第二十話 適所
昼下がりの睡魔に、詠航マコトは伸びをして抗ってみた。
病院で随分と眠っていたはずだが、未だに眠いのは疲労が原因か、難しい話をし過ぎたからかはとうの本人にもわからない事だった。
卸し立てのスーツはあっても財布は無い彼は、帰宅するには自分の足で帰らなければならない。街中で能力を使えば労する事なく帰れるのだが、能力の使用というのは危機を前に身を守る等の要件を満たした状況を除けば法律で制限されているからできなかった。この法は私権制限等と言われることもあるが、例えばダンプのようなパワーで走るマコトと一般人との衝突事故が起きればどうなるかなんてわかりきっているので致し方なく、必要なルールであった。
ここで能力の代わりに登場するのは文明の利器、そう、ジドウシャである。ということで、マコトのことは担任が自宅まで車で送り届ける事になったのだが……車に辿り着くまでの研究棟で、トラブル……あるいは彼の知らぬ所で起こっている何かの尻尾がちらと見えたのだった。
その新たな問題の尻尾もとい、厳めしい様子の男たちが帰っていくのを見守った頃、ちょうど井山の持つ端末が無機質な電子音を鳴らし着信を持ち主に告げるのだった。
「はい、井山です。彼らなら、今行きました。一目会いはしましたが、それだけです。……ええ、了解しました。伝えておきます、それでは失礼します」
井山は端的にそれだけ話すと、すぐに電話を切った。会話の内容は明らかに彼らのことであった。
「先生、さっきの人達って……」
「昔の職場の人間です。また、説明します」
そう語る井山が神妙な面持ちで出口の方を見つめていると、昔の職場にいた女性の後ろ姿が強固な防弾ガラス張りの自動ドア越しに小さくなっていった。
「わかりました」
いまいち状況の飲み込めないマコトは首を傾げた。
自動車は古斗野高校に止めているとのことで、二人は大層な展示すら並べられた研究棟を出た。
目と鼻の先にある校舎には徒歩数分ですぐにたどり着けたが、あんな事件があったものだから臨時休校とになったというその学舎は、ひっそりと静まり返りいつものような活気はない。それでも変わらぬはずの校門を二人はくぐった。
休校でも変わらず警備員は巡回し、二人はそんな彼らと軽い会釈を交わす。この要塞じみた巨大建築の中に一体何人の人間が特務機関に所属しているのだろうか、ふっと湧いて出たそんな疑問をマコトがこぼすことはなかった。
二人は車に辿り着くまでに何か話す事をしなかった。日常的な世間話ひとつするにも、気の重くなるような非日常といやでも関わることだから口にする気になれなかったのだろうし、そういった事は外でベラベラと口にするべきではないからだ。
語るまでもないが、彼らはヒーローでない。しかし、その実非常時であっても平常を演じねばならない所はヒーローと同じである。
広々とした駐車場には、臨時休校だが沢山の車が停められている。休校の経緯が経緯だからだろう。学校の会議室で特殊部隊か何かのような顔ぶれの教員達が難しい話をするに決まっていた。
特段特徴のないトヨタの軽自動車の運転席に井山が座りマコトは後部座席でシートベルトを締めれば、車は滑らかに発進した。
見ようによっては少し気まずい雰囲気のドライブだが、下手な慰めの言葉よりも、必要から発生するビジネスライクな会話の方が少年にとっては気楽なものだったし、実際今は差し当たりの課題に立ち向かうべき時であった。
「さっき研究棟にいたのは警視庁公安の人間です、多分詠航君に当時の状況を聞こうとしたんでしょう」
と、ハンドルを握る井山がマコトに言った。
「……なら、事件のこと話さなきゃまずくないですか?被害者とか重要参考人とかですよね、俺」
刑事ドラマで聞きかじった単語をひとまず少年は並べてみたのだろう。そして、そうやって単語を並べてみれば今起こっている事がいかに無理筋かよくわかる。
「いえ、鷲律さんが対応しました、そこから情報共有されるので。それに、君は当日あの電車に乗っていない。だから、もし接触や取り調べがあっても、向こうがそんな事はわかっていたとしてもシラを切り通して何も話さないで下さい」
実際には乗っていない事になっている。故に、機密は機密と井山が念を押すようにいった。
「……わかりました、けどなんでですか?情報共有するならいいじゃないですか」
犯人でもあるまいに警察に事件のことを話して困る事がなぜあるのか、当然意図のわかりかねるマコトは首を傾げた。
「鷲律部長からの指示です。何か意図があるんでしょう、まあその理由を知らされる事はない、この世界では政治が絡むと途端にそうなるし、よくある事なんです。なので慣れてください」
井山の答えは実に単純だった、求められているのは任務の遂行で疑問ではない。そして、彼もまた実際の所同じようにその意図はわからないのだろう。
「……わかり、ました」
釈然とはしないそんな態度を包み隠す事なく、マコトは頷いた。
「ああ、もし、Vが嫌になったら私に。辞められないなんて脅し文句はありますが、一応許可が通れば潜入の名目でヒーローとして幽霊になれる。血腥い環境、知り合いが死ぬキツイ仕事、何を達成しても世間に見られないのに嫌気が差して、そうする人は実際います。大抵、すぐに戻ってきますが……」
そういう事も可能ではあると井山は語った。しかし、可能か不可能かで言えば可能である事の意味は頗る大きい。
血腥く社会的地位もない仕事に嫌気の一つも差しはするのというのは、中々説得力のある話である。
「覚えておきます。でも、その人たちはヒーローになれたのに何で戻ってくるんでしょうね。上手くやれるなら、そっちの方が充実しそうなのに」
井山曰くヒーローよりもずっと血腥く、別に世間に褒められもしないという、ならば、なぜ戻ってくる人間なんているのかさっぱりわからないとマコトが問いかけた。
「合わない人間は大抵、不自由、不満足感、刺激の不足を語ります。それか、法律やしがらみの関係でここじゃなきゃ能力を活かせない人間も、そもそもここじゃなきゃいけないなんて人間も世の中にはいるものです……私には、わからないが」
豊富であろう資金、潤沢な装備と人員を以ってあろうことか運用の方針は法律無視のルール無用。その上で訓練を受けた強力な特殊体質者を組織し、運用する。
そして人間の心理というのはそこにある力は使ってみたくなるもので、その力が強力ならば尚更の話である、加えて一度それを経験すればそれのない事は考えられなくなるものだ。
いずれにしても、真っ当な憲法や法律、人権のような一見大事だが、それらに守られなかった人間や守る気の無いような、社会にとっての猛毒で猛毒を制すというそれだけの話だろう。
何ら碌な事ではないが、それでもそんな碌でもない組織を居場所とする人間が存在し、そこでしか生きたくないような人間というのも存在し、その気になればやくざや一カルト教団が軍隊を持てる以上、そんな組織の存在は必要にもされていた。
「なら、先生はなんでVに?警察じゃダメだったんですか」
「公安はここと似た所がある。ただ、能力はこっちの方が有用に使える、それだけです」
マコトの問いへの井山の答えは単純で、そう生まれたからだというのは割とありがちな話である。
井山の能力は古斗野高校でも噂にもなった事がなく、使った所を見たという話ひとつ上がらない。しかし、能力を聞き出そうというのが不躾なのは特殊体質者こそ理解する話であるから、それ以上の詮索はなかった。
「それより、教師はいいですよ。もちろん、責任は重い。けど、その分ずっとやりがいがある、人を殺すよりずっといい」
「……話を変えましょう。今回の任務、鷲律さんの意図はわかりますか」
話が思わぬ方向に進んだと、話題を差し当たりの問題に井山が戻す。
「意図、ですか」
授業が始まり、マコトが腕を組んで頭を悩ませた。
そこまで考えるのはまだだったのだろう、上の意図まで考える癖やすぐさま察する勘というものはこのルーキーにはまだ備わっていない。
「まずは敵の頭数を減らす事。相手に圧をかけ、また次と倒していく。もし、こっちに釘付けにできれば、別のチームでレイの方を見れる。上手くいけば情報も回収できる、ですかね……頭数に余裕ある前提ですけどね。もし俺を運用するならシンプルな実力行使、手加減抜きでやれる環境で突っ込ませるのが使う側も使われる側も楽ですから」
組織の正確な規模を知りようはないが、装備の数や拠点の規模からその規模が矮小なものでない事は確かだった。
「ええ、その通りです。ここでは、なるべく早くに情報が入れば儲けものです。向こうの目的や意図、そして羽黒君がなぜ二重体質者と気づかれたのか……これは我々からの流出とは考えにくい。詠航君は当然、私もこの立場では監視の目もありますし不可能、だから任務にも選ばれた。他の人間も同様に怪しくない……ならば、二重体質者だと直接気が付いた誰かが真理救済教に情報を提供した可能性が高い。それは、彼に近しい周囲の人間であるほど可能性は上がる」
「……特定の能力なら、わかるってアレですか。まさか、学校の人間……生徒が?」
「その可能性は否定できない。でも、該当する能力を持つ人間を調査した所、校内に関係する人間は少なくともシロでした」
つまり、今の所二重体質者の正体が露見した原因は不明であるらしかった。
「特殊体質の看破というのは、新種の生き物の分類や観察、生態の調査にも似ます。非常に学問的で、頭脳と五感、そして第六感を酷使する高度な技術になります。そこで何より物を言うのは蓄積、実際羽黒君が他と違うと気が付いたとして、本当に二重体質者と断定するのは難しい、他に例がなさ過ぎて確証がない。何なら、少し変わった特殊体質者なんていくらでもいる」
能力の看破とは一見、魅力的である。
しかし、特殊体質とはそう都合よく備え付けられていない。どういう体質で、どういう事ができて……だなんて文章が頭の中に都合よく出てきはしない。
それは例えばある能力の副作用であったり、発生したある現象を解析できたり、思念力の性質や遺伝子をデータとして分析したり、同じ看破という結果に辿り着くにしても無数に過程が存在する。
そこから様々な特殊体質を分析し、過去の集積を基に類似点から威力や射程、何を対象にするのかというような推測は行えるようになる。だが、しかしあまりにも例の乏しい二重体質者について、犯行を計画する程度に断定するのは困難である。
「勿論、能力の申請時点で偽装していた可能性もありますが……」
「……ただ、噓はわかるようになってますよね。把握はできるはず」
古斗野高校では入学時点で自身の体質についての書類を提出する。
当たり前だが、書類は漏れなくそれもまた仔細に及ぶまでを記述し提出した上で、対面で該当の書面を確認する事になっている。この対面というのにカラクリが有り、意図して虚偽の内容の提出や、書類に漏れがあると自覚するとどういうわけか、必ず発覚するのだ。
その種や仕掛けを学生たるマコトが知る由はないが、戦闘訓練を受ける特殊体質者を十全に管理、監視すべしという一部世論の圧力から古斗野高校は、虚偽申告に対策の実施を開始したと公式に発表されていた。
「ええ……しかし、本人が能力に気がついてなければ、十分機能しません。入学してから気が付く事も多いですが、仮にそんな事があったとして入学時点で無自覚から二重体質者を看破するのはほとんど不可能です」
井山がそのカラクリを知るかどうかはまた別の話である。
だが、知らぬものは知らぬとして例えば真実、そうと思い込んでいるのならば噓発見器では事実との差異を見抜く事は不可能だ。
特殊体質、能力と特別な事のように呼称されるそれらは本人にとってはあって当然の感覚であり、何ら特別なものではない。
絶対音感の人間が絶対音感が特別だと意識しないように、色盲の人間が他の人間にその色がどう見えているのかわからないように、各々は各々の感覚でしか世界を感じられない。普通の感覚を知らない人間が自己の特殊性を網羅するのは難しい。
「……まあ、調査を進めていけばそのうちわかるでしょう。犯人が内部にいたとしてとっくに逃げたか、あるいは口封じされたかのいずれかです。私たちは例の二人の標的を気にするのが先です、厳しい戦いになりそうですから」
井山が言った。ヒーローとは、つまり訓練を受けた特殊体質者だ。
何を得意とするにしても、決して舐められたものではない。特に存亡の危機、土壇場であの教団に荒事に抜擢されるとなれば、その質が低いことは有り得ない。
「前に比べれば、楽です。守る相手にも一般人にも気を使わず、思い切り戦れる。それに何にも悪いことなんてしていないレイや他の犠牲者の事を思えば、これくらい何でもない」
マコトは言った。前より随分と勝算があるではないかと言いたいのだろう。
何よりも、今はそんな事で臆病風に吹かれている事態ではないという、よもや決死の覚悟は彼に自然と言葉を力強く紡がせ、実に雄弁にした。
「しかし、詠航君は面も能力も割れている。必要になったらまた説明しますが……私の能力はおいそれと使えるものではない、そう簡単には行きません。冷静に、油断は大敵です」
やる気があるのはよろしいが、前のめりになればいいという訳でもない。その諺はまさに今この瞬間の為に存在するのであると、井山が釘を刺した。
「その羽黒君ですが、表向きは亡くなった事になっています。近いうちに葬儀をやるでしょう。が、危険がありますので念の為に欠席の方が……」
担任としての連絡事項と組織の人間の上司としての忠告であった。
「……けど、いないと不自然です、この事件はきっと報道でも妙な事が多い。誰かが秘密に気付くかも。それに……もし内部にスパイがいるなら、そいつも来る可能性が高い。見ればわかることもありますし、それに丁度喪服なら手に入ったんです、楠木原さんに頼んで実戦用に白いシャツをもう一着用意してもらいますよ、然るべき準備ならできていますから」
曰く自身は羽黒レイの親友であるから参列して当然であるし、そこにいない事は一種の異常事態だという。勿論、彼は実際には死んじゃいない。それでもだ、もし皆が本当に羽黒レイを喪ったのならば、そこで真に嘆き苦しみ悲嘆に暮れていいのは自分か肉親か恋人くらいのものだという感覚ですらあるのだろう。
それをわけのわからぬカルト教団に怯えて逃げる彼でなし、つまり、これは結局のところそれらしい大義名分に過ぎない。
当然、少なくとも不自然である事については井山も承知の上での忠告であっただろうが、マコトがそれ以上に今の状況に責任を感じているというだけの話である。そのためか、彼の言葉は穏やかだがその語気は些か強いものだった。
「そう言うと思って、昨日受け取りました。後ろに積んでいます」
「!……ありがとう、ございます」
担任がため息混じりに言えば、少年はその準備の良さに驚きながら礼を言った。
「その時は私もいますしね……あまり、気負い過ぎないでください」
「わかりました、先生」
少年は、極彩色の瞳の奥で揺れる心密かに答えた。
そもそも、少年に逃げ隠れさせるどころか教団に与する人間への問答無用の襲撃と無慈悲な処分を組織が命じたのだから、これは派手な能力を持つ彼らしい明確なメッセージでもある。
当然、教団にとっては敵性勢力の戦力としても象徴的な憎むべき敵としても、少なくとも面子がある以上、詠航マコトを無視することができなくなるのは彼の役割にとって実に都合が良かったし、そうした役割に徹し自らをはめ込む事を理解する彼はこうした戦争に向いていた。
「終わったみたいね」
がちゃりと部屋の扉を開くと、少女が言った。
「!……客なら帰った、何の用だ」
その眼前、開いた扉の向こう側、すぐそこに立つのは驚いた表情で彼女を見つめる水浦だった。水浦の目を覗き込む月下ユウの瞳は無感情で何かの感動や反応を示すことはなく、全く冷静だった。
平柳と岡田、二人の現役を助っ人とする手筈を終えた水浦は訝しげに眉をひそめれば彼女に問いかける。尤も、この展開も質問も彼女は知っていることだろうが。
「それなら私も用は無いわ……ただ、予知の材料を減らされたのに、またあたしのせいにされたらたまったものじゃない」
完璧な人間などいないように、完璧な能力など存在しえない。
月下ユウの未来予測は本質的には非常に高度な演算であり、フィクションに現れがちな高度なセンサーと演算能力を兼ね備えたスーパーコンピューターのような能力である。
平たく言うなれば、視界に捉えた対象の未来の可能性を未来予知に近い精度で演算することが彼女の能力。これには当然、幾つかのルールが存在する。
一つ目は、絶対の未来はないということ。これは無数の可能性から最も高い確率を優先的に見る事ができるだけであり外れるときは外れるのだ。
二つ目は、予知はその事象に直接関わり動くエネルギーの量に比例して時間や労力に時間がかかり、場合によってはその精度にも影響を齎すということ。このことから出力の高い特殊体質者の関わる事象に関する未来は不明瞭であり、演算にかかる労力や時間が段違いとなる。そんな者同士の衝突がどう転ぶのかの予測の精度は絶対的に信用する程のものは維持できない。
三つ目は、個人の主観的な未来の可能性しか予測できないこと。よって、この先に起こる事件でどう事が運ぶのか正確に予測するには、より多くの事件に関わる対象を視界に収め、能力を使う必要がある。
これらの事を、水浦もまた理解していた。
「状況は制御している、お前は俺の言うことを黙って聞いていろ」
彼女は多少の言葉の掛け合い程度ならば、その気になれば常に先手とれる。そうとわかれば、今ここにそれだけで訪れただけでその意図を疑るには十分であるとして、実に気に食わなさそうに男は言った。
「この先の未来は、今の情報では読むのが難しい。その意味はわかるはず」
新たに加わった平柳と岡田に、彼女自身はまだ会っていないのだからこうなるのは自然な話であった。だが、水浦の表情は未だ険しい。
「……だから、奴らと会って精度を上げるか」
「ええ、そうです」
水浦の言葉に、ユウが頷いた。
「無理な相談だ、ボーイフレンドに絆されたお前は信用できん」
だが、前回の失態からか、月下ユウに不信感の拭えない水浦は首を横に振った。
「まさか、あれくらいで絆されたならあの二重体質者は保護されて、とっくのとうに計画はおじゃんになっているわ。それに……ここまで来たのに、今更あたしが邪魔するとでも?あたしは自分の手で売ったのよ。必要とは言え、普通は気分のいい事じゃないし、役立てる以上は最後までやるべき義務がある」
「……あくまで組織の為か?ならば、なぜ二年前に西田にあのガキの事を警告しなかった」
「警告ならした、けど模擬戦をやると決めたのは彼よ。そもそも、あの時は今ほど正確に予知できなかったし、何かの全貌を網羅するのには準備がいる。それが出来るなら、苦労はしないわ」
水浦が疑い、ユウが即座に切り返す。
いくら水浦が疑おうと、月下ユウが自分自身について予知してしまえばこの程度でボロを出すことは絶対にない。水浦の疑念は突き詰めても杞憂以上のものにはなれないし、月下ユウが仮に自然な反応をしたところでそれが本当に自然な答えなのか、始めから知っていて取り繕ったものかどうかの判断から始まる。
先回りできる以上、月下ユウにとって会話の機能は伝達ではなく確認作業に過ぎない。
しかし、普段からこうして人と話さなければ会話を行う可能性が極端に低下する、確率が下がれば観測できる可能性は減少し、会話するパターンが減少すれば得られる情報も減る。人と話す事が普段通りでなければ、起こる未来の幅が狭くなり、予測できなくなるジレンマを持つ。ゆえに、普段から他人と同じように会話し、知る未来を辿るように彼女は振舞う。
そんな月下ユウが何をどのように思考するのか、人類のごく一般的な感覚の思考を持つか水浦は知らず、月下ユウ自身も他者との思考との差異について正確に知ることはない。
「……そんなにこの件に関わりたいのなら、お前自身がその手で可能性を捨てろ。そしたら、この先も使ってやる。お前はこれまでサポートしかしてこなかった、実際に何が起きているか、頭でわかっているつもりになっているだけのお子様だ。手を下せない人間は信用できない」
そして、どの未来の水浦の意図を汲むべきか、場合によっては真逆の可能性すらある以上、会話自体は必要なのである。
「……それで、何をさせるの」
「狙いは詠航マコト、例のガキだ。俺も見たがアレは危険だ。どこの鈴がついてるかもわからん、だから確かめる」
水浦が名前を出せば、ユウの表情を観察する。あえてどのように反応するのかもまた、見るべき点だからだ。
「それ、本当に必要なの?今どこにいるかもわからないし、あたしがどうやって……」
何か動揺することはない、ユウはハナから知っていたことを包み隠す事はなく、言及したのは疑念や成功の可否だけだった。
しかし、彼の強さや彼女の立場を思えば、困難なミッションであるのは事実である。
元より、彼らが元々注意を払っていたのは二重体質者、羽黒レイであり、他の人間はある意味どうでもよかった。特に問題の詠航マコトは未来を見るコストが高く時間も手間も非常にかかる、その必要はこれまでないとされたきたからこそ、彼について着目すべきとされたのはあの事件当日、あの時間のみであった。
ユウ自身の主観的な未来の観測結果、葬儀に来ることはわかっているが、詠航マコトの未来は再度会わねばならないし、演算にも多少の時間は要する。
「フェンタニル、立派な医薬品だが──過剰投与すれば、クスリに様変わりする。裏通りにいきゃラリッてる連中をよく見れるだろう、巷ではこれが人気なのさ」
「!……」
月下ユウが、わずかに驚いた。あるいは、驚いてみせた。
「経皮吸収で摂取可能だ、奴に触れさせて中毒状態にしろ。特殊体質者の場合、効き目は五分五分だが見たところ異形でもない、少なくとも効きはする、多少弱らせれば後の始末はすぐに済む……ああ、直接トドメを刺さなくてもお前が始末する事に、手を下す事に変わりはないがな」
「それまでは、西田をお前の監視につける。奴の凶暴さはお前が見てきただろう。妙な真似をすれば、お前は助かってもお前の両親は不幸な事故に遭うことになるだろうな」
きちんと脅しの言葉まで言い切るのはやはり直接言う方が効果的だからか。もしくは単なる当てつけだろう。
「……」
神妙な面持ちで、少女は固唾を飲んだ。
自身も手を下すことになって動揺しているのか、この可能性をわかっていて別の可能性に期待していたのか、あるいは非常に低い確率で生じる未来であるから見落としていたのか。
「どうした、知っていた展開だろう?」
ユウを見て、男は問うた。
「……ええ」
少女はただ、頷いた。




