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BREAKER  作者:
第2章 「首都不明攻撃事件」
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第二十三話 掃き溜め

 落ちる日は、雲のカーテンを橙色に染める。日が落ちれば雲が立ち込め、立ち込めた雲は自重によって天上より引きずり降ろされ、天を踏みしめて地に落ちまいと食いしばるが、いよいよ堪えきれずに流れ出す雨が空を洗う。

 そんな頃合いのことだった。


「先生、お疲れ様です」


 葬儀場をばらばらと出ていく生徒の集まりのひとつが、担任の井山に挨拶する。

 ひとつの傘の中に三人が入っていれば、ずぶ濡れになるはずが雨に濡れないからと平気で歩く生徒も中にはいる。大抵は傘を差していたが、それはもう自由であった。


「お疲れ様です。皆で帰るんですか?」


「はい、寂しいですけど、もう帰ります」


 井山の問いに、富永は頷いた。


「そうですか、悲しむ気持ちはわかりますが、くれぐれも事故に遭わないように……そういえば、誰か詠航くんを見かけませんでしたか?」


 こうした悲しい出来事の後は判断力や危機管理能力が低下するものであると注意喚起を踏まえれば、例の問題児について井山は問いかけた。


「……さっきまでいました、先に帰るって言ってたし、もう先に行ってるんじゃないでしょうか……どうかしましたか?」


 周りを見るが、当然詠航マコトはいない。常にそうであるが、群れるのは不得手な人物であることくらい誰にもわかることだ。

 しかし、わざわざ今所在を聴くなど何かあったのかと富永は首をかしげた。


「資格申請の期限なので」


「まだ出してないって、本当責任感がなあ……先生もお忙しいのにすいません、僕からメールしておきましょうか?」


 期限が近く書類提出の必要な資格とは十中八九ヒーロー免許のことである、富永は呆れ半ばにため息を吐いた。


「……いえ、こんなこともありましたし、後日、私から直接連絡するので今はそっとしておいてあげてください、彼は特別羽黒くんと親しかったので」


「そうですね、わかりました」


 富永は言った。


「では、皆さん気を付けて帰宅するように」


 そう言って井山は生徒たちを見送った。彼らの背中が小さくなったころ、ひとり駐車場へ向かおうとした時の事だった。


「へぇ、ちゃんと先生してるんだ。結構サマになってるじゃないですか、先輩」


 そこにひょこっと現れては親しげに話しかける女が一人。切れ長の一重にチャーミングな笑顔が魅力的な公安の女、篠崎である。

 当然と言えば当然だが彼女は通夜に参列した井山と異なり喪服ではなかった、カーキ色のコートを身にまとい無色半透明なビニール傘を片手に現れた彼女はお決まりの飄々とした口調で微笑むだけだ。


「……なぜ、ここに?忙しいから私はすぐに帰りますよ」


 現れた篠崎を一瞥すれば、井山は言った。


「冷たいなあ、いいじゃないですか。久々なんだから少し話すくらい」


 マアマアと話しながら笑う彼女は警察官と呼ぶにはどこか胡散臭かった。


「先輩、あの詠航って子何者なんです?」


 篠崎が問いかけたのは、例の少年のことだ。


「……将来有望な若者、それ以外に何か?」


 語ることはないと、井山は質問をあしらうように答えた。


「本気ですか先輩、そうならうちからそっちに送った現場から上がった証拠見せてもらえてないでしょ」


「まだ、見てません。今は別の仕事があるので」


 篠崎が揺さぶり、井山は間を置かず静かに答えた。


「彼は額を撃ち抜かれ、弾丸は脳に達することなく奇跡的に生存。その後、傷を増やしながら戦っていた。弾丸にこびりついた成分と能力による分析ではそうらしいです」


 篠崎が自分自身の額のど真ん中を指でトントンと叩きながら言った。


「ただ、ここのミソは弾丸です。これには思念力の残滓が確認された。現場で見つかった他の弾丸にはない形質で、何か能力が使われていた可能性が非常に高い」


 そう言うと、彼女は自身の額を叩いた指をもう片手でつまんで井山の眼前に持って行って説明した。


「……ホシが外した可能性は。二人で下校中なら大抵隣にいる。それに見つかった特殊な弾丸がその一発のみなら、恐らくそう何発も撃つような代物ではなく、単なる手段のひとつに過ぎないのでは。そして、失念していたか何かで生存した彼がその後の筋書きを台無しにした」


「筋は通りますし、可能性は否定できません……というか、私もそうは思うんですよね」


 彼を狙ったとは限らないという井山の反論は的を射ていた。銃は映画ほど上手く当たらない、白昼堂々暴れられる手練れを集められたのだから外す可能性も考慮して事を起こしているだろうというのはおかしい話ではない。


「でも事件後、V(組織)は彼を保護下に置かず、外出を許可……明らかに任務ですよね。よほどの能力か、何か事情でもなければありえない采配だ」


「さあ、公安(あなた達)には関係がないことです。気になるなら鷲律さんに聞いてください」


 引っかかると言えば引っかかることにも違いないが、述べることができないか否かはともかく井山がそれ以上何か述べることはなかった。


「あーあ、やっぱり本当に知らないんですね。残念」


 何か出てこないかと考えていたのか篠崎がため息を吐いた。


「まさか知っていても言いませんよ」


 井山が答えた。


「多分、先輩は知らないですよ」


 目の前の男はそう仔細に事情を知らないだろう、予防線を張りながらも確信めいた言葉をもって彼女は微笑した。


「なぜ、そう思うんです?」


 不思議そうに井山が理由を問うた。


「うーん、刑事の勘?」


 その問いに、篠崎はにへらと笑った。


「それじゃ答えになってないです……しかし、どうして彼について調べようと思ったんですか」


「松田さんですよ、これまた刑事の勘らしいですが……正直、私もこれは偶然だと今さっきまで思ってました。彼は強い、そしてそれ以上にツイてたってね。けど……」


 井山の問いに、篠崎の口から出たのは井山のかつての上司かつ篠崎の現上司である男の名前だ。


「……けど?」


「たった今、先輩と話して半信半疑に変わりました。彼は組織にとって特別な存在だって、それがこの事件に関わりがあるかはわかりませんが……先輩は、ありえないと思いますか?」


 Vとは、この国にとってあらゆる個体が特別にはなりえない為の組織。あらゆる個体の特殊性は、この組織そのものの特殊性の下に跪かねばならず、その逆はありえない。


「現段階では、断定できません」


 ならばそれはあってはならないこと、だが、篠崎の言葉を井山は否定も肯定もしなかった。


「しかし、雰囲気変わりましたね」


 まじまじと井山の顔をみて、篠崎はいった、


「さあ、人間そう簡単に変わらないと言いますが」


 自分自身では気がつかないものなのか、あるいは篠崎の気のせいなのかと井山は首をかしげた。


「変わりましたよ、昔のギラギラしてた先輩の方が私は良かったですけど。もうそういうの辞めちゃった方が幸せなんじゃないですか?どうせ、V(そっち)だって公安(うち)とそう変わんないでしょ」


 未来のヒーローや警察機関の卵であり悩める特殊体質者でもある青少年の育成に携わる仕事は、彼には向いているらしかった。だからこそ、なぜ他の仕事を続けるのかと篠崎は問う。


「いえ、辞める気はないですよ」


「できることからは逃げられないですから」


「……相変わらずですね」


 井山の答えに、篠崎はわずかに目を細めた。






 額から流れ出る鮮血がハンドルを辿る。赤い流線は重力に従ってするりと流れ、ハンドルの枝分かれに従って異なる弧を描き、その深紅はついには到達したハンドルの最下部、あるいは曲がり切れなかったある曲線で流線から点となり、ポタポタと滴り落ちる。

 その時、厳粛ですらある車内にはそぐわない、骨を折るような音が響いた。その次には瞼が開き確かな光を纏う瞳を露にし、体の自然な震えとともに流線が揺れる。

 血の描く模様を明確に知覚する意識は、しかしそんな流体の挙動よりも遥かに重要な難問にぶち当たっていた。


「クソ……」


 男は言葉を吐き捨てながらゆっくりと起き上がる。

 最後に彼に明確な意識のあった頃よりも、外は遥かに薄暗く一雨きそうな空模様である。一体どれほど気絶していたのかと彼が見た腕時計の針は、さして時間は経過していないことを平柳に告げていた。


「あの狂犬め」


 男が悪態を吐くのも無理はない。彼が痛みに従って、バックミラーで確認すればそこにはこの頃常にあるべきはずの決して若造とは言えないが年季を感じさせる男の顔は、血にまみれてもわかるほどには鼻っ面がぐちゃという風に砕け曲がりそれはもう無残な有様と化していた。

 平柳が派手に整形された鼻を掴み、そして、呻き声をあげながら一思いに無理やり戻すと、砕かれた鼻は手品さながら元通りに治り、拭ってしまえば血の一滴も顔から垂れることはなくなった。次に衣服を脱いで男が腹に力を込めれば、その肉から撃ち込まれた一発の弾丸が零れ落ちる。


「…………面倒に、なった」


 平柳はそう呟けば、ポケットから端末を取り出した。






 携帯端末の着信にいち早く反応できたのは、気が急いている証拠だろう。そう思うのもつかの間、水浦はあえて一呼吸置いて応答した。


「……俺だ、何かあったか」


 水浦が問いかけた。しかし、即座の返答はない。


「もしもし、トラブルか?」


 怪訝な顔つきで、彼は問うた。


「……私だ……岡田が私を撃って、ひとりで出ていった」


「なんだと?!無事なのか?状況は」


 平柳が掠れた声で水浦に伝えた内容は、彼に衝撃を走らせるには十分な効果を持っていた。これにはさすがの水浦の声音も変わる。既に事態は彼の手を離れようとしているのだから。


「死にはせん、時間もそう経ってはいない……奴は先を越すつもりだ、決着はまだだろうが……」


 平柳はゆっくりと答えた。


「……動けるか?」


「治りが遅い。仕掛けのタネがわからないから、暫くはどうもできない」


「そうか……奴の能力ではないな。お前は待機でいい。他から後詰めを回す」


 水浦が舌打ちする。岡田には、平柳の治癒能力を遮るような力はないのだから、つまりこれは計画的な行いであり、そして古今東西あらゆる計画には意図があるものだ。


「用意、していたのか……」


 平柳が苦しげに息を吐きながら言った。


「念のためだな。万に一つは確実に潰すものだ、だが……クソッ……清美の奴め。国共党となんか揉めやがって、あいつがやれば良かったんだ。あんな奴、雇いたくなかった」


「ははは……人に組ませておいてか、二度と私と組ませるなよ」


 平柳が乾いた笑いを溢した後に発する言葉には、語るまでもなく相当な怒りが込められていた。


「……平柳、動けそうにないならとりあえずお前は回復を待て。可能なら回収するが……車は?」


 采配についての議論は行っても仕方がなく、少なくともそれは今行うべきことではなかったのだろう、水浦は顰め面で平柳の剣幕を黙殺すれば淡々と指示を下す。


「……傷は目立たないし、人に見られてもない。運転くらいならできる、問題ない」


 平柳が返答した。


「そういえば、よく連絡できたな。隠し持っていたのか?」


「……さあ、わからない。これはそのままだった、岡田が処分し忘れたんじゃないのか」


 水浦の問いに平柳が返答した。


「……」


「いいだろう、信じてやる……あいつは俺がそう気が付くと踏んで、あえて処分しなかったとな」


「お前は指示通り待機だ。繋げたままにしておけ」


 水浦がそう言えば他の端末を取り出した。


「俺だ。あのガキの件だが……奴は今どこに?そうか、目の前か。ちょうどよかった。尾けてくれ。少し予定に変更があってな。一人突っ走ったんだ。お前は後詰めになってくれ。ラッキーパンチはありうるからな、念のためだ。ああ、実行犯と言っても形だけだよ。可能なら脳味噌持って帰ってこい」


「もちろん報酬は上乗せする。ああ、頼んだぞ」






 いつからこうなったのか、一体何が原因なのか。自身の体調に生じた問題を少年が理解したのは、よもや酩酊というような有様で今歩いているのが車道なのか歩道なのかもわからなくなってからのことだった。

 本来ならば、駐車場で井山に合流する予定だったが、耐え切れず葬儀場を抜け出した彼はいつの間にか知らない路地を彷徨っていた。

 体調に異変があるなら殊更無暗に歩かず人のあるところにいればいいものの、酷く浅い呼吸と奇妙な多幸感は冷静な判断能力を著しく損なわせるには十分だった。


「……」


 気がつけば灰色に埋め尽くされた空気に、にわか雨が降りしきる。されど少年は傘など持ってきていない。

 未だに握りしめていた邪魔な色紙を室外機の上に放った。ビルの冷ややかな普段ならば素手で触れたくはない壁面に手をつけて、マコトは僅かに震えながら外気を肺に深く取り込んで吐き出す。

 まるで限界突破した酔っ払いのような無様な振る舞いだが、それを気にする余裕があればこうはならない。袋小路でひとりぶっ倒れそうな迷惑な酔っ払いを介抱しようというお人よしも、迷惑だからここでやるなというような人間もここにはいない。

 そうと自覚があるともないとも、彼は今どん詰まりの真っただ中に違いなかったが、それでもろくに法定速度を守る気のないのが大多数を占める自動車が走り抜ける幹線道路の周りで千鳥足を披露するよりは、こんな路地裏の方が幾分かはマシだった。


「……」


 肩にかけた重々しい荷物がどさと落ちれば、次に壁に身を預けてその場に崩れ落ちるのは当然か。

 少年はその微かに桃色がかった白髪の頭を垂れた。


「レイ……」


 寒さかあるいは他の理由に起因するかもわからない震えの中、溢す言葉は雨と共に流れる。人の気配はないが、暫く動けそうにもない。


 少年が朦朧とする意識の中、聞き覚えのある声が響いた。


「起きて!」


 何度も聞いたはずだが、しかし誰の記憶にもない声だった。


「ねぇってば!」


 ぐったりとしたまま、彼はゆっくりと顔を上げる。


「……は、はは」


 少年は自分がとうとうおかしくなったのだと自嘲的に乾いた笑いを溢す。そこには誰も何もなかった。だが、それでよかったのだ。こうしてひっそりと項を垂れるのに適した場所は彼にとってすればお似合いなのだろう。

 コンクリートジャングルの隅っこの風景にはプラスチック製の青いゴミ箱以外に目を引くような色彩は彼の毛髪を除いてありもしない。誰にも知覚しえないここには何か生きた意思の存在する余地などない。

 否、なかった。


「!」


 その時、街灯の照らし出す人影が揺らいだ。

 マコトは、闖入者の気配に視線を向ける。


「よう、詠航……」


 獰猛なその声は、多くの人間を震えさせてきた。

 それは、よく知る人物だった。

 蜥蜴の異形の特有な表皮──否、鱗の表面を雨粒が滴り落ちる。


「どうした、随分辛そうじゃねえか」


 そいつは、凶暴に笑った。


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