第二十六話 熱いうちに
信者の集会にも使われる活動拠点、集会に用いるので広くはあるが、誰もいなければそこは豪勢なだけの廃墟に近い。男が今は誰もいないうす暗いだけの部屋の電気を付ければ、そこに広がるのは怪しげな老人の顔写真以外に特段面白みのない応接室だけだ。
「何か見落としている……わからないことがあるなら、改めてその場所に身を置け……と言うが……」
脳科学的な確信はないが、悪くはない考えのはずである。少なくともそう独り言を溢す水浦の能力はそれに向いていた。
水浦が部屋の中を漁り始めた。それも、ただ引き出しの中身を見るだとかではなく、部屋の隅から隅まで壁に飾った教祖の写真の裏からソファやテーブルの裏からなにまで調べ尽くすというようなものだ。
「……やはり、そうか」
水浦がテーブルの裏から発見した機器を引っ張り出した。
それは、紛れもない盗聴器である。
「岡田だな。薬の話を盗聴して……それなりに流通しているものを使ったんだ、対処でき……ああ、そうか」
「これを見たな?月下ユウ」
「未来の俺自身に、今この瞬間の俺に先に見つけさせ、そして俺の口から岡田に説明する流れに賭け、この部屋にわざわざ乗り込み──」
明確な裏切りが示すのは、ただひとつ。彼女はもはや水浦の盤上の手駒ではない、水浦に抗する一人の差し手である。
「──詠航マコトが俺の送る刺客に勝つことに賭けたな」
廃ビルの壁面をぶち抜いた穴から覗く街灯の光が僅かに廃ビル内を照らす。照らし出された翁面を被った詠航マコトは、慎重に自らの得物──ムラサメ特式──を構えて、だんびらのムラサメを携える岡田に対峙する。
マコトにとっての差し当たりの問題は、眼前の岡田という男が強いという事だ。純粋な剣士としての技術ならば、数年習った程度のマコトの遥か上であった上に、その能力の詳細は不明である。
「……!」
ふと、マコトの足を何かがそっと触れる。
「だめ……逃げなさい……」
マコトの足元で囁くのは篠崎だ。彼女は血だまりを作りながら、そう呟いた。
「……」
仮面越しにマコトは岡田を見据えた、構えた刀を降ろすことはない。
相手の目的がマコトならば、マコトの目的もまた相手……岡田キョウタは、間違いなく敵の情報を握っている。
羽黒レイ救出のためには、どのみち避けて通れない敵である。
それに、自分のために命を張った人間を置いて逃げるのは彼の性分じゃなかった。
「始めるか」
岡田が得物のだんびら刀を手に言う。
「……ひとつ聞きたい。なんで俺を治した。利敵行為だろ」
一連の不可解な行動について、マコトが岡田に対して疑問を投げかけた。何の意味があるのか、不明な敵というのも気色が悪いだろう。
「?……不思議か、まあ普通はそうか。確かに人の掌で踊れば楽に済んだろう。連中が敵になるかもしれんし、お前も万全だ。これはハードな状況かもな……だが」
岡田は始めにはそんなことを疑問に思うのか全く理解ができないとでも言うような様子であった。まるでなぜトーストしたパンにバターを塗ってからジャムを塗るのかなんて聞いてきた幼子を相手にするように、彼はなぜその方が良いかの説明を始める。
「お前は楽する為に自分の人生を売り渡すのか?他人に制御され、欲しいものを手に入れない。それの一体何が面白い」
「人間の強さとは、目の前の困難から目を背けず乗り越えることで培われる……と俺は考えている……そして、強くなれる才能と機会は、幸運であり特権だ……最大限活かし、俺は俺の求めるものを手にするだけのこと……もういいな、始めるぞ」
岡田は一通りの説明を終えれば、だんびら刀を手にその身を低く構えた。
「傲慢だな。俺に勝てると?」
「勝ち負けは問題じゃない。それに、傲慢はお前だ、詠航マコト。今の話で理解できなかったのか?お前では勝てん」
マコトの言葉に、岡田は冷ややかに宣告したのは自らの絶対的な勝利。
「あの世で撤回させてやる」
ここにゴングなんてものはない。
そう返したマコトが、不意にガンフィンガーを向けた。
衝撃を置き去りに鮮烈な一撃が放たれると同時、岡田が身を低くして疾走する。
「やってみせろ」
すれすれにその一撃は通過すれば僅かに靡いた岡田の髪を貫いて散らせた。そして、刺客はその攻撃を意にも介さず疾走する。
マコトもまた駆けだした。臨むのは真っ向勝負の一騎打ちだ。
「上等だ」
次の瞬間、マコトは全くの間合いの外から空いた手を手刀が如く振るい、ほとんど同時に岡田がだんびらを振るえば──その刹那、轟音が鳴り響いた。
「ほう」
岡田が僅かに口角を上げた。その背後では部屋が半ば両断されていた。
──マコトの放った強烈な斬撃、それを弾いたのだ。
そして、彼は依然その速度を維持していた。
「こいつ……!」
マコトは思わず目を顰めた。それは相手が頗る厄介であるからだ。
思念力と思念力は干渉し合う、特殊体質者ならば当然の理。ゆえに、斬撃を弾くことは理論上可能。だが、マコトの絶大な出力から放たれた加減なしの斬撃を弾くには、マコト並みの出力を出さねば不可能である、つまり岡田の攻撃力は同等の水準である──その上で、岡田は速度を維持していた。
だが、岡田の速度はマコトには対抗可能……厳密には、未経験の世界ではない。
その機動力は自由度も含めて考えれば、あの日対峙した鬼蜻蜓の方が上であるか。
しかし、拳打に始まり剣撃にまで至る、すなわち動作のひとつひとつの速度、結果的な攻撃自体の速度は鬼蜻蜓を上回る。
先ほどの剣撃も、極彩色の瞳には明確には映っていない──。
「!──」
そして、両者が剣の間合いに入る。
マコトが迫る死線の気配に身構えた。
その時、先手を制したのは岡田の剣だった。
尋常を遥かに超えた剣撃が、襲来する。
輪郭を捉えることすら難しい。普通、反応すら困難な剣撃。
唐竹割りにだんびら刀が振り下ろされ──白刃がその仮面を打ち砕いて皮膚を裂いて一挙に血肉と頭蓋骨を叩き斬り脳天を両断──迫るその寸前、マコトの体を渦巻くような淡い翠色の力が轟いた。
技の名は、辻風。
螺旋状に回転する力場が保障するのは瞬間の絶対的防御。多大な消耗の節約と、即座の反撃の為、瞬間に機能する詠航マコトのカウンター技である。
出力を取り戻した今、真正面から力で突破するのはいくら岡田と言えど、不可能。
白刃はマコトの体表を滑るようにも、刃の方から避けたようにも見える軌道で紙一重に弾かれる。そして、彼はそれを丁寧に確認などしない。
巻き込み、弾き飛ばす破壊的螺旋と白刃の衝突した甲高い音と凄まじい振動は、反撃の合図に他ならない。
「渾身の一撃を外させた」、本能的確信でもって、マコトが袈裟懸けに最速の剣撃を振るおうという瞬間──
「なっ──」
──刃が、宙に舞った。
両者の間、宙で微かな光を反射するのは岡田の刀。
その剣士は弾かれた瞬間に、腕で刀に角度をつけながら手放すことで辻風によって弾かれる勢いを利用して、自らの得物を跳ね上がらせたのだ。
同時に、岡田は脱力した体を更に低くしながら、上へと手を伸ばす。
「────!」
マコトが、目を見開く。
跳ね上がった刀は垂直方向よりも水平方向、回転するような──偶然とするにはできすぎな軌道。
弾き飛んだ剣は、再び岡田の掌に収まった。
袈裟懸けに振り下ろすマコトの剣撃に、岡田は刀身を沿わせるように抑える。
そして、もう片手でだんびらの峰を押し込む。
マコトの振り下ろす動作には逆らわない。振り下ろす流れはそのまま、しかし着地先の軌道だけを変えて、だんびらを上に被せて押さえ込んだ。
後に残るのは隙だらけのマコトに突き付けられた、だんびらの切っ先だけ。
だが、その動きは静止しない。
岡田は流れるように強く握りしめた柄をそのまま体ごと踏み込むように躊躇なく切っ先を押し込もうとし──対するマコトが反射的に鉄壁の辻風を再度展開することで、刺突は弾かれ──なかった。
「なッ──」
マコトが驚愕に目を丸くする。
岡田は突きを放たない。
ただ、辻風だけが展開される。
それがフェイントであるとマコトが気付いて、辻風の展開を維持しようとした刹那。
彼の胴体を横断するような衝撃が走った。
「ッ──!?」
全身が貫かれたかのような衝撃に、少年は吹き飛ばされる。
岡田が、マコトの胴体を捉えてだんびら刀を振り抜いたのだ。
人体が破壊されるときに聞くような、肉の塊に強烈な打撃を加えたときに鳴るような鈍い音と共に、炸裂した衝撃でマコトの身体が後方に吹き飛ぶ──よりも先に、さらに腕、足を斬撃が走り、その四肢をバラバラにするような線で刃は自在に駆動する。
廃ビルの壁をぶち抜いて、雨が降りしきる冷ややかな路地に少年は投げ出されていた。




