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BREAKER  作者:
第3章 「日常」
33/48

第三十三話 隠蔽

 図書室で勉学に勤しむのは、あらゆる学生の常だろう。そして、知り合いや友人でそうして過ごすことはよくある話で、これはヒーローを目指す彼らにも共通する。

 だが、図書室というのは大抵の場合でそうであるが、大層大きければ大きいほど空きがちなものだ。お陰で、静かで何にも邪魔されず、勉強であれなんであれ集中しやすい環境となっている。

 山崎ルリも例に漏れず、図書室の隅のこぢんまりとした座席で教科書とノートを開いていた。彼女がひとりでこんな過ごし方をするのは、珍しいことだった。彼女は普段は月下ユウや牧野シロ、他の友人と過ごすのでまずひとりでいるという状況が少ない。仮にひとりならばさっさと帰ってしまうか、探せば他にやりたいことなんていくらでもあるお年頃である。少なくとも、彼女はあえて図書室で勉強に励むタイプの生徒ではなかった。

 パタパタとやる気なさげに教科書を捲る。

 彼女が今しているのは机上演習の復習である。その見直しは捗ってはいないようで、ノートの余白にぐるぐると渦を描いていた。


「待たせてごめん、演習の復習だっけ?」


 そこに、声を掛ける生徒がひとり。途中で生徒会室から抜けてきた、富永であった。

 筆記用具とノートを手にした彼は、待たせたことを軽く詫びれば、山崎ルリの隣の席に座った。

 机に広げられた教材を一瞥すれば、富永が言った。

 これは班で行うテロや事件を仮定して、巻き込まれた際に最適に生き残る、あるいは事件解決のためにどのような手段や考え方が有効であるかをシミュレートし、世界の様々な事件、テロを参考に行う演習科目である。警察との連携を前提にした大規模な作戦への参加と立案という状況から、帰宅途中にバスジャックに巻き込まれたという内容まで様々な内容が行われる。


「うん、この前の奴。本当、苦手で……ごめんね」


 ルリが苦笑いした。こうも、弱気なのは珍しい。


「いいよ。前に助けてくれたお礼もあるから気にしないで」


 富永が首を横に振る。

 この組み合わせは首都不明攻撃事件のお手柄二人組であり、これもまたその縁だろう。

 後々では表彰されたりテレビ取材でも受けたりする可能性もあるが、二人はそれでも今のところは日陰で過ごすことを選んでいた。


「こっちこそ、ひとりじゃどうもできなかったからお互い様」


 ルリもまた何かを成し遂げたというような感想ではなかった。

 ただ、災難な目に遭った人間が目の前にいて、偶然力になれる自分がそこにいただけなのだから。


「脅威度が高く説得困難な敵性特殊体質者及びそれら集団への対処……ああ、これか」


 問題は厄介である。課題では教科書通りに振る合うのみでは解決できなければ、意見が班員と分かれることも、その意見をどう取りまとめるのかも重要になってくる上に、作戦でのリーダー役は制限時間内にどうするのか決定しなければならないこともある。

 究極的に言えば、答えのない問題。切羽詰まった状況で建設的な議論を行い、それに基づいて、冷静な判断を下すのがまず容易でないと学生はほんの少し理解し、実戦に備える。

 こうした訓練は、わかりやすく言うならば災害時の避難訓練と同一の本質を持つ。悪い状況でどうなるのか、どう行動しておくべきなのかを想定しておく。それが本質だ。


「今、ノートにまとめてた経過を見てるけど、どうすればいいんだろって、うちの班は被害が大きくなっちゃったから」

 ルリはそう応えればノートの端にペンを走らせた。富永が視線を一瞬落とす。


『どうだった?』ノートには丸みを帯びた文字でそう書かれていた。


「あー……これね。確か、増援は暫く来なそうで……普通に制圧はまず無理だけど時間稼ぎはできる。周りを巻き込めば、制圧可能……だっけ」


 富永もペンを手に取って、そのノートの隣に走らせる。走り書きではあるが、大きさが均一近く、傾きの少ない、止めはね払いの丁寧な字で『カクショウなし』と端的に記されていた。


「そうそう。結局、巻き込んででも撃たなきゃいけないって感じが嫌」


 喋りながら、『どうする』とルリが手早く付け足す。


「わかるなぁそれ、この時は自分も悩んだから」


 富永は頷けば、自身のノートにさらさらと書いて、その次には、ルリが文字を返す。

『色紙がある』

『今はケイサツじゃ』


 二人の視線が細かに行き交うことはない。さりげなく、視界に映る文字を見落とさずに確実に書き連ねていく。


「時間稼ぎして、それでも助けが来なかったらっていうのはみんなよくやるけど……それで判断間違えて、作戦失敗しちゃった。そっちでは、どうしたの?」


『能力でコピーした』


「リーダー役の牧野さんが無理だとわかった時点でやるって、強行した。正直、他の子も一緒に反対した。けど戦闘員役の詠航ひとりだけが賛成して、それのお陰で被害が少なく済んだかな」


『わたすべきかな』


「……さすがシロちゃん、あの時はその方針もありって先生言ってたもんね」


 親しい牧野シロの明晰さにどこか誇らしげに答えながらも、ルリの手は止まっていた。


「正解は無いけどね。先生からも、この班はもう少し粘ってもいいって言われたし……」


 富永はそう言いながら、山崎ルリの様子を伺うように顔を覗き込んだ。

 彼女の表情は硬直し、唇はきゅっと固く結ばれていた。やや小さいルリの手が、微かに震える。


「……まあ……ねぇ……」

『やめよう』


 ゆっくりと、彼女は答えた。


「ああ」


『そうだね』


 富永が最後に答えてから、二人は暫く黙っていた。

 気まずい沈黙の最中、何か言うべきことはこれ以上なかったのだ。


「……もし、本当にそうなった時、富永くんはできる?」


 ルリがノートを閉じながら問うた。


「判断できるようにならなきゃいけないけど、自信はない」


 富永が答えた。

 訓練と実戦とではまるで異なるから。そんな自信などどこの誰にもなければ、実際に遭遇するまでわからないものだ。


「……私は、無理かも。そんなの怖くてできない」


 ルリが、ノートに視線を落とした。


「でも、きっと撃てちゃうんだろうな。自分が死んじゃう方が、怖いもん」


 そう言って、彼女はどこか自嘲気味に微笑んだ。


「怖いのは、みんな同じだと思う」


 富永が言った。

 二人は話し終えたらページを捲り、課題を話し合いながら、色々と反省点や持つべき考え方、その教訓をまとめる。

 それから、そそくさと図書室を去った。別れ際、二人は「じゃあ、また明日」という以上の言葉を交わすことはなかった。

 その帰り、富永はコンビニに寄り道した。これは生真面目な彼には珍しいことだった。

 彼は、そこでマッチ棒を購入し、バッグの中のジップロックに詰められた色紙──雨水に濡れたことすら再現したもの──を細かに引き裂いて、火を付けた。

 赤く火照り、じっくりと焦げていく。それはゆるやかに灰となり、風にのせて飛び立つ。

 詮索することは、誰も幸せにならない。

 少なくとも、現実をどうこうする手立ても実力もなく、ただ外から復讐と暴力に連鎖する理由を与える考えなしの無鉄砲を正義と言い張る度胸は彼等にはなかった。

 だから、後は何も残らなかった。





 明るい夜に、小さな火が灯る。両切り煙草の先端が小さくパチパチと音を鳴らすが、風にすらかき消されるほど小さなその声に耳を傾けるものはいなかった。

 マコトは、微かな月明かりを煌めく街の明かりの中から探していた。

 この空に浮かぶこの頼りない夜の道標を親友もまた見ているのか。あるいはここでは見えもしない星のどこかに混じってしまったのか、少年の知るところにはない。

 道端でショートピースをくゆらせてここにいると赤く燃やして示すが、少なくともお節介な黒い天使はこれを取り上げには来なかった。それは、きっと火が小さすぎるからだ。

 煙草を吸い終わらないうちに、マコトの前に一台の車が停止する。マコトはそれを横目にして思わず眉を顰めた。

 角ばったような特徴的なフォルムに、触覚の様に生えたサイドミラー、漆でも塗ったような高級感を纏った光沢のある黒。一般的な家庭のお父さんが乗り回すことはまずない車である。

 自動車のことなどてんでわからないマコトすら、トヨタのセンチュリーを見て全く無感動ではない。特別な物とは、一目見てそうと感じさせるから特別なのだ。


「……」


 マコトは思わず運転席を覗き込んだ。その運転席には見知った金髪の美女が座していた。そうして少年が車窓をぼうっと覗き込んだまま煙草を吸っていると、車窓がゆっくりと開く。


「待たせたのは悪かったが……こうして改めて見ると、生意気だな」


 運転席の窓が開けば、その鋭利な視線はまず煙草を咥えてこちらを覗き込む少年を捉える。


「逮捕しますか?」


 極彩色の瞳を不可思議そうにぱちくりとさせて、少年は喫煙を悪びれもせずに鷲律を見つめ返す。そうして、彼はその淡い桃色がかった白髪を揺らしながら、冗談交じりに微笑すら浮かべていた。


「私の前では禁煙だ。敬語も、プライベートなら要らん」


 彼女はそう言えば、ぬっとその手がマコトの口元に伸びる。

 細長い女の指が吸いかけのショートピースを奪い取れば、ぽいと道端に捨ててしまった。


「……鷲律さん。プライベートなんですか、これ」


 少年は投げ捨てられた煙草の行方を名残惜しそうに追いながら、問いかける。


「嫌なら仕事でもいいんだぞ。ほら、早く乗れ。それとも、走る気か?」


 鷲律の言い方は仕事と変わらずぶっきらぼうだったが、冗談半分にからかってくるのはプライベート限定か、あるいはあまり話したことがないから知らなかっただけか。

 猛獣じみた鋭い眼光と穏やかな表情を容易く同居させる彼女の微笑を見て、マコトもつられてふっと息を吐くように小さく笑う。

 マコトは鷲律ユラナのことをあまり知らない、だが、プライベートの方はもう少し話しやすいことには間違いなかった。


「勘弁してください、乗りますよ……でもプライベートったって、どこ行くんです」


 そうこう言いながら、マコトは──ママパパ先生には内緒だが──不審な高級車の助手席に乗り込んだ。

 車内は、微かに煙草の臭いがした。


「家に帰るだけだ、お前の部屋もある」


 鷲律は車を発進させながら、行き先を告げた。彼女のアクセルの踏み方は少々思い切りがよかった。なので、マコトはぐわんぐわんと振り子のように揺れながら発進してから少ししてようやくシートベルトの装着に成功した。

 鷲律はそれを気にしなかった。カーラジオを聴きながら、好きに運転していた。

 ありがたいことにアクセルの踏み方以外は彼女の運転は丁寧だったので、マコトは大人しく助手席に座るだけで済んでいた。

 特に何か話すこともなく二人は黙っていたが、カーラジオの奏でるマコトの知らないうん年代の洋楽のお陰で、気まずい沈黙にもならない。

 実際、マコトは助手席で吞気に欠伸していた。

 数日前に体を切り刻まれる死闘を超えたばかりで、今日も一日学校で過ごしたのだから疲れくらいする。

 鷲律がもう少しばかり丁寧にアクセルを踏んでいたら、マコトはとっくに眠りこけていただろう。


「そういえば、現場に色紙を落としただろう。何か聞かれなかったか」


 マコトが少しばかり舟をこぎ始めるという頃だった。ふと、思い出したように鷲律が口を開いた。


「……富永ってクラスメイトに、聞かれました」


 目をこすりながら少年は答えた。


「例の生徒か、そのクラスメイトが拾ったのだろう。ブツは現場のヒーロー経由で、警察に上がってきた。少し気を付けておけ」


 鷲律が警告した。


「わかりました……富永には車に雨水ひっかけられて、ぐしゃぐしゃだから捨てたって誤魔化したけど、それでいいっすか……」


 うつらうつらしながらも、マコトは報告をなんとか完了させる。勤務態度としては落第でも、プライベートならば許されるだろうか。それは彼の知るところではないが、そんなことにすら今は気が回らないようだった。


「ああ、それでいい。彼に真偽を見分ける能力はないし、問題ないだろう」


 鷲律が小さく頷いた。


「こういう事件では、警察組織以外でも個人的に調べる輩は出てくる。大抵は捜査能力が足りないか、いいところでやめるから、たどり着くことはまずないが……お前も気を付けておけ」


 こういった事件では警察やそれよりもっと上の権力の介入を察する者、あるいは調査するうちにその不自然や疑惑を目ざとく見つける者はいる。

 それだけ優秀な者のほとんどは深追いしない、いい加減なところで立ち止まれる程度の優秀さを兼ね備えている。長い物に巻かれてくれるのならば、幸いである。

 逆に長い物に巻かれない突出した個人──その代表たる真摯なジャーナリストからすれば、彼らや彼らは悪の組織だろう。まあ、真摯なジャーナリストなど絶滅危惧種であるが。


「マコト、何か食べたいものは?」


 鷲律は話題を変えて、隣で欠伸をかます少年に問うた。


「へ?」


 半ば眠りこけていたのか、マコトはへ?ともえ?ともつかない間の抜けた声をあげた。

 彼はそれから、うんうんと小動物のように呻きながらごそごそと姿勢を変えて、眠り心地を追及しながら「えーっと」なんて、言葉を挟みながら思考する。


「ご飯ですか」


 少しばかりの思考を経て飛び出した言葉は、質問を理解しているのかしていないのか定かではなかった。


「晩御飯、まだ食べてないだろう。……ああ、何でもいいは許さんぞ」


 鷲律は調子を変えずに言った。


「じゃあ、肉じゃがで」


 マコトが間髪入れずに答えた。適当に知ってる料理の名前を言っているだけで、考えてなどいないのはお約束だ。


「却下。他には?」


 鷲律の答えもまた早かった。


「豚汁、煮込みハンバーグ、オムライス、唐揚げ、トンカツ、カルボナーラ、ビーフシチュー、コロッケ……」


 面倒くさくなったのかマコトは雑に好物を並べる。

 それを聞いて、鷲律がため息を吐いた。


「豚汁で許してやる、焼き鮭もつけるよ」


「やった」


 彼は少年らしく、無邪気に笑った。


「そういえば、普段忙しそうですけど料理とかやるんですか」


 眠気が覚めたのか、マコトはふと問いかけた。まだ、隣で運転するこの女のことを彼はまだ何も知らなかった。


「……不安か?」


 鷲律が言った。


「いや、手間かなって、ちゃんと自分で用意できるし」


 それくらいできるのだとでも言いたげに、マコトは胸を張る。一応、一人暮らししていたのだからその自負もあるのだろう。


「普段しっかり食わない誰かに食わせるのも私の仕事だ」


 尚、鷲律は詠航マコトの行きつけのラーメン屋の好みのトッピングまで知れるのだ。

 つまり、羽黒レイの手作り健康弁当の重大な役割を調査済みであり、大体の生活態度──つまり、彼の生活能力も───同様にわかっている。


「……いや、俺、ちゃんと食ってますよ。本当です」


 この虚勢は、明らかに劣勢だった。子ども扱いは癪に障る年頃の意地である。


「お前のは、ちゃんとに入らん」


 鷲律は当人が最も自覚しているであろう事実をそこに置いてみせた。

 そうすれば、マコトは弱ったように頭をかきながらわかりやすく食い下がった。


「……別に、ちょっとくらい迷惑かけないでしょう」


「ちゃんと食べるのも仕事のうちだ」


「プライベートですよね、これ」


「生意気言うの禁止」


「はい……」


 そうして、マコトは反論をやめた。どこか情けない降参の合図に、鷲律はふっと笑った。その後、二人はそれからしばらく黙っていたが、その沈黙は別に気まずいものではなかった。カーラジオが、マコトの生まれるより前の楽曲ばかりを流していた。

 しばらくしてから、鷲律が口を開いた。


「遅かったが、学校で何かしていたのか?」


 マコトから返事はない。少年が眠っているのに気が付いた鷲律は、カーラジオの音量を少し下げた。


 少年曰くいつの間にか、鷲律の自宅に到着していた。

 しばらくとは言ってもどれだけ暮らすことになるかもわからない家がどの通りにあるのか、到着まで眠っていたマコトにはわからなかった。しかし、ここはマコトの住むアパートに比べればずっと何もかもがずっと上等に違いなかった。まず、外がうるさいなんてことはない。そこはきっと閑静な住宅地か何かである。

 家の中は清潔だった。インテリアは統一されていて、家具の配置もマコトなぞには思いつかない洒落たものだ。しかし、唯一、生活感が欠けていた。リビングはまるでモデルルームのようで、綺麗に整ってはいるが最低限以上の家具は置いていなかった。

 廊下には見るも美しい空っぽの花瓶が飾ってあった。マコトがそれを眺めていると、鷲律はしばらく花を買えていないと言った。

 彼女はひとりで暮らしているそうだが、家の中はひとりで暮らすには広かったし、暮らすというほどの時間もないようだった。

 鷲律が食事の準備をしている間、マコトは与えられた空き部屋に荷物を置いて、何かインテリアや衣服を買う算段をぼんやりとつけながら待っていた。途中、うたた寝も挟めば、すぐに食事は出てきた。彼は鷲律にリビングに呼び出され、手製の豚汁と焼き鮭、茶碗に大盛りに盛られた白飯をかっ喰らっていた。

 腹が減っていたのか、マコトは目一杯茶碗に盛られた白飯をぺろりと食べきれそうな勢いであった。鷲律もまた一般的な成人女性が食べるよりもずっと多い量を食べていた。

 食事中、二人はあまり話をしなかったが、なんてことのない世間話くらいはした。鷲律は何か買うものを聞き、マコトは衣服と靴、少しばかりの収納を要することを伝えた。カーラジオの音楽についてマコトが聞いてみれば、学生時代の友人の影響でよく聞くのだと鷲律は答えた。鷲律ユラナは古斗野高校の出身だそうで、マコトの先輩であった。早くから組織にいたようで、あまり登校はできなかったらしいが。

 途中、鷲律はマコトに白飯に卵をかけて食べるように勧めた。栄養的にも良いし、最近購入したばかりだという。マコトは細やかな気遣いに少々驚きながらも、折角なので従ったが、これは正解であった。

 白飯にかけた卵は、その黄身は粘り気が強く、白身は混ぜればふかふかとしていて、味は濃厚であった。香りや味からして、普段マコトがスーパーで手に取るものよりも明らかに高級なものだ。

 いつか誰かが言ったように、詠航マコトという男は簡単で単純である。腹いっぱいの美味しい食事にすっかりここが気に入っていたのか、彼は機嫌を良くしていた。


「超おいしいです。……でも、なんで俺にここまでしてくれるんすか」


 食事ながら、マコトが聞いた。

 これは当然の疑問である。いくらどんな意図が有れども、わざわざ家に招き入れ手間をかけて食事の準備をする必要はない。

 金ならばあるのだ、こんな育ちの悪いガキはホテルにでも押し込めばそれで済む。


「色々あって今は余裕もないだろう。そして、私はお前を鍛えたいと思ってる。これなら、win-winだろう?管理も楽だ」


 ひとつの疑問としてそれなりに真剣に問いかけるマコトとは裏腹に、鷲律は軽く答えた。


「それは、まあ……そうですが」


 確かに鷲律の言葉は筋が通っていた。そうした目的があるなら、不自然ではない。

 しかし、マコトは腑に落ちないのか食卓に並んだ贅沢な料理を見ながら、なにか言い淀む。喉に突っかかった言語化できない不自然さを、豚汁で流し込んだ。

 マコトの感じた違和が邪推であれ、鋭い勘なのであれ、確かめる術も躱す方法もなかった。ここで間違いないのは具だくさんの豚汁が美味しいことくらいなものだ。


「お前こそ、その割に嫌そうでもないじゃないか」


 そう言いながら、鷲律は七味唐辛子を自身の豚汁に振りかければ、マコトに使うかと問うた。

 マコトはそれを受け取って、少々加えれば答えた。


「……じゃあ、お手柔らかに頼みます」


「私は学校ほど甘くない。気張ることだな」


 鷲律の目は穏やかだった。

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