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BREAKER  作者:
第2章 「首都不明攻撃事件」
28/48

第二十八話 怪物

「足りないぞ、執念が」


 岡田が声をあげる。

 ほとんど無傷で、一方的な戦闘を展開してきた彼の表情はしかし浮かない。


「……」


 しかし、マコトは今それどころではなかった。

 全身に刻む刀傷から流れる血とともに温度を喪いつつある。

 能力で多少カバーしたとしても、こうまで傷だらけでは完全に塞ぐのは無理な上に、この相手はそんなまどろっこしく手間のかかる作業を同時にやれるような相手ではない。

 彼は仮面越しに、難敵を見据えた。



「そりゃあ、どうも」


 だが、勝機はある。

 マコトが緩く腕を構えた。彼が纏うのは、一瞬(イミテーション)ばかり(・セラフ・)の必殺(ワンヒット)形態(・ワンダー)


「敵を倒すでも!勝つためでもない!脅威()に対処する為にしか能力(ちから)を振るっていない!」


 岡田が吼えた。

 マコトが直感に身を預ける。そして、来る。彼の直感通りに。


 岡田が足を持ち上げて、前傾の姿勢と重力に任せて下ろし──つまり、全く正しい走り出しから──更に踏み出す。その所作の一つ一つをやる度にその動き自体は加速し、刹那にして両者の彼我の距離が埋まれば、ほとんどの予備動作なく、刃は少年に迫る。


「……っ」


 少年が、迎え撃つ。

 繰り出されるのは、手刀。

 だが、それは煌めく力を纏う。反動を相殺し、絶大な威力を併せ持った装甲である。

 真正面から、手刀が剣撃に衝突した。

 轟音と共に衝撃が周囲のコンクリート壁を吹き飛ばし、両者の踏ん張るコンクリートが罅割れた。

 マコトが、もう片手で手刀を押し込む。岡田両手で握るムラサメ特式を押し込む。

 それはまるで、鍔迫り合いだ。


 両者は全霊で息遣いすらわかる距離で、その殺意を真正面からぶつけ合う。


「このパワーッ……」


 否、岡田は押し返すことを強要された。

 マコトのパワー、スピードによって鍔迫り合いに持ち込まれたのだ。

 通常、鍔迫り合いで使えるような技術の入り込む余地がないほどの重すぎる攻撃に、岡田が全霊で押し返しながらも驚愕した。

 マコトの手刀がギリギリと確かに押し込まれていき、岡田がその体勢を後ろへと追い込まれていく。


 少年の、仮面の下の表情は見えない。だが極彩色の瞳が、ただ岡田を凝視していた。

 圧倒的な暴力が、岡田に迫る。


「ッ」


 マコトが更に押し込む。

 岡田のそっ首を叩き落とす──


「こいつ……!」


 ──そんな確信は寸前で遥か遠く。

 柔らかに駆動した刀が、寸前で受け流す。

 互いが勢い余ってすれ違う刹那、岡田が刃を振るう。

 しかし、マコトが腕を振るえば、猛烈な衝撃を岡田はその得物から受ける羽目になる。

 そして、刃が通る気配はやはりない。


「ッチ」


 弾かれた隙は反撃のチャンスだが、同時にワンヒット・ワンダーが終了する。

 常に補給するには神経を使い過ぎる、故に一度に溜めて使い切る。元のイミテーション・セラフと同じ、高難易度ゆえの共通の弱点である。

 しかし、隙を見逃すマコではない。得意の早撃ちで、マコトがガンフィンガーを岡田に向ける──よりも早く、岡田の足の輪郭が揺らぐ。


「なッ──!?」


 次の瞬間、マコトが衝撃に呼吸を忘れながら吹き飛んだ。

 岡田の剣を弾かれた勢いを、寧ろ利用した蹴りが炸裂したのだ!

 マコトは自分自身が一度開けた壁面の穴を通過して、廃ビルから雨中の路地裏へと再びぶち込まれる。

 今度は岡田が、攻める側だ。


「くそっ……」


 迫る気配を前にマコトは悪態を吐いた。

 苦痛を堪えながら、彼は能力(運動エネルギー)で体を駆動させ、空中で体勢を整えながら、加速する。

 路地側にある、篠崎の能力で肉に縫い留められただんびら。

 その柄を掴んだ。能力(運動エネルギー)が、刀に纏われる。


 それとほぼ同時、岡田が追いつき、即座の容赦ない剣撃がマコトの頭を割る──


「!」


 ──寸前、刀が岡田の剣撃を受けた。


 能力(運動エネルギー)を伝播させ、肉を断つのに間に合ったのだ。


 しかし、受けた衝撃は凄まじい。轟音が響き、降りしきる雨が弾き飛ぶ。


 少年が再び吹き飛んだ。


 マコトは吹き飛ばされた勢いと更なる追撃の衝撃に逆らわない。

 能力で、寧ろ同じ方向に吹っ飛ぶ勢いを加速しながら、体勢を整える。


 マコトは慣性に身を預けるように着地すれば、構えた──否、構え対峙するはずのその時だった。

 マコトはだんびらと、それを握る自身の右手の指を落とした。


「!」


 少年の右の細指がこぼれ落ちて、ボトボトと地面に転がる。受け止めた後、交錯の刹那に斬られたのだ。

 狭い路地裏を一直線に対峙するのが、二人の剣士とはいかない。


「……」


 血を雨が洗い流す。少年の体が無意識のうち寒さに震える。

 指を喪えど、構えた姿に迷いはなかった。

 アドレナリンが全て、打ち消していた。


「さっきもそうだ。恐れたな、巻き込むことを」


 岡田が、剣の切っ先をマコトへ向けた。


「生憎、これでもヒーロー志望でね」


 マコトが、構えた。

 岡田が剣を振るい、血を払う。そして、疾走する。


 迫る剣士めがけて、マコトは狙いを定めて指が無事な左腕を振るった。

 能力はイメージだ、ならば感覚的に常と変わらぬ方の無傷な指を扱うのが好ましい。


 能力が、その左腕に伝播し、収束する。そして、放たれた。


 解き放たれたエネルギーが無数に枝分かれして放射状に拡散する。その技の名は──


「──電紋」


 普通の実力では生き残るのは困難な、回避も防御も困難極まりない攻撃。だが、剣士は低く構え自ら真正面から、最短距離を突っ込んだ。


「ぬるいッ」


 岡田の剣が自在に駆動する。

 大げさに避けようとせず、最短距離で必要な攻撃を見定めて、的確に剣撃での連続でもって全てを相殺し、無理矢理突破口をこじ開けた。

 その神業は、マコトに掠り傷以上の戦果を作らせない。

 紙一重の突破、しかしその紙一重は今この瞬間何より分厚い。


 岡田が剣の間合いに肉薄した。マコトの命に、再び指がかかるその時──


「そこだ」


 ──地に転げる、だんびらが微かに震えた。


 一度触れたものに能力を纏わせる程度は詠航マコトの能力の性質上、造作もない。

 纏わせる、様々な形で放つ。簡易で単純だが、故に自在。


 刹那、真下からぶっ飛んだ刃が、岡田の首に触れる──瞬間、その軌道が岡田の剣に遮られるとぐるりと勢いのままに回転した、そして岡田が身を捩り、伸ばした腕の先の掌に得物はまるで意思を持つかのように帰還する。


 帰還しただんびらはその勢いのまま舞い、刃の反射する輝きが極彩色の瞳を刺した。


「なっ──」


 マコトが目を丸くした。しかし、回避は間に合いはしない。

 だんびらが横薙ぎに、マコトの被る面をぶち抜いて吹き飛ばした。


 強かに吹き飛ばされた少年が地面に転げることはない。そして、脳味噌を地面にぶちまける羽目にもならなかった。

 ぐしゃと血肉を地面に並べる代わりに響いたのは、横に一文字の剣撃を刻まれた硬質な能面がコンクリートに転げる音で、ぶっ倒れる代わりに衝撃の方向と同じ後ろに体勢を逃がすことでその勢いを殺しながらも、再びひとたびの踏み込みで剣の間合いにならんという間合いに、マコトは立った。


「…………っ」


 しかし、少年の視界には星が映っていた。チカチカと点滅する視界で、岡田を捉えるのは少々厄介な事だった。

 無駄とはわかりきったこととて、そのダメージを悟られぬよう足元の覚束ないことを隠そうとする努力も虚しい。

 それでも大脳を溢す代わりにその端麗な顔つきを晒すので済んだのは、マコト自身の思念力による物質の強化、そしてマコトの装備の一切を担当した偏屈な老いた技術者、楠木原ショウタロウの功績である。

 楠木原の功績は、これだけではない。このスーツでなければ、全身のあらゆる傷はもう少し深く、なればとっくの昔にマコトは失血死していただろう。西田を追い払った仕込みボウガンも足せば、命拾いはその数合わせて三度。


 恐らく、次はない。


「自分から逃げる者を、英雄とは呼ばない」


 二刀を手に、岡田が呟く。

 右手の指を落とされ、全身刀傷まみれで失血死寸前の武器のないマコト。対して、ほとんど無傷の岡田。

 もう決着は着いたに等しい状況だ。


「言って、くれる……」


 マコトが、構えた。


「……俺と似た能力……加算か……そして感覚で理解るタイプだな……運動エネルギー(俺の能力)も、そうなんだろう」


 マコトの推察は、当たっていた。

 岡田の能力は()()()()()()()()()()、そして()()()()()()()()()()

 力の大きさと方向を理解できるからこそ、的確に攻撃を知覚し反撃してきた。

 マコトの辻風の回転方向に完全に合わせた剣撃も、弾かれて宙に舞った剣をその掌に収めたのも、突如襲い来る地面に転がる刃に反応できたのも、そうだ。


 だが、しかし、神懸かり的な反撃の数々。そして反撃を実現した発想、あらゆる動作の精度は岡田キョウタの純粋な実力である。


「正解だ……だが、どうした。このまま失血死するのを待つか」


 二刀流と言えば、普通大小を帯びて扱うもの。だが、岡田が今掴むのは二振りの大。

 されど、ゆるやかに二刀を手に立つその姿はよく馴染んでいた。誰が見たって、扱えるのは火を見るよりも明らかである。


 その圧力は寧ろ、増している。

 踏み込むのは難く、されどもうマコトが凌ぐ場面ではない。


 刻一刻とその鮮血は雨に溶けていく。

 動き回ったその心臓が早鐘を打つ分だけ、更に血は流れる。


「はぁぁぁぁ……」


 マコトが、息を吐く。

 相手が悪かった。打つ手の一切悉くが、常に一手上をいかれた上で丁寧に叩き潰される。


 しかし、何としても生き残らねばならない。

 羽黒レイは一体どこの誰が不甲斐ないばかりに多くの犠牲を払った上で奪われたのか。

 きっと今のマコトと同じくらい、死んでも死に切れぬはずだった人々を見殺しにしたのはどこの誰か。

 篠崎が今この瞬間誰もいない廃墟で死にかけているのは、一体どこの誰の弱さ故か。

 詠航マコト以外に一体この世の誰がある意味で劇物同然の二重体質者を、本気で助けに行くだろうか。

 組織というシステムに感情は介在しないというのに、その保証などどこにあるのだろうか。


 この状況を打破する理由はあった。今、彼には何としても死ねない理由しかない。


 そして、詠航マコトにはただひとつだけ残されていた。

 だが、それは。


「理解ってる。必要なことは、すべて」


 そして、彼は何が必要なのか。残されているものは何なのか。理解っていた。

 当然だ、その姿形で生まれてきたのは彼自身なのだから。


 極彩色の瞳に激しい感情は灯らない。

 ただ神妙ですらある瞳の奥に静かに横たわるのは覚悟か、あるいは。


 雨は一層激しく降り注ぐ。劈くような雷鳴が轟く。少年が失った指を広げる。

 そして、全てを受け入れる。


 稲光が輝き、雷鳴が轟く。

 瞬間、浮かび出るのは雷鳴より素早く飛び込み間合いに至りて二刀を躍らせる、岡田の影法師。必殺の剣撃。


 だが、それより素早く動いたものがいた。

 詠航マコトが、地を強く踏みしめてその指を指揮するように振るう。

 雨の水滴が静止する刹那を無数等分にもした世界から、それは見える。

 その頭、腕、胴、足、髪、爪先に心臓、意思そのものから噴出するような能力(ちから)が伝播し、大地、空気、その全てがたちまちのうちに揺らぐ。


 爆ぜる。


 雷鳴を、世界をひっくり返したような音がかき消した。

 そして、それは訪れる。


 瞬く間に大地がめくれあがり、圧倒的な暴力が周囲を巻き込む。

 廃ビルが砕かれ、そのずっと先までもが木端微塵に吹き飛んだ。


 破壊が、眼前の全てを押し流した。

 後に残るのは、砂埃と瓦礫だけだ。


 衝撃に吹き飛び、刹那ばかり雨が止んだ。


 一陣の風が吹いて、砂埃が打ち消される。


「ああ」


 彼は、廃ビルの足元から抜け出した。そして、眼前の光景を前に声を漏らす。


「これが、自由か」


 めくれあがった大地に横たわるのは、文明の残骸だ。

 荒れ果てたコンクリートの続く先、篠崎のいた廃ビルの壁面がまるまる抉りとられていた。

 路地を挟んで逆側。そのビルだったものは一棟分の鉄筋コンクリートの瓦礫に姿を変えている。原型を留めていない瓦礫の山が、その威力の壮絶さを物語る。

 先の道路はその機能を途中で寸断され、既に息遣いの無いぺしゃんこにひしゃげた何台かの車が巻き込まれて瓦礫の一部になり果てているのが覗く。


 マコトは篠崎がいたのとは逆の廃ビルに力をある程度は偏らせた。

 ずっと先を巻き込まぬように多少の調整もした。だが、それらもある程度の範疇でしか行えず、そして多くのことはできない。だからこそ、これは予想通りの惨状だった。


 再び、雨が少年を打った。


 瓦礫の山の前に立つ、人影がひとつ。

 少年は向かう。


 斃さねばならない男がいる。


「それでいい」


 岡田もまた同じ雨に打たれながら、呟いた。

 二刀を携えて、そいつは確かにそこにいた。岡田は、あろうことか五体満足で破顔していた。

 背後の瓦礫の山も、周りの惨状も、この悲惨を幾度でも繰り返せる怪物を前にした瞬間には、些細なことである。


 岡田には、衝撃のダメージは極々軽微だった。

 如何に膨大なエネルギーだとしても範囲が広域であり、あくまで広域を巻き込み逃がさない為の攻撃であるならば、個々への威力は絶対的なものに非ず。

 あとは衝撃を大地から受けぬように身を宙に躱しながら、瓦礫に巻き込まれぬようにより前へ向かえば、後は岡田の能力(運動エネルギーの加算)ならば十分に相殺できた。


「お前を殺す」


 詠航マコトは、ただ宣告した。

 彼自身、膨大過ぎる力を完全に制御することはできない。

 否、周りの為の完全な制御で、ポテンシャルを殺すのでは勝てない。

 イミテーション・セラフがポテンシャルを殺さない、至高の技術その到達点ならば、これは究極の暴力。


 純度百パーセント、剝き出しの姿。


「何をしてでも」


 始まったら止まられない。もう誰にも制御できない。

 ただ事態は流転する、川が流れるように、風が吹くように。


 彼には、破滅を心のどこかで期待する大衆の持つ薄暗く浅ましい欲望すらない。

 彼を突き動かすのは純粋な殺意という意思だけ、ただ真正面から押し潰す以外の機能はここにはない。


 それ以上言葉はいらなかった、既に両者は駆け出していた。

 今回、マコトは岡田ほど速くなかった。……否、速くある必要がなかった。


 これから振るう暴力はそれを補って余りある。


 刀の間合いに入るよりもずっと先に、少年がひとたび指揮すれば烈々たる暴威が道路を深く抉るどころか、立ち往生する乗用車をその衝撃の余波で吹き飛ばし、辺りを廃墟に早変わりさせながら、暴れ回る。


 彼が指揮するように指をくるくると振るい、破壊を渦巻くように収縮させ解き放てば、無数の弾幕じみた破壊の雨が絶え間なく降る。地面ごと蹴り上げれば極端な圧力が内部から縦横に駆け巡り、大地がめちゃくちゃに隆起する。


 規模も威力も桁が違う。


「面白いッ」


 岡田は嬉々として、得物を振るう。

 身を捩り得物を巧みに操り躱し逸らし弾き凌ぐ。運動エネルギーの加算(岡田の能力)は、つまるところ中空での普通不可能な軌道や急制動も可能とする。


 岡田は自在な軌道で接近し、そして近づくほど激しくなる攻撃を更に突破。


 ついに交錯の瞬間、迫る剣撃を──マコトが紙一重で身を躱す。


 さながら、恐るべき破壊と暴力の舞踏会。その中心、全て巻き込み踊るのは詠航マコト。


 決して、マコトの能力は変わっていない。

 ただ、周りを巻き込まないように計算し、慎重に出力を調整し、几帳面に狙いをつけて、精確に放つ──そんな射撃大会のような上品で煩雑で面倒な扱いにくい事この上ない運用を捨て、実戦的な戦いにあるべき運用を行っているだけだ。


 交錯した後、離れた間合いを詰めんと岡田は再び高速に駆け出す。


 だが、しかし、ついにはマコトが手刀をひとたび振るい、そのまま無数の斬撃を放ち、回避不能な軌道が迫れば、岡田は敢えて真正面から一番に到達する斬撃を刀で全面に受け、その衝撃を逆に推進力としてひとたびに数百メートル近い間合いを取る形で吹っ飛べば、無数の壁面をぶち抜いて、岡田は場外ホームランボールのような有様で赤と黄色のハンバーガーチェーン店のひとつに転がり込んだ。


「?!」


 夕方だというのに店が混んでいないのはこの止まない雨のせいだろう。アルバイト達にはこれは都合がよかった。客が百万人来ようがひとりも来なかろうが、給与は変わらないのである。

 外の爆発音も、店から外をぼんやりと眺める分には問題ない。

 アルバイトの他に店内にいるのはサラリーマンひとりと、ジュースだけでもう二時間は居座る高校生……そして、刀を両手に店のガラスをぶち破って入店した男だけだ。


「はぁ……?!えっ……??」


「なになに?!」


 ド派手な入店を果たした客を前に悲鳴を上げたりする暇もなく、あっけに取られた様子でレジ打ちのアルバイトは突っ立っていて、高校生たちはとっさに荷物を手にしながらもその状況に硬直し、サラリーマンは店の外と中とに視線を往復させた。そして、岡田はカウンターに背を預けながらもゆっくりと立ち上がった。


 岡田は周りを一瞥もしない、ただはるか遠く外にいる何かを絶えず見つめていた。それもつかの間、男が笑うと走って店のガラスを再びぶち破り飛び出した。


 その次の瞬間、店は縦に圧し潰されたようにぺしゃんこになる。いくつか大地に滲むだろう悲惨な赤い染みを男が一瞥たりともすることはなかった。


「……」


 マコトが、中空から注意深く地上を睨んでいた。だが、いつまでも見下ろしはしない。


 車道のど真ん中に降り立てば、彼は疾走し、クラクションを鳴らす乗用車を撥ね飛ばす。


 わざわざ近づくのは誘き寄せるためだ。

 広域への全力の攻撃においてマコトは有利だが、岡田の技術は人間性をかなぐり捨てた全力であっても、広域の拡散させた攻撃では仕留め切るのには手間と時が掛かる。


 接近戦で確実に仕留める以外に殺しきる術はない。

 そしてそれは周りへの被害を少しでも抑えるため──ではない、悠長にやるには、マコトの失血量は最早危険な水準に達しているからだ


 このままでは、少年が先に死ぬ。どのみち、これ以外に勝機はなかった。


「要望通りだろ」


 マコトが、岡田へ迫る。

 Vは恐らく黙認するか処理する。その時に都合よく転ぶ方向に賭けるのは必ず死ぬ状況よりはずっとマシだ。

 だが、この事態を収めに来るヒーローは別である。

 三分。それが、都市圏におけるテロと思わしき大規模攻撃あるいは怪異生物の存在の通報から、ヒーローが駆け付けるまでの平均的な所要時間だ。

 逃走の時間も合わせれば、どんなに長くともあと二分以内に仕留める必要が互いにあった。


「それでこそ、斬り甲斐がある」


 岡田は疾走する。当然、全てを理解して誘いに乗っていた。

 逃げに徹した方が、勝率は高い。しかし、生涯出会えるかもわからない強敵から逃げるのは、退屈の道だ。

 それは岡田キョウタの生き方にそぐわない。

 乗らなければ、乗るような男でなければ、この事態を望みなど、愉しめなどしない。


 両者は肉薄する。

 岡田が剣撃を放ち、マコトが逸らすように手刀を振るう。

 勿論、剝き出しの素手では勝ち目はない衝突。


 だが、衝突の寸前、先行して手刀自体から放たれる斬撃が、剣撃に衝突する。

 超至近の斬撃に剣撃が逸れる。同時に岡田は斬撃を、頭を下げて回避せざるを得なくなる。

 収束した斬撃に、岡田が力で押し負けた。


「ッ、これほどか!」


 そのままマコトは得物の柄を握る。

 力を得物に伝播させて、命を狙う。同時に、もう片手から圧倒的な暴威を叩きつける──瞬間に、岡田はムラサメ特式を手放しながら、だんびら刀で放たれた能力ちからを打って逸らせば、明後日の方向のビルに穴が空く。


 その次の瞬間、先に動けた岡田の蹴りが、マコトの肋骨に突き刺さった。


 強烈な衝撃とともに少年は吹き飛び、その視界が圧縮される。

 一面の廃墟から、都会のビルディングへ。新幹線にでも乗っているような圧縮された光景の最中、マコトは敵を懸命に探し、捉える。


 その視界の隅に映る岡田がすぐさま追いつき、得物を振るう。


「──っ!」


 マコトは痺れるような衝撃に呼吸すらままならず、苦痛をただ嚙み締める。

 血を流し過ぎた肉体では脳に十分な酸素も行き渡らない。

 疲弊した意識が、辛うじてだんびらより放たれる猛烈な剣撃を捉えた。しかし、この土壇場で能力の発動は間に合いそうになかった。


 極彩色の瞳が見開く。

 到達しようとする刃に衝突したのは、刃。

 超至近距離での接近戦の刹那、その細い体が得たのは砕かれた肋骨と苦痛だけではない。


 奪い返したムラサメ特式が、即死の一撃を凌いだ。


「くそッ……」


 そして、少年は衝撃に吹き飛ぶ。

 そのままコンクリート壁を何枚かぶち抜いた。更なる剣撃とその衝撃に、堪らず身を預けたのだ。

 敢えて吹き飛ばされてみたはいいもののさて、曖昧な意識ではどの通りをどれだけ吹き飛ばされたかもはや定かではない。


「……ってえ」


 気がつけば、マコトは静かな鉄筋コンクリートの城砦に転がり込んでいた。

 そこは階層が螺旋状に積み重ねられた、数十メートルなんてものではない規模の巨大な立体駐車場である。

 冷ややかな白んだ電光が、血と雨でぐしゃぐしゃに濡れる少年を照らした。


「くそ……」


 そして仰向けに悪態を吐きながら立ち上がる。

 見知らぬ誰かの高級車のボンネットにダイブしていたようで、彼の命より些か高い値の付く車は台無しになっていた。それは案外、悪くない気分だった。


 立ち上がったはいいがもう限界近く、これではヒーローの来るタイムリミットより、マコトの肉体の限界の方が先に来るだろう。指があった場所の、剝き出しの傷の断面から覗く肉と骨の層から失われる血液の一ミリリットルすら今は惜しい。朦朧とした意識を苦痛が絶えず呼び覚ましていなければ、とっくに決着(おわ)っている。


 どのみちもう決着は近い──そんな風な考えが脳裏に過る。マコトはその視線の先、得物を手に歩み寄る岡田を見て感じたのだった。


「楽しみに、思わないか」


 岡田が一歩、一歩、慎重に間合いを詰める。


「……」


 詠航マコトが、ムラサメ特式を鞘に納めた。そして、同じように岡田にゆっくりと歩み寄る。

 近間に誘き寄せねば斃しきれない。だが、自重なく全開に戦っても近間では戦闘技術で遥か上。ならば、どうするか。


「この戦いを乗り越えた先の、自分の姿が、未来が」


 岡田の言葉はひどく冷静で、喫茶店で世間話でもするようなそんな調子だった。


「お前もお仲間も全員殺し、レイを取り返す。そのうちお迎えだ。それが未来だ、それ以外にはない」


 マコトが言った。何かを手離した、そんな顔をしていた。


「そうはならん」


「大した自信だな」


「それはお前だ、詠航マコト」


「──楽に死ねるとでも?」


 岡田が、構えた。

 その全身は緩み切りながらも、得物を腰だめに居合切りでもするように構えであり、もう片手でその刃を摘んで留める。

 これは、篠崎の装甲を突破した構え。

 その技の理は、全身をばねとして刃を振るわんとする力を溜めることで、絶大な威力を得るというもの。加えて、常に能力の発動(運動エネルギーの加算)を行うことで、威力を段違いのものに引き上げる。

 尋常ならざる技術と異能が綿密を組み合わさり、最早己自身の手足と同じ、否、それ以上に自在にあるものと昇華した時、一本の剣は必殺になるのだ。


「……」


 詠航マコトも、刀に手をかける。

 利き手が生きていたのは、僥倖という他にない。指がない手とて、鞘に置くことはできる。何はともあれ、抜き打てるという確信が彼にはあった。

 その腕を覆う力が、形を得る。

 イミテーション・セラフ・ワンヒット・ワンダー……必殺技の瞬間的な部分展開、その出力ならば、常の岡田を相手に速度では互角以上。

 技で勝てぬなら、力で勝つ。だが、少年は岡田と似た能力を持つからこそ構えからその技の理を理解した。

 もはや、力でも勝ち目は──。




 そして、両者が踏み込む。

 だんびらが横薙ぎにうなり、ムラサメ特式が斬り上げるように走る。

 放たれた刃が、激突した。

 ムラサメ特式が砕け、だんびらが舞う。

 鮮血が噴き出て、両者は返り血に染まった。


「っ……」


 マコトの腕と手が貫かれ、頬が裂かれる。

 衝突の折、砕けた刃が散弾のように持ち手を襲った挙句、その頬を対手の刃が抉っていて、傷だらけの手は最早刀を握ってはいない。


 岡田はただ真っ直ぐと彼を見ていた。

 頬を裂かれた剣士の先には、折れただんびらの刀身が壁に突き刺さっていた。


 得物をぶつけて破壊したのはマコトの判断である。これにより、互いの得物が破壊された。

 少年の頬が切り裂かれたのは吹っ飛んだ刀身が僅かに掠めた際に皮膚がその衝撃に耐えきれず、引き裂けたからだ。そして、不運にも破片は少年の無事な手を抉った。

 この一瞬において互角か……否。

 剣撃の速度、それを振り切るまでにおいて、岡田には技術的な自信があった。

 散々斬り合えばわかると通り、剣士として格上。つまり、一撃目で例え対抗したとしても、次の行動に動くまでの速さが違う。


 その上でよもや傷だらけで得物も握らぬ詠航マコトと、かたや折れたとて半ばまで残るだんびらを手にした岡田キョウタ。



 必ず先行できる。

 それは当然の確信だった、岡田はそのままだんびらを心臓に突き立てようと──


「──いや」


 岡田の手が止まった。


「……残念だ」


 その胸には、拳ほどの穴が空いていた。


「怪物を……もっと、見……」


 口から血を吐き出せば、岡田が斃れる。

 コンクリートが真っ赤に染まった。


「楽に死ねたか」


 マコトの問いに返事はない。

 少年は、ガンフィンガーを作るその手を下ろした。


 互角の勝負、異次元の神速と埒外の威力が飛び交う勝負を決めたのは、技でもましてや力でもなかった。


 それは、装備。

 ムラサメ特式の電磁加速による抜刀の加速機能である。より優れた武器は、古今東西における戦闘を有利に運ぶ定石のひとつだ。


 速度でほんの僅かでも優勢になることに全てを賭けて、マコトは敢えて得物同士をぶつけ、双方を破壊し、次の早撃ちで制した。

 言ってしまえば、それだけだが……もし、遅れたタイミングであれば折れた刀身はマコトの頭部を直撃していたか。折るよりも先に首を刎ねられていただろう。仮に間に合っていても、どのみち刀を破壊した直後の動きで負ける。



「……」


 彼はコンクリート壁にできた穴の先の惨状から、ただ見つめていた。

 救急車のサイレンが雨止まぬ街に響く。稲光が煌めき、雷鳴が轟いた。


「……疲れた」


 何を手離して、何を得たのか。詠航マコトにはどうでもよかった。


 ただ、それでも。


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