力を完璧に押し留め、隠蔽し察されないはずの接近、それすら認識したのは完全な読みと勘なのだ。
周囲の空気を普通ならば呼吸が困難な程に低温化させながら、居合術を行う剣士が如く構えたシロは迎撃の準備を万全に済ませていた。マコトがリスクを取って接近戦を仕掛けてくる事はわかっていたのだ。
「(貴方の能力は思念力に質量と指向性を付与すること)」
自身の近辺だけを低温化させ、それから絶対零度近い超低温を実現しながら思念力の力で押し留める事で編み出した凝固した空気の盾。さながら、戦車の傾斜装甲が如く斜めに配置することでほんの微かに逸らしさえすれば自身への直撃を避けられるという机上の回避論をシロはやってのけていた。
マコトが放つ攻撃は衝撃波、振動、貫徹力という運動エネルギーそのものに見える。だが、思念力には本来質量がなく、それだけで存在しそして特殊体質者にのみ認知可能な、物理学の前提を完全に破壊するありえない未知のエネルギーだ。だが、もしも、運動エネルギーそのものとして振る舞わせるならば、質量が必要だ。運動エネルギー=質量掛ける速度の二乗という式に従うのならば、
「(原理はシンプル!そして訓練や今の彼の構え方と挙動からして、発射には反動がある。あくまで思念力なのだから操作にも補正が効くのは体が知っている。常識の範疇の風の影響程度の軌道は修正可能。ならば、結果的に優先するのは速度。本質は、速いが軽い砲弾!なら、それを防ぐ原理もまた同じで良いわ、全て、予想通り!)」
腰で切る。腰で抜く。これは抜刀術の基礎である。誰かにひけらかした事はないが、その実、牧野シロは若くして居合術の達人。研ぎ澄まされた技術と能力を合わせれば、無刀は此処に実現する。
イメージするのは幾度と握った刀の重み。その形、切先から鍔に至るまでの姿形。思念力の操作において、イメージほど重要なものはない。はじめは皆、持ち得た特性の強さを重視するが、戦いで真に重要なのはそれをどう活かすか。能力に胡座をかいて生き残れるほど現実は甘くない。故にその経験は糧となり、糧はいつしか己の武器となる。
空気を凍てつかせ、刹那に現れ出でるのは冷気の刃そのもの。莫大な力を纏う拳の一撃に対し、斜め上に切り上げんと、高速に抜刀する。
二つが衝突し、腕は見えぬ刃に切り裂かれ、瞬く間に冷気にあてられ凍結し始める。
「獲った──」
冷気を込め、そのまま詰みにまで追い詰めようとする刹那、
「ッ」
マコトは放つ拳に纏うエネルギーの指向性を無理やり変えて、咄嗟に腕を自ら切断した。
「さあ……」
マコトが白い息を吐く。しかし、危険な温度と本能的に察知したのか深く吸う事はなるべく避ける。
対して、シロは平然と呼吸している上に吐く息は白くない。……例えば、ノートを貸りる時、例えば、落とした消しゴムを拾って渡してやる時、ほんの微かに触れた手は氷のようにひどく冷たかった事を、マコトは覚えている。
シロの目の前に飛ばした半ば凍る左腕が、あらぬ指向性へ発散され残ったごく僅かなエネルギーにより、破裂する。
「遊ぼうぜ」
まだ温かい鮮血が目の前で飛び散り、シロの視界を奪う。低温故に凍りついた血液は、そう簡単には溶かせない。
闇の中、振り下ろす二の冷気の刃。だが、それより速くマコトの右の拳がシロの顔面を捉えて殴り抜いた。
衝撃にシロは吹き飛び、無機質なコンクリートの壁面を突き破り、建造物の中に叩きつけられた。
「ハッ、ハッ……」
マコトは寒さと苦痛に身体を震わせながら、下を向き、残った腕で口元を押さえながら、微かに呼吸する。苦痛と動揺で息が持っていなかった。
詠航マコトは早くも反省していた。手は抜いてない、全力だ、手心は微塵も加えてはいない、つまり、いつも通りである。ならば、なぜか。
「(完全にやられた、一点に絞ってやがった。綺麗な顔でなんて戦い方しやがるあの女……それに、あの動き、お嬢様なんて可愛いキャラじゃない、達人の動きだ。クソ、痛みで打ち込みが甘くなった、手応えも薄い、ダウンは恐らく取れてない……!)」
それは幾ら強くとも、そうとわかっていても、心のどこかで育ちの良いお嬢様相手と見くびっていた事だ。この事態に驚いている、その技に驚いている、それが何よりの証拠。左腕を失って感じられる耐え難いこの苦痛は、その戒めとするほかない。
腕を吹っ飛ばした方の肩にエネルギーを集めれば、歯軋りと共に苦痛に耐えながら無理やり止血する。それに加えてこの低温、少しすれば凍りついて止血される、続けても出血で死にはしない筈だ。
「ぐ……」
シロは霞む世界と意識の繋がりを、強固な意思で繋ぎ止めれば、ゆらと起き上がった。自慢の黒髪は自身の鮮血に濡れていた。骨はギリギリ無事だろうか。大丈夫だからと両親に無理やり許しを得たのに、この負傷では説明が付かない。
先の一撃、幾ら打ち込みが甘くとも本来勝負は付いていた。しかし、シロは咄嗟に拳が当たると同時に攻撃の方向に首を回転させたことで──ボクシングにおいてスリッピングアウェーと呼ばれる防御技術である──受け流した。故に、今この瞬間すぐに立ち上がれた。荒事のある職業を目指す手前、両親に無理を言い、古今東西様々な武術、武器術を身につけたからこそ可能な動きである。
目潰しの瞬間、反射的に顔を伏せた為に左目の視界は微かに効くが、それだけだ。血は取れそうになく、悠長に身体を温める暇もなければ、手段もない。
これは、想定外の事態である。腕を咄嗟に捨てる所か、それを利用し視界を潰して逆転。凄まじい機転に、シロの必勝は失われた。
「(なんて一撃、咄嗟に動けなかったらもう立てなかった…けど、二年前に解らなかった事が今なら解る!生き残るよりも、死ぬより先に死んでも殺すつもりで、貴方は此処に立っている。負けて来なかった訳がよく解ったわ。殺し合いほどの本気でなければ、勝負にもならない──!)」
ヒーロー科の腕っぷしに自慢がある者の多くはヒーローを志す。しかし、メディア、社会があるべきとするヒーローのイメージに泥臭さはあっても、積極的に命を奪うイメージはない。執念じみた暴力、級友と戦う事への躊躇の無さ……ヒーローに憧れ、志す子達が持たない要素だ。普通そういう者は、とっくに犯罪者ややくざ者のお尋ね者だ。厳しい監視の下、ヒーローをやる訳もない。他人、特に弱者を蹂躙するのが一番手っ取り早い。
相手が皆に知られた強さあってこそ可能な相手を厭わない闘志、初めて人に向ける殺意同然の戦い。シロは尋常ならざる酔狂じみた行為で以て、初めて詠航マコトという不可解な人物の一片を心で理解した。
「(……ダメね、よく見えない。けど、彼は咄嗟に止血するくらい必ずやってのけるしすぐに血は凍る。先生方が静止するなら、すぐ、この直後ね。そうなれば、勝負無し。それなら私は──)」
身体に軽くないダメージのある立ち姿、よもや互いに装う余裕はない。
「(これは勘だ。だが、向こうの視界は微かに残っている。次の攻撃は確実に当たる。しかし、こっちは重傷。外から見りゃヒートアップした殺し合い同然の戦い!間違いないストップが入る。なら俺は──)」
だが、シロとマコト、両者は互いが一歩踏み出すより先、ほんの刹那すら必要なく、全ての覚悟は済んでいる。
「「(この一撃で、お前(貴方)に勝つ)」」
周辺のカメラや高性能ドローンなどで見守る担任がマイクを取り、声を張り上げるまでのほんの数秒。校内最強と声高い俵先生が、割って入ろうというよりもコンマ5秒。
それらより速く、コンマ零1秒ほどの誤差もなく全く同時に、二人は前へと加速した。二人は、その想いが同じ事を本能で理解する。
その身を激しく渦巻く思念力は、その本音を一片たりとも隠しはしない。臨むのは下手をすれば──ではなく、当たれば確実に殺す一撃。
斃して魅せろと二人は笑う。それは言の葉なき同意。出すのは一つ、切り札だけ。必殺技とは、必ず殺す為にあるからこそ、必殺技と呼ぶのだ。
牧野シロの冷気だが、絶対零度近い超低温は、しかし思念力を由来とするのならば他の思念力があると干渉され、抵抗される。抵抗のあればあるほど絶対零度から遠のく。その為、思念力による冷気にて他で絶対零度近い超低温としてからぶつけるか、その手で直接触れねば、思念力を纏う相手の命に指は掛からない。思念力に関して強力な出力を持つ詠航マコト相手は尚更、直接的に全力こ攻撃を加えねばならない。
詠航マコトが扱う思念力を由来とするエネルギー、一番の取り柄は出力と汎用性。だが、本来持つ速度的なアドバンテージは左腕を失ったダメージと牧野シロの持つ技術故に五分にまで埋まる。よもや、絶対にかち合わねばならない以上、攻撃が最大の防御でもあるのは自明だった。
シロが我が身を託したのは己の無刀の技術、両手に持つ見えない刃を手に携える。剣術という残酷な程に身も蓋もない合理に満ちた殺人術の動き。これまでの刃は出力を最大にまでしておらず、またそれを出す暇を作ることすら困難だった。故に絶対零度に近くともイコールではなかった。今回は違う。周りの気温は超低温。思念力は最高に練り上げ、過去に経験のない出力を解き放つ。その喉を狙うほんの刹那ばかりの微かな閃き、真の絶対零度は実現する。
相対するマコトの持つ技術で上回ることがあるならば、それは思念力の操作。能力的な側面だけでなく、それ以上に本人の練度の観点で、実際牧野シロに唯一優っている点である。放つ拳、解き放たれるのは腕を軸に回転するような暴力的エネルギー。あらゆる攻撃を弾き、同時に打ち砕く為のモノ。思念力に関するのならば、出力で勝るならば弾き打ち砕く、こんな時の為のとっておきの一撃。
そして、必殺は交差した。