第三十二話 ゴーストライター
タイトル B(仮)
シーン11
……
子分1「お前な、あの死体見ただろ。三人脳天だ、三人脳天にズドンだ。ボディガードもだ。ありゃ素人の仕業じゃねえ。あんな化物、俺ぁ御免だ」
子分2「でもよ、親分の剣幕を見たろうが、下手すりゃ今度は俺たち魚の餌じゃねえか。それに、その化物、俺たちのところに来るかもしれねえ」
子分1「じゃあ、お前がやりゃあいいじゃねえか。俺はもう足洗うよ。やめだやめ」
子分2「今更足洗ってなにすんだよ……親分は責任取って俺たちがやれって言ったけどよ、結局はあいつの死体さえ見れればそれでいいなんて言ってたじゃねえか」
子分1「それができたら苦労しねぇって話だろうが馬鹿野郎」
子分2「お前死体にシール張ってあんのか、誰がやったって同じだよ」
子分1「つまり……なんだよ」
子分2「頭の悪い奴だなあ。だから、他の奴にやらせりゃいいじゃねえか。な~に、ちょろっといつもより多く金とって、あいつに頼めば!後は寝てりゃあ済むじゃねえか。あいつだよ、殺し屋サブだ」
子分1「サブか、あいつは大嫌いだ。あの変態野郎……最低のクズさ」
子分2「でも背に腹は代えられねえだろ」
子分1「ちげえねえ、早速電話してくるぜ」
子分1、舞台左脇に移動する
逆の舞台袖から黒服の男が吹っ飛んで転がってくる。
そして、男が現れる。
黒服の男から着信音が鳴る。
子分2「うわぁ!」
男「お前らだな」
子分1、元の立ち位置に戻ってくる
子分1「おい、サブの野郎出なかったぞ!何のために飼ってると思ってんだ!」
子分2「馬鹿!死んでんだよ」
子分2倒れている黒服を指差して言う
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モニタに映し出された劇の台本から、極彩色の目を離す。
詠航マコトはなるほどとわかったように呟きながら、言葉を発した。
「つまりは……こうだな」
「ある男が切符をなくして困っていた。手持ちの金じゃ足りもしない。しかし、通りがかった女がその電車賃を融通してくれた。その上、彼女の家の経営する宿で一泊させてもらう。ところが、この女の宿は悪質な借金で苦労していた。支払いに立て込んだのが運のツキ、女は酷い暴力を受けて入院する。一方、街で博打に大勝ちした男がそのことを知り、その金と貯金で帳消しにしようとするが、ハナから搾りつくす気の悪党は男を嘲笑う」
「激怒した男は彼らをあっという間に皆殺しにしてしまう。男は金を宿屋に置いて、そいつらに連なる悪党や悪徳警官を探し出し、追い詰め、みーんな殺して……しまいには皆殺し……中盤からずっと殺してるじゃねえか」
一通り読んだマコトが眉を顰めた。
「ああ」
富永が頷いた。
「これコンプラ的に演れるのか?文化祭だぞ」
マコトの疑問はもっともである。
文化祭でやるには妙に大作であるし、贔屓目なマコトが見ても刺激的過ぎる作品だ。
「どっかの生徒会長と羽黒がいけるって……多数決でももう決まってたし……こうなったら、どのみちやるしかない」
富永がため息を吐いた。
「多数決で通ったんですから、却下するわけにいきませんわ」
富永の背後から、会話を聞いていた牧野シロの反論が飛ぶ。
「……挑戦的だな。それで、俺は何すりゃいいんだっけ?」
マコトはあくびを交えて、椅子から立ち上がった。そのまま窓を開放すれば心地よい風が部屋を吹き抜けて、彼のふわふわとした薄い桃色がかった白髪が微かに揺れた。
ここは生徒会室である。……と言っても、そう大仰なものでもない。
どこかの特務機関のびっくりドッキリな構造と異なり、生徒会室は所詮単なる高校の普通の教室に過ぎない。机は、学習机よりは多少機能的でオフィスや職員室にある類のものだが、それ以上のことはなかった。椅子なんて、どこの高校の教室にもあるような木製の硬いもので、もう少し尻に優しい椅子かと思っていたマコトには残念な事実である。
生徒会室は、人の雰囲気に満ちている。話し声、何かを書き留める音やキーボードを打ち込む音が響く。牧野シロや何人かの生徒が雑談か相談か、あるいは何か作業を行っているがマコトにはよくわからなかった。
「ラストシーン、ほら……ここだ」
富永がパソコンを操作する。そうしてからモニタをマコトに向け、問題の箇所を指さした。
「男が死ぬ、何も知らない女は男がまた来るのを待ってる……って書いてあるところ」
富永が、羽黒レイの残したメモを読み上げた。
「そうだったな」
マコトが頷いた。
「どう死ぬと思う?……色々、話してみたけどお前に聞いてみようってことになって、正直困ってる」
いかにも困っているという風に、富永が頭をかいた。
台本の内容を見れば、困り果てるのは仕方ないかもしれない。主人公の男は化物のように強く、それでいてどこか捉えどころがない。
嵐のように現れて、嵐のように去っていく。あとは静けさが残るだけ。
社会の理不尽や不条理を描く社会派な作品が存在すれば、主人公こそが最も理不尽で不条理な作品もまた存在する。
「あー……多分、強盗だな」
マコトがぽつりと呟いた。
「強盗?」
富永が聞き返す。
「ああ、男は帰りに道端で強盗に刺されて、空っぽの財布を盗られて死ぬ」
マコトが言った。
「……本気か?」
意外だったのだろう。
富永は、思わず聞き返した。
「ああ」
「なんでそうなる」
「昔の刑事ドラマか何かでそうやって死ぬのがあるんだよ確か、結構有名なんだぜ?定番っていうかさ……この台本はよくあるお決まりとか、なんかの映画みたいな設定とか、あいつの好きな掛け合いとかくだりとか詰め込んでる、だからまあ、そういうことさ」
マコトは言った。
「……お前のことを書いたんじゃないかと思ってた。だから、お前に聞こうと思ったんだ」
富永が、ふと溢した。
「いや、ないない……俺はこんなに義理堅くも、ぶっ飛んでもない。勘弁してくれ」
それを聞いたマコトは当惑を隠せなかった。
「いいや、結構モデルだと思うよ」
「じゃあ、どこが似てるんだよ」
マコトは依然、不満そうだった。
「うーん……こことか、『見逃してくれ、俺たちはただの下っ端だ!』に『安心しろ、必ず全員探し出して絶対に殺す』……とか……」
富永が、モニタをいじって様々なシーンを示して、読み上げていく。
「『俺は何もやってない、関係ないじゃないか』って悪党のセリフに『言い訳は地獄で言え』ってところとか……羽黒がこんなこと書けるか?」
確かにそれは羽黒レイと付き合いのある人間は彼が書いたとは到底思えないような過激なセリフの数々であった。
「……語彙にはあるんだろ」
「言ってた」
「気のせいだって」
マコトはあくまで頑なで、食い下がった。
「……そう嫌がることないだろ……まあ、いいや。ひとまず、助かったよ」
頑固に粘られて、それ以上の追求を富永はやめた。マコトはそれに「ああ」は小さく応じた。
そしてそれから、気まずい沈黙が少しだけ支配した。共通する話題は故人のことくらいだが、マコトがそう触れたがらないものだから富永からも何か言えはしなかったし、時間が解決するには時期が早すぎた。それに、その気まずさすら他の雑談や作戦会議の声で、まぎらわせられるから、特に問題にはならなかった。
富永は時間を無駄にぼんやりとすることもなく、自分の席について他の作業を行っていた。そして、マコトは隣の富永を横目に羽黒レイの遺した台本を読み返す以外にやることもなかった。
「そういえば、仕事はこれだけか?」
マコトが問いかけた。
「ああ。あとできれば……タイトルかな。こっちでも何か候補を出してるから、無理にはやることないけどな」
「そうだな。また、何か思いついたら言うよ」
「それじゃあ……ラストシーンのセリフとか色々、短いけど、上手く書いてくれるか?」
「……まあ、いいけど。でも、内容はほとんど決まってる。俺はやったことないんだ、あいつみたいに上手く書けないぞ」
マコトの答えは当然でもある。
「ほとんど決まってるなら頼む、他に仕事あるし、羽黒のを参考にすればいい。それに、羽黒だって始めはそうだった」
「まあ、そうだけど……」
「じゃあ、俺は外で他に用があるから、また。台本で何かあったらそこの島本くんに聞いて。島ちゃん、劇の台本関係、頼むよ」
富永は他の後輩ひとりを指名すれば、席から立ち上がった。
雑談していた後輩がひとり、富永の指名でマコトたちの方へ向かってきた。
「どうも、二年の島本です」
こちらまで来て自己紹介したのは黒髪に背はマコトと同じくらいの少年だ。体格もそう離れてはいないが、もう少ししっかりしている。インドアっぽい、ごく普通にも見える。
今時のアイドル的な雰囲気で、どこか遊んでいそうな雰囲気は一見生徒会に参加していそうなタイプではない。
根明な運動部ではない。いわば、マコトやレイが最も頻繫につるむような──物静かっぽいが、そうでもないタイプだ。
「……三年の詠航だ、よろしく」
「じゃあ、あとは頼んだ」
二人にそう言い残して、富永は生徒会室から出ていった。
「島ちゃん、どうしたの?」
島本の背後から、ひとりの女子が声を掛けた。
彼女は一目見ればわかる。いわばギャルである。校則上等どころか最早寒くないのかというようなスカート丈に、染めたのだろう茶髪は完璧にセットされ、ばっちりメイクしているのがその証だ。
しかし、その割にネイルやピアスはない。もちろん、これは真面目だからでなく古斗野高校ゆえだ。ピアスやネックレスのようなものは金属や磁場に関係する能力の関係から絶対に禁止で装着は不可能。特にネイルなどは訓練科目で台無しになるのでそもそも誰も派手にはつけてこない。手入れはしているのだろうが、他の女子高生のようにはいかない。
「詠航先輩の劇の台本で手伝うことがあったらって、富永さんに言われて」
島本がギャルに応答した。
「なるほどね。先輩たちから聞いてま~す。前沢カレンです、よろしくお願いします」
ギャルもとい、前沢が挨拶した。
「ああ、よろしく。二人とも、まあ敬語じゃなくてタメでいいし、好きに呼んでくれ」
「それじゃあ、慣れたらそのうち」
「わかりました、ヨミパイで」
「オーケー」
「ヨミパイ、この劇の主人公の役、島ちゃんがやるの~。すごくない。それに、台本も手伝ってたんでしょ?」
「へぇ、そうだったんだ。すごいな」
「……中学で演劇やってて、台本は少し手伝ってたんです。けど、ほとんどアドバイスみたいなもので羽黒さんがひとりで書いてたんですけどね。主役は……羽黒さんの頼みなら断れないし」
島本が言った。
「そうか。それは頼りになるな。演劇か……すごいね。俺は結構、こういうの出るのは抵抗あって。目立つのとか色々」
「いえ、俺は目立つの嫌いです」
「でも、島ちゃん劇やんの楽しみにしてんじゃん」
「これはこれだ」
「意外だな。目立つの嫌なら、やっぱり志望はヒーロー以外?」
「いえ、ヒーローです。先輩こそどこ行くんですか?」
「……ヒーローだな」
「先輩くらい実績あるなら、結構いいところいけるんじゃないですか」
やはりというべきか。マコトの悪名はこんなところにまで轟いていた。
異様に戦闘能力に特化した生徒というのは今時珍しく、特に学生レベルでは強力な能力であればあるだけ、それ以上の研鑽を積むことが少なく、本質的な自身の能力の理解や応用、利用が甘いことも多い。
もちろん、これは現代において過去以上にヒーローが高度に組織化されたチームで動くものであることから、個人の能力の練度よりもチームとしての練度を重視すべきだ!というありがちな誤解の基づく風潮で、実際は双方ともに重要であるが。
「まさか、座学嫌いだし」
マコトが肩をすくめた。
模擬戦や個人の戦闘能力に特化した訓練に身を捧げ、危険を侵すような生徒は奇異だ。時代と逆行した、マコトのような人間はそうはいない。
「それは、みんな嫌いですよ」
若者の大抵は授業が嫌いで、どこのどんな高校でもそれは変わらない。
「それはそうだな。……そういえば、劇の台本のラストシーン。大まかに話してたけど──」
「強盗の奴ですね」
「それそれ」
富永とマコトとの会話が聞こえていたらしい、島本は話が早かった。
「いいと思いますよ」
「わかった。細かいことは話し合って決めたい」
「了解しました。考えてること、垂れ流して構いませんよ。その方がありがたいんで」
そう言って、マコトはパソコンに向き合い、作品のラストを書き始めた。
島本は、ほとんど眺めながら、時々アドバイスすることもあれば、マコトから疑問や質問することもある。元々、描くシーンはほんの僅かなのもあって、それなりの形にはなりそうだった。
内容は、すらすらと決まっていく。女が、宿屋で変わらず働きながら、ふとある男のことを思い出す。また来ることを心待ちにしている。そこまでは簡単に決まった。
「どう刺されて死ぬかなぁ……」
早くもマコトが腕を組んで、頭を悩ませる。
「セリフとかも悩みますね、あまり喋ってもくどい気がします」
島本の言う通り、主人公は無口ではないが、それでもセリフが全体を通してさして多くもない。
一宿一飯の恩を返す話だが、それが霞むほどにハイテンポで暴力が繰り広げられる。
「ああ、ダラダラ喋んのは俺も好みじゃない」
マコトが、腕を組んで言った。
「女の人は折角待ってるのに、死んじゃうなんて理不尽じゃない?そもそも、なんで死んじゃうの?」
退屈そうに眺めていた前沢がふと言った。
「……確かに、羽黒さんはそもそもなんでそういう話にしようと思ったんだろう。ハッピーエンドの方が好きらしいし、こんなイメージはなかった。こうしたのには理由があるはずだ」
「……確かにな、そこはあいつらしくもない」
マコトが更に思索する。遠く窓の向こうの空を眺めながら、深く考える。
羽黒レイは、そう不親切ではない。それでも意図か何かをわかりやすく示しているはずだ。必ず共通することがあるのだ。
物語は、唐突に現れた理不尽な暴力から一挙に加速する。
恩人は序盤とラスト以外には出てこない。その家族が主人公を励ましたりも、話し合ったりも引き留めたりもしない。主人公は恩人のことを言及もしない。彼は黙って、悪党のもとに現れる。
羽黒レイの描いた主人公は粛々として、まるで恐ろしい怪物のようで、全ての敵を殺していく。何の際限もなく慈悲は一切なく、ダークヒーローというにはやりすぎで、理不尽な、殺意の塊のような人物だ。
「……そもそも理不尽だったな、全部」
「主人公が悪党の理不尽に怒り、戦うところとか確かにそうですね」
島本が言った。
「何なら主人公が一番理不尽で出鱈目だ、言ってることはそれっぽいし共感もできるけど、こいつ普通にめちゃくちゃだ……ああ、そうか、だから……理不尽に死ぬのは当然かもな、意図してるんじゃないか。そこは」
「……結局、最後は関係ないことでいきなり死んじゃうじゃん?ってこと……?ありなんだそれ……」
そう前沢は呟いた、いまいち腑に落ちなかったのだろう。
「……だから理不尽なんじゃないか?理不尽を理不尽に、そのまま描いたのかもな。俺にはこんなの……思いつきもしない、よく劇でやろうと思ったよ。あいつも」
マコトが言った。
理不尽な境遇、理不尽な現実をねじ伏せる不条理極まりない存在が、最後には何も関係のない理不尽な強盗に遭い死ぬ。
全てが不条理で、滑稽で、そこには伏線などなかった。
羽黒レイが、何を伝えたかったのか。その真意は不明だ。
「死ぬときは……ただ無言じゃなく、けど大声でもない。うめくみたいなのがいいな」
「確かに、惨めなくらいがいいですよね」
「格好良く死んじゃダメだな」
その点において、マコトと島本の意見は一致していた。
そんな男たちを横目に前沢は、微妙な表情であった。
「じゃなきゃリアリティに欠けるし、それまでのシーンとの落差と言うか、ショックが緩和されてしまう。大体、そんな雰囲気ですし」
島本の言う通り、世界観の一貫とした空気感をつなぐには重要である。リアリティ、全く滑稽な話を創作するのに、そんなものを考慮するのは一見滑稽である。だが、そういうものなのだろう。所詮は噓八百。それを極限まで真に迫る噓にするのならば、そこには確かな感触が存在しなければならない。
「セリフ無しで、そのまま倒れる……は、なんか違うかな。わかりづらくなりそうだし」
実際に刺されたら、きっとそんなものだ。声すら出ないかもしれない。
激痛と衝撃、ショックが全身を支配し、間もなく何もできずに死ぬ。急所を刺されれば、それこそどうしようもなく、ほとんど即死だ。
「抵抗しますかね?」
島本が聞いた。
「そうだな、腹でも刺されて、相手に必死で掴みかかるけどそのまま何回か刺されて倒れる……とか」
何度も刺すというのは実際の事件、戦闘などでもある話だ。グサだけで済まさずにめった刺しにすれば当然致死率は上がる。もちろん、実際に確実に殺すのならば、急所を一突きにすべきだがそんなプロの手口でない、素人の方がここでは真に迫るのだ。
「確か……劇の台本的に主人公は死を恐れないって、羽黒さんからそこは聞いてます。その後、自分の死を受け入れる形とかいいんじゃないですか。そこで、軽くセリフを入れて、おしまい」
マコトのそんなアイデアに、島本が提案した。
「確かにそうだろうな。けど、なんていうかな……ちょっと違うというか……パッと言葉にするのが難しい、なんていうか、そう、自分の恩義のためとかならいいみたいな……」
何か引っかかったのか。マコトがその提案に意見をぶつけた。
「……ああ、恩返しの為に死ぬことを恐れていないって解釈もできますね」
「そうそう、俺はそういうイメージを持ってた。それに、実際死にかけたら違うんじゃないか。痛いのは痛いから、体は反応するし……この死に方はそう、まさに理不尽だろ。これ、刃物にやられたことあるなら、わかるんだけど」
マコトが、指を自分の腹に刺すようなジェスチャーをしながら自身の考えを解きほぐしていく。
「なんであるんですか」
「めっちゃ痛そう」
マコトの言葉に、島本が当惑して思わず突っ込み、前沢が顔を顰めた。
「模擬戦だよ。あれはじめは熱いんだ。直後に、刃の冷たい感触。あと、死ぬほど痛い。マジだ。アドレナリン出てりゃ多少マシだけどな。知っててもわかってても怖いし、狂人でもなければ慣れるものじゃない。腹なんて喰らえば、死ぬほど苦しいはずだ」
直近で切り刻まれた人間の言葉の説得力は違うものだ。こうした体験談は、実際問題、リアリティの追求には役立つこともある。
「……じゃあ、この主人公は普通なんですね」
島本の言葉は、要点を突いていた。
「そうそう。抵抗した後、這ってでも生き延びようとするけど……助からないって悟って、限界を超えたところで諦める」
「いいですね。それでいきましょう。それから、セリフどうします。俺はパッと思いつかないですけど」
「……そうだな」
マコトが、呟いた。思案を始めたもうその頃にはそれしか考えていない。
その時、極彩色の瞳には、夜道で刺殺される男が映っていた。
「『ああ、疲れた』……って、それだけでいい。それなら、受け入れるイメージにも繋がるし」
「いいですね、それ。終盤の主人公にピッタリだ」
「……なら、よかったよ」
マコトが穏やかに柔らかく微笑んだ。
島本のゴーサインで締めくくるその会議は、最早ラストまで書きあがったも同然であることから、終了に至る。
さながら、編集者のように意見を出しながらも控えめに主張し、相手のフィーリングに合わせて議論も交わせるのはありがたいもので、彼もまたレイがこれを完成に近づけることができた理由のひとつだろうことは誰も異論しないはずだ。
「そういえば、なんで演劇部に?目立つの嫌いなのに」
マコトがふと島本に問いかけた。
目立つのが嫌いなのに、演劇部に入るのは一般的なイメージではまずないことだ。
「確かに、それ思った。不思議~、島ちゃん、そういうの苦手そうなのに」
前沢はマコトの問いに頷いた。付き合いのある現役女子高生の言葉には、説得力があった。
「中学の時、学校一可愛い女の子が演劇部だったからです」
島本がさらりと言った。
「青春してるな」
そう呟いたマコトは、人の名前もろくに覚えられないので、そういった方向での行動力を発揮することはまずない。
「おおー、それでそれで?その子とは、どうなったの?」
当然、前沢が食いついた。
「なんだかんだで部活はみんな仲良くて、友達で終わったよ。まあ、今も仲いいけど」
「えっ、写真見せて。あと彼氏いる?学校どこ?かわいいんでしょ」
「面倒くさいな……ほら、この子。彼氏はまだいない、今は都内の女子校に通ってる」
ぼやきながら、島本は端末を取り出して写真を二人に見せた。
確かに、そこには学校一かわいいと言われてもおかしくない女子高生がそこに映っていた。
「おー、こりゃ確かに演劇部も満員だな」
「えー、これで彼氏いないの?!超かわいいじゃん。いや、これいけるよ。女子校でしょ?デートとか誘いなよ。島ちゃんイケメンだし。好きな子いるかとか聞かなきゃ、最近連絡はとってるの?」
前沢が、ひとりでマスコミ関係者三人分の質問を投げかける。こうしたことでの頭の回転はこの場で最も速そうだった。
「連絡はまあ、とったりとらなかったりだな。月に何度かみんなで映画とか観に行ったりするから。けど、まさか、部で仲がいいって感じだったからな。そんな感じには……」
前沢に対して、推され気味の島本のテンションはやや低い。
「か~……ヨミパイ聞きました?駄目ですね、こういう鈍い男は。女の子待たせるタイプだ」
「だなあ」
前沢のテンションに合わせてマコトは少しばかり大げさに頷いた。
「まあー、でも先輩こそ……ね」
前沢の照準先が変わる。
じとりと向けた前沢の視線の先には、極彩色の瞳に薄い桃色がかった白髪をゆるやかに揺らす戦闘狂がいた。
「?」
マコトはそれすらも気づかない。何をなぜ言われているのか、気がつかないのだ。」
「色々、ルリちゃんから聞いてますよ」
前沢が、ちらと作業に集中する牧野シロを横目に小声で言った。
「……山崎か、でも、何を?」
マコトには心当たりがないらしかった。あるいは、そんな素振りを見せていた。
「まあまあまあ、今はそっとしておいてあげます」
「だそうですよ、先輩」
前沢がにやにやと笑い、それを見て島本が笑った。
「……はは、弱ったな。あんまりいじわるしないでくれ」
まさかの流れにマコトが困ったように頭をかいた。
そうして雑談に彼らは花を咲かせた。そのほとんどは島本の恋バナであり、その実態はその進展を祈る大軍師前沢カレン殿による作戦会議であり、マコトはときおり流れ弾を喰らいながらも何とか雑談を生き残るのであった。
気がつけば、時間は彼らの思うよりも過ぎていて、生徒会も、毎日遅くまで残る必要はない。訓練であれ、勉強であれ、友達と流行りの喫茶店に行く予定であれ、カラオケに行くのであれ、二年生である二人の後輩はマコトたち三年生よりもずっと忙しく、忙しなく帰っていった。
生徒会の他の面々も皆、帰っていく。
気がつけば、生徒会室に居残っているのはマコトと牧野シロくらいなものだった。
牧野シロはともかく、マコトは別に急ぎでやることはない。
二人に共通するのは、これは最も重要なこの先ありうる任務のための休息で、気分転換でもあることだ。
彼は窓を開け放ち、風に任せて髪を靡かせて、あの日と同じ色の空に黒翼を探していた。
その双眸は夕陽を浴びて静かに輝いて今にも融解して空に溶け出してしまいそうな宝石のように煌めいて、その厚みの無い背中は今にも風にさらわれて空気に溶け出してしまいそうなほど頼りなかった。
「こんな時に、手伝ってくれてありがとうございます」
シロの艶やかな黒髪が、マコトの隣で揺れる。元よりもっと冷たい体を持つ彼女は、秋の風に肌寒さを感じることはない。
窓の外を見下ろせば、下校途中の生徒たちが帰っていた。
「来て、よかったよ。みんな優しいし、いい子たちだった」
マコトは、空を見つめたまま言った。
「皆さん、ああ振舞ってたけど……羽黒くんがいなくなって、寂しいんです。前沢さんは泣いていたし、島本くんもすごく落ち込んでいて、他の子たちも……それで、そんなみんなを見て富永くんは自分が頑張らなきゃって思い詰めていて……だから、あなたが来てくれてよかった。羽黒くんのことを知っている貴方のお陰で台本が完成させられる。貴方が、今一番辛いのに」
「……俺こそ、元気もらったよ」
シロの言葉に、彼は眠たげにひとつひとつの単語をじっくりと紡ぐように、穏やかに答えた。。
「ああ、なんか……こうしてみると、悪くないもんだな」
マコトが呟いた。
「俺さ。こんなの、全然興味なかったんだ」
「強くなれればそれでよかったし、今でもそれさえあればいいと思ってる。けど……なんだ」
空を眺め続ける彼の表情は、シロには見えなかった。ただ、僅かに極彩色の宝石の輝きが覗くだけだ。
「楽しかったよ」
マコトが、空を見つめながら目を細めた。
「……そうですね」
「これから、こういうのもやってみれればいいんですよ。きっと、楽しいから」
彼女は空に視線を映して、ゆるやかに肯定した。何の陰謀も悪意もない、ただの静かな夕方に、ただそこに二人はいた。
「……ああ」
マコトが頷いた。ふと、シロがマコトの方を向く。マコトは窓枠に肘を置いて身を乗り出しながら、俯いていた。
少年は僅かに震えて、ああ、と声にもならない声を溢した。
そんな彼に、シロは何も言えなかった。ただ、その肩に手を置き、抱き寄せた。マコトはそう背が高くないし、シロは背が高い方なのでこれには苦労しなかった。
そして、少年はシロから顔を背けながらゆっくりと顔をあげた。
少年は肩を落として、ただ苦悶する。
「俺は、最低だ」
掠れ声を震わせて、息を吐くように、今にも息絶えそうなほどに弱々しく、彼は言った。
彼女は、何も言わなかった。
「今のは、いらなかった。忘れてくれ」
疲れ切った様子でマコトは呟いた。
シロはそれでも何も言わなかった。言わなかったが、彼女は一層強くマコトの肩を抱いて、そして彼の髪を撫でた。




