第三十九話 目覚め
電車襲撃事件から、数日後。あるいは、首都不明攻撃事件の数日前。
三人の悪党の取引相手は、彼らを歓迎した。
多額の報酬、隠れ家、医者、接待まで至れり尽くせり。
そのお陰で戸破は軽症の傷をほとんど治してもう十分動けたし、無傷な車田と共に取引相手からの接待を受け、贅沢を堪能した。
ひどい怪我を負っていた梶島も、裏の医療機関による治療と異形の生命力もあり負傷は快調に向かっていた。
そして今、彼らは同じ応接間に再び集っていた。
三人は三人ともに思惑を持っていながらも、それでも呼ばれた理由は同じだった。
何人かの取引相手の部下たちが三人を見守る。
部下たちは一様な黒服で、ほとんど暴力団の構成員やボディガードのような格好だ。
その空間で、戸破は鉛筆片手に今朝の新聞のクロスワードパズルを解くのに熱中していた。隣の車田は煙草を吸いながら、時折戸破のクロスワードに口を出していた。
「そこ『フットボール』じゃないですか?」
ふと車田がうっかり答えを言って、戸破に睨まれる。
「答え言うなよお前、何回目だ。こういうのは自分で考えるのが醍醐味なんだろうが。ったく……」
戸破は手に持つ鉛筆の先を車田に向けながら、呆れ半分に注意する。
「いやあ、つい言いたくなっちゃって、そういうことありません?梶島さんもそう思うっしょ?」
車田は反省しているんだかしていないんだか、お気楽な態度でもうひとりの悪党に声を掛けた。
車田が声を掛けた梶島はただ座して待っていた。だが、その様子から彼の感情は窺えない。顔のほとんども異形と化した男に、それを表現する表情筋はない。
ため息ひとつ吐いて、梶島が口を開いた。
「知るか。それよりも、お前たちなんだその恰好、俺が療養中にショッピングか?」
鬼蜻蜓が、二人にボヤいた。
それもそのはず戸破と車田は、新調のスーツや靴を身に纏っていた。
戸破はギラギラした光沢のあるグレー生地のスーツにブランド物のネクタイを、車田は新調したベージュのスーツにタイ無しのスタイルだ。二人の腕時計なんて、一般的なサラリーマンの半年分の給料近くはある代物を嵌めている。
匿われている状況だとしても、仕事の後に高い買い物をすべきではない。
「じきにバレるし、ビジネスの場でボロ着てる訳にいかねえだろ。それに、そういうお前も患者衣にしちゃえらく決まってんじゃねえか」
戸破が梶島に言った。
彼は二人より高さも厚さも二回りほど巨大な筋骨隆々とした身体に、長大な薄い光のベールのような四枚もの翅を携えている。
この手の異形は──特に翼や翅を持つタイプ──は日常生活で衣服に不便する、実際、梶島は普段ズボンに上半身には緩やかに長大な布を巻きつけるというような格好しかしない。
だが、今日の梶島はえらく凝った格好だ。足元には袴、上半身は彼のために調整された和装を身に纏っていた。
まるで昔話の妖怪か、神の使いのような姿だ。
「もらったんだ」
梶島のエメラルドのような巨大な複眼は実に寡黙で、誰よりもポーカーフェイスに向いている。しかし、そう話す様子はまんざらでもなさそうであった。
三様に、取引相手の部下たちを気にも留めず、彼らは何も恐れるものがないかのように寛いでいた。
「お待たせしてすまない」
そんな応接間に、ひとりの男が現れる。すると、背後に控えた部下たちの緊張が引き締まる。
男は着ているスーツも他の連中とは違う。派手さはないが、いくらか上等なものだ。
彼らのいわゆる上司だろう。少なくとも、それなりには目上の人間だ。
戸破が男の顔を見て解きかけのクロスワードと鉛筆をテーブルに放って立ち上がり、車田は煙草を咥えたままニカリと笑って立ち上がろうとするが、立ち上がったころには煙草が忽然と消える。
車田は懐から煙草を出して次の一本を取ろうとしたが、柔らかなベージュのパッケージに収まるロング・ピースはあいにくのからっぽだ。
あの一本はどこに行ったのか?黒服の男たちの目が、わずかに泳ぐ。
それらすべてをよそに車田の最後の煙草を灰皿に押し込んで、梶島は立ち上がった。
男はまず真っ先に戸破のもとに歩み寄り、手を差し出す。戸破は同様に歩み寄って、二人は固く握手を交わした。
「元気そうだな、戸破」
そう笑顔を見せる男は戸破よりはいくつか歳は若いが、しかし二十代前半であろう車田ほど若くもない。歳は、三十手前といったところか。
「よう、六島、お陰さまでな。にしても、随分と良い店行くようになったじゃないか」
戸破は親しげに男の名を呼べば、接待の礼を述べる。
「うちは報酬をケチらない。それに、ヤマがヤマだったからな。あれくらい当たり前だ」
六島が笑った。
その背後で「あっ」と声が響く。二人はそちらを振り返ったが、すぐに元の姿勢に戻った。
車田が灰皿から火の消えた煙草を回収しようと手を伸ばし、梶島の剛腕に止められる場面だったからだ。
「あー……あいつ、仕事はできるんだが──」
戸破が両腕を広げながら苦笑した。
「いやいや、これくらい気にすることはない」
六島がそういえば、彼は二人に自己紹介した。
「見ての通り戸破とは旧知の仲でな。いつも話し込んでしまって申し訳ない。改めて、異能組合の六島だ。一応、幹部なんて大層な肩書を持ってるが、あんたたちはフリーなんだ。あんまり気にしないでくれ。よろしく頼む」
ビジネスマンじみたこの男は、人は見かけによらないという教訓の好例であろう。泣く子も黙る裏社会の犯罪組織の幹部である。
「戸破さんの友達かあ。俺は車田、面白いヤマなら乗る」
「へえ」なんて車田が呟けば口を開いた。
「……梶島だ。戸破とは何度か仕事をしてる」
若い男と、年齢不詳の鬼蜻蜓の異形。
少なくとも仕事では使える二人の男。
二重体質者の誘拐などという、どう考えてもヤバい案件に首を突っ込んだ悪党どもを前に六島という男はにこやかに応じる。
「よろしく頼む……二人とも、戸破から聞いてる。腕は確かだってな。まあ、かけてくれ。あんたらには世間話もしたいが、今は仕事の話でもしよう」
六島はそう言えば、三人が座る。
六島もこの統一感のない三人に対面するようにソファにかけた。
「早速始めるが、そう単純じゃない。少し長くなるぞ」
六島が前置きすれば、話し始める。
「慈って男を知ってるか?」
そう聞かれて、梶島と戸破は同じく首を横に振った。
「いいや」「どこの誰だ?」
そして、車田は答えない。
いくつかの視線が、男に向けられるが彼は気にしない。彼は、戸破の放ったクロスワードパズルを勝手に解き始めていたのだ。
「知ってるのか?」
「知らないね」
戸破の問いに、車田が答えた。
そう言われ、六島が説明を始める。
「表でも裏でも、あまり名前を売ってないからな。慈コウゾウ……慈セキュリティ開発の社長兼技術者だ。表向き小さな装備開発会社で、大手警備会社の子会社でもある。ヒーロー相手にもそれなりに活躍してるが、裏に商品を捌いたり、異能組合の装備開発や改修をしたり、色々やってる。まあ、厳密には親会社の方が異能組合とつるんでるんだが……それはいい」
たったひとりの強者が社会を破壊しかねない社会では、こうした組織は寧ろ秩序に巧妙に入り込み、一体化する。経済的にだけではなく、実態そのものにおいて一体化したその組織はもはや、社会秩序そのものである。
そんな異能組合の幹部は、顔を顰めて続きを話す。
「……その慈だが、うちのボスがあるモノを預けていた、大切なモノだ。しかし、この慈セキュリティ開発が先日、襲撃された。慈は問題の『商品』と共に数人のボディガードとなんとか逃げ延びて、ボスに連絡を取った」
「どこの差し金だ?」
まさかの展開に、思わず口を挟んだのは梶島である。
しかし、その言葉に六島は首を横に振ってため息を吐いた。
「さあな、わからん。能力、人数、組織の規模、目的……正直、見当もつかない。なんせ、デカい組織だ。敵も多い。わかってるのは向こうの刺客は相当腕が立つってことだけだ」
つまり、すべてが不明だった。
「それで、その男を助けにいけばいいのか?」
戸破が問いかければ、六島が口を開く。
「概ねそうだ。だが、目的はあくまで『商品』だ。奴は最悪死んでもいいが、『商品』は必ず回収する。もちろん、俺の一番信用できる部下も寄越す。確実に成功させてほしい」
要するに、念には念を入れて成功させる為に、実力の確かな三人の悪党を雇う。
不安要素は、多いようだった。
「報酬は?」
梶島が問いかけた。
「前回と同じだ、支払い方法はそっちで決めてくれ。どうだ、やるか?」
六島の答えに、戸破が頷き、車田がクロスワードパズルを置く。丁度、全て解き終わっていた。
「乗った」「俺も、お前となら安心して仕事できる」
一方、梶島は腕を組んだまま、何も言わなかった。
異形の顔面ゆえに、表情からその思考は読めない。
「梶島さん、あんたはどうする。前の戦闘のことは戸破からも聞いてる。怪我が完治してないんじゃないか?」
六島が問う。
この三人で戦力として最も期待できるのは梶島だ。車田はあくまでサポート、戸破も戦う状況は選ばないが絶対的な支配力や攻撃力はない。
「いや、あんたらのお陰で設備も揃ってた。ほとんど完治だ。もう動ける」
梶島は応じる。答えは明確で、躊躇はない。
「オーケー、交渉完了だ。明日には回収する。……それから、当日は他の客も来るらしい、受け取りついでだとか。その上、助っ人にもなると。慈曰く本人の希望だ」
六島の付け足したまさかの不確定要素に、戸破の表情が少し曇る。
「知ってるのか?」
「名前だけはな。一応、ヒーローだが裏の稼業もやってる、完全フリーの殺し屋らしい。鉄火場に突っ込む物好きらしく、慈は信用してる。使えるかはわからないが」
「……まあ、いいだろう。刺客が全くわからんことに比べれば些事だ。それに、俺達も似たようなもんだ。そうだろう?」
梶島の言葉に、戸破が「まあ、そうだが」と渋々頷く。
「そういえば、好奇心でひとつ聞きたいんすけど。その商品って、一体何です?」
次に問うたのは、車田だ。
「その質問には答えられない。正確には、知らない。だがな、好奇心は猫をも殺す。それだけは覚えておくといい」
「他に質問は?」
梶島が小さく首を横に振り、車田が「ないね」と言いながら、灰皿をつつき、最後の吸いかけの一本を拾い上げる。
「武器はどこまで揃う」
戸破が問うた。
「テレビゲームやったことあるか?俺はRPGがお気に入りなんだ。あれを最大限楽しむにはコツがある。装備を整え、レベルを上げ、仲間を作り、困りごとを解決し、丁寧にひとつずつ進めていく……つまり、何事も準備が大切ってことだ」
六島の持論を聞いて、車田が笑う。
「いいね、そいつは同意できる」
「ああ、当然、今回も同じだ。特殊部隊、ヒーロー並みの装備でやる。安心してくれ」
警備会社、装備開発の子会社と裏で繋がるこの組織は、バックアップも問題はなく行えるようだった。
「よし、交渉成立だ」
戸破と六島が立ち上がれば、二人は再び固い握手を交わす。
そうして仕事の話が終わった。
部屋から出ていく戸破は薄い笑みを携え、梶島は変わらず表情を出さない。
最後に退出する車田は拾い上げた煙草を咥えて、そいつに火をつけた。
「いよいよ、面白くなりそうだ」
──────────────────────────────────────
「マコト……?」
目覚めの第一声は、それだった。
苦痛を味わった後の奇妙な目覚めは、時間旅行すら思わせる。
冷凍された後にレンジで『チン』された魚のような気分と、体の節々に走る痛みのような違和感、つまり生温い怠さがこれを現実だと証明していた。
「──くそ……」
夢か現かもしりえないが、人の話し声を何度か聞いた。だが、それ以上のことは記憶になかった。
即座に、彼は周りを見渡し、自分の体の傷を確認する。ぱっと見、健康極まりなかった。
周りは、病室のようにも見える。だが、見張りらしき、少なくともナースで医者でもない人物が立っていた。
見張りの男は無線か何かの機械に二、三ばかり話し、それからは動かずに、レイを変わらず見張っていた。
よく見れば、扉にも鍵がついているが……普通、病院の個室に鍵は付いていない。
それが何を意味するか。
少なくとも、彼はこれだけの材料を前に多くの人間と推理するように『軟禁されている』と考えた。
幸い、手足は拘束されていない。しかし、部屋には窓がなく、時計もない。今が朝か夜かも知る術はない。
しかし、見張りのつけた腕時計を見れば彼には見える。並外れた視力が、それを可能にする。
午前、十一時。
昼である。
しかし、何日後の午前十一時か?今はわからない。
少なくとも、翌日か或いは二日後か。回復の経過からしてそれ以上経っていてもおかしくはない。
羽黒レイは、状況を理解することに務めていた。
妙に冷静なのは、恐らく目的があるからだ──と彼は考えた。その一方で、焦ってもいた。
あの後に親友がどうなったのか、その無事を確認していないのだから。
「……」
寝過ぎていたから、少し体がだるく、少しばかり翼が痛い。
だが、彼は違和感に首を傾げた。すぐには気が付かなかったが、あるはずの感覚がない。
いいや、実際にないのだ。
「お目覚めか、にしては冷静だな。……考えているな?そういう感じがする。どうやら、馬鹿じゃないらしい。古斗野の生徒だったか」
レイを見て、見張りの男が言った。
じっと注意深く、男はレイを観察していた。
「……マコト、マコトはどこに?生きてるの?それに、翼は──」
翼を庇うように、慎重に起き上がった体をずらせば、レイは問いかけた。
いいや、厳密にはその背にあるはずの黒翼はなかった。
動かせば、視界に映り、触れることの叶う翼がなかった。だが、ないにも関わらず痛んだ。
失った部位が痛む現象、ファントムペインである。
「俺たちの仕事は見張る事で、それ以外のことは何も知らない。だから、答えられない。……この仕事、交代で回してるんだが、これは丁度自分を見つめ直すには持って来いの時間でな。だから──いい加減に目覚めてくれてよかった。感謝している」
見張りの男が気だるげに言った。
勤務態度はあまりよろしく見えないが、レイとは確実に物理的な距離があった。とびかかっても、特殊体質者ならばまず反応できる距離だ。
そして、彼は決してレイを視界から外そうとしない。絶対によく見ていた。
隙は無い。
「……どういたしまして」
自身を軟禁している高確率で犯罪者相手に礼を言われるのは、さしもの羽黒レイも予想外だったようで、言葉に一瞬詰まった。だが、少々の間をおいて、彼は何とか会話を続けた。
どうやら会話の通じる相手だと、判断したのだ。
「……ああ……あの、自己紹介もなしに、質問責めしてすいません。動揺していた。僕は、羽黒レイ。あなたの名前、聞いても?」
レイは自己紹介と同時に、相手の名前を問うた。
互いに名前で呼び合うことは、重要だ。相手の名前を認識し、同じ人間だと感じることは相手への共感にも、会話することへの心理的なハードルを下げる事にもなる。
だが、尊大に映ってはいけない。絶対的な優位は相手が持っている。ゆえに謙虚にレイは言う。しかし、媚びるような姿勢は見せない。足元を見られることになる。ゆえに、レイは礼儀正しさに注意する。
「佐藤だ」
見張りの男は、簡潔に答えた。
「……佐藤さん。あの事件で巻き込まれた中に、古斗野高校の生徒がいたはずだ。お仲間とやり合ったと思う。多分、嫌われてるだろうな。けど、僕には友達で、安否が知りたい。何日前かはわからないけど、ニュースにはなってるはずだ。電車が襲われた事件だ」
レイは冷静に、慎重に問いかける。
あれだけの事件が、報道されないとは考えにくかった。
「さっき言った通り、他は知らない。俺は現場にいなかったからな」
佐藤が、首を横に振った。
「だが、ニュースは見ている。朝と夜に一度ずつな。新聞も必ず読む。あれは大事件だった。確か、乗客は全員死んだとか言っていたが……」
それ以外のことはわからない。つまり、そういうことだった。
「全、員……」
レイが、呆然として言った
模擬戦で負け知らず、並大抵の現役ヒーローを上回る実力を持った詠航マコトが、脳天ど真ん中に弾丸を喰らっても立ち上がったあのタフガイが、まさか──。
「そんな……」
出血。負傷。疲れ切った彼の声を思い出した。そして、レイのありえないという言葉は空ぶった。




