第十二話 トレイントレイン②
凶行の数日前。都内某所に潜伏する凶悪犯罪者は、隠れ家のホテルで会議していた。
「理解っているのか。ジェロームのバック……柞山会の相手をしなきゃならん。もう仕事どころじゃない」
梶島はいつになく苛立っていた。蜻蛉の異形となれば表情はわかり難いのだが、それでも一目見ればわかる。
「……で、今更どうする。釈明会見でも開くか?記憶にございませんってさ」
戸破は肩をすくめた。
「冗談を言っている場合じゃない。奴らも今の雇い主もヤクザも言ってしまえば同じ穴のムジナだ」
「ああ、商売仇への宣戦布告に都合良い訳だ。今頃感謝されてるさ」
戸破は皮肉混じりに笑った。
「その礼にカーペットの染みにされても構わないならな」
巻き込まれた梶島が言い返す。
「そう怒るなよ。仕事を上手くやって飛べばいい。時間が経てば、勝手に仕立てた下手人と大義名分で戦争するだろうよ奴らは」
困ったように戸破は宥めた。あの日のトラブルには問題児を呼び出したのにウッカリしていた戸破にも落ち度がある。
無論、それでも切った張ったの有様になるとは普通思わないのだが、特殊体質者に普通というのも可笑しな話であるのやもしれない。
「真理救済教の方は?」
「真理救済教か、さして変わらねえよ。そう、計画は電車でやることにした」
梶島の質問に、戸破は答えた。
そして、仕事について話を始めた。
「電車?」
「カメラと制御、通報は車田がクリア。電子機器は奴の制御下における。それに話では、雇い主の側に隠すのに都合が良い能力者がいる。最低でも車両一つ分は犠牲になってもらうそうだ。詳しくはまた話すさ」
「最低でも……か。趣味の悪い連中だ」
梶島に一般人と同じような眉はないが、異形の顔にもしもそんな眉毛がついていたのなら、顰めていただろう。
「何にも問題ないと、イカれてるよ全く。元は車田の提案なんだ、流石にここまでやる予定じゃなかったがな──柞山の連中は目立つのを嫌って白昼堂々暴れはしないし、こんな事件にゃ流石に関わってはこない。俺達は上手く標的を手に入れればそれで終いだ」
戸破は言った。
「ヒーローや警察なら真理救済教の手の人間が一応いるか」
「ああ、捜査の妨害ができれば組織も少しは動きにくくなる……かもな」
そこから先の二人の話はおおよそ推測だった。雇い主の目的についても、見立てについても、もっと広い目で見たプランについても推測の域は出ない。
「上手くいきそうにはないな」
「まあ、雇い主はこのプランがお気に召したようだし、最悪全員殺してもいいなら俺たちゃ上手くやるだけさ」
「奴ら、全面戦争を仕掛ける気か?」
電車の乗客を全員の殺害したって構わないというのに至った意図は推測の必要すらないか。
そこにあるのは狂気であり、狂気は大抵において悲惨な結末を齎す事になる。
「ああ、余程良いのを仕入れたらしい。終わったら暫く関東から離れるぜ。俺は」
「それが賢明だろうな」
電車の気ままな鼻歌に乗せて、悲鳴が雑多に綯交ぜにされる。
「きゃあああー!」
レイはぐったりと動かないマコトから目を逸らし、犯人を見た。
彼の額を撃ったのは、フードを被った若い男である。袖の下に隠していたのであろう、犯人が握る消音器付きの拳銃が目視できた。
今日日、この国で銃を用いた犯罪は少なくない。パワーバランスの崩壊と混乱は、この国に大量の密輸品を齎したからだ。
パン。次の瞬間、乾いた音が響いた。
次は、今のレイの少し背後の方でバタと倒れる音が響く。
レイの視界にギリギリ入るか、男は古斗野の制服を着た別の女子生徒を狙い撃ったようだった。
「はぁっ、はぁっ……」
異様な緊張感が支配する車内。
レイには聞こえるはずの雑音や悲鳴が遠のき、自分の鼓動と息遣いだけが聞こえていた。
「ひっ、やめ──」
これが、次の被害者の遺言だった。
犯人は、一言も発する事すらなく、レイには一瞥と向ける事なく、何か工場で製品を作る機械のように直近にいた乗客目掛けた乾いた殺意を高鳴らせたのだ。
そのリーマンは頭から血飛沫と肉片を飛び散らせながら地面に倒れれば、目玉をひん剥いたまま硬直して動かなくなった。二度と動きはしないだろう。
この事態に直面した人々は皆様々な行動を取った。
走り出す。硬直して動けない。逃げようとしたが腰を抜かす。転倒する。衝突する。混乱。
そして、羽黒レイは──
「止めろッ!」
──座席から飛び出せば、射線に躍り出た。
パンと銃声が無情に響き、その弾丸はああ見事、頭に────
グシャ、
と、強かな衝撃を認め、ひしゃげた弾丸が地に落ちた。
カラカランと薬莢と役立たずの弾丸が転げる音が交差する。
「僕が相手だ──!」
レイは震えと恐怖を押し殺し、拳を握り締め構えた。
特殊体質者は思念力を練り上げ纏う事で、自身の肉体のポテンシャルを百パーセント発揮できる。だが、それは咄嗟に行うには決して易くない技術。羽黒レイはそれを土壇場でやってのけたのだ。
「……」
対する男は言葉を発さなかった。その表情には何か激しい感情の起伏は見受けられない。
凪いだ水面のように平静な瞳の奥は無感動無感情無関心に染まり、冬のシベリアのように冷たく、今こうしてレイが立ちはだかっても眉ひとつ歪めやしなかった。
犯人の持つ拳銃は──どんな仕掛けがあるかわからない為、当たらないのが理想ではあるが──怖くない。異形型は獣を超え鬼を凌駕する、銃火器では殺されない。
怖いのは、犯人自身だ。つまり、射撃の実力、殺人への慣れ、不気味なまでの冷静沈着さ、間違いなく軍事的訓練と実戦経験を経たプロに違いなく、そんな人物が何か意図を持ってこの凶行に及んでいるという事だ。
「ッ」
犯人が後退しながら無言でレイを捉えて即座に照準を合わせると二度、引き金を引いた──と、同時に、レイは姿勢を低くしながら頭部と胸部の急所を両腕で庇いつつ、犯人よりも更に素早く踏み込んだ。
弾丸の一発が頬を掠める。もう一発はガードした腕に命中した。だが、ひしゃげた弾丸がこぼれ落ちるだけで効果は無かった。
レイが挨拶代わりのジャブを突き出せば、犯人は後方へ向けた重心を利用して上体を逸らして間合いを空けながらフリーの手でジャブを叩く──が、馬力がまるで違うのだ。身体に掠めるとそれだけで後方に突き飛ばされ、バランスを崩し転倒した。
「はッ」
レイは足元に転がる拳銃を足で後方に蹴飛ばすと、立ち上がろうとする犯人に追い討ちをかけるように近づけば、勢いよく前蹴りを放つ。
転がるようにして犯人は身を躱したが──ゴシャ、と銀の握り棒がひしゃげた挙句、留め具が壊れて外れて吹っ飛んだ。
犯人はよもや車両の端に追い詰められた。しかし、彼は立ち上がりながらブーツに仕込んでいたのであろうナイフを抜き、構えた。
「!……」
レイが目を見開いた。
拳銃とはまるで脅威度が違う。思念力を纏わせ、特殊体質者の腕力で刃物を叩き込むのならば、確かに命に届きうる。
「やッ」
間合いは相手がやや有利。しかし、速度も馬力もこちらが上であるともなれば向かわぬ道理はない。レイは恐れを殺して、前へと踏み込んだ。
ヒュン、と首元に目掛けて振られる刃の鈍い煌めきは獲物に到達するより先に、動体視力、空間把握能力に優れるレイの眼が確かに捉える。
その刃が首を抉るより先に、レイがそのナイフを振るうその手首自体を握り止めれば、すんでのところで攻撃は停止する。まるで鋼線を用いミシンで縫い止めたかのようにガッチリと拘束するその握力は尋常で外すのは先ず不可能だ。
「っ」
レイが力を込めながら手首の骨が嫌な音を立て、軽く捻れば自由はよもや効かない。痛みに耐えかねた犯人は、初めて顔の色を変え、声を上げた。
悶える犯人はナイフを床に落とすと、レイを蹴り付ける。が、効かない。
「〜!」
と、犯人はもう片手で隠し持っていたナイフを抜いた。
そして、その切先をレイの腹部目掛けて突き刺しにかかる──が、次のナイフの刺突をレイは犯人の手首をもう片手で捉えればその腕力で強引に抑えるという、何とも先程と同じ結果となった。
鳥類は、いくつかの位置を同時に注目できる。
レイは犯人の手の動きを見て、次を予測していたのだ。
両腕を封じたなら、レイはそのまま犯人を強引に押し倒すようにして、壁に挟めば片手で両の腕を抑えつける。
犯人はジタバタと暴れようとするが、力の差は歴然である。
レイが、もう片方の拳を握り締める。
そして、次の瞬間、ブンと低い音と共に強い衝撃が、走った。
「う……」
レイの視界が揺れ、雨に濡れた車窓が一気に拡大される。まるで液晶パネルを指二本で開くようにするあの動作をした時のようにだ。但しこの場合はそのまま零距離に至り、ガラスが盛大に割れる。
今彼は車窓に叩きつけられ、ガラスを破り車外に落ちかかっていた。冷たい雨風を身に受けながら、しかし、何者かが足を掴んだ為に落ちずに済んでいた。
これは、ラッキーな事ではない。そのまま外に出て咄嗟に翼を広げて飛べる方に賭けた方がマシであった。
「くそ……っ……」
これは共犯者であろう。つまり、どんなに良くても一対二。親友は殺された。
すぐさま動くには重いダメージに、レイは荒い息と共に悪態を吐いた。脇腹に受けた強烈な衝撃はあの犯人の蹴りの比ではなく、よもやレイ自身よりも上のパワーとも考えられる。
すると、いきなり乱雑に体を引き上げられ、視界に敵を捉えるより先にまたも強烈な衝撃が走る。
今度は顎だ。
一度天井に叩きつけられて、レイは床に墜落する。
「ぐ……」
脳を揺らされ、床に両手をつきながらレイはゆっくりと視線を上げた。
そこにいるのは大柄な異形。その身に携えるのは複眼と翅、蜻蛉の異形だった。
「遅い!全く、死ぬ所だった」
フードの男が蜻蛉に怒鳴る。
「敬語は」
蜻蛉の異形は男の方は向かず、レイを見下ろしながら短く冷淡に返す。
「遅えんだよ、死ぬ所でした!これで満足か?」
「他の客は奴が始末してる、お前も早く手伝って来い」
蜻蛉が言った途端、銃声が響く。
フードを被った男が去っていった。他にも仲間がいるのだ。
「止め……ろ……」
鉄の味を飲み干してレイは声を絞り出せば、立ち上がろうとした。
瞬間、蜻蛉の蹴りがその腹に捩じ込まれる。
「っ!」
レイの体が浮き、ソファにダイブした挙句電車の壁に打ち付けられ、体を何とか起こそうとし──と、揺れる視界を上げれば、そこには重低音の羽音が響かせ終えて、握り拳を振り上げる蜻蛉が眼前にいた。
「なにが、目的だっ……!」
顎にもらった攻撃、それが効いていたのもあるが、何より車両の奥にいかねばならないというレイは、ペースを握られていた。
「タフな奴だ」
蜻蛉が静かに言えば、更に幾発もの鋭い打撃がレイのボディに深く沈む。抵抗しようと殴り返しはするが、よもやまともな反撃にはならなかった。
ヒトは、無力だ。特殊体質者も所詮個人。同族の群の力には勝てず、また一度許した優勢を個の力で巻き返すのは不可能に近い。
レイは殴られるうち、気が付けば彼のもとにいた。
「……マコト……」
レイは立ち上がろうとして、しかし、膝が立たないようだった。折れた肋骨を庇って、吐く息は何とも苦しげだった。
そんな中、真っ先に撃たれた親友がレイの視界に入る。もし、彼が撃たれていなかったら、結果はどうだっただろうか?ふと過ぎるレイのそんな思いはまるで無意味な回想だ。
彼はもう動けるようには誰の目にも見えず、そして現実に割って入ってレイを救いはしなかった。
「ごめ、ん……」
衝撃が走り、そのまま黒翼の少年は仰向けに倒れた。
歪んだ天井が遥か遠くにあるようにレイは感じた。動かない体を蜻蛉が押さえつけ、首元に何かを刺したような痛みが走る。
車両内で響く悲鳴は、いつの間にか──少なくとも今は止んでいた。それ以外の詳しい事を、少なくともレイにはわからなかった。




