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BREAKER  作者:
第1章 「電車襲撃事件」
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第十話 秋雨


 校舎の屋上で、一人曇天を見上げながら煙を吐く少年が一人。


「こりゃ、一雨くるかなあ」


 その日の煙草は、やけに美味い。そう感じたマコトはふと呟いた。

 煙草の味は、湿度が関わる。その関係で雨の降る日は美味いという、正にそれである。


 そこは常に眼下の喧騒、日常のひと気とは隔絶されていて、学舎の営みの空気がすぐそこにありながら、だからこそ遠く感じられた。否、遠く感じたい日もある。


「堂々と吸うね」


 マコトの背後から語りかける男が一人。

 振り向けばそこに立つのは、蜘蛛の異形。

 大柄で筋骨隆々、横並びに四つのつぶらな瞳が二列にかけて計八個。

 恐ろしげなはずの容姿だが、しかし──特にマコトの世代は──テレビや広告で幾度と見てきたお陰で間近で見たとて恐ろしいとは感じない。

 人の慣れとは、そういうものだ。


「……俵先生!?……その、出張は……」


 かけられた声に振り向くとまさかの登場。マコトの背筋は自然と伸びる。

 先生とは言うが、不在も多い。それにはやはり組織のことも含まれるのだろうが、何をしていたのやら聞く勇気はマコトになかった。


「帰った所さ、詠航君。それはそれとして、火を貸しちゃくれないかな」


 と、俵は言いながら、マコトの隣に立つ。その懐から覗くのは、赤いLARKの箱だった。

 そして、取り出した煙草を咥えながら、蜘蛛男はまるで友人と話すかのように問うのだった。


「……どうぞ」


 マコトは2メートル近い巨躯の教員を見上げるようにして、彼の咥えた煙草に着火したライターの火を近づける。

 もし誰かがこれを見たら、小柄なマコトはより小さく、大柄なこの先生はより大きく見えたろう。


「君は、よく吸うのかい?」


 俵は、実に美味そうに煙を吐いていった。


「知ってるでしょ、先生」


 組織は、よくマコトのことを調べ上げている。好みのラーメンのトッピングすら知るのだ。ならばそれくらい知るはずだと、少し冗談じみた調子で言葉を返した。


「……いやはや、悪いね。美味いかな」


 異形の表情はわかり難く、付き合いが長くなければ滅多に読めない。が、これは愛想笑いに違いなかった。


「はい。煙草が美味いってことは、つまり、健康ってことですから」


 嗜好品を楽しめるかどうかもまた、健康かどうかという所に含まれるとマコトは考えるようだった。


「はは、違いない。……何事もだが、程々にね」


 この大らかな教師もまた似たような意見のようだった。


「先生、なぜここに。何か、御用があるんで?」


 まさか煙草を吸いに来たわけではあるまいと、マコトは問いかけた。


「ヒーロー免許、私は例の書類に目を通すことになっていてね。君、まだ出していないだろう?その催促ついでに、世間話でもね」


 俵がそういうと、マコトは困惑ながら首を傾げた。


「先生、俺はヒーローになれないんじゃ……」


 組織にいる以上、そんな暇や余裕はなく、またマコトの役割でもないと、例の金髪女、鷲律に突っぱねられた事は、流石のマコトでも記憶に新しかった。


「けど、資格は取れる。将来、組織を辞めることがあればその後、ヒーローになることもできる。だから、取っておきなさい。……意外だね。もっと、丁寧にやっていくタイプだと思っていたよ」


 俵は諭すように語る。

 

「……わかりました」


 マコトは──書類を完成させるかはともかく──ここは素直に答えた。


「あの、先生は……最近国のやってる、例の適性検査って、どう思います」


 そして、今度はマコトから話題を出した。


「遺伝情報解析、脳検査、人格適性検査……だったかな。けど特殊体質者はあまり……やっぱり能力が重視されるだろう?」


 俵がいった。

 国が主導し、就職を支援する制度。

 異変による世界的不況と見えていた終身雇用体制の崩壊、転職市場の活性と人手不足の業界に人を注ぎ込む為の政府の施策である。


「はい、普通の人達は大抵、検査結果に従って進路を選択します。数年前からは、特に大手は検査と足切りのペーパーテスト、面接を経てからの採用が主流になりましたね」


 マコトは頷いた。

 政府がより強い権限を持つ、否、強権的な支配体制無くして国家の維持ができない時代だからこそ実現可能なシステムである。

 新卒以外にも職にあぶれた人々も、この検査を利用することで転職を上手く進められるというのが、専ら喧伝されているが……。


「うん、ヒーロー業界も一部は選考に採用し始めてる」


 俵はいった。


「じきにどこもかしこも、そうなるんでしょうね」


 マコトはいった。

 どこもかしこも、これはヒーロー業界のみならず、この先全ての就職活動でそうなるのだろうというのは自然な話であった。


「政治的な発言は、教員としてあまり出来ないが。私個人としては、あまり好かない制度だ」


 俵はあまり変わらない口調でいった。


「……どうでしょう。そんなのなくたって、元々勝ち組になれるのは限られた人間だけ。学歴、才能、生まれた家、受けた教育、余程の幸運……スタートラインに立つ条件が多少厳しくはなってもそんなに変わりません。代わりに皆んな適性のある職業に就けますし、向いてるものがわかります」


 形式上、就職先の選択は自由。だが、企業が採るとは限らないのもまた当然。

 そして、企業にとり、それは差別でなく能力と適性を重視した、悪意なく機械的に為される区別に過ぎない。


「よくニュースでもそういう風に取り上げられてるね……おっと、灰皿借りても?」


 俵がいった。


「どうぞ」


 マコトは携帯灰皿を取り出して、彼に向けて差し出す。俵はそこに灰を落とし、マコトもまた、同じように灰を落とした。


「まアー……なんですか、果物と同じです。花形としてそのまま出荷するか、訳あり品として売られるか、ジャムやジュースに加工するか。自動化しただけです」


 世間話とやらを、マコトは再開する。

 人的資源を的確に選別しそこから最大の利益を産出する、資本主義。

 その正しさ、合理を、マコトは諦めに満ちた口調で語ると、煙草を咥えた。


「人は、果物じゃない」


 俵は首を横に振った。

 つぶらな八つの瞳がマコトの極彩色の瞳を捉える。


「機能も適性も大事だが、それが全てじゃない。人間はそういうものでは、測れない。何に向いているかどうかわかるなんてのも、その検査が真に平等で公平な前提の話だろう?」


「行ってるのは政府機関じゃ……」


 マコトは、言い淀んだ。

 誰に聞かれているかもわからなく、目の前の元ヒーローもまた、そうした社会のシステムに組み込まれている。寧ろ、そうした裏側を知るからだ。


「ああ、そうだ、そうだったね。だからこそ、公正であることを祈るよ」


 静かに、俵はいった。


「……それって」


「公正であるべきだと思うのは、当然の話だろう」


 教師、あるいは秘密組織に所属する元大物ヒーローは、マコトの言葉を遮った。


「……そうですね。まア、俺はヒーローにはまるで向いてませんでした。これじゃ大手は厳しいです」


 それ以上の追求はせず、マコトは話題を変えた。そう、それが問題である。


「何か大手に行きたい理由が?」


 ヒーローになれるならどこでもという生徒もいれば、大手こそ、どこかの事務所でこそ、という生徒も多様にいる。

 何かそういうこだわりがあるのやらと、俵は問いかけた。


「……大手はやっぱり、得られる物が違います」


 マコトは答えた。

 もちろん、得られる物とは金と名誉だ。だが、それだけでもない。どうせ命懸けとなるのがヒーロー、折角ならばより安定した大手事務所を目指すというのは当然の話。


「ウォートルス事務所は考えていないのかい?適性検査を採用していないし、古斗野からなら羽黒君もいる」


 それは元々俵という教師が、グレートスパイダーが、この国でも古い一人のヒーローのチームが存在する事務所である。

 その選考に彼が関わるかは不明だが、しかし、名に挙がるということは決してマコトに不可能でないと他でもない元リーダー、グレートスパイダーが考えているということだ。


「いるから、駄目なんです」


 マコトは、静かに答えた。


「?……君たちは仲の良い友人なんだろう」


 グレートスパイダーは、首を傾げた。


「いえ、そんなもんじゃないです。あいつは親友で、だから……」


 マコトは遠くを見つめて、そして言葉は途絶えた。


「……俺はなんとなく古斗野に来ました。そして、このまま、なんとなくあいつに着いて行くんじゃ……一生あいつの後ろにいる羽目になる。それじゃあ、駄目なんです」


「……」


 言い切って暫くの間、続く言葉も返す言葉もなかった。

 暫しの沈黙の間、二人は黙って煙草を吸っていた。煙を吐き出す音、息づかい、そして、遠くから聞こえる喧騒が全てであった。


「……なんであれ、進路は君が決めることだ」


「私から言えることは、ちゃんと悩むことと、友達は大事にした方がいいということだけだ。一緒にいないこと、一緒にいること、それは全てじゃない」


 俵先生という教師からの、或いはあのヒーロー、グレートスパイダーからの、もしくはその双方からのアドバイスであった。


「……そう、ですね」


 マコトは、ただそうとだけ答えた。


 それから、二人は何か会話らしい会話のような言葉を交わさなかった。

 その教師は程なくして煙草を吸い切るとやはり忙しいらしい。いそいそと、踵を返す。


「ああ、コレ、絶対内密なんだけど……今度、()でユラナ主催の()()()()()をやるんだけど」


 蜘蛛男が背中を向けながら告げる。


「ユラナ……えっと……」


 その言葉の意味する所が、いまいちピンとこないようでマコトは首を傾げる。


「ホラ、金髪の……面接した」


 と、教師は立ち止まって言った。


「ああ……なるほど、それで、何か……?」


 ユラナとは、鷲律ユラナである。獰猛な瞳と金髪、そして猫科の猛獣じみた威圧感を纏い、マコトの面接を行ったかの美女のことであった。

 かの教師は前にその鷲律と同じ扉を通っていった。親しげに名前を呼ぶ辺り、何か個人的な関係があるのかもしれない。と、マコトはふと思い当たりながら疑問符を浮かべた。


「君は新入りだし、何より羽黒君との()()があるから未参加だろうが……牧野さんは参加する」


「一応、伝えておこうと思ってね。それじゃあ」


 それだけ言って、蜘蛛は去った。

 マコトはあまり長居すると、今度は前の時のようにレイに捕まってしまう。

 教師が去ってから、間も無くして帰ろうという途上、


「……あ」


 ふと、歩みを止めて呟いた。


「名前、どうしよ」






 今日の夕方はやはりと言うべきか、雨だった。

 校門の周りでは、雨具を忘れた生徒が傘に入れてくれと友人に頼んだり、三人が一つの傘に押し合うように入ったり、途方に暮れたり、鞄を傘代わりに走り去ったりと十人十色の光景である。


 マコトは遠い空が仄かに朱に染まる中、しとしとと降りしきるそのもの寂しい光景を前にして、思わず眉を顰めていた。

 別に雨を憎む訳ではないし、傘を持たない訳でもない。ただ、同じ絵一つをとってもそこに何を見出すかは人それぞれである、マコトはこの雨にもの寂しさを感じるような自身の惰弱さに本能的な不快感を示していた。


 こんな時、奥ゆかしい平安貴族ならきっと気の利いた句の一つでも詠むのだろう。しかし、今は風流に凝る時代ではない。時代はともかくそもそもマコトは貴族というような柄でもない。そして、詩人を志望する訳でもなかったから、やはり、今ノスタルジーに浸るような感性はまるで必要なかった。


「結構降ってるね」


 黒翼をふると震わせて、レイがいった。


「そうだな」


 マコトはいかに下手であれ、態度に出さないよう努めたようだった。そして、表情も極彩色の瞳の奥の冷ややかさも声の調子も、全てについてレイにはご機嫌斜めであることを気づかれているに違いなかった。


 あの日以来、マコトがどこかヒリついた緊張感を放っていた。

 傍目から見ても少なくとも周囲が気づくだろう程度には、何らかの異変がマコトに起きているのは明白だった。


「……マコトさ、最近どうしたの。なにかあった?」


 レイは問いながら、雨具を通学用のトートバッグから取り出した。

 その漆黒の翼は濡れると厄介で、何より濡れた感触は不快なのだ。ゆえに手間ではあるが、雨合羽を切って縫い合わせた自作の雨具で翼を覆い、傘を差すのだ。そして、レイはもう慣れっこなのか、機嫌には出さずそうした手間を淡々とこなす男だった。


「……別に、いつも通り。何もないし、何も気にしてねえよ」


 予想済みの質問への回答は、いやに平坦な声音でぶっきらぼうになされた。そして、そのらしくなさを本人は自覚こそしていないが、それは最早何かあったと声高に言うようなものだった。


「着けんの、手伝うよ」


 すぐに気を取り直して、翼に雨具を装着するのをマコトは手伝う。答えの有無は言わさず、着けかけの雨具を手に取ると翼に通していく。


「ありがと」


 横に立つマコトに、レイはいった。

 マコトが組織に入った日は、レイと衝突した日でもある。

 その日以来、何の理由か様子がおかしいのだ。しかし、本人から話すつもりのないことは火を見るより明らかで、ならばこれ以上レイにできることはなく、理由を知り得る機会はなかった。


「……」


 マコトは、少しの間だけ返答しなかった。気が付いていないようにも見えた。

 冷ややかな秋の空気を吸って、胸につっかかる何かと共に吐き出そうと試みる。


「じゃ、今度なんか奢って」


 マコトの試みは上手くいかなかった。だが、ふと隣を意識してそこにいつも通りの気配と息遣いを感じられることを思うと、気分はいくらかマシになる。そして、いつものように現金な人間の振りをして冗談めかして笑った。


「にしても」


 マコトは、幾つか穴をこさえた安物のビニール傘を差して先に歩き始める。

 雨というのは傘の奏でる音を聴いてはじめて、実際問題それだけ降っているのだなと解ることがある。


「よく降るな」


 今日の演奏(あめ)は元気が良い。そう思えば、沈んだ気持ちが少し軽くなることをマコトは知っていた。






「ごめんねえ。入れてもらって」


 山﨑ルリは相合傘と洒落込むその相手に礼を言いながら、少し照れくさそうに目を逸らす。


「気にしないでください。困った時はお互い様ですわ。ほら、きちんと入らないと濡れてしまいます」


 シロはそう言って、ルリの身をこちらに寄せた。

 シロかの体温というのは普通外気より遥かに冷たい。そういうわけだから気を遣ってなのか、それ以上二人が近寄ることはなく、僅かな間には微かな冷気だけが漂っていた。


「ありがと〜!」


 ルリは、明るい笑顔でいった。

 抜群のスタイルと美貌を持つシロとこうして並んでいると、はて外から見ていかがなものかと少し難しい感情をルリは覚える。だが、シロの男子の様に高い背と響く凛とした声、艶やかな黒の長髪、透き通るような美貌に比べれば、そうした悩みは遥かに矮小だ。

 ルリが今悔やむのは赤髪の調子が雨のせいで上々でない事だけである。


「ルリったら、また忘れちゃって〜。シロのファンに怒られちゃうわよー」


 隣を歩く月下ユウは、やれやれと肩をすくめた。


「私は許されてるからいーのー」


 そういうと、ルリがにへらと笑った。


「ルリには敵わないわねえ。あっ……あれ、羽黒くんとパピーちゃんじゃない?」


 下校途上、様々な姿形をした学生が道ゆく駅への道。

 ユウがふと、先を歩く二人組を指差した。

 傘を差していても、レイはその黒翼でよく目立つから一目見ればわかるし、マコトもまたその薄い桃色がかった白髪から同じだった。

 そして、そんな二人組であるというなれば、まず間違えることはない。


「ふふ、パピー……」


 シロが口元を抑え、くすと笑った。


「もうユウったら、シロちゃんツボってるじゃない」


 そういって、ルリはからりと笑った。


「シロから言い出したんでしょ〜、なんだか子犬みたいだって!だから、ヒーロー名パピーがいいんじゃない?」


 ユウが呆れながらいった。


「ぽい顔はしてるよねえ〜……でもそのパピーちゃん、最近元気なさそうだけど。羽黒くんから何か聞いてないの?」


 ルリは、ユウに問いかけた。

 最も事情を知るのは、恐らくユウだからだ。


「ううん、特には……レイったら、いっつも詠航くんの話してたのに……最近はあんまり聞かないわ……お昼は相変わらず詠航くんと食べてるけど!」


 ユウは首を横に振ると、つらつらと実に饒舌に言い始めた。

 勿論、このような話を二人は何度か聞いているし、愚痴や文句というよりは、冗談っぽかった。


「えー、あらやだあ、奥さん。嫉妬〜?」


 ルリがからかうようにいった。


「別にぃー、そーいうわけじゃないです〜!……まあ、レイには大事な友達だしね。レイみたいな体質の子は……人付き合いが苦手な子が多いわ。そういう子にとって友達ってすごく貴重だし、私もそれは理解りたいから……まあ、パピーちゃんについては進路決まる時期で、少し緊張してるんじゃない?」


 ユウは言った。


「色々、大変だものねえ」


 ルリは頷いた。


「そーいうこと。それにぃー、私ちゃんと愛されてますし〜?ルリこそ早くイケメン捕まえなよ〜?」


 ユウは冗談で言葉を返す。


「言われなくても、すぐに捕まえますぅ〜……あら、なになに、シロちゃん詠航くん見つめてちゃって〜!また考え事?話しかけてきたら〜?」


 ルリはユウに返したのと同じ調子で冗談っぽく言えば、今度はシロに話を振る。


「……ああ、いえ、そうしましょう。月下さん、山﨑さんを、お願いしますね」


 そういうと、シロはルリの背中に手を伸ばした。硝子細工のような長い細指が、優しく撫でるように、触れるか触れないかというくらいに、ほんの微かに触れる。

 その氷のような冷気がルリの背中を布越しに届くことはなく、故にルリはそれに気が付かない様子だった。


「お引越しー、次シロちゃんが忘れたら私が入れたげるからねえ〜」


 ルリが体をわずかに横にもたげてシロの肩に触れると、上目遣いに顔を覗いていった。


「ええ、そのときはお願いします」


 シロはただ、微笑んで頷いた。


「はいはい、いらっしゃーい」


 ユウは少し傘を上げて、ルリを迎え入れる。


「にしても、シロちゃん大胆〜!びっくりさせちゃうわよ?」


 ユウの作ったような少し黄色い声が響く。


「いえ、そんな……本当に少し、お話しするだけですわ」


 シロは悪戯っぽく笑ってウインクすると、小走りで前にいる二人のもとへ向かっていった。


「青春ね」


「ね」


 そんな後ろ姿を眺めながらルリがいうと、ユウが頷いた。


「ご機嫌よう、羽黒くん、詠航くん」


 二人の後ろから話しかける女が一人。


「牧野さん、お疲れ様」


「よう、牧野か」


 レイとマコトが振り向くと、そこには黒髪に濡羽色の翼、そんな翼に半透明の合羽を着せたレイと、ギラと煌く極彩色の瞳に薄い桃色の頭髪を携えたマコトの、まるで対照的な色彩が口々にシロに挨拶した。

 

「お二人とも、お疲れ様です。その……少々でよろしいので、詠航くんを貸していただいても?」


 シロが聞いた。


「?」


「へえ〜……どうぞどうぞ」


 当惑するマコトを余所に、それはもう是非!とも言うようにレイは答える。


「おい、レイ」


「なんだよー、行って来なよー」


 ニヤとレイは笑った。


「……別に、行かねーわけじゃねーけど。まあ、ちっと話してくるさ」


 マコトは、手をひらひらと振って先に歩き出す。


「ありがとうございます、では」


 シロはそういうとマコトと並ぶようにして先をいった。


「……」


 シロとマコトの並び歩く後ろ姿をレイは眺めていた。

 十八歳の男女にとり恋の季節は年中無休、そんな特大の春が来たように思えた。

 

「やっほー、レイ」


「羽黒くん、おつかれさまー。お邪魔してまーす」


 後ろから挨拶され、レイが振り返る。と、そこには月下ユウと、その傘に入る山﨑ルリがいた。


「あ……二人とも、おつかれさま」


 レイは二人にそう返した。


「ねえ、レイ。パピーちゃんはさー、シロになんて?いい感じ?」


 ユウが聞いた。


「パピー?……ああ、くふ……マコトらしいね、確かに……ごめん、ツボっちゃって……はは……」


 一瞬、きょとんと目を丸くする。そして、意味を察したのかレイはすぐにくすくすと笑った。


「あの……それは、わかんないや……マコトはこれまで浮いた話なんて一つもなかったから……ただ、悪くはないんじゃない?テキトーだけど」


 レイはあっけんからんと答えた。


「本当、テキトーねえ」


 ユウはため息を吐く。


「テキトーって言ったでしょー。だって、わっかんないよー……あいつ、何考えてるんだか、考えてないんだか。まア、あんまり考えてないとは思うけどさ」


 複雑で単純な奴なのだと、しかし、わかっているのだという風に語ると、レイは肩をすくめた。






 下校途中にいきなり二人、それも行きずりで話を持ちかけられての事となれば、恋愛に縁のないマコトには中々にない青春的な一コマであった。

 そして、シロがそのような事をするのはあまりない。噂に疎いマコトでさえもそうとわかる程度には、これは珍しいイベントなのである。


 二人は談笑してというには少し早く歩く。これは、ペースメーカーのシロの意図であろう。

 後ろのレイやユウ、ルリ達と少し離れれば、シロはマコトの顔を見て頷いた。


「ここまで来れば、聞かれないでしょう」


 シロは変わらぬ落ち着いた様子でいうと、歩調を緩めた。


「話って?」


 マコトは本題を問うた。

 その極彩色の瞳が僅かに揺れるのは然し、恋の予感──ではない。


「……つかぬ事、世間話のようなものです。殺気立つような事ではありません」


 シロがさらりと告げる。と、安心したのだろう、マコトも緊張を解いたようで肩の力を抜いた。


「先日の模擬戦闘訓練、羽黒くん経由で月下さんと山﨑さんに知られていました。その週末には、お二人と話し合いですわ」


 じっとシロの視線がマコトに向けられる。


「あっ!……あー…………」


 マコトは忘れていたことを思い出したような、わざとらしさの混じった声を上げると、目を逸らす。


「ごめん。完全に口止め忘れてた……まさか、話してたとは……」


 彼は案外、抜けているところがあるようだった。


「いえ、構いはしませんわ。けど……二人には、心配をかけたくないんです」


 淡々と進みながら、シロはいった。


「そうか……」


 マコトは短く返答する。


「友達や家族が危険に飛び込むなんて……見ない方が、知らない方が、ずっといいですから」


 シロはどこか遠くを見るような目で溢した。


「……そうだな」


 マコトは、目を伏せてそういった。


「それと、詠航くん」


 シロが、そういえばという風に付け足してマコトの目を見て言葉を紡ぐ。


「なんだ、他に……何かあったか」


 マコトが伏せていた目を慌てて戻せば、シロとちょうど目が合う。

 シロは穏やかに微笑み、マコトはそれを不思議そうに眺めていた。


 一息、二息、間を置いてシロが口を開いた。


「……もう少し、肩の力を抜いた方がいいですわ。上手く隠すことも、仕事のうちです」


「なんだ、わかってるよ、上手くやる」


 何かに期待したのか、何を予想したのか、少しホッとした後に投げかけられるその言葉はムキになったのか、わかりやすく普段より硬直した口調であった。


「ええ、大丈夫。すぐに慣れますから」


 シロは何も変わりない。実際の経験談であろうか、心配はつゆほどもないという風に平静であった。


 と、それっきり会話が途絶えた。

 歩きながら、マコトは目をぱちくりとさせ、シロは変わった様子はなく秋雨の中を歩く。


「なあ、牧野。話ってのは……」


「……ええ、私の話すことはこれだけです」


 マコトは問い、シロは頷く。


「ただ、少しだけ、貴方と話がしたかった」


 そういうと、シロは押し黙る。彼女は真っ直ぐに何かを、あるいは何も捉えず、歩みを進めていた。


「じゃ、俺からも一つだけ」


「今度、部で何か……()()()()()があるんだろ?」


 マコトは、俵先生の言葉を思い出しながら問いかけた。


「!……詠航君、それは一体、どうやって」


 シロはその黒い双眸を丸くした。

 まさか、マコトが知るとは思わなかった為だろう。

 任務というのは与えられるもの、与えられていない者には伝えられないのが普通であるというのは当然の話。

 そして、その動揺はある意味、当然である。


「俵先生からさ、もちろん秘密!だろ?わかってるって、ただ、牧野もって聞いて驚いた。結構、ホラ、大事な用事っぽいから……さ」


 マコトはいった。


「ええ、とても大事な用事ですわ」


 シロは頷く。


「帰れそうか」


 マコトは短く問いかける。


「保証はありません」


 シロは淡々と答えた。


「不安は」


 マコトは問いかける。


「……ないと言ったら、嘘になります。けど、そう深刻でもありませんわ。そういうものなんです」


 シロは変わらず淡々と答えた。


「心配した方がいいか?」


 マコトはまた問いかけた。


「変なこと言う人。もう、しているでしょう」


 くすと笑ったのだろう。

シロは口元を手で抑えると、マコトにそういった。


「……かもな」


 少し考えていたのか。その答えは間を置いてなされた。

 その言葉は否定でなく、つまり全く肯定なのだ。


 ふと、シロの足が止まる。

 数歩前に出たマコトもまた立ち止まり、振り返ったがシロは顔を背けたままそちらを向くことはない。


「心配は、かけたくないって……言いました」


 ぱっ、ぱっ、ぱっ、


 傘が雨音奏でるその雨越しに届く声は、


「……なのに、私ったら」


 彼女の声は微かに震えていた。


「心配かけるのは嫌でも、誰だってそういうもんだろ」


 穏やかに、マコトが声をかける。


「俺は、色々鈍いらしいからな。有難い事に性格も悪ィ、そのお陰で生きやすい。だから、こういうのは向いてる」


 俵先生がマコトにわざわざ教えた理由は、おそらくそういうことなのだろう。


「例え周りは何にも知らない方がよくても、例えソイツがそうは思わなくても、誰にも知られないで戦ってる。それじゃあ、やっぱり寂しいよ」


 マコトはVで自身の顔を見に来た連中の事を思い出していた。

 異形であると年齢はわかりにくいが、それ以外では見た目は年相応。つまり、シロやマコト程の歳でというのは、やはり相当に少ない話なのはわかりきっている。


「だから、心配できる俺が他のみんなの分、心配する。不安もあるなら、まあ、俺に吐き出しちまえ」


「……ふふ、ありがとうございます」


 シロは振り返って、微笑んだ。

 微かに涙ぐんだ跡をハンカチでとんと拭えば、すぐに元に戻る。


「まア、なんだ、いいってことよ。気にすんな」


 マコトは恥ずかしそうにその薄い桃色がかった白髪の頭を掻くと、ぶっきらぼうにいった。


「詠航君。貴方も、頑張って」


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