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第二章
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第二十一話 雑務

「メッセージを送るので、チェックしておくように。それでは」担任はそう言って荷物を渡せば、車を走らせて帰っていった。


 後に残るのは都心郊外の雑居ビルにまみれたぼろ臭いアパートと、そんな住居には不似合いな上等なスーツを纏う極彩色の瞳を持つ少年だった。

 くだらない賃貸住宅には安っぽさ以外に取り柄なんてなく、上等なスーツは今や惨めな現実の味を際立たせるだけの実に巧妙な調味料と化している。一人になった彼は今、その髪が仄かな桃色のかかる白髪であることすら妙に腹立たしかった。


 少年は受け取ったスーツケースを片手に重々しい足取りで、錆びかけた階段を登る。途中で住人の誰かとすれ違ったが、隣人付き合いなんて概念は都会っ子には縁遠く、詠航少年は隣の住人の名前なんて覚えていないし、今後も覚える事はない。ある時なんて、金貸しが忙しなく隣りの扉を叩いていると思えばそこの住人は雲のように消えていて、そしてそんな事は三日も経てば誰の心にも残らないというような有様である。つまり、全員が全員、全く縁もゆかりもない赤の他人であり続けていた。仮に皆が一様に距離をあえて置こうとしていなくとも、態々距離を縮めて交流しようなどという者はてんでおらず、だからこそ他人に乱されず自分のつまらない生活に没頭できる──少なくとも近所付き合いを発端とした考え事などしなくて済む──日々を彼らは享受できていた。


 建付けの悪い扉を力任せに開けば、そこには変わらぬ退屈と沈黙がある。

 玄関にはインターネット広告に出てくるような彼の月の食費をゆうに上回る煌びやかなハイテクスニーカーはなかったし、味気ない部屋を飾るのは母親の実家から持ち出した家具類や安く買い叩いた家具だけで、これではどう足掻いてもお洒落なルームコーディネートとやらには程遠い。そもそも収納を並べるには狭く、新しく買うには要りようになる金額は生活を鑑みれば簡単に出せる額ではない。しかし、女の子を家に呼ぶような縁はマコトにはなかったしそんな余裕もなかったので、家が生活感満載であることが問題になることはなかった。

 ただ、この不便な貸家のお陰で甘い夢を垣間見れる学生生活から帰ってきて、この現状をまじまじと噛み締めた暁には、一人殺して金になるなら今すぐにでも巨大なビルを建ててやると正気に返るのがこの三年間の彼の習慣であり、この部屋の寝泊まり以外の役割であった。


 中学生の頃、元々仲が良いでもない両親が離婚して以降、マコトはほとんど一人である。ついていった母親が心を病んで実家に帰り、父親が蒸発してはさして親戚と親しいでもなく、しかしどう転んでも厄介者か金蔓でしかない特殊体質者たる彼は望んで一人を選び、自由の身となったのだ。

 天涯孤独に近くとももう馬鹿げたお説教をだらだらと聞かされる生活や可笑しな世界観に生きる半病人とおさらばできたので彼は生まれてきた時のように清々していたし、それに比べれば今の暮らしは幾分も上等だった。

 しかし、困ったことに気は晴れても腹は減る、より良い人生を望めば要りようになるのは金である。そこで特に身寄りの無い者や経済的に苦しい家庭に補助金が出るが、その代わりに軍事訓練とヒーロー、警察等の執行機関や所定の企業への就職を行うべしという古斗野高校ヒーロー科は、差し出すものが人生以外に何もない詠航マコトに都合が良かった。


 こうして彼は何より得意な才能を磨きながら模擬戦無敗の実績を作りあげ、税金で質素に暮らし、それら紆余曲折を経て漸く掴んだ出世の糸口と無二の親友の二つを同時に失いかけた座礁中……否、余命宣告までされ、大船(野望)はもうほとんど沈みかけて、つまり彼は再び自由になったのだ。


「クソッ……」


 受け取った荷物を布団に放れば、担任の前では隠していた苛立ちが思わず口から溢れ出た。薄いアパートの壁やどうでもいい隣人への迷惑も、今日は気にしなかった。


 それから少しすると少年は深呼吸して、極彩色の瞳を閉じれば、暗闇に思考を巡らせた。

 彼はいざこの世の理不尽とやらに直面してみて、至極つまらないドラマにありがちな、もうそういう取り決めでもあるかのように挟まれるお涙頂戴の泣き叫ぶシーンや、ヒステリックに怒鳴り散らしたりするシーンのような、薄ら寒い演出の一つや二つ再現したいのは山々だったし、ため息ばかりはいくらでもつけた。しかし、そういう感傷的な言動は現に何ら役にも立ちそうになかった。

 人間、ふとした時に衝動的になることはあるものだが、彼はそういう場面を生き抜くのに頗る向いていて、だからこそ殺しの許可証を与えられている。笑えるほど悪い状況と揺らがざるをえない程の土壇場の精神状態で、かえって頭が冷えるのは彼の持つ無自覚の才能であろう。


 その瞳を再び見開けば、その関心はすぐさま現実問題へと向けられる。

 それに実際、彼は忙しかった。井山先生から送られてくる業務用端末へのメッセージのチェックをした。

 そらから、車を降りる間際に担任から渡された荷物に混じる私用のスマートフォンの残骸からデータが生きているかこれから携帯端末のショップで確認次第その生死に問わず新たに購入しにいくのだ。金なら、給与があるのだからなんとでもなる。

 それに、如何に冷蔵庫の中身が貧相で、態々買い物をするなんてもう面倒で気が乗らなくとも、食欲がなくとも、腹ごしらえをして健康で好調な研ぎ澄まされた自分を維持するのも急務の課題である。ここで己を崩してしまえばあの鬼蜻蜓のような強敵の情け容赦ない悪意に敵う道理はないのだ。


 実戦用のスーツはふとした外出時でもいつ何が起こると知れないと思えば気休めと言えど心強く、彼は必要な荷物を準備し再び戦闘用のブーツに足を突っ込むと、退屈極まりない根城から出ていった。

 目的地に向かうのに鉄道を利用するのだが、事件のあった路線は現場検証も兼ねるために当然まだ運休で、マコトが致し方なく乗った電車には振替輸送の為に普段よりもずっと大勢の乗客が敷き詰められていた。乗車率なんて知りたくもない車内では致し方のない不快な時間を、乗客は皆押し黙りながら俯くようにして携帯端末の画面を覗き耐えていた。


 反射する窓ガラス越しに映るすし詰め状態で体を縮こませる彼の姿は悲しいかな、つい最近恐ろしい犯罪に勇敢にも命がけで立ち向かった人間の姿には見えなかった。そして、そのもっと向こうではずっと大きな街が揺れている。

 如何なる災害、怪異、能力に耐えうる為に病的な執念から築かれた巨大建築群は変わらずそこに聳えている。この都市にどれほどの敵が潜むのか、マコトには知りえない。しかし、こうして見れば歪なほどに荘厳なネオンで煌びやかにドレスアップされた要塞達は、しかし住むにも所有するにも巨大過ぎて面倒が多い。所有している人間もその中でどんなことが起きていて、この現実に管理が行き届いているか否かなんて知りえないのだろう。それに、そんなものを所有できたとして満ち足りることができると詠航マコトには思えなかった。

 ともなれば、彼の面白半分の決心とやらも揺らぐもので苦労して建てるのがビルというのもつまらなく、きっと何とかして征夷大将軍か大統領にでもなったら、江戸時代以来に城でも建ててやるとマコトは天に誓い直すのである。

 そんなくだらない妄想と逃避の狭間にて、物憂げな表情で少年は窓ガラスを覗く。


「……」


 まばたきをすれば、車窓が鏡のように反射して彼自身を映すはずのそこには、あの日眉間から血肉と銃弾を溢しながら立ち上がる最中、幻視した少女がいた。

 マコトはその時、全身が硬直し──と言っても、どうせ身動きはとれないが──目を見開いたまま、少女を見つめた。少女の顔は微かに日光が差し込んで見えなかった、彼はその見えない面影に確かに見覚えがあった。

 マコトがしばらく見つめてからもう一度まばたきをすれば、次の瞬間その姿は消えてなくなった。そこにはいるのは変わらぬ彼だけだ。


 彼は動揺をおくびにも出すことなく、窮屈そうに周りを見渡した。

 周りの乗客は至って平常運転だった。いざ何かあれば逃げようもなく、大勢の人間が犠牲になった例の事件はまだ何一つ解決していないというのに他人事なのか、あるいはそんな僅かな──と少なくとも彼等には見積もられるのだろう──可能性を考慮してやれるほど現代人の生活はのんびりとしていないのか、変わらぬ日常はその淀みに侵されることなく鼓動している。しかし、詠航マコトに限ってはあんな事件を経験したばかりというのに、こうして平然と電車に乗っていること自体、本来おかしなことである。だが、これは弦村先生のいう所の負荷処理が上手く働いていているのだろう。

 全く普段と変わらないという事実に寧ろ感じる不自然さ、違和もまた詠航マコトが未だ正常であることの証左だ。この正気もまた、いずれ無くなるかもしれないが。


 満員電車からの脱出を果たして携帯端末のショップにたどり着いたマコトは、満員電車に負けず劣らぬ実に無駄な時間を過ごした。

 新規契約であれなんであれ、携帯端末の契約がなぜあのように常に煩雑なプランが羅列され、顧客にわかりづらいのかを説明できる人間は、世界広しと言えど恐らくこの地上に存在しないだろう。

 マコトを対応する店員は年若い男で、典型的な体育会系といった所の、浅黒く日焼けした肌にワックスでテカテカに装飾した毛髪、不自然に白く輝く歯というような、お決まりの風体をしていた。

 ハナから胡散臭いこの店員は、始めこそやけにわかりにくいプランをいくつも並び立てて、多量の情報でこの小さな顧客の混乱を図った後、聞いてもいないのにこれがあればデータを外に保存できるだとか、マコトのひと月の食費を遥かに超える機器をある安い方のプランにつけつつ、もう片方の高いプランと比較し、機器がついてくるのにこちらは何とこんな値段でお得かのように感じさせようという涙ぐましい誘導を試みて、ペラペラと口先だけが取り柄なポピュリズムを邁進する政治家が如く高らかに演説した。

 しかし、マコトが見るも無残な元携帯端末の残骸を見せてやり、力加減をうっかり誤って壊したとあっけらかんとわざとらしく笑って言えば、ぎょっと驚いてはそれ以上の押し売りじみた事は辞めて、不愉快な饒舌は実に大人しくなり、スムーズな契約にこぎ着けた。

 これには流石のマコトにも微笑がこぼれる。もし羽黒レイがいれば得意顔で語り聞かせたあとにこういう奴には気を付けるんだと冗談交じりに自慢していただろう。


 もっとも僥倖なことに、何やら重要な部分が何と奇跡的に生きていたらしくデータも引き継げ、羽黒レイとの思い出の残る写真等はちゃんと確保できたし、店員の間抜け面を見れたのでマコトの溜飲も少しは下がった為、無駄な時間の半分くらいの元は取れただろうか。


 新調した携帯端末を片手に店を出て、彼が進むのは雑踏のど真ん中。掃いて捨てるほどいるうちの一員は、何車線と車の行き交う通りから、ひとつまたひとつと狭まった裏道を歩く。

 もう満員電車で不快な時間を過ごすのも、幻覚を見るのも御免だと、少年は徒歩で家路に向かうことにしたのである。


 数十分歩いて、自宅に到着する頃合いで、自身の空きっ腹をふと思い出した彼は、立ち食いのうどん屋に訪れた。

 店には他に客はおらず、店のおばさん一人がパイプ椅子に座っている。店に備えられたテレビはしばらく誰にも注目されていないだろうにも関わらず、義務的にニュース番組を垂れ流していた。

 ここはマコトが普段良く通う店だ、うどんやそばだけでなくカレーや丼ものなどがそれなりに揃っている上で、安い割に腹を満たすのには都合の良いという彼に都合の良い店だった。中でもおにぎり二つと申し訳程度の漬物にうどんで破格の安さを誇る炭水化物セットに学生ならばうどんのおかわりが一回無料というのが、食べ盛りの彼のお気に入りのメニューである。関西風の程よい風味の利いた出汁の風味は、自炊を苦手とするマコトには実に上等な飲み物でもあった。


 注文を済ませたマコトの元に熱々のうどんと握り飯が届いたちょうどその時、ガラガラと店の戸が開いた。

 新たに入ってきたのはスーツを随分とこなれたように着こなす二十代後半の女だ。そのはっきりとした切れ長の一重を纏う漆黒の瞳は、間違いなく一度古斗野病院研究棟にいた刑事集団の紅一点である。

 彼女はマコトの隣を陣取れば、カツ丼を注文した。


「……さっきぶり……いや、ずっといたか」


 割り箸を割りセルフサービスの天かすをうどんにこれでもかと煩雑に盛りながら、マコトがいった。


「やっぱり気づいてたんだ、すごいねぇ若いのに。まだ18でしょ?」


 その女は隙の無いにこやかな態度で言葉を返した。


「……いや、俺じゃない」


 マコトは首を横に振った。

 実際、担任から受け取ったメッセージを参考にして彼は動いただけであるが。


「ああ、井山先輩?流石だなぁ」


「……で、下っ端の俺なんて追っても何にも出ないけど遊んでていいんですか?刑事さん」


 一味唐辛子をうどんに足せば、天かすと赤い一味唐辛子が浮く出汁をのぞき込み、少年は景気よくずるずると麵を啜り、大げさなほど満足気に息を吐く。

 それから彼は割り箸を片手に顔を上げて、笑う女に訝しげに問いかければ、またしても麵を啜るのだった。


「固いねぇ、詠航君。篠崎でいいよ、それに元々君を追うつもりなんてないんだから」


「へぇ、そうですか」


 うどんを啜りながら、彼は篠崎の自己紹介に生返事で応えた。

 結局、追う気があるのか否かというその真意はマコトに図る術はない。公安とVとの関係がどんなものなのかも新入りには預かり知らぬことでもあるのだから。


 注文のカツ丼が篠崎の前に出される。それは、チェーン店で出されるようなものというよりはどこか家庭的な香りを纏うような味付けのなされたもので、ジャンキーな見た目に反して風味は優しく食べやすいものである。

 一口頬張れば彼女は小さく頷きながら、彼に話しかける。


「知らないと思うけど公安(こっち)V(そっち)は伝統的に仲悪いんだ、よく知らないけど昔揉めたらしくてね。けど、私はね、現場の人間同士仲良くした方がいいと思ってるんだ。体張る私たちがいがみ合っても仕方ないじゃない」


「へぇー……それで、ボウリング大会でもするんですか?」


「ふふ、それも良いけど……知りたいでしょ?彼が今どこにいるかとかさ」


 彼が興味なさげに話を聞きながらうどんを啜り終えて、おにぎりをかっ食らうという頃合いに投げかけられた篠崎の発言に、マコトの箸が止まった。


「……公安(そっち)が知ってるのに、V(こっち)が知れないなんてことはないですよ」


 マコトは少し押し黙った後、何もなかったように箸を進めて再び話し始める。


「さあ~……そんなの知らないしどうでもいいわ。けど、懇切丁寧に君にすべて話すわけないでしょ」


 カツ丼を咀嚼すれば、篠崎はざっくばらんという具合に言い放った。


「何が言いたいんですか」


 篠崎の言葉の意図が読み切れないと、マコトが問いかけた。


「わかってないなぁ。今回みたいなのは何がどうなってるか本当のところわかんないなんてザラ。その上、君は新入りでこの件の重要人物と個人的に親しい。まあ、このままじゃ蚊帳の外でしょ。そもそも、厄介なら処理してしまう、処理部なんてそのためにあるんじゃない?」


「……それで、そっちこそあいつを処理したいんでしょ」


 Vはあくまで国益のために個人や集団に超法規的措置を取る組織である。公安も本質的には同じ色を持つ、それはあくまで組織に過ぎず、感情は一切優先されることはない。

 特殊体質者や怪異生物なんて国を危険に晒す厄ネタだらけとなれば、そのあり方がいかに苛烈でなければならないかは語る必要もない。


「さあ、公安(うち)も一枚岩じゃないから。それに仮に私がそうなら態々君に教えないでしょ。私は君と仲良くしたいし」


「……」


 互いに信用には足らないが、互いに利用する価値だけはあるようだった。

 否、詠航マコトがそんなことを知った程度で何か変えられることもない。だからこそ、ここで関係を持つつもりなのである。


「処理部からもらった情報の確認をしてほしいんだよね、代わりに教えてあげるから」


「……」


 彼はおにぎりを口いっぱいに頬張れば、出汁を飲んで一息をついた。


「……いいや、それじゃ、割に合わないですね。今回は遠慮しときますよ」


 そして、彼は首を横に振った。


「まっ、無理にとは言わないからまた気が向いたら連絡してね」


 篠崎が懐から連絡先を出せば、マコトに差し出した。


「ご丁寧にどうも……まあ、タダなら聞いてもいいんですがね」


 篠崎から連絡先を受け取れば、冗談交じりに少年は笑った。


「だめだめ。今どきの子は」


「にしても君、ヒーローでもやっていけるのに物好きね、なんで入ったの?」


「みんなそういうこと言うけど、その割にあなただって公安(大概)じゃないですか」


「……そりゃあ、そこそこ向いてる仕事でやれる限りのことを頑張ってやってくのは楽しいからね」


「俺も大体、そういう感じっすよ」


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