第十一話 トレイントレイン①
ガタン、ゴトンと、揺れる電車。
マコトの極彩色の瞳が、秋雨に濡れる窓越しに覗くのは1990年代の異変とそのショックから立ち直った首都、高々と天を貫かんばかりに乱立する高層ビル群だ。
地方から人口を吸い上げていつみても呆れるほど壮大になった大都市は、夜となれば美麗な夜景すら生み出す人々の営みと成長の結晶である。
そんなビル群だが、今日は闇と光のコントラストや夕焼けの演出を欠いている。その代役は光を遮る曇りの空と、冷たくも淡々と降る雨であった。
彼らを通して見ると、成長と繁栄の一辺倒に我こそがと並び立つ人工物達に特有の無機質さが滲み出て、何か巨大で奇怪で、ちっぽけな人間共を食い潰し循環させながら鼓動する不可解な生き物に思わされる。
特殊体質者は自ずと都会に出る、彼らにとり田舎の村社会ほど馴染み難いものはなく、また、特殊体質者に対応した病院などの施設も設置されていないからだ。
ここ、古斗野高校を走る沿線には、特殊体質者専用車両が設置されているが、これもまたその一例だろう。試験的な導入だが、いずれ他の都市でも導入されるという話である。つまり、多くの特殊体質者は他の人々の例外になる事なく、この巨大な生き物の一部であった。
特殊体質者専用車両、マコトはいつものように座席に腰掛けて、そして、いつものように相棒と駄弁る。
「で、どうだったのさ」
翼を折り畳み縮こませながら座席に座るレイが、隣のマコトに話しかける。
「……どうってなにがさ」
マコトは無駄とわかってシラを切った。レイが問いかけている事は十中八九、牧野シロと何をどんな風に話していたかである。
「もう!牧野さんといい感じだったでしょ」
手応えのない答えにレイがたまらず明言して聞き直すと、マコトはほら来た──というような様子で、口をきゅっと結びながら目を逸らす。
「大した話はしてねーよ」
やや興奮気味に話すレイに対して、マコトの反応は明らかにはぐらかすようであった。正に、暖簾に腕押しというようなものであるか。
「え〜、大した話じゃないなら何話したか喋ってくれたっていいでしょー?」
と、レイはもっともらしい理由を付けながら食い下がる。
「色々あんだよ」
マコトは、困ったように頭をかく。
「あはは、もう照れちゃって〜……いやあ、あのマコトに遂に春が来たなんてなあ、頑張んなよ〜?」
レイはニコニコと楽しそうな笑顔と共に、暖かい目線を送った。
「あんま囃し立てんな。どういう感じか俺にもまだ、よくわかってない」
困り果てながら、マコトはいった。
実際、春が来たかと言われればそうとは明言しきれないもどかしい所がある。
牧野シロに必要なのは詠航マコトなのではなく、同じ価値観や同じ感覚を持つ人間なのではないかという前提が、マコトにはあった。しかしながら、シロと何か互いに何か意識する所があるのでないかという事から目を逸らす事はできないし、現に全く意識しないという事は18歳思春期真っ盛りの彼に可能なところではない。
「……なあ、レイ」
マコトは周りの乗客をさりげなく、絶え間なく観察していた。
今時は都市、特に首都沿線の鉄道は全てリアルタイムで車内を監視可能なカメラが設置されている。
それでもどこか緊張感を纏い、隙がないのは職業病予備軍かつ、秘密の任務を帯びるから。
「何さ」
どことなく真剣な口調で話しかけてくるマコトに、レイが問いかけた。
「いきなりだし話変わんだけど、ちょっとした相談というか、まあ相談的な」
マコトは何か考えているような様子でいった。ちょっとした相談、あるいは相談のような、若しくは相談じみた話であるか。
「ホントにいきなりだね、なんだよ相談って」
前置きからして大袈裟なものではないであろう事だろうが、誰相手でもこの気分屋がわざわざ改まって相談があるなど言ってくるのは当然珍しいことである。
レイはもちろん、この話を聞く姿勢に入った。
「免許の書類の事なんだけど」
普通やっておくべきことをやっていない、これは当然褒められたことでもない。が、マコトにはそんな事どうでも良いらしく、さらりと言った。
「えっ、君まだ出してないの?」
レイは思わず怪訝な表情で聞き返した。
「いや、明日出す!出すんだけどー……ヒーローネームまだ決まってなくて、候補あるにはあんだけど」
名前とは、ヒーロー活動用の名前の事である。
当然、この命名はヒーローの卵達にとって必殺技の考案と同じくらいには盛り上がる行事だ。
しかし、既存のヒーローとあまりに類似するものなどは認められず、版権キャラクターの名前などとモロに被ってはいけない、などと少々難しくある。
「そういうこと?わかった、とりあえず言ってみなよ」
レイは任せなさいと頷いた。
「まずは、パワーマン」
マコトの第一声は、これでも大真面目であった。
「ダサい」
驚きの命名にレイは一言、そう返した。
「スマッシュマン」
ならば次はどうかと、そんな意気すら感じさせるマコトの堂々とした発声が凛となる。
「……続けて」
是非に及ばずとはこの事か、最早レイはツッコむのを止めていた。
「エクセレントパワーマン」
極彩色の瞳をキラキラと輝かせて、微かに桃色がかった白髪を撫でる。
そして、マコトはキメ顔でそういった。
「あの……マコト……」
このレイの表情をなんとするべきか。何かを堪えるような、それは苦悶に近い複雑な表情であった。
他人事とすれば笑い事であるが、しかしそれより先に親友がまさかそんな名前でデビューするという心配がくれば最早笑う事すらできぬだろうか。
「なんだよ」
悲しいかな。その口調、様子、態度、当人にその気は無いようである。
「とりあえず全部没ね、マンから離れたのある?」
眉を顰めるレイの心情は推し図れない。
元より、マコトはヒーローなどのアイドル的なブランド的な活躍や名声に興味があるタイプではないが、そうであれ、これは、余りにもであろうか。
「……ミサイル」
全て没と言い放たれたマコトは何か言いたげな様子だったが、渋々と続きを並べた。
「んー、物騒」
と、レイがまたもぴしゃり没の一言。
「バレット」
マコトが続ける。
「縁起が悪い」
レイは首を横に振った。
「なんでさ」
「弾丸は撃ったら戻ってこないだろ。それに、君は銃を使うタイプでもないし」
問うマコトに、レイは答えた。
これにはマコトも納得したのか、なるほどという様子で頷き──。
「じゃあ、ブーメラン」
「いや、そうじゃなくて」
レイはため息と共に、また首を横に振る。
「テンペスト」
マコトの言葉は続く。
「一番マシ。でも、風はまだしも嵐はあんまりでしょ。最初期グレートチームの別名、嵐殺しもあるからね」
嘗て日本を襲った風神雷神の姿をした天変地異を齎した嵐の怪異生物。配慮を必要とする今時であるからか、その手の名前は推奨されない。
「……テンペストってそういう意味だっけ?」
マコトは首を傾げた。
「テンペストは嵐、逆になんだと思ったの」
レイは答えを言いながら、逆に質問を行った。
こうして態々相談していなければどうなっていたのやら。
「知らねーよ、なんか語呂いいからパッとな」
マコトはそのザックリとした発想と説明からお察しの通り、今の所ブーメラン以外には意味を込めて名前を考えていない。
「もうちょっとくらい考えなよ」
レイは呆れ半分にアドバイスした。
個人差こそあるが凝る者であれば、この命名は大事に考える。売れようというのなら戦略的に、自分なりの覚悟や決意を込めるものもいれば、誰かから貰うものもある。もちろん、語呂と雰囲気で決めるものもあるが、それでも大抵のネーミングセンスはもう少しマシだ。
「えー……やだよ、めんどくさい。というか、お前はどんなにするんだっけ」
マコトは唇を尖らせながら、そもそも相談を持ちかけておいてよもや面倒と宣った。
されど美形は美形のまま、パワーマンなどと言わなければこれが残念に見えることもなかっただろうか。
「前にも言ったでしょ、あのまま出したよ」
レイは言った。
「あのままって……」
マコトはまさかというような表情をした。
「†黒鳥†」
レイの命名もまた特殊であった。
「本気であれで出したの?」
「そういうキャラ付けでやっていくんだもん」
マコトの困惑混じりの問いかけに、レイは言い放った。
敢えて理屈を付けるなら、他に中々ない名前ではあるからこそ目につきやすく、キャラクターも作って発信していけばファンの獲得に有利という所だろうが、レイの名乗るヒーローネームは何よりも本人のセンスである。
「キャラ付けてやるのは大変だろ」
マコトはいった。
「やるの僕なんだからいいでしょ、マコトこそどんな感じのキャラでいくのさ」
レイはいった。
多少の苦労は覚悟の上だろう。命名のみならず、ヒーロー活動はどのようなイメージを持たれるかを考えて行う必要もある。キャラクター性や話題性を武器にして人気を博す者は確かにいるのだ。
「仮面被って無口キャラ。アレだよアレ、クール系クール系」
そして、キャラクター性、メディアを相手にした巧みな振る舞い、大衆の心を掴む話術……マコトには無縁のものである。
「パワーマンで……クール……?」
レイは訝しげにいった。
「あー、うるさいな。俺はもうネタ切れだよ、全く」
マコトなりに頭を捻って出した名前だったのだろう。傍から見るといかにも弱ったという風に、ため息混じりにその桃色がかった白髪の頭を掻いた。
「仕方ないなあ、一緒に考えてあげる」
「助かる」
目を細めるとレイは柔らかい口調で、それでいてすとんという擬音の付くような声で助けを申し出た。
無論、マコトには有り難い話である。
「でも、どんなイメージなのさ。ジャンルとか希望とかないの」
レイは膝に肘をつくと、隣のマコトの顔を覗き込むように見据えて問うた。
「そうだなー。何か、こう……強そうで、うわコイツとはやりたくね〜……みたいな感じ、そんで俺っぽい感じ。あと、クール系。もちろん、カッコ良さマシマシね」
自身からアイデアは出ないのだが、注文となると実にすらすらと並べられるものである。
「そっち系ねえ、うーん……でも、マコトっぽさかあ」
「ほ〜ら、いざ考えてみると難しいだろ?!」
頼っておいて、少し悩んでみせられれば大袈裟なまでにその困難さをマコトはアピールした。
「でも、エクセレントパワーマンはない。絶ッ対ない」
レイは首を横に振りながら、絶望的な名前を蒸し返す。
口にしてみて呆れるほど冗談じみた名前だが、そういうキャラでいくなら、それはそれで──と、ふとレイの脳裏に過ったがクール系は絶対にないのであった。
「うるさい、ダガーマーク食わすぞ」
尖ったセンスというのは二人共にお互い様であった。
「は〜〜、失礼な!もう考えないよ〜??」
レイはいうと、勝ち誇ったようにニヤリと笑みを浮かべてみせた。
「……ゔぁー、降参降参。悪かったから助けてくれよ〜、お願いっ」
マコトはうへえと舌を出して妙ちきりんな声を発しお手上げのポーズをとったかと思えば、両手を合わせてわざとらしく頼んでみせた。
「仕方ないなー……あっ!」
はいはいと応えていたレイは思考が急回転した時の典型例らしく一声あげると、手のひらにポンだなんて擬音が聞こえてきそうな具合で、拳を置く。
「なに」
「パピーとかどう」
「引っ叩くぞ」
悪戯っぽく笑うレイに、気が強いマコトは体は小さいが弱いつもりはさらさらないというように眉間に皺を寄せる。だが、寧ろそんな風だからこそ、そう映るのかもしれない。
「いや〜、ユウたちがね?はは、冗談だよ」
レイはへらへらと笑った。
「……くそ、そんなあだ名が……」
「毎日牛乳飲んで、早寝早起きしなさい」
提示されたのは低身長の模範的、解決方法である。当然、そう真面目な指導ではない。
「牛乳は毎晩飲んでる」
マコトにとっては、レイの思うよりずっと深刻な問題のようだった。
「本当か。早寝早起きでしょ、じゃあ」
「うるさいな。ちょっと色々忙しいんだよ俺も」
成長期はもうほとんど過ぎているが、爆発的な成長の気配は全くなかった。
「はいはい……」
「……で、締め切り間近だけどまともなの出てこねえのかい、先生」
「そもそも君の締め切りだろ。まアまア、こんな事もあろうかといいのがあるからさ」
確かに締め切りを過ぎてまずいのはマコトであって、レイは毛ほども痛くない。が、それはそれとして受けた注文にはきちんと答えるようだ。
「今度こそまともな奴かね?」
「とりあえず聞きなよ」
やや疑るマコトに、レイはさぞ自信があるらしく胸を張っていった。
「オーケー、聞いてやるよ」
「ブレイカー。どう、イイでしょ」
レイはいざその名前を語れば得意げに微笑んだ。
「……イイ響きだな、気に入った」
マコトはいった。
端的かつシンプル、長過ぎず短過ぎず、何となく格好良さげな濁音付き、マコト好みである。
「でしょ?」
独特の感性を持つ二人であるが、その響きの良さという点に関しては同意見のようだった。
「そーいや、意味はあるのか?」
「うーん、なくはない。けど、まんまって感じ」
「おいおい、変な意味ねえだろうな」
マコトは冗談じみた調子で問いかける。もちろん、本気で疑う訳ではない。そんな事は後から調べれば済むからだ。
「もう、そんなことするわけないだろ」
レイはいった。
「そう?なら、いいや。そうだなあ、名前はこれに決め──」
電車のガタゴタという鼻歌に乗せて、名前を決定する、正にその時のことだった。
聞き慣れない乾いた音が、パンと響いた。
瞬間、マコトの額に衝撃と何か熱い物が皮を突き破り骨をグシャと抉る感触が走る。
ビチャともグシャともつかない嫌な音と共に飛び散った鮮血は、レイの頬を温かく濡らした。
白い柔肌を赤く染め上げながら、少年は世にも珍しい極彩の瞳孔を瞼が重たげに覆う。そして、彼はぐったりと力なく座席に身体を投げ出せば、崩れ落ちた。
「──マコト?」




